さがしもの 四 身支度

 少女は自室へと戻ると文机兼化粧台の前へと座わり、かえでの意匠が彫刻された木製の三面鏡を開いた。そして昨夜寝る前に外しておいた黒革の眼帯へと手を伸ばすと、前髪を眼帯に巻き込まないように手で除ける。


 あらわになった本来眼球があるべき場所には、檸檬の形をしたうろが一つ。問志はその空洞を手にした眼帯で塞ぐと、慣れた様子で紐を後頭部で回しむすび、紐を髪で隠した。


 そして備え付けの引き出しから椿油を取り出して髪に付けると、いつもより少しだけ丁寧に髪の毛をかす。椿油は榴月堂で暮らすようになってから真朱に貰ったもので、問志は好んで使うようになっていた。


 問志は赤い一つ目で鏡の中を覗き込みながら腰より長い髪を二つの三つ編みへわいていく。毛先まで結びきると髪紐でまとめ、前髪を再度整えた。


「……これは、どうしようかな」

 使い終わった椿の油を引き出しへ戻そうとした問志が手に取ったのは、一本の口紅だった。特区で作られた試供品なのだという其れは、試供品とは思えない程凝った造りの容器に入っていて、御姫様の持ち物のようだ。蓋を外し、中身を繰り出せば椿色をした紅本体が引き出されてくる。ほんのりと香る甘い香りは本物の椿の花を思わせ、少女心をくすぐって仕様がない。


 少しの間、問志はそれを眺め悩んでいたが結局そのまま容器の中へと戻し、代わりにいつも使っている色のないリップクリームを唇へと付けた。勿体なくて中々最初の一回を使う踏ん切りがつかず、問志はもう何度もこの葛藤を繰り返していた。


 首から上の支度が整うと問志は座椅子から立ち上がり、クローゼットを開けた。中身は、嶋根の家の箪笥たんすに入っていた彼女の衣類全てと、新たに帝都で買い足したものが幾つか。それと、真朱からのお下がりで出来ている。

 嶋根の家にあった問志の身の回りのものは、その殆どが羽鐘の手によって榴月堂へと送り届けられていた。羽鐘の強引なやり口を思い出して、ため息を吐いたのは一度や二度ではない。


 カーディガンと寝巻を脱いでハンガーに掛け、代わりに三角形の襟に細かなフリルが施された長袖のブラウスに袖を通す。薄手の白いタイツを履いて丈の短い袷の着物を着込み、動きやすいよう膝下程度の長さに調整された袴を着付ければ、後は玄関で靴を履くのみである。


「おっっと」

 鍵に財布といった僅かばかりの荷物の入った肩掛け鞄を手に玄関へ向かうべく部屋の扉を開けた問志は、忘れ物に気づき慌ててベッドサイドへと駆け寄った。

 少女はベッドの横、サイドテーブルの丸い天板を陣取る彼女の調整器、『真鍮の海月くらげ』を手に取ると目を閉じた。調整器の内部にある六角柱の水晶体に怪異の焔を灯すこと。それが、この海月の起動方法だった。


 問志の手から黒い焔が産まれたのも束の間。それは直ぐに調整器の中へと吸い込まれ、人間の頭部より一、二回りほど大きな調整器が、微かな駆動音と共にゆっくりと宙へと浮かび上がる。

 真鍮の海月が自身の手から離れたことを確認した問志は、今度こそ出発するべく自室の扉をくぐり階段を降りていく。

 その後ろを、目覚めた海月が追い掛けていった。




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