4-4 嘘

「クーリア・パトスは、従順な少女だ」

 両腕に手錠を嵌められた俺の隣で、気持ち悪いくらいにこちらに歩幅と歩調を合わせて歩く青年、アンデラ・セニアはそう口にした。

「……本当にいいのか?」

「何の事だい?」

「俺とクーリアを会わせるなんて、あまりにも親切すぎる」

 交渉を呑んだ俺に対し、アンデラの提案したのはクーリアとの面会だった。

 一応は条件として口にしていたそれだが、今行うにはあまりに早すぎる。と言うより、俺としては本当に実現させるつもりだとすら思っていなかった。牢から出すだけならともかく、手錠付きとは言えアンデラ一人の監視で屋外を歩く現状も無警戒すぎる。

「その言葉は、君が僕を信じていないと自白しているのと同じだよ」

 自分でもその問いが建前をいきなり無視するような発言なのは理解しているが、そもそもアンデラの行動が表面的な駆け引きなど無意味にするほど率直なものだ。いきなり最終局面に迫るなら、最早体裁などどうでもいい。

「もちろん、君が僕を信頼できないのは当然の事だ。ただ、何度でも言うけど、僕は君と敵対するつもりはない。つまり君を陥れる必要はないし、君の利益になる行動を避ける必要もない。だから、これはごく自然な事だよ」

 アンデラの言葉は、もちろん信じない。この移動にしても、現状で確実なのは俺達二人がハイアット軍事都市の中を歩いているという事だけであり、本当にクーリアの元に向かっているのかどうかも今のところ判別が付かない。

 ただ、もしもこのまま進んだ先でクーリアと出会う事ができたなら、その時はアンデラの言葉を少しくらいは信じてみてもいいのかもしれない。

「そこまで言うなら、率直に聞く。今、俺達はどこに向かってる?」

「西部第一訓練場、その地下にある施設だよ。表向きには整備中としてある区画に入り口があり、人造魔剣の研究施設の一つとして使っている」

「……なるほど」

 行き先を聞いたところで、現在地点を把握できていない俺としてはそこに矛盾があるかどうかを判断する事はできない。ただ、方角ではなく単純なクーリアの居場所としては、アンデラの口にしたそれは相応しいように思える。

「もう間もなく到着する。心配しなくてもいいよ」

「俺の機嫌を取ろうなんて考えるな。言葉はどうでもいい、行動と結果で判断する」

 撥ねつけるような言葉は、アンデラの答えに安堵に近い何かを感じた自分への戒めでもあった。俺には騙し合いの経験など無く、本来は駆け引きなど行うべきではない。せめて、口先で惑わされるという一番下らない展開だけは何としてでも避けたい。

「他の侵入者はどうなってる?」

 それでも、自ら問いを口にしてしまうのはやはり甘さなのだろう。

「ホールギス兄妹については現状は行方不明。そして、リース・コルテット上等兵は捕縛の末、交渉に応じこちら側に付いたらしい」

「リースが……?」

 アンデラの答えは、単なる文字上のそれ以上の意味を持っていた。

 ホールギス兄妹とリースの現状については、アンデラの吐く言葉全てがそうであるように真実か嘘かはわからない。ただし、アンデラが侵入者の内の二人がクロナとナナロ、ホールギス兄妹であると知っている事実だけは疑いようもなくそこにあった。

 そして、だとすればその情報源としてリースの存在がある可能性は跳ね上がる。

 アンデラが信頼できないのはもちろんだが、俺はリースの事も、更に言えばクロナとナナロに対しても全幅の信頼を置いているわけではない。リースの寝返りを嘘と断じてしまうのは本当だと信じ込むくらいに思考停止だ。

「――ここが西部第一訓練場、向かいに見える仕切りの中が目的地だ」

 アンデラの答えの真偽を定められないまま、俺達は開けた土地、訓練場の目の前まで辿り着いていた。その奥には、たしかに金網のような仕切りにより囲まれた空間があった。

 仕切りの前まで辿り着いたアンデラは、その内で目立たないながらも扉状になった部分の鍵を開けると、押し込むように金網の扉を開く。

 金網の中には、更にいくつもの小さな囲いがあった。視界を完全に遮る板の囲いが立ち並ぶ中では、所々に剣を携えた兵士の姿も見える。なるほど、これはたしかに普通ではない。

「この先に、クーリア・パトスがいる」

 囲いの内の一つの鍵と扉を開くと、そこには地下へと続く階段が口を開けていた。

 緩やかに歩みを再開するアンデラの後ろ、俺の脳裏に浮かんだのは躊躇。

 地下は密閉空間、一度入ってしまえば、構造を理解していない俺が自力で脱出するのは困難を極める。逃げ出すなら今が最後のチャンスだ。

 だが、躊躇はあくまで躊躇でしかない。不安と恐怖、そしてわずかな期待のせめぎ合いの最中にも、俺の足は半ば自動的にアンデラの後を追い階段を下っていた。

 階段を降りた先、地下空間は薄暗く全体こそ把握できないものの、想像よりも広く感じられた。

「……研究施設には見えないな」

 ただ、そこは純粋な空間だった。目的や手段を一切感じさせない、ただ地下を切り拓いただけの空間。表向きのハイアット軍事研究所などと比べるまでもなく、人造魔剣を研究し実験するための設備が整っているようには見えない。

「ここは、役割的には倉庫や予備の施設に近いからね」

「クーリアはどこにいる?」

「焦らなくても、もうすぐだよ。彼女は、この地下施設の一番奥にいる」

 アンデラの言葉を信じるわけではないが、今更疑ったところで意味はない。距離感の掴めない中をしばらく歩いていくと、やがて人影らしきものに突き当たった。

「誰かと思えば、お前か。アンデラ」

 口を開いたのは目の前の人影、その三つの内の一つ。壁に肩を預けるように寄りかかった細身に長髪の男だった。周囲の薄暗さに加えて前髪の影が目元まで降りており、口元の薄い笑みからしか表情は読み取れない。

「君がここにいるとはね、カイネ」

「ホールギスの連中とやり合うくらいなら、地下にでも籠もるさ」

「本当にそう思っているなら、外にいるだろう。むしろ、ここは最終防衛線だ」

「だからだよ。ここまで来られるような状況なら、どっちにしろ静観は無理だ。なら、俺はできれば最後まで動きたくない」

「まぁ、そういう事にしておくよ」

 アンデラはわずかに苦笑、そしてカイネと呼ばれた男は億劫そうに俺に視線を向ける。

「隣は? お前の言ってた奴か?」

「ああ、そうだよ」

「俺は無駄だと思うがな。どうせもう……いや、まぁ、いい。勝手にやってくれ」

「ああ、そうさせてもらうよ」

 反対側の壁に背を預け直すカイネを余所に、アンデラの視線はそのまま動かない。

「さぁ、シモン君。中に」

 先程までカイネのいたすぐ後ろの壁、そこに空いた穴に鍵を差し込み、アンデラは壁を押し開けていく。非常にわかり難かったものの、そこには扉があったようだ。

「ここに、クーリアが?」

「ああ。もう一枚扉を隔てたその先に、クーリア・パトスがいる」

 ここに来て、アンデラの言葉は限りなく真実味を帯びてきていた。

 ここまでの道程、そして今いるこの場所。アンデラがこれほどまでに隠された場所に俺を連れてくる理由が他に見当たらない。そもそも俺が牢に入っていた時点で、殺すだけならいつでもできたはずで、あえてそうせずに俺をこんな場所に連れてきた理由など、俺がクーリアの知己であるという事以外には思い当たらない。

「……さっきのは?」

 ふと、問いが口をついた。

「カイネ・ペッツ。僕と同じ、リロス国防軍特務兵の一人だよ」

「特務兵?」

「国防軍総司令官ノクス・ヒルクス直属の兵士、それが特務兵だ。このハイアット軍事都市における人造魔剣の研究は、カイネと僕を含む複数の特務兵の指揮の元で進められている」

 アンデラの答えは期待したものとは違ったが、それでも予想外に重要な意味を含んでいた。

「……それは、人造魔剣の研究が、国防軍総司令官の意思だって事か?」

 特務兵が国防軍総司令官の手足なのだとすれば、彼らの行動は国防軍総司令官の意思の元で行われているという事になる。国防軍における派閥の詳細は知らないが、総司令官が最も有力な存在であり、彼の意思が国防軍の意思に最も近い事くらいは推測できる。

 俺達は人造魔剣の研究が国防軍過激派、つまり反主流派の独断によるものだと考え動いていたが、その実、人造魔剣は国防軍総司令官直々の計画だったらしい。つまり、仮に人造魔剣の破壊に成功していたところで、その先の俺達が何の問題もなく英雄扱いをされていたかどうかには疑問が残る。

「そう難しく考える必要はないよ。僕、そしてヒルクス総司令は君にも、クーリア・パトスにとっても敵ではない。君達を悪いようにはしないさ」

 あるいは、アンデラの言葉は裏表のない真実なのかもしれない。

 事実として、クーリアはこのハイアット軍事都市に居続けている。その理由が強制ではなく合意、クーリア自身が望んで人造魔剣の研究に加担している可能性も十分にあり得る。

「……特務兵についてはわかった。ただ、俺が聞きたかったのはその隣だ」

 本筋を離れた会話を戻すように、再び問いを重ねる。

「あそこにいた子供は? あれは何だ?」

 特務兵カイネ・ペッツの隣には、まだ年齢を二桁重ねたかどうかの幼い子供、少年と少女が一人ずつ並んでいた。彼らは普通に考えて国防軍の、それも機密中の機密であるクーリアの傍らにいるような存在ではない。

「再会を引き伸ばしたところで意味はないよ」

「っ……」

 息を呑んだのは、アンデラの言葉が的を射ていたからだった。

 今まさにクーリアの目の前まで来ておきながら、俺は二の足を踏んでいる。それは、期待と裏返しの恐怖によるものだ。クーリアの様子が、俺を見た時の反応が怖い。クロナの言葉が正しければ、彼女越しにクーリアは俺を拒んだのだから。

「いいから答えろ。それとも、答えられないのか?」

 だが、だとしても、アンデラの言う通りに問いを呑み込む必要はない。

 俺の中に躊躇があるのは事実だが、あの場にいた子供が気に掛かるのもまた事実。加えて言えば、アンデラはそれについて口にする事を避けているようにも見える。俺の受けた印象が正しければ、つまりそこには隠したい事情、重要な何かがあるはずだ。

「彼らは、人造魔剣だ」

 意外にも、アンデラの答えはすぐに返って来た。

「……なるほど、な」

 人造魔剣。『人』で『造』る魔剣。彼らがクーリアと同じ存在であれば、この場所にあったとしてもおかしくはない。

「だとしても、どうして子供を?」

「人造魔剣の構成要素として、子供がより適しているからだよ。一時に扱える力の量も、それを扱える時間も。どちらも、成人した大人よりも成長途上の子供の方が優れている」

 淡々と、後ろめたさを感じさせない口調でアンデラは語る。

 おそらく、その事実を得るまでには数え切れないほどの実験、そして犠牲を必要としたはずだ。リースの情報では、人造魔剣の剣使、あるいは構成要素は、その実験過程でほとんどが死んだ。どの時期から子供を用い始めたのかは知らないが、アンデラの言葉を聞く限り決して少ない数ではないだろう。

 だが、アンデラの声にそれを悔いるような色はない。

 そして、俺にもそれに対しての怒りや悲しみはなかった。

「行くぞ、クーリアはこの先か?」

 結局全ては他人事で、人造魔剣の実験による犠牲者になど興味はない。正確には、そんなものを気にしている余裕などはない。

 そのくらい、今の俺の頭の中はクーリアの事だけで占められていたから。対面を引き伸ばすような事に意味はないと改めて思い知った。

「ああ、向かいの扉の先にいるよ」

 薄暗い中でも、そこに扉がある事はわかる。そのくらいの距離、数歩で届いてしまうような場所にクーリアはいる。

 自然と、足が動いていた。アンデラを追い抜き、扉に手を伸ばそうとして、自らの腕に掛けられた手錠の存在を忘れていた事に気付く。そうしている間に、追いついたアンデラが扉に手を掛けていた。意外にも鍵を掛けていなかった扉は、アンデラの腕に従い呆気ないほど軽く開き、その先の空間を顕にする。

「クーリア……」 

 そこには、少女がいた。

 牢というよりは部屋、それも家宅の一室にあるような座椅子の上に座った、軍服に身を包んだ華奢な少女。傾いた頭から白髪を垂らしたその姿は、一目でそれとわかるほどに記憶の中のクーリア・パトスと同じもので。

「……あなたは」

 だが、詰め寄れない。扉から現れた俺へと向けられた翠色の瞳は冷たく、その手は腰にある鍔のない剣に触れていた。明らかに、旧友との再開を喜ぶ様子ではない。

「私を殺しに来たの? シモン・ケトラトス」

 その所感が間違っていなかった事は、その第一声が証明していた。

「違う。俺は――」

「なら、取り返しに来た? 町一つを失っても、自分達の造った兵器を諦められない?」

 醒めた瞳で少女が語るのは、彼女自身の兵器として、人造魔剣としての成り立ち。

 クーリア・パトスは旧ハイアット市の、ケトラトス家の研究により剣との混ぜもの、人造魔剣へと成り果てた。クーリア自身がそう語った以上、それは紛れもない事実なのだろう。

 だとすれば、ケトラトス家の長男であった俺は、彼女を人造魔剣とした側の人間だ。当時の俺がそれを知っていたか、その計画に加担していたかどうかはこの際関係ない。今のクーリアにとって、俺は彼女に故郷を滅ぼされた被害者であると同時に自らの身体を造り変えた加害者なのだろう。それは誤解などではなく真実の一面だ。

「生憎だけど、私はあなたに殺されてあげるつもりも、ここを出るつもりもない。私からあなたに伝えるべき事は、それが全て」

 その言葉を裏付けるかのように、クーリアはゆっくりと目を閉じ、会話を終えた。

 正直、こういった展開は予想していなかった。

 そもそも、このハイアット軍事都市に足を踏み入れ、そしてアンデラの口から聞かされるまで、俺はクーリアを人造魔剣としたのは国防軍だと思い込んでいた。そして、アンデラから真実を聞かされた後ではそこまで頭を回すような余裕はなかった。むしろ、控えめに言ってもクーリアは俺に少なからぬ引け目を感じているだろうと思っていたくらいだ。

 だから、クーリアの糾弾は衝撃であるべきなのだ。悲しみか、驚きか、あるいは怒りの類か。向けられた敵意に相応しい感情を覚えているのが自然な反応だろう。

「……ああ、良かった」

 だが、俺の口から出たのは安堵の声だった。

 それと同時に、頬が濡れる感触。

「何、を……なんで?」

 クーリアの困惑は当然だろう。俺の反応は、会話の流れからすれば不可解なものだ。

 それもそのはずで、俺はクーリアの言葉に安堵の涙を流したわけではなかった。それはあくまで、クーリアの俺に対する感情の発露に過ぎない。俺の安堵はそれとは逆、俺のクーリアに対する感情へのものだ。

 クーリアが俺に憎悪を抱いているのであれば、それは悲しい。

 だが、それ以上に、クーリアがハイアット市を滅ぼした原因の一端である事を知り、敵意を向けられてなお、俺自身がクーリアに怒りを覚えず、それどころかクーリアの事を大切に感じられている事が何より嬉しかった。

「……連れて行って。そいつを、外に」

 会話が成立しないと見たか、あるいはそれとは関係なく一刻も早く俺を追い出したかったのか、クーリアはアンデラへと俺をこの場から除けるように告げる。

「クーリア」

 無言のアンデラに身体を引かれながら、目を閉じた少女の名を呼ぶ。

 聞きたい事は、話したい事はいくらでもある。だが、状況はその全てを伝える事を許してはくれず、そして何より今の俺は多くの言葉を紡ぐ事のできる状態ではなかった。

「俺は、お前の味方だ」

 そんな不格好な言葉だけを残し、俺はクーリアの元から引き離された。

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