首吊り塔

◆3-1

 それから数日経ち、ビザールは使用人のヤズローと共に、エールの用意した馬車でコンラディン家へ向かっていた。目的は勿論、首吊り塔だ。


「まずはかの地を調べないと如何にもなりませんな。何がいるにしても、まずは場所のいわくを確認せねばなりますまい」


「そういうものなのですか」


「幽霊とは不安定なもの、と先日ご説明したでしょう。肉体が無いのなら、次に寄る辺とする物質は土地や家屋です。だだっ広い平原のど真ん中に出る幽霊というものは、吾輩浅学ながらとんと見かけません。見たものがいないだけの話かもしれませんがな、ンッハッハ!」


 相変わらず解り辛い冗句を飛ばす男爵に、向かいに座ったエールは馬車の中、苦笑いするしかない。そうなってしまう程度には、大分この奇矯な男に慣れてしまったらしい。ヤズローは、首吊り塔へ向かうのをどうしても嫌がったコンラディンお抱え御者の代わりに、御者台で馬の手綱を握っているが、ここにいたらあの不機嫌そうな顔で主を睨み付けていただろう。


 しかし中々にスムーズに馬車を進ませる従者の目が届かないところで、主である悪食男爵は一層愛想よく、エールに向かって問う。


「エール殿、非常に心苦しくはありますが、もう一度兄上殿の事件が起こった際の状況を、少々お尋ねしたいのです。よろしいですかな?」


「ええ、勿論です。ご遠慮なく」


「ありがとうございます。ではまず――塔の入り口に当たる扉は、兄上殿達が訪れるまで鍵で閉まっていた。それは間違いありませんかな?」


「はい。父の部屋に仕舞いこまれていたものです。ここに」


 そう言って、エールは上着の内ポケットから銀製の鍵を取り出した。男爵は肉に埋まった両目をぱちくりさせて、ちょっと驚いた顔をする。


「おや、再度の持ち出しを許されたのですかな?」


「いえ……恥ずかしながら兄の件以来、母がすっかり不安定になってしまって……父はそちらにつきっきりで、私に構う時間もありません。下の兄もすっかり怯えてしまい、家にも寄り付かなくなってしまって……持ち出すのは、容易でした」


「成程、成程。いや、不躾なことを伺いました、申し訳ない。少々お借りしても?」


「はい」


 手渡された鍵をしげしげと眺め、丸々とした指で意匠をなぞりながら一言。


「この鍵と対になる扉は、塔が建てられた時から付けられたものなのですかな?」


「いえ……、解りませんが、恐らくそうではないかと」


「ふむ、ふむ、ふむん。ではもう一つ、塔の内部はかなり荒れ果てていたのではないかと想像しますが、床の埃などはいかがでしたでしょうか?」


「埃、ですか? ……すみません、私は塔の中には入りませんでしたので……申し訳ありません」


「ああいえ、謝罪など必要ありませんよエール殿。その辺りは吾輩、僭越ながら己の目で確かめさせて頂きますので」


 男爵は納得したようだったが、エールの心には疑問符しか湧かないようだ。塔に潜む悪霊を退ける為に、扉や床の埃など関係あるのだろうか、と。首を捻っている内、男爵がふむん、と鼻を鳴らしながら窓の外をちらりと見遣る。


「しかし、エール殿。首吊り塔へ向かうにはまだかかりますかな?」


「ええ、これぐらいの刻限ではまだ半分も近づいていないかと」


「ほうほう、すぐそこに塔が見え、道も通っている筈なのにおかしなことがあるものですな。――ヤズロー!」


『畏まりました、旦那様』


 名前を呼ぶことが、何かの命令か、それとも許可だったのか。不躾な好奇心が湧き、エールがそっと御者台に続く窓を覗き込むと、執事の青年は相変わらず銀の手甲に包まれた片腕で手綱を器用に操りながら、自分のポケットから何かを取り出して口に咥えた。葉巻でも吸うつもりなのかと思っていると、顔の傍に似たようなものが差し出された。当然、持っているのは男爵だ。


「宜しければエール殿もどうぞ。恐らく御者一人が噛めば如何にかなるでしょうが、まぁ念の為です。あまり美味ではありませんが、ご容赦を」


 そういう男爵の口には、やはり同じものが既に咥えられている。かなり枯れた色をした木の葉を丸めただけの代物で、火を着けるわけでは無く、噛み煙草のようなものらしい。悪食男爵ですらあまり好まぬ味ということにエールは恐れをなしたようだが、それでも好奇心に勝てないらしく端をほんの僅か噛んだ。


 妙な苦みと辛みが舌を刺すが、構わずビザールはもっちゃもっちゃと噛み締める。同時に馬車の速度が上がり、まるで目の中に付着していた膜が剥がれたかのように、視界の眩しさが増した。朝からずっと晴天の筈なのに。


「あれっ……」


 思わず、というようにエールから間抜けな声をあげた。彼の視界も同時に晴れたのだろう、先日同じ頃合いに馬車から見えた塔よりも、随分と近い位置に見えるのだから。


「うちのメイド頭に用意させた、『頭冴え』の葉です。中々の効き目でしょう?」


「い、一体どういう事なのですか?」


「ンッハッハ、南方の昔話には獣が人を化かして道に迷わせると言うものがあるそうですが、此処で起こるのなら間違いなく原因は、首吊り塔の幽霊とやらでしょうか。迷わせるだけで拒絶はされない、つまり時間をかけて呼ぶことが重要なわけです。魔の者にとっては金陽が沈み銀月が輝く時間こそが、己の力を発揮できる時分ですからな」


 先日エール達が塔を訪れた時は、確かにもう日が暮れていた。それすら、あのおぞましい惨劇を起こした者の策略であったのかということに気づき、エールが蒼褪める中――馬車が止まった。


『到着しました、旦那様』


「ありがとうヤズロー。では参りましょうか、エール殿! 何、まだまだ金陽は中天、お気になさることなどありますまい!」




××× 




 果たして、塔は変わらず其処に在った。


 ビザールとヤズロー、そしてエールは塔の入り口前に立つ。その外観はごく普通の、古い見張り塔だったが、塔の壁に真新しい黒い染みが出来ている。雨にも流されずに残った、アルテ・コンラディンが惨たらしい処刑を受けた際、壁にぶつかった後だろう。


 それを見て、苦しそうに眉を顰めるエールと対照的に、ビザール男爵は背中で両手を組みながら、優雅と言うにはちょっと色々足りない姿で、塔の周りをゆっくりと歩き出した。当然のようにヤズローも後に続くので、慌ててエールも駆け寄る。一人でこの場に置いて行かれるのは、また塔の上に幽霊を見つけてしまいそうで恐ろしいのだろう。


 ビザールはまるで獲物を探す猟犬のように――一歩間違えると茸を探す豚のように――前屈みになりながら、ふんふんと鼻を鳴らして森の下生えの中を歩いていく。


「北の扉に死、西に闘争、南に暴虐で東に病と」


「ビザール殿、それは……?」


「塔の壁面に、神紋が刻まれております。古代から伝わる神の力を借りた結界ですが……ふーむ」


 ビザールが指さす先の壁面は、苔むしてはいたが確かに何かの模様があるのが解った。神紋とは、この大陸で古くから信仰される神々のシンボルであり、街中の神殿や、住所を表す石畳にも簡略化されたものがよく刻まれているものだ。その中の四柱――暴虐と病、そして死と崩壊の神は、この国では邪神と呼ばれ廃された神々の為、エールには見覚えの無い神紋だったが。


「戦に勝つべしという闘争神ディアランの神紋はまだ解りますが、他は全て邪神の紋とは、いやはや中々に物騒ですな」


「ど、どのような効果があるのですか?」


「端的に言うのならば、魔の者を呼び寄せるのですよ。此処に封じるというよりはまるで――」


 そこまで言って、ビザールは言葉を止めて空を仰いだ。何を見ているのかとエールが視線を追うと、正面まで戻ってきた塔の壁面、そこに開いている上階の窓一つを見つめているようだった。


「ふむ、ふむ、ふむん。この塔が何の為のものかは粗方理解できましたが、それが今やどのように成り果てているのかは、やはり中に入らないと解らぬようですな。ヤズロー、準備を」


「畏まりました」


 執事は最敬礼を取り、背負っていた荷物を地面に下ろして中のものを次々と取り出す。行燈やロープという解りやすいものから、エールが見ても何なのかさっぱり解らない水薬の瓶まである。しかしそれよりも彼が聞き捨てならないのは、


「塔の中へ……入るのですか?」


 まさかそんな、とすっかり怯えたように後退るエールに対し、ビザールは笑って宥めた。


「ご心配なく、まさかエール殿にまで中に入れとは申しません。まだ日は高い故問題は無いかと思いますが、万が一もございます。どうぞこちらでお待ちいただければ」


 そう言いながらビザールは、自分の窮屈そうな懐から金の時計を取り出し、ぱかりと蓋を開ける。


「では、一刻。我々が中に入ったらすぐにこの扉を閉め、一刻経ったらまたすぐに鍵を開けて下さい。もしその時我々が一階広間に居らず、出てこなかった時は――もう一度扉を閉め、すぐに吾輩の家まで連絡をお願い致しますよ」


「そ、そんな」


「何、ご心配なく。吾輩は先日お教えした通り、幽霊の専門家! この程度の場所に遅れはとりません。では、今しばらくお待ちください。行こうか、ヤズロー」


「はい、旦那様」

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