◆1-2

 川の上に立ったまま、ヤズローと呼ばれたは心底不愉快そうな顔を隠さない。


 先刻まで生きていた仲間すらも、彼らにとっては餌に過ぎないのだろう。きっと彼らの腹を割いたら、同族のほかに、船から落ちて見つかっていない人間達の一部も見つかるに違いない。銀の具足を着けたヤズローは、水の中で暴れながら食事を続ける魚人達の頭に、まるで薪を割る如く容赦の無い槍斧を振り被った。


 鱗人達は、容赦の無い斬撃に仲間を断ち割られても、怒りしか見せぬぎょろぎょろとした瞳で、ヤズローに飛びかかり――彼が足先で思い切り蹴り上げた槍斧の刃に、体を真っ二つに裂かれた。


 そこで漸く彼らは、敵の強さに気付いたらしくあっという間に逃げを取る。それだけならば問題はないのだが、一部が未練がましく、もっと良い餌を求めて――捕まえやすい船の方に上がろうとしている。


 一つ舌打ちし、ヤズローは水面を走る。師匠に水除の呪いを仕込んでもらった足甲は、水面を泥道のような柔らかさに変えている。沈むが走れなくはない、程度だが、それだけで充分。


「ンッハッハ、確かに吾輩の方が食いでがあるだろうが、中々に脂身が多いぞ? 人質を取るのならば無駄なことだ、吾輩が捕えられたとてヤズローはその刃を全く止めないぞ!」


「仰せの通りに」


 今にも船に乗り込もうとする鱗人達に全く怯まず舌を回す主の元へ三歩で辿り着き、躊躇いなく船の下を浚うように、槍斧を横薙ぎに叩きこんだ。


 凄まじい水音と水しぶきが上がり、その中からばらばらと肉片が飛ぶ。船底を押えていた鱗人達だ。拘束の無くなった船は流れに任せてゆっくりと動きだし、鱗人達が苛立ちの声を上げる。その身を人型に近づけた故に、魚程に泳ぐことは出来なくなってしまったと、文献に書いてあったことは間違いでは無さそうだ。水面を走るヤズローの方が、早い。


「――くたばれ」


 ぼそりと、貴族の従者にあるまじき暴言を呟いたまま、船に取りすがっていた鱗人の、上半身と下半身を泣き別れにする。逃げの一手を取り出す群れを更に追おうとして、


「ヤズロー。言葉遣いがよろしくないな」


「……申し訳ありません」


 何事も無かったような声で、あっさりと釘を刺してくる主に、露骨に舌打ちしながら詫びを入れた。丸い主は別に怒った風は全く見せず、にやにやと笑っている。


「しかし本当に全く躊躇いが無かったなヤズロー! 見事だがこちらにはご老人もいるのだ、気を使っても良かったのではないか?」


「人質を取るような弱い卑怯者を慮る前に、人質を奪還すべしと教えて下さったのは旦那様です」


「ンッハッハ、全くその通り! 良くやったなヤズロー!」


 今すぐ逃げていく敵の背を追いたいのに、あっさりと前言を翻して部下を褒めてくる主に、ヤズローはやはり不快そうな顔をしながら――頭をしっかりと下げて、踵を返した。 




 ×××




 ……次に老人が気づいた時には、銀月が沈み金陽が昇って、全て終わっていた。


 船は川岸に着けられており、太った男は悠々と近くの岩場に腰かけたまま、「おお、目が覚められましたか」と暢気に話しかけていた。


 水の上を歩いていた少年も夢では無く確かにその場にいて、自分の得物と両手をじゃぶじゃぶと河で洗っていた。どうも、あちこちに青黒い鱗が挟まってしまったらしく、心底不愉快そうな顔をしながら。


「ご安心ください、ご老人。封印は滞りなく終了しました。ちゃんと正確な場所を記しておきましたので、どうかこの一帯には入られませんよう。都の商人たちにも、合わせて夜間は船を出さぬようにと、依頼人づてに知らせて頂きます」


「ふ、封印した、とは」


 地図を手渡されながら疑問を問うと、腹をゆさゆさ揺らしながら太った男はまた笑う。


「ンッハッハ、何せ吾輩、知識だけは自慢できるほど、実家に書籍がありましてな。それを元に吾輩の優秀なるメイド長が造ってくれた呪いを、このヤズローに頼んで川底に埋めてきて貰いました。これで全て解決、皆様のお手を煩わせることはもうございませんよ! お褒めの言葉でしたら遠慮なく、さぁこのヤズローにかけてくれたまえ!」


「旦那様、生憎私には必要ございませんのでお断りします」


「むむ、愛想の無い奴め。誰かに褒められるというのは心地良いものだぞ?」


「ならば旦那様も今少し、褒められるようなことをなさってくださいませ」


「ンッハッハ、こいつは一本取られたな! 仕方があるまい、吾輩は専門家なのだ! あまり手広く抱えることは出来ぬのだよ!」


「物は言いようですね、旦那様」


「うむうむ、褒めてもいいのだぞ? ンッハッハッハッハッハ!」


 ぽんぽんと交し合う言葉は主の爆笑で止まり、従者は心底嫌そうな眉間の皺を緩ませずに主を睨み付けている。……貴族とその従者の会話とはこんなにも容赦も遠慮も無いものなのか、と碌に貴族と話したことなど一度もない老人は茫然としていたが。


「では、村まで戻りましょうかご老人。ご心配なく、その後は馬車で帰りますのでな!」


「旦那様、乗合馬車を使うと今回の予算、少々足が出ますが」


「うむ、仕方があるまい、何せ吾輩、歩きではとても今日の夜までには都に帰りつけない! 折角今宵は王太子様が主催の晩餐会なのだ、遅れるわけにはいかないぞ!」


 そんな風に言い合いながら船に乗り込み、さぁさぁお早く! という太った男とその従者が帰路に着き――それからもう二度と、夜に河を通る船は無くなり、また船が襲われることも全く無くなったのだった。


 乗合馬車へ従者へ背を押されて詰め込まれる太った男は最後に、


「何、また何かお困りのことがあったら是非この吾輩――悪食男爵、ビザール・シアン・ドゥ・シャッスにお任せあれ!」


 と言い残し、王都へ帰って行ったのだった。

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