4-13 人造魔剣クーリア・パトス

 思い返してみれば、俺は自分の剣について全てを知っているわけではなかった。

 最初にそれが与えられた時には、名前すら告げられなかった。ただ握らされ、いくつかの質問をされ、そして手元から取り上げられた。

 そして、次に手渡された時、鞘に収められたそれを魔剣『不可断』と識った。教えられたわけでなく、ただそう知覚したのだ。つまるところ、それは鞘こそが魔剣『不可断』の名を持つ剣である証明に他ならない。

 ならば、剣は? 名すら識らない、それでいて魔剣『不可断』の力を操る事のできるその剣とは一体何だと言うのか。

 答えはアンデラが口にした通りだ。

『触れた剣を操る剣』。おそらく、この剣はただそのためだけに旧ハイアット市とケトラトス家が造り上げたモノであり、そしてその目的を成し遂げる事ができなかったモノだ。

 だから、旧ハイアット市は滅びた。人造魔剣『回』を制御するためのモノはその役割を果たせず、魔剣『不可断』の補助具になり下がった。それにより、支配しきれなくなった人造魔剣『回』の力により街一つが消え去った。それが事の顛末なのだろう。

「――クーリア」

 まぁ、しかし、過程や事情はどうでもいい話だ。

 俺の剣では人造魔剣『回』を、それどころか神剣『Ⅵ』も奇剣『ラ・トナ』も、聖剣『アンデラの施し』すら操る事はできない。俺とこの剣に操れたのはただ一つ、魔剣『不可断』だけだ。

 つまり俺は剣の力に頼らず正面からクーリアを取り戻すしかなく、それだけが今意識すべき事実だった。

 縛り上げた腕の断面、失った左腕が一歩踏み出す度に痛みを訴える。それでも、その痛みは前へと進んでいる事の何よりの証拠だ。何もかもが消え更地となったこの場所で、その中を俺は未だ歩き続ける事ができていた。

 人造魔剣『回』、クーリア以外にその構成要素となった三人がいるというアンデラの話が嘘だったのか、それともあえて泳がされているだけなのかはわからない。そもそも、アンデラの話にはまだ謎と疑問点が残っていた。

 拘束し気絶させたアンデラ・セニアの装備からは、魔剣『回』らしきものは見つけられなかった。そもそも、五人の人造魔剣『回』が存在するのであれば、その全員が同時に魔剣『回』を身につける事は不可能だ。ならば、彼らは何を持ってして人造魔剣『回』の構成要素となり、どのようにして魔剣『回』の力を操るというのか。

 答えの出ない疑問を抱えたままで、それでも俺は足を進めるしかない。それらの疑問の答えがどうであってもやる事は同じ。唯一の目印である教会の残骸へと向かうだけだ。

 元々、大した距離を飛ばされたわけではない。万全とは言えない状態、痛みに耐えながらの前進でもほどなくして目的地へと辿り着く。

 崩れ落ちた教会、だが用があるのはそれ自体ではなく、地下へと続く階段だ。瓦礫で埋まったそれをしばらく手探りで探し、やがて下へと開けた道を見つけ出す。そこからは不思議と躊躇はなく、気付けば引き寄せられるように階段を下っていた。

「……クロナ」

 地下空間に入って、最初に目についたのは、なぜか二本の剣と共に倒れた女剣使、クロナの姿だった。

 眠るように穏やかに目を閉じた表情、身に纏う軍服こそ肩から先が裂け、脚の付け根から爪先までが一面に血に染まった凄惨な状態でこそあるものの、身体には目に見える大きな負傷はない。

 そして、息をしている。つまり、生きている。

 とは言え、ただ眠っているだけというわけはないだろう。何があったのか、起こして確かめるべきかどうか迷うも、結果として俺はクロナに触れずに進む事を選んだ。

「……………………」

 更に進むと、肉片があった。人間、主にその腹部が分解された肉片は、到底見ていて気分のいいものとは言えないが、目を逸らす事なくその有様を把握する。

 尚も進み続けて、終点。

 そこには、四つの人型があった。

 空間の奥には、胸元を朱に染めた二つの軍服の男の死体。向かって右端には見覚えのある顔、四肢が捻じ曲がったナナロ・ホールギスの姿。

 そして何より、もう一人。空間の中心には俯いた姿勢で座る少女、クーリアの姿。二度目の再会は、しかしその胴の中心が鍔のない剣に貫かれていた事で喜びから絶望へと変わる。

「…………クーリア?」

 俺の口から零れた声は、例えクーリアに意識があったとしても聞き取る事はできなかったであろうくらい弱々しいもので。

 何が起こったのか。

 ナナロが単騎でクーリアとその護衛役、おそらくは人造魔剣『回』の構成要素となった剣使と相討った。最初に浮かんだそんな想像は、クーリアを貫く剣が魔剣『回』である事実により否定される。ナナロがクーリアを殺すとすれば、他の構成要素に対してと同じく奇剣『ラ・トナ』で心臓を一突きすればいい。少なくとも、ナナロが魔剣『回』をクーリアに突き立てるような展開は想像できない。

 ならば、何が? 何が起きれば、クーリアの身体が魔剣『回』に貫かれるのか。情報も足りず冷静さも欠いた俺の頭では、クーリアの自害くらいしか可能性は思い浮かばない。

 それでも、思考がまとまらないままで、足は無意識にクーリアの元へと進んでいた。

 だから、その瞬間は不意に訪れた。

「――――っ」

 圧倒的な、そして凶悪な力。

 それは、すでに味わった事のある感覚と似ていた。世界ごと動かされるような、絶望的なまでに抗いようのない感覚。一つ違うのは、その力の使い道が動かす事だけでなく壊す事に対しても向けられていた事。俺の身体は吹き飛ばされるのと同時に、感じ得る限りの全ての部位が破壊されていた。

「――――――――」

 痛すぎる、意味がわからない。

 視界は白に点滅し続け、身体は一切動こうとしない。アンデラに腕を『回』された時の感覚が全身に広がった状態というのに近いだろうか、しかしあの時とは違い、痛点を切り離していけば全身が失われてしまう。

「――――!」

 何か、音が聞こえた。だが、痛みに意識の途切れかけた今、その意味を読み解くのは不可能だ。余計な情報を切り離し、一刻も早く意識を手放してしまいたいとすら思える。

「――――!!」

 だが、音は俺へと近づき、大きくなっていく。それでいて、俺はその音に対して何の反応を返す事もできない。

「――シモン!!」

 音が、意味を持った。

 それはつまり、痛みの消失を意味していた。

 正確には、痛みは消えたわけではなく薄れただけだ。だが、今この瞬間にも全身を襲う痛みは薄れ続けていた。

「……クロ、ナ?」

「動かないで。こういう細かいのは苦手だから」

 音と同時に意味を取り戻した光が視界に映したのは、クロナ・ホールギスの整いすぎた顔と、その手から俺の腹へと伸びた一本の剣だった。

「それは……?」

「聖剣『ルミナスの過ち』。身体の部位を治療、もしくは再生させる剣、みたいだね。私も起きた時に隣に置いてあっただけだから、それ以上はわからないけど」

 言葉通り、クロナの手にした剣は俺の全身の痛みを取り払うだけに留まらず、失われた左腕までもを再生させていた。

 おそらく、その聖剣『ルミナスの過ち』の存在こそが、クロナが無傷で倒れていた理由であり、アンデラが失ったはずの右腕を繋げて俺の前に現れた理由でもあるのだろう。

「……ははっ」

 自然と零れた笑みは、痛みが消えた事よりも、先程まで自分が痛みを感じていたという事実に対してのものだった。

「まだ生きてるんだな、クーリア」

 俺を吹き飛ばし破壊した力、それは他でもない人造魔剣『回』の力だ。今、この場でその力を操る事ができる可能性があるのは、クーリア以外にはいない。

 そもそも、俺はごく簡単な事を見落としていた。

 魔剣『回』に貫かれたクーリアの身体は、朱に染まってはいなかった。その時点で、クーリアに起きた事象はただの刺殺ではない。

「生きてるの? あれで?」

「ああ。俺を吹き飛ばしたのはクーリアだ。最低でも、人造魔剣としては生きてる」

 人造魔剣『回』の力で俺を払い、それでいて今も身動き一つせず固まり続けるクーリアの姿を見るに、魔剣『回』が胴を貫いている現状は人造魔剣計画の一つの段階だと考えるのが自然だろう。人造魔剣が人と剣の融合体である以上、今のクーリアと魔剣『回』の形はそれをもっともわかりやすく体現しているとすら言える。

 ただし、人造魔剣としては問題なくとも、人としてのクーリアが戻るのかどうかはまだわからない。今のクーリアは近寄るものを自動的に破壊する装置、人造魔剣『回』としての性質に人の部分を侵食されているように見える。

 おそらく、アンデラ達の計画はクーリアを今の状態に保ち、その力を後付けの構成要素に扱わせる事で人造魔剣『回』を掌握するというものだったのだろう。問題は、軍がこの段階からクーリアに意識を取り戻させる事を想定していたか、その手段を用意していたかどうかだ。

「クーリアの元まで行く。それまで、俺を治し続けられるか?」

「無茶言わないの。あの子が壊すなら、私が治して追いつくわけないじゃん。大体、もし治せたところで、それ以前に近付く方が無理でしょ」

「なら、他に方法は? 神剣『Ⅵ』を使えば、クーリアまで届くか?」

「それも多分無理だよ。真正面から力をぶつけたら、私と『Ⅵ』でも一瞬で負けるし」

「……多分ならそれでいく。頼む、可能な限り俺を守ってくれればいい」

 このまま人造魔剣『回』となったクーリアを放置した場合、国防軍がどのように処理を行うのかはわからない。だが、最善の方向に転び、クーリアが意識を取り戻したとしても、クーリアは国防軍から解放される事も俺の元に来る事もないだろう。それでは振り出しだ。

 だから、痛みを負っても、命を失いかねないとしても、ここで俺が終わらせる。それ以外に選択肢はない。

「それは無理だよ。っていうか、やだ」

 ただし、それにはクロナの協力が要る。俺一人で挑んだところで、そこに勝算はほとんどない。自殺に等しい行為は、単なる自己満足でしかない。

「頼む、お前は危険を侵す必要はない。俺がクーリアのところまで行くのを手助けしてくれればいいんだ」

「それだと、君はほぼ間違いなく死ぬでしょ。私は君に死んでほしくないの」

「どちらにしろ俺は行く。お前が手伝ってくれた方が、少しでも死ぬ可能性は減るはずだ」

「……うん、それもわかってる。だから、手伝わないとは言ってないよ」

「それはどういう――」

「まず、私を治して」

 クロナは俺へと聖剣『ルミナスの過ち』を手渡すと、服の内側から歪な形をした薄い金属片を取り出し、それを自らの腹の肉を裂くように押し込んだ。

「クロナ!?」

 奇行を行ったクロナの傷を治すべく魔剣『不可断』を中の剣ごと投げ捨て、その手に聖剣『ルミナスの施し』を両手に握る。同時に、剣の力の性質は自ずと知覚された。

 傷を塞ぎ、失われた肉や臓器までを再生させる剣。全身を破壊された俺すらもほぼ完璧に治しきった『ルミナスの施し』の力なら、使用者が二流の剣使であっても、傷を塞ぎきるのは造作もない。

「傷は上から塞いで。破片は中に入れたまま」

 だが、クロナの指示に従い、あえて不完全な治癒を行う。事ここに至っては、俺にもクロナの意図が理解できていた。

「――うん、やっぱり。これで、今、私は人造魔剣になったみたい」

 人造魔剣とは人と剣との融合体だ。ならば、その作成法としてまず思い浮かぶのは、単純に剣を身体の中に取り込む事。

 クーリアの剣、魔剣『回』には以前に見た時には付いていた鍔がなかった。おそらく、アンデラ達人造魔剣の構成要素が取り込んだのはその鍔なのだろう。クロナもまた、それを身体に取り込む事で自らを人造魔剣の構成要素としようと試み、そして成功していた。

「でも、クロナ、人造魔剣は――」

「わかってる。だから、なるべく早くね」

 俺の言葉を遮り、クロナはただ笑みを浮かべた。

 クロナが人造魔剣となった事の本当の問題は、鍔の破片による自傷ではない。

 人造魔剣は、命を燃料として力を使う。使えば即死するというわけではないようだが、クロナは今、紛れもなく命を賭けてくれていた。

「ありがとう」

 一歩。動いた瞬間で最高速まで加速し、クーリアの元へと距離を詰める。

 同じ人造魔剣となっても、クロナがクーリアと張り合えるかどうかはわからない。扱う力は同種、元を同じくする力が対立した時、力の配分はどうなるのか。大元である魔剣『回』を取り込んだクーリアに、端末でしかないクロナが抗えるのか。

 一歩進むごとに、視界の中でクーリアの姿が大きくなっていく。身体に掛かる負荷は、想定していたものよりもずっと軽い。それでも人造魔剣『回』は間違いなく起動しているようで、地下空間の天井が破壊され崩れるも、その破片は明後日の方向へと吹き飛んでいき俺とクーリアに降り注ぐ事はない。これならば、俺はクーリアに届く。

「悪い、クーリア」

 完全に把握された間合い。速度を一切緩める事なく、接近の流れで剣をクーリアへと突き立て、押し込む。

 取るべき手段は、決まっていた。

 刺突で腹部の穴を広げ、そこから一気に魔剣『回』を抜き捨てる。

 人造魔剣が剣を身体に取り込む事で造られるのであれば、剣を取り出す事で人造魔剣は一対の人と魔剣へと戻る。それは、ごく単純な理屈だ。

 幸い、今の俺の手の中にある剣は聖剣『ルミナスの過ち』、傷を治す剣だ。魔剣『回』を抜いた後に残った傷を塞ぐ事はそう難しくない。

 無事に魔剣『回』とクーリアは分離され、傷も塞がった。

「――シモン、力が消えた!」

 背後からのクロナの声も、俺の行動が成功した事を裏付ける。

 後は、クーリアの意識が戻るだけだ。そして、そればかりは俺には祈る事しかできない。

 クーリアの身体を、そっと腕の中に抱き寄せる。魔剣『回』を胴から抜いた今でも、クーリアの身体は熱を保ち、息をし続けていた。肉体的には生きている事は間違いないが、人造魔剣の構成要素となる事が精神に与える影響までは不明だ。

「……………………」

 そして、何秒かが過ぎた。

 クーリアは、未だ目を覚まさない。

 俺には今のクーリアの状態がわからない。単純に気を失っているだけなのか、それ以上の問題を抱えているのか。意識を取り戻す事はあるのか、あるとすればそれはいつか。

 わからないままで、しかしこのまま待ち続けるわけにはいかない。

 ここはハイアット軍事都市の真っ只中であり、地下空間を覆う天井、地上から見れば地面を根こそぎ吹き飛ばした人造魔剣『回』の余波は、一目で騒動とわかるものだ。位置的に隠匿されている教会の地下だからと言って、いつまでもここに留まり続ければ誰かしらが駆けつけて来るだろう。それがハイアット軍事都市側の人間であればまず交戦は避けられず、あるいは国防軍本部からの部隊だとしても、今のままでは面倒は避けられない。

 なぜなら、まだクーリアは人造魔剣『回』のままだ。魔剣『回』、その本体こそ胴から引き抜いたものの、それ以前にクーリアを人造魔剣『回』とした魔剣『回』の一部、おそらく鍔はまだ体内に残っているはずだった。

 クーリアが人造魔剣『回』であり続ける限り、問題は解決されたとは言い難い。リースを含む国防軍主流派の目的が人造魔剣の破壊である以上、俺がこのままクーリアを連れて逃げたとしても、敵がハイアット軍事都市から国防軍に変わるだけだ。

「悪い、クーリア。もう少しだけ耐えてくれ」

 だから、俺はここで人造魔剣『回』を破壊する事を選ぶ。

 それが正解かどうかはわからない。魔剣『回』の破片を取り除く事がクーリアにどんな影響を与えるか、実際のところ俺は完全に把握しているわけではない。人造魔剣から解放される事がクーリアが意識を取り戻す手助けになるか、あるいはその逆で、俺がクーリアにとどめを刺す結果になってしまう可能性もある。それでも、俺には選択する必要があった。

 聖剣『ルミナスの過ち』、その刃をクーリアの腹部へと刺し入れる。魔剣『回』の欠片がどこにあるのかはわからない。だから、片端から身体を開いて探すしかない。

 腹部には、しかし金属片らしきものの姿はない。ならば、捜索範囲を広げる。腹部の傷を『ルミナスの過ち』の力で丁寧に塞いだ後、刃の位置をずらし胸部を切り開いていく。

 腹部と同じく、胸部の中は一面の赤。だが、一度の瞬きを挟んだ視界は、半ば溶け込むようにして銅色の錆に覆われた金属片の姿を捉えていた。

 それこそが、魔剣『回』の欠片。クーリアを人造魔剣たらしめているもの。

 焦りに震えかける手を抑え、指二本を最短の距離で金属片へと伸ばす。やがて指に伝わった硬質の感覚を、逃さないよう指の間にしっかりと挟み、そのまま一気に摘み出す。

 それで、クーリアは人造魔剣ではなくなった。後は、傷を塞ぐだけだ。

「――っ、ぃ」

 その時、短い喘ぎが聞こえた。

 喘ぎの意味は苦悶、そしてその声は他でもないクーリアの口から零れていた。

 きっかけは魔剣『回』の欠片の排除だろう。そもそも、俺は一つ重要な事を忘れていた。

 人造魔剣『回』の構成要素となったクーリアは、魔剣『回』を手にした時しか意識を保つ事ができない。胴から抜いた魔剣『回』をそのまま捨て置いた時点で、クーリアが意識を取り戻すはずはなかったのだ。

 だが、こうして今、クーリアは意識を取り戻しかけている。それはつまり、クーリアが完全に魔剣『回』と分離し人造魔剣でなくなった事の証明。加えて言うならば、そこに与えられた痛みがクーリアの意識を半ば強引に覚醒させかけているのだ、

 考えてみれば、当たり前の話だ。如何にすぐに傷を塞いでいるとは言え、俺はクーリアの身体を刃で切り裂いているわけで、痛みを感じないわけがない。

「ぅ、っ――」

 予想通り、声は前兆だった。クーリアの身体が小さく跳ね、そしてその瞼がゆっくりと開いていく。それを喜ばしく思う自分と、同時に危機感を覚える自分がいる。

 クーリアが人造魔剣でなくなり、意識を取り戻すのであれば、それは紛れもなく喜ばしい事だ。ただし、今の状況はまずい。いつから意識を手放していたのかはわからないが、痛みに目覚めてすぐ、自らの裂けた胸部と剣を握る俺の姿を目の当たりにすれば、そこに誤解が生まれる事は必然だ。

 俺が怯えられるだけならいい。誤解も、いずれ解く事はできる。だが、今の状態でクーリアがパニックに陥るのはまずい。少なくとも切り開いた胸部を治癒しなければ、最悪の場合その傷が原因でクーリアを殺してしまう。

「――シ、モン?」

 開かれた瞼の奥、クーリアの瞳の焦点が俺の顔へと合わさる。まだ意識は覚醒しきっていないが、それもほんの数瞬だけだろう。

「クーリア……頼む。俺を信じてくれ」

 最低限の治癒が間に合うのが先か、クーリアが完全に意識を取り戻すのが先か。全神経を聖剣『ルミナスの過ち』に集中させながら、無意識に俺の口から零れたのは祈りにも似た懇願だった。

「……うん、わかった」

 ふと、視線が吸い寄せられた。

 それは、笑みだった。

 何の変哲もない、少女の浮かべたごく普通の笑顔。それでいて、それこそが俺の何よりも求めていたものだった。

 クーリアの身体には僅かな硬直、しかし逃げ出そうとするわけではなく、むしろクーリアは自身の身体を俺の腕へと預けていた。

 ならば、治癒は容易だ。切り開いた肉と皮を合わせ、一切の傷跡すら残らないよう丁寧に塞いでいく。数分とかからず、クーリアの胸部は元通りの状態へと再生を果たしていた。

「クーリア……」

「……シモン」

 互いに、口にすべき言葉はいくらでもあった。

 状況の説明、相手へ抱いた感情。前にも後にも、今の俺達は数え切れない事情を抱え込んでいる。

 だが、俺達はただ相手の名前を呼び、相手の身体を抱く事を選んでいた。

 今はそれしかできず、しかしそれだけで全てが満たされていると感じられた。

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