わすれもの 二 来訪者

 ”それ”は、問志にぶつかった拍子に彼女の身体を踏み台にすると、上へと飛び上がった。反射的に上を見上げた問志の目に映ったのは、屋上へ逃げ込んだ何者かの体の一部。黒い翼と鋭いかぎ爪だった。


「君‼︎ 悪いが上がらせてもらう‼︎」

 強く張り上げた声がベランダの下から聞こえた。先程の声はどうやら一階の店先辺りから届いていたようだ。

「え、ちょっと⁈」

 問志は慌ててベランダから地上を確認するが、既に声の主の姿はなく、代わりに階段を勢いよく駆け上がる音が響いていた。

「ここ‼︎ 関係者以外立ち入り禁止なんですが‼︎」


 問志の主張に返事はない。不法侵入者を無視するわけにもいかない少女は声の主を追い掛けるべく、書庫から飛び出した。


 榴月堂の外観は所謂 看板建築かんばんけんちくと呼ばれる類のものである。平たい屋根を持った縦長の木造建築には薄い青磁色せいじいろのタイルが貼られ、要所要所に西洋風の装飾と東洋風の装飾が混ざり合いつつ調和しながらが組み込まれている。


建物の正面から右手には一階から屋上迄を繋ぐ、硝子で囲われた螺旋階段が寄り添っており、その頭頂部には真鍮で作られた月の模型が現実の月よりもずっと早い速度で満ち欠けを繰り返している。

真鍮の月は、半日かけて新月から満月へと至り、また半日かけて新月へと変化するものだ。


 屋上へと続く経路は、その外に備え付けられた硝子の螺旋階段と、建物内部にしつらえられた階段の二つがある。問志が内部の階段を急いで駆け上がり、屋上へと繋がる扉を開けた頃には、問志より地上に近かった筈の誰かも丁度屋上へと到着していた。


 その人物は燻んだ骨色の髪を持つ、褐色肌の青年だった。年齢は二十代前半くらいだろうか、肩上までの癖っ毛は左横髪だけ二房長く垂らされている。アメジスト色の鋭い眼は自身が駆け上がってきた螺旋階段の反対側、つまり建物の奥側を睨みつけている。視線の先には、いくつも貴金属を足に絡ませた三本足のからすがひょこひょこと建物の縁へと移動している。問志が開けた扉の位置は青年よりも烏の方が近く、問志の目の前を脚を引きずる烏が通り過ぎていく。


「君‼︎ 其奴そいつを捕まえてくれ‼︎」

「はっ?えっ⁇」

 青年の焦燥を孕んだ声に流されて問志は目の前の烏へと手を伸ばすが、タイミングを見計らった様に烏は翼を広げ身体を浮かせた。問志の手は空気を掴む。


「このっ、いい加減にしろ‼︎」

 そのまま中空へと逃げ果せようとする烏を確認した青年は、走る速度を落とすこと無く烏との距離を詰めた。其れこそ、屋上から飛び出さん勢いで。ぎょっとした問志は、慌てて自身の横を通り過ぎようとする青年の衣服を掴んだ。


「っ何をするんだ‼︎」

「それはこっちの台詞です飛び降りるつもりですか怪我じゃすみませんよ⁉︎」

 勢いよく自身へ体重をかけてきた問志によって体のバランスを崩した青年は、そのまま床へと転がってしまう。

「問題ない‼︎」

「問題しかない!!」


 二人が口論を続けている内に、烏は危なげな挙動で羽ばたきながら隣の住居の陰へと飛びさりながら、二人をこけ落とすように濁った鳴き声を響かせた。

 その声に青年はハッとして辺りを見渡すものの、時すでに遅く、青年と問志の視界から完全に烏は消え去ってしまった。


「また、振り出しか...」

 途端に青年の気迫も消え去り、がっくりと肩を落として脱力した。

「…あの、さっきの烏がどうかしていたんですか?確かに三ツ足烏は珍しいですけど」

 青年の余りに気落ちした様子に、問志は思わずそう聞いた。


 三ツ足烏はからすの一種で個体数が少なくかなり希少である。その上一般的な烏より知能も高い為に捕獲されにくく、その手の好事家の間で高値で取引される存在だった。問志の目には、青年の様子はそういった目的であの烏を追っていたようには見えず、尚更彼の目的に疑問が残る。

 青年は、口を一瞬開けると何かに気づいたようにすぐに噤んでしまったが、問志から目線を逸らしながら気まずそうに呟いた。


「話す。話すから、一旦離れてくれないか」

「...?......はっ!」

 自分が青年を押し倒しているような格好になっていることに、問志はそこでようやく気付いたのである。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る