3-6 ハイアット軍事都市 総司令カウネス・ボーネルンド


「ご足労だった。リース・コルテット上等兵、そしてその部下の君も」

 総司令部に足を運んだ俺達が最初に通されたのは、他でもない総司令室。向かいの壁一面が窓となっており、人一人の部屋としては広い――それでも、決して広すぎるわけではない部屋の中にいたのは、ボーネルンド総司令官その人とおそらくは護衛役だろう青年将校の二人だけだった。

「して、報告ではもう二人、部下を同伴させていたと聞いているが」

 机を挟んで革張りの椅子に座った男、ボーネルンドは感情の読み取れない顔と声で妥当な問いを口にする。声に限らず、その容貌にはこれと言った特徴がなく、若いのか年老いているのかすら外見からは今一つわからない。街ですれ違う程度なら気にも留まらない人種だろうが、こうして互いに思惑を抱えて向かい合う相手としては不気味に感じられた。

「ハレジナとダムの二人とは、別行動を取っていましたので。今は北区画の訓練施設か研究施設にいるはずですが、お連れしますか?」

「いや、結構。君達だけで構わない」

 リースがクロナとナナロの偽名で適当な事をでっち上げると、ボーネルンドはそれ以上の二人への追求はしなかった。ハイアット市では比較的南寄りにある司令本部から北区画までの距離は長く、片道でもかなりの時間が掛かる。実際に二人が今どこにいるかはわからないが、居場所を北と設定したリースの判断が功を奏したと言えるだろう。

「率直に聞こう。君達の目的は何だ?」

 だが、一息つく間もなく、すぐにボーネルンドはそう切り込んできた。

「リロス国防軍ハイアット支部の査察、及び軍事情報の共有です」

 それに対してリースは慌てる素振りを見せず、用意した建前を簡潔に述べる。

「なら、何故まず私の元に来ない?」

「今回の査察は、あくまで少人数による小規模なものですので。総司令に直接時間を割いていただくほどの事ではないと判断しておりました」

「――嘘、だな」

 当たり障りのない返答を、しかしボーネルンドは即座に切り捨てた。

「国防軍本部がハイアット軍事都市――いや、この私に嫌疑の目を向けている事はわかっている。君達が私との接触を避けたのは、対応される事を恐れたからだろう」

 冷静な、しかし僅かに嫌悪感を帯びた声でボーネルンドはそう告げると、視線を俺達、そして自らの隣に立つ青年将校へと行き来させる。何かの合図かと読み腰の剣に手を伸ばしかけるも、青年将校に動く様子はなかった。

「疑われる心当たりがある、と?」

 代わりに踏み込んだのはリース、だが会話の流れとしてはむしろ自然だろう。

「無い、と答えたところで意味がない事はわかっている」

 返ってきたのは、吐き捨てるような言葉。

「だから、君達にはこの基地を好きに調べてもらって構わない。そのために必要な権限も全て、一時的にではあるが譲渡しよう」

「……つまり、総司令は自らの潔白を示したいという事ですか?」

「それほど意外な事でもないだろう。誰だって、こそこそと周りを嗅ぎ回られるのは気持ちがいいものではない。やましい事がないなら尚更、だ」

 どこか皮肉気な笑みを浮かべるボーネルンドの提案は、しかし俺達にとってはどこまでも意外でしかなかった。

 ボーネルンドが俺達にハイアット軍事都市を自由に動き回る許可を与える以上、そこには何らかの事情がある。その事情が、ボーネルンド自身が語ったように後ろめたい事が何も無いという事だとすれば、彼は施設の総司令官でありながら人造魔剣――正確には実験記録にあった類の人造魔剣の開発には一切携わっていないという事になる。

「それと、その代わりというわけではないが、要求が一つある」

 あるいは、続いた言葉がボーネルンドの本命か。

「なんでしょう?」

「もしもこの軍事都市内で何らかの不正、あるいは反軍部的行動の類を発見した場合、可能であれば本部に持ち帰る前に私にそれを知らせてもらいたい」

「……事を揉み消すための協力はできかねます」

「もちろん、そうだろう。だが、このハイアット市は私一人が全てを把握するには少しばかり広すぎる。私の目の届かないところで何らかの問題が起きていたなら、それを知り対処するのは責任者としての責務であり権利ではないだろうか」

 ボーネルンドの言葉は、そのまま受け取れば自身の知らないところで問題が起きていた場合、その対処を自ら済ませ表に出さない事により本部からの叱責を逃れたいという意味になる。裏を読めばこの基地で問題が発覚した場合、全て自分の関与していないところで起きたものだという形で済ませようとしているようにも聞こえなくはないが。

「総司令のお力を借りられるような事態を発見した場合は、そうさせていただきます」

「その判断は君達に一任しよう。願わくば、公正な判断を期待している」

 リースは徹頭徹尾中立で無難な返答に徹し、ボーネルンドもそれ以上を要求するわけでもない。この場で圧力を掛けて怪しまれるのを避けるためか、それとも本当に自身に非はないと認識しているのか。

 いずれにしても、この場での会話は今のところ両者にとってほとんど意味のない表面的なものだ。収穫があるとすれば、総司令直々に施設を自由に査察する権限が与えられた事くらいだが、ボーネルンドが黒幕であった場合、おそらくその権限は俺達が人造魔剣へと辿り着く助けにはならないだろう。

「…………」

 ふと、気付かぬ内に腰の剣へと伸びかけていた手を止める。

 衝動的な動作は、苛立ちの発露。人造魔剣の真相は思っていたよりも遠く、辿り着くまでの道も複雑にできている。それに苛立つくらいには、俺は焦りを覚えていたらしい。

 そして、問題をごく単純にしてしまう方法ならある。

 相手は二人、間合いは大股で三歩半。踏み込みからの抜刀で護衛の青年将校を斬り、返しの刃をボーネルンドの首に押し当てるまで二秒とかからない。

 もっとも、それは浅慮というものだろう。武力行使は最短の手段ではあるが、失敗すればそこまで。仮に成功しても、人造魔剣、そしてクーリアの居場所がすぐ手の届く場所になければ、ハイアット軍事都市を相手に回す事になるのも時間の問題だろう。また、そもそもボーネルンドが俺達の探す人造魔剣について何も知らない可能性すらあり、その場合はこの場の誰も得をしない最悪の展開になる。

 都合のいい事に、ボーネルンドはリースに査察結果の報告を求めた。つまり、再び対面する機会はあると考えていいだろう。強硬手段に出るのはその時、クロナとナナロと合流してからでもいい。

 理屈ではそうわかっていても、俺の中には妙な感覚があった。焦りによるものなのかもしれないが、ここで動かなければ手遅れになるような、そんな漠然とした不安。それが、俺の手を剣へと向かわせる。

 考え事は俺の専門分野ではない。俺にできるのは剣を振るう事だけ、今の状況は非常にそれに適している。ならば、後は――

「――ボーネルンド総司令! 緊急の報告があります!」

 俺達の背後、声は扉の外から聞こえた。

「入れ」

「失礼します!」

 返事を聞くが早いか、扉を吹き飛ばす勢いで入ってきたのは、俺とリースをこの場に連れてきた女兵士、ラフナだった。

「西部の公営墓地区画において、大規模な被害が発生したとの報告です! 被害範囲は墓地全域とその周辺、原因は不明ですが、おそらく外からの侵入者に――」

 ラフナの言葉が終わるよりも早く、俺は走っていた。

 クロナとナナロが何らかの行動を起こしたのか、それとも他の理由か。全貌はわからないが、このタイミングでの被害報告は俺とリースの立場を間違いなく悪化させる。

 ならば、今ここで賭けに出る。幸い、ラフナの登場によりボーネルンドと護衛の気は逸れた。一瞬の奇襲、ほんの僅かでも相手の反応が遅れれば、それだけ勝機は広がる。

 前進、同時に抜刀。僅かに遅れて青年将校の手が剣に触れる。更に直後、視界に短く光の線が弾け――それを無視。鞘から抜き放つ勢いのまま、青年の胴体へと最速で横薙ぎの一撃を叩き込む。

「……っ!?」

 刃を止めたのは、同じく超常の剣の刀身だった。逆手の奇妙な体勢で腰の剣を抜いた青年は斬撃の軌道に刃を合わせると、その峰に手を添える事で衝撃を殺し、俺の刃を防ぎきっていた。

「くっ……っ!? っ――」

 驚愕を後回しに次の手に移ろうとした刹那、裂くような光が視界を刺した。同時に身体に走るのは痛み、虚脱感――あるいは、痺れ。身体の力は一瞬で奪われ、完全に無防備な状態での一瞬が無限ほど長く感じられる。

 すでに間合いは剣の届く距離。動けなければ、死ぬ。

「かっ――はっ」

 そして、衝撃は背中から襲って来た。

 全身を浮かせるほどの強力な衝撃は俺の身体を吹き飛ばし、そのまま向かいの壁、一面に張られた窓へと激突、貫通。身体は宙へと放り出される。眼球と僅かに動く首で視界で背後を捉えると、俺を吹き飛ばしたものの正体は、全体が真っ白い硬質の物体で形作られた巨大な鳥の似姿だった。

 俺を頭部の突進で部屋から押し出した白い鳥は、宙空で俺の下へと潜り込むと、その巨大な背で俺の身体を受け止める。そして、そのまま急降下で速度を増し、ハイアット軍事指令本部から加速度的に遠ざかっていく。

「――ここは、一度退こう」

 倒れた俺の隣、鳥の背から聞こえる声は、他でもないリースのものだった。

 純白の鳥の似姿は、リースの剣、聖剣『メギナの訪れ』の力の産物。つまり、俺はリースに助けられたというわけだ。

 リースの持つ聖剣『メギナの訪れ』の力は、自在な形状の物体を生み出し操る力。リースの作り出した白の鳥は、外見だけでなく空を飛ぶ挙動も可能にしていた。

「……ぁ、っ」

 礼と、そして謝罪をしたいが、口すらも上手く回らない。

「君の判断は悪くなかった。欲を言えばもう少し情報が欲しかったが、それまで待っていては私達が拘束される可能性もあっただろう。どうせ立場が悪くなるのなら、賭けに出るという判断は間違っていない」

 そんな俺の状態を知ってか知らずか、リースは意外にも慰めの言葉を口にした。

「――だが、相手が悪かった。不意打ちへの対処、特に近接戦闘でのそれにおいて、アンデラ・セニアより優れた剣使を私は知らない」

 そして続けられた名前、おそらく俺の一撃を防いだ青年将校の名だろうが、それは少なくとも俺の記憶の中にはなかった。

「……知っ、て?」

「セニア特務は私よりも一期上、当時の士官学校で五指に入る剣使だった。加えて戦術眼や体術、剣術等といった兵士としての能力を兼ね備えており、国防軍に入ってからも向こう五期では例外のない程の功績を上げていると聞く」

 微かに俺の口から絞り出された問いに、リースはどこか苦々しい声で答える。

「更に、彼は軍に入ってすぐに聖剣『アンデラの施し』を手に入れた。私も直接目にするのは初めてだったが・・・・・・噂通りあれが雷を操る剣であった以上、今のセニア特務を近接戦闘で打ち負かせる者など、大陸中を探しても数えるほど存在するかどうか」

 偶然かあるいは何かの因果か、所有者と同じ名を持つ『アンデラの施し』という剣の力が雷の生成と操作だとすれば、先程の俺の身体に起きた事も説明が付く。

 アンデラの剣から放たれた光、雷光は威力としては正面から直撃しても人一人を即死させるには至らない程度のものではあったが、速度の面では体感での認識と着弾が同時。そんなものを初見で防御するのは不可能に近い。

「……だが、セニア特務の所属はリロス北部、つい最近までレリアン公国との国境付近にいたはずだ。その彼がここにいるという事は、もしや――」

 リースは青年将校、アンデラ・セニアの所属に頭を悩ませているようだが、俺の関心はそれとは別のところにあった。

 アンデラの剣、聖剣『アンデラの施し』の力が俺の想像通りのものだとすれば、たしかに強力な剣であると言えるだろう。

 ただし、それは攻撃手段としては、の話だ。

 アンデラは俺の剣を自らの剣、その刀身で受け止めた。そこに聖剣の力は介在せず、つまりあれは紛れもないアンデラ自身の反応と剣の技量が成せるものだ。更に言えば、アンデラは明らかに不利な体勢で、対する俺は万全と言っていい状態からの一撃。たった一撃とは言え、あの攻防においてアンデラ・セニアという男は剣士として俺を上回っていた。

 だが、そんな事があっていいはずはない。俺が、よりにもよって剣使に剣術の腕で負ける事など許されない。

「……っ! あれ……か?」

 思考のためか、少しの間黙り込んでいたリースが疑問形で口を開く。

「動けるか、シモン君?」

「……なんとか、ってところですね」

 時間が経つごとに身体の痺れが引いている体感もあり、試しに力を入れてみるとどうにか上体を起こす事はできた。念のため、宙空を飛んでいる鳥の似姿の上で立ち上がるのは避けておくが、感覚的には足も軽く走る程度なら問題ないだろう。

「――なるほど。あれ、ですか」

 起こした首の先、視界に入って来たのは円だった。元が何であったのかはわからない、そのくらいにまっさらな更地が形作る巨大な円。中心部に比べ、端には僅かに破壊された施設の残骸が残っているものの、それがむしろ起こった現象の壮絶さを物語っていた。

 明らかな破壊跡、それも普通ではあり得ない異常な破壊。それが単なる事故の類ではない事は一目瞭然であり、直接それを引き起こしたのが誰かはともかく、事態の一端にクロナとナナロが関わっているであろう事は想像に難くない。

「君が構わないなら、私はこのまま可能な限り中心部に近づきたいと思うが」

「ええ、望むところです」

 すでに事態は動き始めた。逃げる事を考えなければ、多少の危険があろうと一刻も早く決着を付けるしかない。

「……ただ、このまま行くのは目立ちすぎるような」

 だが、それはそれとしても、人間二人を乗せて優に余りあるサイズの鳥の似姿は空中にあっても明らかに目立つ。俺達への捕縛、あるいは殺害命令がまだ完全に行き届いていないにしても、不審に思った兵士の迎撃を受ける可能性は否定できない。

「そうなったら、可能な限り防御しながら降りるしかないな。……もっとも、地上はどうやらそれどころではなさそうだ」

 穴に近づくにつれ、当然ながら少しずつではあるが地上の現状が見えてくる。

 見下ろした視線の先、映るのは現在進行形の惨状。混乱の中心部は拓けた訓練場から建造物の立ち並ぶ入り組んだ区画へと移り、そこでは次々に屋舎が倒れ、その中を点が縦横無尽に吹き飛ばされ続ける。更に凝視すると、その点はそれぞれが一人の人間だった。

「――これが、人造魔剣?」

 眼下の光景に衝撃を受けたように、リースは小さく息を漏らす。

「違います」

 だが、俺はリースの希望的観測を否定せざるを得ない。

 建造物を一瞬で薙ぎ倒す圧倒的な力は、たしかに並の魔剣のそれを凌駕しているのかもしれない。

 だが、まだ足りない。これが人造魔剣であるはずが――少なくとも、クーリア・パトスの扱う人造魔剣がこの程度であるはずはない。

「なら――」

 問い返そうとしたリースの声は、飛んできた砲弾に遮られた。

 高速で地上から放り出されたそれは、紛れもない人型。だが、それなりの速度を伴えば人間とて危険な射出物となり得る。

 俺が剣を構える手前で、リースが聖剣『メギナの訪れ』から白い盾を発生させる。盾に直撃すると思われたその人型は、しかし手前で急停止すると、盾を迂回して鳥の似姿の背に回り込んでいた。

「……クロナ?」

「や、シモン。とりあえず、また会えたね」

 地上から飛来した人型、宙に浮いた軍服の女は、他でもないクロナだった。

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