◆3-3

 塔の内壁をぐるりと取り囲むように続く螺旋階段を、静かに少女が上がっていく。先行するメイドの幽霊は、青白いランプを掲げて吹き抜けを飛んでいくが、彼女は客人に合わせて律儀に歩いているようだ。


「どうぞ、こちらへ――あの、男爵様、大丈夫ですか?」


「フウ、フウ、いや失敬、どうぞご心配なく、ゲッホ!」


「男爵様、ここでお諦めになるならどうぞご遠慮なく」


 塔の中腹辺りまで登ったところにある扉の前で、リュクレールが振り向くと、そこから十段ほど下がったところで肉饅頭が力尽きかけていた。彼の背中を支えつつ、従者が心底不愉快そうな顔をしている。


「ンッハッフ、容赦ないなヤズロー! 心配無用だとも、この吾輩、何を隠そう健康の為、ハァ、毎晩階段の上り下りをしているのだ!」


「居間から寝室に上がって下がる時の往復一度きりで既に体力が尽きているのですね、納得致しました」


 最終的に背をぐいぐいと従者に押されながら、やっと男爵は目的地に到着した。


「では謹んで、フウ、お邪魔致します。……おお!」


 僅かな軋みを立てて木戸が開き、淑女の後に続いて入った部屋は、幽霊塔の中の一部屋とは思えないほど明るかった。


 無論、その灯りは天井や壁に据え付けてある蝋燭に灯っている青い灯火なのだが、古ぼけていながらも立派な持て成し用の机と椅子、毛足の長い絨毯、天蓋つきの寝台など、貴族の寝室としては充分な広さと豪華さがあった。少女はほんの少し恥ずかしそうに、客人達に椅子を勧めながら言う。


「何分、お客様をおもてなし出来る部屋がわたくしのものしか無くて……落ち着かないでしょうが、お許しください」


「なんのなんの、吾輩には勿体ないほどの、フウ、歓待ですとも。出来ればお水を一杯頂きたいですな!」


 遠慮なく椅子を力いっぱい軋ませて座り、更に図々しいお願いをする招かれざる客に、恐らく先行して部屋に入っていたのだろうメイドの幽霊が眉を吊り上げながらも、茶の準備をしている。


 銅のポットの底に鬼火が灯り、湯が沸く。サーブされたカップは彼女の主と客の二脚のみだったが、


「ヴィオラ? こちらの、ヤズロー様にもお茶を」


「いえ、私は――」


「これはこれは忝い! ヤズロー、お前も喉のひとつも乾いただろう、席まで用意して頂いたのだから座りたまえ」


 本来、貴族つきの従者にまで席や飲み物を用意する等有り得ない。実際、メイドの方は僅かに戸惑っているようだったが、彼女の主もぜひ、と勧めてきたので、逆らうことはないようだった。


「……では、失礼いたします」


 ヤズローの方も、貴族の使用人としての礼儀は叩き込まれてはいるが、自分の主が勧めてくるのなら否はない。深く頭を下げてから、ビザールの隣の席に収まった。


「……うむ、これは美味い! 月光草ですかな?」


「お分かりになるのですか? 何分、碌に金陽の光が届かないので……ヴィオラが育ててくれているのです」


「ええ、吾輩のメイド頭もこれで茶を作っておりましてな。部屋の中で育てられる便利な薬草だと」


 舌が僅かに痺れるような辛味のあるすっとした味は、確かにヤズローの覚えにもあった。魔女達が自分の魔力を高める為に、育てだしたと言われる薬草。幽霊達にも、自分の霊体を維持するためにこういうものが必要なのだろうか。


「フウ、有難くも人心地つきました。それでは早速ですが」


「はい――」


 思わず居住まいを正す少女に対し、男爵は悠々と足を組みかえ――正確には悠々に見せて割と無理やり――、改めて身を乗り出した。


「まずは僭越ながら、自己紹介などを。吾輩の名はビザール・シアン・ドゥ・シャッス、お気軽にビザールとお呼び下さい。仕事は祓魔――実に端的に申し上げれば、化け物退治とでも申しましょうか」


「化け物……」


「おっと、誤解の無きよう申し上げておきますが、吾輩が祓うのはあくまで人に仇名す魔の者のみ。例え世界の理に背こうと、銀月女神の許しがある限り、人は死に留まる事が許されます。吾輩は、そこでちょっとやんちゃをしているものに仕置きをするだけです」


 おどけたような男爵の言葉に、少女は僅かに緊張を解いたらしい。ふ、と肩の力が抜けたようだった。


「……お優しいのですね、男爵様。申し訳ありません、正直、いつこの身を裁かれるかと怯えておりました」


「おお、これはこれは重ねて失礼を。ご安心ください、貴女のようなお優しくお美しい淑女に、そのような無礼は致しませんとも、母親の名にかけて」


 歯の浮くような台詞はやはり慣れていないのか、青白い少女の頬にぽっと火が灯る。メイドの眦が吊り上がり、ヤズローが主の足を踏んで止めるべきかと一瞬悩むうちに、リュクレールはどうにか態勢を立て直して答えた。


「わたくしは、そのような――ええと、男爵様のお母様は、誇り高き方なのですね」


「ンッハッハ、父親が誇れなかったが故のやむを得ぬ選択ですがね!」


「まぁ。……いえ、すみません」


 おどけて肩を竦めると、服の中に満ちた肉がミチミチッと音を立てたのが面白かったのか、思わず少女の唇が綻んだようだ。すぐに無作法に気づいたのか、慌てて身を竦めるが、男爵の方は満足げに笑って言う。


「おお、漸く笑って下さった。やはりお美しい淑女には、笑顔でいられるのが一番です」


「わたくしは――そんな」


「ふむん?」


 何か、思う所があったのか。少女は初めて、招かざる客人から視線を外し、僅かに俯いた。唇を少し動かすもそれは音を出すことを叶わず、きゅっと結ばれる。悩んでいるのか、迷っているのか、或いは――


「失敬、美しい淑女と話すなど随分と久々で、ついつい浮かれてしまいましたな。浮ついた話をしてしまい、申し訳ない」


 疑問から僅かにヤズローが身を乗り出した時、男爵自ら話を切り上げた。彼自身も違和感を覚えただろうに、そこを突っ込む気は今は無いようだ。主がそういうやり方をするのなら、従者に否は無い。大人しく椅子に座り直した。


 少女は気を使われたことにも気づいたのだろう、「いいえ、こちらこそ申し訳ございません」と深々と礼をした。間違いなくこの塔の謎を解く手がかりである少女に対し、悪食男爵はあくまで笑って言う。


「では、淑女が楽しめるように、吾輩とっておきの話をさせていただきましょう。海を越え、遠く離れた南方国のお話など如何ですかな? ああ、そうだ――ヤズロー? お前には退屈な話だろうし……失礼ですが淑女、この塔の中を案内して頂いても? 無論、淑女の秘密を暴くような場所には行かせないと約束しますとも」


 成程、この少女を釘付けにしている間に、塔の内部を探れ、と言われたようだった。ヤズローは遠慮なく茶碗の中身を飲み干すと、頷いて立ち上がる。やはりメイドの方は不信感をあらわにしているが、主の少女の方は何の疑問も持たず、笑顔で首を振りつつも答えた。


「いえそんな、お気になさらず……ではヴィオラ、ご案内を差し上げてくださいませんか?」


「……お嬢様がよろしいのでしたら、そのように」


「うむ、ではお言葉に甘えたまえ、ヤズロー」


「畏まりました、男爵様」


 主二人を残して、従者二人は部屋から出た。




××× 




 塔の内部は先刻見て予測した通り、吹き抜けの階段を使って上から下まで上がれるものだった。


 女主人の部屋を出てまず紫髪のメイドが案内したのは、そこから一階分下がったところにある部屋だ。


 元は見張り台として使われていたのか、外に通じる窓があるが、しっかりと鉄格子が嵌められている。あちこちに古い瓶などを利用した鉢があり、様々な植物が育てられていた。


「こちらは、私が管理している薬草部屋です。危険なものもありますから、迂闊には触れませんよう」


 メイドの声は硬く、やや冷たい。彼女自身、主の命に従えど突然の侵入者を歓迎するわけもないのだろう。自分がそちらの立場でも同じだろうと思うので、ヤズローも別に咎めはしない。


「……チムの草、月光草、アブルベリーですか」


「ご存知ですの?」


 見覚えのある草の名前をあげると、メイドは驚いたようだった。確かに一般的には珍しい草だろうが、男爵に仕えている魔女術を修めたメイド長も、庭や部屋で同じものを育てていたし、日々の雑草取りなどはヤズローの仕事だ、嫌でも覚えた。


「少しは。陽光が無くとも、ここまで立派に育つものですか」


「お嬢様には必要なものですから。僭越ながら、全て任されております」


 どこか誇らしげに胸を逸らして見せるメイドに対し、ヤズローはもう十分とばかりに踵を返す。


「あ、お待ちください! 勝手な動きは許しませんよ!」


「失礼」


 慌ててひゅっと体を揺らめかせたメイドが、部屋の壁を擦り抜けて吹き抜けまで飛んできた。無礼な客だと眦を吊り上げつつも、主の命を違える気持ちは全くないのだろう、眉間に皺を寄せながらも説明をする。


「あとは一階の部屋は台所で、井戸もあります。他の部屋の扉もありますが、普段は使っておりませんのであまり見れたものではありません。あとは屋上ぐらいですが――首吊りの渡し台しか、目ぼしいものはありませんよ」


「そうですか。……地下の方は?」


「ございません」


 ちゃらりと、首に巻き付きどこかに伸びたままの黒い鎖を揺らし、笑顔でメイドが告げる。流石のヤズローも僅かに鼻白んだ。


 この国は昔から冬は雪深く、どんな建物にも地下は据え付けられていたし、地下街もある。あるものが当たり前の事を躊躇いなく無いと言い切るのは、そこに何かあると宣言しているようなものだが――メイドの笑みは崩れない。言うつもりはないし見せるつもりもない、ということか。


「……心得ました。もう充分です」


 搦め手が出来ない自覚はあるので、ここは引くことにする。地下が怪しいと解っただけで、初回の調査としては上等だろう。


 階段を昇り始めると、メイドはやはり吹き抜けを飛びながら並びつつ――はっきりと告げた。


「……貴方がたから見れば私達は所詮、排除すべき塵でしょう。恨みと歪みに根を張ってこの世に留まり続ける淀みに過ぎないでしょう。ですが――お嬢様にはそのような罪は一切ございません。貴方がたがもしお嬢様に危害を加えるつもりならば、この塔の者達は皆一分の容赦も致しません」


 ゆらり、とメイドの姿が怒りで歪む。己の心のままにその身を変じてしまうのが、霊体しか持たぬ幽霊だ。いつの間にか先刻一階でまみえた兵士達も、あちらこちらから油断なく見ている。足場の悪い場所で囲まれた状態で、しかしヤズローは何ら怯え一つ見せず、メイドを睨み返した。


「……今まさに、私の主が貴女の主と共にいますが」


「お嬢様には常に、腕の立つ護衛がついております」


 事実だろう。幽霊ならば姿を見せずとも部屋の中にいくらでも伏せることが出来る。そう言われてもヤズローは全く気にせず――その様はまるであの太った主を信頼しているかのようだったが――


「それに、あのような何の心得も無さそうな男に――」


 そう言われた瞬間、空気が変わった。辺りの幽霊達に緊張が走り、思わずメイドも口を噤む。


「――主への侮辱は取り消して貰おう。そちらがその気なら、穏便に済ませるつもりはない」


 矮躯の年若な少年にしか見えないにもかかわらず、その迫力は下手な大男よりも強く、激しい。もしここで戦端を開けば間違いなく不利であると解っていながら、一歩も退かぬという気概が見える。それを強く感じて――メイドは、すっと頭を下げた。


「……失言でしたね。大変失礼いたしました、お許しを」


 自分の主を貶されるというのはとてつもなく辛いものなのだというのをちゃんと理解して、丁寧に謝罪した。それを見て、ヤズローも己の怒りをぐっと飲み込み、一つ息を吐いて答える。


「こちらこそ勇み足でした。申し訳ない」


「いいえ。――では、お嬢様の所に戻りましょうか」


 あとはお互い何も言わず、部屋へと戻ることになった。

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