3-9 宙空の攻防

 かつて、俺の故郷、ハイアット市は消失した。

 文字通りの消失、後に残ったのはちょうど円状の枠を模った街全ての残骸と、その内側に一面に広がる更地だけ。偶然にも使用人と共に市外に出ていた俺はその消失に巻き込まれずに済んでいたものの、普段通りハイアット市に暮らしていた俺の家族、友人、知人、そういった者のほとんどは街と共に消失していった。

 そして、今の今になるまで、俺はその原因を知らなかった。

 かつてのハイアット市の消失は、俺の知る限り公表すらされていない。あるいは、口封じのような事が行われたのかもしれない。外との繋がりの薄かった俺の故郷は、ただ静かにハイアット軍事都市へと変貌を遂げた。幼かった頃の俺、そして一介の『何でも切る屋』となった俺にはそこに介入して事情を探り出すような手段はなかった。

「――ああ、やっぱりな」

 だが、クロナがからクーリアがハイアット市を滅ぼした張本人だと告げられた時、俺の中に生じた感情は納得と落胆でしかなかった。

 俺はハイアットの消失の原因を知らなかった。だが、それは確信がなかった程度の意味でしかない。

 ハイアット市に存在した魔剣は二つ、魔剣『不可断』と魔剣『回』。『不可断』が俺と共に街の外にあった以上、あの時ハイアットに存在した魔剣はクーリアの『回』のみ。そして消失したハイアットの跡地、円形の更地と化した破壊跡は、規模こそ違えど以前に俺の目にした『回』の力による破壊跡と類似していた。

 少し考えればわかる事だ。だから、あえて俺は考える事を放棄した。

 どうせ、それは終わった事だ。クーリアがハイアット市を消失させた可能性に思い当たったところで、俺に何が出来るわけでもない。ならば、他でもない友人への疑念など抱かない方が悩まずにいられる。

「知らなかったの? それなら――」

「いや、知ってた。正確には、そうだろうと思ってた」

 だが、結局のところ俺は、すでにその答えに辿り着いていた。

 決定的なのは、今もクーリアが生きていると知った事。あの時、ハイアット市の消失に巻き込まれたはずのクーリアが今も生きているとすれば、それは彼女が『巻き込まれた』のではなく『引き起こした』側であるからだと俺は半ば確信してしまっていた。

「なら、なんで君はそこまでクーリアにこだわるの? シモンは――最初から、クーリアを殺すのが目的だった?」

 復讐は、最も妥当な動機だ。

 かつての自分の全てを奪った存在、クーリア・パトスに復讐するためなら、シモン・ケトラトスは命すら賭けられるとクロナは思ったのだろう。

「それは……それは、俺もわからないんだ」

 しかし、俺にはその復讐が動機なのかすらわからない。

 クーリアに会って自分が何をするのか、それどころかクーリアに対する自分の感情すらも判然としない。

「それでも――俺はクーリアの元に行く。それは絶対だ」

 だが、むしろ何もわからないからこそ、今の俺は答えを得るためにクーリアの元へと辿り着きたかった。

「……あー、ダメだ。そっか、うん。君もそういうとこあるんだ」

 俺の答えにクロナはしばらく俯くと、やがて頭を掻きながら口の端だけで笑った。

「なら、無理矢理にでも連れてくよ。あれとやり合うつもりなら、私くらい軽く振り払えないと話にならないしね」

 クロナの手が、神剣『Ⅵ』へと伸びる。

 ここでクロナとやり合うのは、率直に言って避けたい。クロナは俺を連れ帰る事が目的なのだろうが、俺がクロナを退けるには最低でもクロナの腕一本を落とす覚悟――場合によっては、それ以上が必要だ。短い付き合いとは言え、自分の身を案ずる相手を斬るのに躊躇を覚えないほど、俺は荒事に慣れてはいない。

「これは……」

 俺が動けずにいる間、最初に事が起きたのは足元だった。

 まっすぐに飛んでいた鳥の似姿、それが反転して南側に進路を変える。

「鳥の行き先を変えた。これで、君が墓地に向かうには飛び降りるしかないね」

 いくらクロナが優れた剣使でも、リースの聖剣『メギナの訪れ』の力を剣自体の略奪以外で支配下におく術はない。クロナのやった事は、神剣『Ⅵ』の力で強制的に鳥の似姿を動かす事で進路を捻じ曲げるという強引過ぎる力技だった。

 白い鳥型の正確な重量はわからないものの、材質と縮尺からして俺より遥かに重い事は間違いない。超常の剣の力なら動かせて驚くほどの重量ではないが、問題は仮に俺が飛び降りたところで、クロナは人間一人の身体程度なら容易に空中で拾い上げる事ができるという事実だ。さり気なく言葉に罠を混ぜ込んでくるあたり、実に性質が悪い。

 結局のところ、俺がクーリアの元に向かうにはクロナを斬る必要がある。そんな行為は望むところではない上、そもそも剣使としてのクロナは俺よりも遥かに強い。

「…………」

 それでも、俺の手は魔剣『不可断』へと伸びていく。

 きっと、俺には最初から選択肢など無かったのだろう。感情より、思考よりも先に身体がその事に気付いていた。

「……………………」

 クロナは動かず、俺の動きを待つ。戦術的には、問答無用で『Ⅵ』の力をぶつけられるのが俺としては最も辛い。意図はどうあれ、クロナがそうしてこないのは好都合だ。

「――っ」

 体感的にはひどく長かった睨み合いは、俺が剣を抜いた瞬間に終わりを告げた。

 剣を構えたのは反射、それが本質的に無意味だったかどうかはともかく、結果だけ見れば俺が剣を構える必要はなかった。

「雷、か」

 晴天に見合わない光と轟音に、クロナが小さく呟く。

 俺達の下から、通常とは逆の上方向に昇ってきた雷は、しかし俺の構えた刃に届くよりも遥か手前で掻き消えていた。

「うーん……ちょっと面倒な事になってきたかな」

 雷につられ見下ろした地上からは、剣を携えた剣使達が次々に宙を駆け登って来る。何らかの剣の力なのだろうが、まるで階段を登るように空を蹴る兵士の群れはなんとも奇妙な光景を成していた。

「とりあえず、下を片付けちゃおっか」

 空を走り、接近しながら放たれる超常の剣の力に、しかしクロナは揺らがない。

 炎、氷槍、銀色の流体、黒の靄――その他諸々の力に対し、クロナの神剣『Ⅵ』の一振りは全てを呑み込み、押し返す。多様な力を内包した力の波は、そのまま空中の兵士達へと逆流。運良く力場に流された兵士は風に吹かれる木の葉のごとく地面へと叩きつけられ、運悪く味方の剣使が放った力の反転を喰らった兵士は、落下の衝撃にそれぞれの力による威力が上乗せされる惨状となっていた。

「……多い?」

 自身の振るった力の結果に、クロナは怪訝な声を漏らす。

 一度の攻防で、空中に残った兵士は四分の一ほど。ただし、彼らはそれぞれにクロナの神剣『Ⅵ』の力に耐え得るなんらかの特殊な剣の力を持っているという事になる。

「化物め……っ!」

 俺達から見て左、弾けた空気音に長髪の剣使が悪態をつく。何らかの不可視、あるいは視認の困難な力だろうか、少なくとも俺の認識していなかった『それ』は、だが俺達に届く前に宙で弾かれていた。

 クロナも音を聞いてから視線を向けており、おそらくは自動での防御だろう。雷に対処した時もそうだったが、クロナは対象を認識せずとも迎撃を行う事ができている。詳細はわからないが、神剣『Ⅵ』により外向きの力を常時周囲に張り巡らせているのだろう。そんな半自動の防御ですら、国防軍の剣使による攻勢を難なく凌ぎ切れるだけの隔絶した力量がクロナにはあった。

「げっ……まずい?」

 しかし、広域の防御を抜け、左から宙を蹴り俺達まであと数歩ほどの距離まで接近していた影があった。それを見たクロナの顔に初めて焦りが浮かぶと、すぐに両手を添えた剣の切っ先を向ける。

 瞬間、空間が歪んだ。神剣『Ⅵ』から発生した力の奔流、空間を歪ませたかのようにすら見えた密度の力は、宙を駆ける兵士の回避を嘲笑うかのように追尾し辿り着くと、一瞬で人型の原型がなくなるまで圧縮した。

「……っ、チッ!」

 崩れた人型、それが薄れて消えていく様を目にしたクロナは舌打ち。接近していた兵士は姿だけの幻像、何らかの力による陽動だった。

 本命は地上、俺達の乗る鳥の似姿の下から削るような摩擦音が響く。視線を向けるとそこでは、巨大な螺旋状の結晶が神剣『Ⅵ』の自動防御に衝突し、勢いを弱めながらも更に上方へと迫り続けていた。

「この程度なら――っ」

 だが、接近はそこまで。クロナが結晶を認識し、迎撃に力を向けると、結晶の速度は一瞬にして低下。直後、重力と合わさり放たれた以上の速度で地上に返っていく。

 続けざまに放たれた第二、第三の結晶も、立て直したクロナの放つ力の奔流と真正面から激突。僅かな拮抗の後に奔流に呑まれ、加速して地上に返還される。

「もう、しつこいなぁ」

 結晶の落下と共に地上は避難に奔走、しかし下からの追撃は止まず、更に少し離れた位置からまた別の影が迫ってくる。一際高い建造物の屋上から放たれたそれは、先程の結晶と同じくらいの大きさだが、鋭利というよりは歪な塊のような形をしていた。

「っ――避けろ! 防御するな!」

「なんで――!?」

 その見覚えのある形状に、手遅れになる前に叫ぶ。

 飛来する奇妙な塊は、研究所で目にした人造魔剣『十三番』。歪な塊は自動防御を一瞬で突破すると、クロナの迎撃にも一切勢いを弱める事なく俺達へと一直線に迫ってくる。

 超常の剣の類は、全て例外なく自身以外の超常の力を刀身に触れた部分だけ無効化する性質を持つ。紛いなりにも人造魔剣、微かに発光する力しか持たない『十三番』もその例には漏れず、射出されたその巨大な塊はありとあらゆる超常の力による防御を受け付けない砲弾と化していた。

「……危ないなぁ、もう!」

 もっとも、『十三番』に超常の力が及ばないのは防御の場合に限らない。おそらく原始的な投石器の類で放られたその速度は先程の結晶には遠く及ばず、俺の忠告が役立ったかどうかはともかく、直撃より先にクロナの操る鳥の似姿は人造魔剣の軌道から逃れていた。

「――避っ!」

 一息、吐くよりも早く身体が動き、追って危険を叫ぶ。

 宙を飛ぶ『十三番』、俺達の横を抜けようとする塊から、鋭利な破片がこちらへと次々に迫って来ていた。クロナが防御に向けた神剣『Ⅵ』の力の膜は瞬く間に突破され、狭い足場では回避もままならない。手前に立った俺が剣で弾き飛ばすも、防ぎきれない破片が二の腕と脇腹を掠めていった。

 そして、欠片の射出点は『十三番』、そこから跳んだ一つの人影。人造魔剣に張り付いて飛んで来たと考える以外にないが、その行動は正気の沙汰とは思えない。

 人影は鳥の背に着地すると、勢いを一切殺さず前進から突きを放つ。標的はクロナ、だが寸前で割り込んだ俺の剣と鍔迫り合い――

「――なっ」

 突きから薙ぎ、あるいは単純な押し込みへと変化した刃に、単純な腕力の差で俺の剣が押し返される。退いて体勢を立て直すべき場面で、しかしそれをするだけの空間が鳥の似姿の背には存在していない。

 ならば、小手先で捌く。刃の角度を変えて襲撃者の刃を逸らし、その隙に反撃を――との目論見は、次の瞬間に身体の制御が失われた事で瓦解した。

 奔ったのは雷撃、限りなく零に近い距離から放たれたそれに抗う術はなく、動きを止めた俺の身体は当身を喰らって呆気なく宙へと放り出される。

「くっ……」

 だが、苦悶の声を漏らしたのは俺ではなく襲撃者の方だった。

 奇襲からの初撃、それが襲撃者の唯一の勝機だった。その一手を俺への対処に裂かざるを得なかった男は直後、クロナの神剣『Ⅵ』の力に絡め取られ、完全に動きを止めていた。

「ごめん、シモン。反応遅れた」

 クロナの謝罪は横から、俺の身体は鳥の似姿の横で落ちる事なく宙に浮いていた。クロナは神剣『Ⅵ』で襲撃者を止めると同時に、放り出された俺の身体を掬い上げて地上への落下を防いでくれていた。

「いや……助かった」

 俺が割り込まなければクロナでも対処できなかった、かどうかはわからないが、少なくとも俺は襲撃者の奇襲に完全に敗北していた。互いに助け合う形にはなったが、より礼を言うべきは俺の方だろう。

 もっとも、クロナが謝罪したように、より被害を受けたのも俺の方だ。再び雷撃を喰らった身体は痺れと痛みでまともに動かず、更に衝突の際、俺は剣を手元から離してしまっていた。地上に落ちていったそれを回収する事は、相当に困難だろう。

「……しくじった、か」

 神剣『Ⅵ』の力に拘束され、剣をクロナに取り上げられて鳥の背に転がった襲撃者が静かに呟く。その男の顔に、俺は見覚えがあった。

 このハイアット軍事都市の総司令官、カウネス・ボーネルンドの傍らにいた護衛。アンデラ・セニアが俺を近接戦闘で打ち負かすのは、これが二度目だった。

「あんな無茶する発想は評価してもいいけど、流石に単騎で私達を殺そうとするのは無理があったね」

 宙に浮く俺を鳥の元まで手繰り寄せながら、クロナは薄笑みを浮かべて告げる。

「たしかに。君の言う通り、少し欲を掻きすぎたらしい」

 個人として追い詰められた局面で、しかしアンデラの声は淡々としていた。

「だから、君達を生け捕りにするのは諦めよう」

「何を――」

 クロナの声を遮ったのは、雷光と雷鳴。

 剣を奪われたアンデラがなぜ雷を、と疑問を浮かべる間もなく、雷撃はクロナの元へと一直線に奔り――その手前で掻き消されていった。

「偽物か。でも、通らないよ」

 警戒を解いてはいなかったのか、あるいは自動防御か。どちらであれ、アンデラの懐から取り出した短剣の放った雷光はクロナに届く事はなかった。

「聖剣『アンデラの施し』。雷を操り、身体機能を増強させる剣。悪い剣じゃないけど、今の状況を打開するのは無理かな」

「……詳しいね」

「まぁ、私だからね」

 悠々と笑うクロナの、意図よりもその言葉が俺には気にかかった。

「身体機能の……増強?」

 アンデラ・セニアの剣、聖剣『アンデラの施し』がクロナの言う通り身体機能を増強する剣なのだとすれば、俺の不意打ちが凌がれた事も、鍔迫り合いで押し負けた事も理解できる。

「だけど、残念ながら状況はすでに――」

 自らの剣の力を看過され、それでもなお余裕を持って聞こえたアンデラの言葉は、しかし最後まで続く事はなく。

「ぁ――」

 その瞬間、世界が吹き飛んだ。

「シモ――」

 聞こえかけたクロナの声が、瞬く間に遠ざかっていく。風景は掻き混ぜられ、視覚は意味を失う。全身を襲うのは風圧、というよりも空気抵抗だろうか。身体中の臓器が一方向に偏るような感覚の中、辛うじて自分が超高速で飛んでいるという事だけはわかった。

 方向もわからない、周囲も事態も把握できない。ただ、この速度ではどこで何に触れたとしても、その瞬間に全身が弾け飛ぶのは避けられないだろう。

 辛うじて幸いだったのは、全身を襲う圧が直撃の前に意識を奪ってくれた事だけだった。

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