◆番外2

 ひやりとしたものが頬に触れ、グラスフェルは目を開ける。目の前に広がる真っ白い肌に、愛しげに口付けを落とす。


「やはり、寒さ避けの秘薬というのは素晴らしいな。お前に触れても、唇を凍て付かせなくて済む」


 氷龍の鱗を組み込んだ外套は、寒さを全く厭わなくなるが、肌の露出した部分はそうはいかない。それを、悪食男爵の部下が用意した火種の薬を飲めば、凍てついた氷に触れても全く痛みや冷えを感じることが無い。全くもって有難い――これさえあれば、自由に妻に触れられるからだ。


 王城の一番深い地下室は、全ての壁が氷で覆われている。これも妻の為に王太子がわざわざ同じ相手――魔女ドリスに頼んで作らせたものだ。これから夏になる際、妻にもしもの事があれば耐えられない。


「……そう言うな。俺が不満なのは、商人にまでお前の鱗を渡したことだ。ただの悋気では無いぞ、あの男は南方国の皇族の血を引いている。あいつらは龍信仰もしている者も多いからな、何かあったら……、そうだとも。お前が奪われるのが一番耐え難い」


 彼が話しかけているのは、目の前に鎮座する、氷の鱗で覆われた一頭の巨大な龍だった。牙も瞳も全て氷で形作られたその首に、昨日手に入れたばかりの美しい真珠が、他の宝石たちも連ねた首飾りとなって輝いている。氷の竜は、それを何度も舌先で突き、随分と気に入っているようだった。


「……解っているとも。誰かがお前を選ぶのではない、お前が俺を選んでくれたのだ。愛想を尽かされないように、これでも必死なのだぞ?」


 言葉を交わしているわけではない。グラスフェルの心に直接、龍の感情が伝わってくるだけだ。それだけでも進歩なのだ、数年前に冬山で出会った時には、人間などに全く注意を払ってくれなかった。妻の――龍には生殖も必要なく、性別も無いのだからこの呼び方はおかしいかもしれないが、伴侶としてグラスフェルがこう呼びたいから呼んでいるし、拒否はされていないので遠慮しない。


 この龍の美しさに見惚れ、かき口説き、春になればその身を消してしまうことを知って、どうか自分に未練を持ってほしいと懇願した。そしてこの気高く美しいものは、僅かな好奇という了承を返して、この地に羽を降ろすことを良しとしてくれた。それだけで充分だし、望外の喜びだった。


「……ん? ああ、そうだとも。ビザール・シアン・ドゥ・シャッス。役に立つ男だ、出来ればもっと取り立ててやりたいのだが……未だ祓魔に目くじらを立てる者も多くてな。神秘に目を背ける者達に、この地の底にお前がいることを知らしめてやりたい」


 自分を飲み込めるほどの大きな顎をゆっくりと撫でてやりながら、ほんの少し照れくさそうに王太子は笑う。


「あいつも身を固める決意をすれば、もう少し真面目に働くと思うんだが。……本当だぞ、俺とてお前に会う時間を限界まで削って、仕事に勤しんでいるのだ」


 龍はほんの少し目を眇め、ゆっくりと顎を床に降ろす。どうやら眠りにつくらしい。そもそも春に氷龍が存在できている筈もない、冬にならなければ本来は形を保てないのだ。出来る限り休む為にも、眠っていることが多い。


「……解ったよ、真面目に働いてくるとも。だから、次に来るときは目覚めて迎えてくれ」


 妻に軽くあしらわれ、溜息を吐きながらもグラスフェルは立ち上がる。やるべき仕事はいくらでもある、王太子として愛にかまけているばかりではいられないのだ。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る