第4章 死人占い師⑤

「何故だ、何故生きているんだミラルダ?お前は、確かに私が止めを差したはずだ。」

エルザは剣を構えたまま、『墓守のミラルダ』を睨み付けた。

ミラルダの姿は、死体から甦ったとは思えないほどに血色が良く、見た目の年齢は10代前半と思われるほど幼かった。ツインテールの白髪には怪しげな装飾が施され、両目の下には涙の跡のような刺青が描かれていた。まとっている衣装は複雑な模様で埋め尽くされた黒色のドレスで、スカートからのぞく細い足は、まるで黄昏時の西日で長く伸びた影絵のように、彼女の異様さを表していた。

ミラルダはいたずらが上手く行ったときの子どものようにクスクスと笑った。

「ええ、そうよ。あなたが刺客として私に刃を突き立てたとき、確かに私は死んだわ。でもそれは私の"もうひとつの魂"の方よ。こんなに上手くいくとは思わなかったけど、皆まんまとだまされたみたいね。」

そう言うと、ミラルダはその場でくるくると回りながら、久方ぶりの自分の身体を楽しむように小さなステップを踏んでいた。

アストラエアは苦い顔をしていた。

「貴女、自分の魂を分割したわね。本物の魂の片割れを使って自分の死を偽装するなんて、狂った貴女のやりそうなことだわ。」

ミラルダは足を止めると、困ったような仕草で頬に手を当てた。

「あら、私はずっと正気のままよ。肉体を失って、色んな生き物の身体を転々としていた時も、私はずっと理性を保ったままだったわ。むしろアストラエア、貴女のほうこそ正気とは思えないわね。同胞であるはずの魔女たちを弾劾裁判にかけては殺してきたなんて。これじゃあ、貴女だってかつての"魔女狩り"たちとやってることは同じだもの。」

「黙れ、腐肉あさりの死人占い師め。お前は物事の善悪を見失った、ただの狂った女だ。お前の持論など、今さら聞く気にもならない。それよりも、」

エルザは怒りに声を振るわせながら、灼熱の炎刀を構え直した。

「お前を復活させた『渡り烏』とは何者だ?人間たちを襲い、お前たちのような存在を作り出し、一体何をしようと企んでいる?」

「『渡り烏』?ああ、あなたたちは"彼女"のことをそう呼んでるのね。さあ、"彼女"の目的なんて私は知らないわ。私はただ、"彼女"に魂の片割れをこの肉体に戻してもらっただけだもの。あとは私の好きなようにするだけよ。最も、」

ミラルダは魔女たちを囲む黒衣の襲撃者のうちの一体の肩に手を触れた。

「"彼女"がこの子達を造り出したのには、何か意味があるのかもね。なにせ、この九体の魔女の遺体の中に入ってる魂は、かの"公王"たちだもの。魔女たちの生き残りに引導を渡すには、この"幽鬼(ファントム)"たちは最適の役回りだと思わない?」

そう言って楽しそうに目を細めると、ぺろりと小さく舌なめずりをした。

アストラエアの目の中に強い光が宿った。

「なるほど、この亡霊たちはかつての"魔女狩りの公王"ね。魔法を無効化する"王の黒い手"を持っているのは、そういうこと。まったく、渡り烏というのは、つくづく悪趣味な魔女ね。」

「ウフフ、貴女のつらそうな顔を見るのはとっても楽しいわよ、アストラエア。さてと、ファントムを使って貴女たちを殺すのは簡単だけど、200年ぶりにここを訪れたのは、とびきり大事なものを貰いにきたからよ。」

そう言うと、ミラルダは大げさに右手を差し出した。

「アストラエア、貴女が保管している死んだ魔女の魂をすべて私に差し出しなさい。そうすれば、貴女の命だけは保証してあげるわ。」

「お断りよ。」

間髪いれずアストラエアは拒絶した。エルザ以外の魔女は事情がわからない様子でアストラエアの方を見たが、彼女の剣幕にだれも質問をしなかった。

「この程度の脅しで私が屈すると思ったのなら大間違いよ。それよりも、どうしてあなたはそのことを知っているの?」

ミラルダはまた楽しそうに肩を揺らしてクスクスと笑った。

「あら、"保管庫"のことなら私はとっくの昔に知っていたわよ。あなたは知らないようだけど、エリーゼは"保管庫"の継承者として、最初は私を選ぶつもりだったもの。」

炎の飛沫がミラルダに向かって放たれたが、寸前のところで黒い霧の盾に阻まれた。

エルザは呪術の種火を向けながら、青い瞳の中に怒りを灯していた。

「ふざけたことを言うな。母がそんな重要な役目を、お前に託すはずがないだろう。」

エルザは再度、紅蓮をまとった剣を構え直した。

「二度とはいわない。今すぐにその幽鬼(ファントム)たちを連れて立ち去るがいい。さもなければ、私は自滅覚悟で貴様らを葬るつもりだ!」

魔女たちの戦いを隠れて見ていた私は、この時不思議と身体を突き動かす衝動に駆られた。私は書棚の陰から飛び出すと、大きな声で叫んでいた。

「ダメです!エルザ師匠!!その魔法を使わないで下さい!」

エルザは突然私の声が聞こえたことに驚いたようだが、慌てて一喝した。

「バカ者!隠れていろと言っただろうが!」

ミラルダはエルザたちの方に目を向けたまま、手招きをするように左手を私に向けた。私は見えない何者かに首を捕まれると、ずるずるとミラルダの足元まで引っ張られていった。

ミラルダは視線だけを下ろして、足元に転がる私に微笑みかけた。ミラルダの大きく広がった瞳孔は黒く淀んだ沼のように底が見えず、この世の人間のものとは思えなかった。

「ずいぶんと可愛いお客さんね。しかも人間の子がこんなところにいるなんて、魔女集会始まって以来のことじゃないかしら?」

そう言うと、子猫でも拾い上げるように私の首を掴むと、片手で持ち上げた。

空気の届かなくなった私の脳は生命の危機を知らせるようにガンガンと鳴り響いた。

後ろからエルザが何か叫んだようだが、よく聞こえなかった。反対に、目の前で囁くミラルダの声は、直接脳内に響くように鮮明に聞こえていた。

「ぼうや、良い色の魂(ソウル)を持っているわね。深淵の底に潜む住人たちのように、どこまでも暗くて甘い、とっても良い色よ。こんなに素敵な魂(ソウル)が人のままの姿だなんてもったいない、私が魔女の遺体を用意してあげるわ。そうすれば、"彼女"がきっと、坊やを素敵な幽鬼(ファントム)に変えてくれるわよ。」

そう言うと、人形をあやすように、私の頭をゆっくりと撫で付けた。

私は今にも意識を失いそうだったが、強烈な感情が私の身体を動かした。私は首を掴んでいるミラルダの手に爪を立て、食い縛った歯の奥から空気を絞り出した。

「ゆる、さない、おま、えも、わたり、がらす、も、!かなら、ず、殺す!!」

ミラルダはうっとりとした表情でなおも私の目を覗き込んでいた。

「暗い魂が燃えているわね。もしかしたら、あなたは不死人の王になれる素質も…」

意識が暗闇に落ちる寸前、ミラルダの背後に黄金の閃光が走った。そして、瞬きをする時間も空けず、轟音と旋風が私の身体を飲み込んだ。

宙に放り出された私の身体は、気がついた時にはエルザ師匠の腕の中に収まっていた。

「無事か!?」

私は咳き込みながら、なんとかうなずいた。

私は身体を起こそうとしたが、即座にエルザが私の頭を押さえつけた。

「下手に動くなよ。竜狩りの大矢を食らえば、人間の身体など即座にバラバラになるぞ。」

エルザの声は微かに興奮しているようだった。

私はわずかに目だけを上げて、周囲の様子を伺った。

先ほどまで魔女たちを包囲していた幽鬼(ファントム)たちは一斉に散開し、書庫の入り口へと向けて黒い霧の盾を構えていた。

突然、糸を弾くような高い音が鳴り響いた次の瞬間、嵐の夜の突風を思わせる轟音と共に、一体の幽鬼(ファントム)が木の葉のように宙を舞った。

幽鬼(ファントム)を射抜いた射線上の先には、鈍く金色に輝く鎧が立っていた。その手には、射手本人の背丈の二倍はあろうかという、長尺の巨大な弓が握られ、彼女の周囲には雷のような煌めきが散らばっていた。

「遠慮は要らないわよ、エオウィン!この汚らわしい者たちを蹴散らして!」

背後から、アストラエアの声が聞こえた。

全身を黄金の鎧で固めた魔女、『竜狩りのエオウィン』は静かにうなずくと、近くに立て掛けられた巨大な矢筒から、次弾を引き抜いた。それは矢と言うよりは長大な杭と形容した方が正しかった。大人の腕ほどの太さを誇る鉄杭を、エオウィンは軽々と大弓に装填し、大きく引き絞った。

大矢の威力を目の当たりにして、ファントムたちは短剣を手に、一斉にエオウィンとの距離を詰めた。竜狩りの大矢をもう一発放ち、目の前のファントムを吹き飛ばしたエオウィンは、大弓を手放して接近戦用の得物を手に取った。

またもや、黄金の閃光が走り、一斉に斬りかかったファントムたちは書庫の壁まで吹き飛ばされた。

「やれやれ、たいそうな脅しをかけといて、この程度の戦力かい?"王の黒い手"を持ち出したのは良い考えだったけど、死体を使った幽鬼の力など、たかが知れてるね。」

そう言って、黄金の甲冑をまとった"竜狩りのエオウィン"は、牛の胴体をも切断出来ようかという大斧を肩に担ぎ直した。

吹き飛ばされたファントムたちは深手を負ったのか、だれ一人として満足に立ち上がる事ができないようだった。

「ありがとう、エオウィン。助かったよ。」

エルザは立ち上がると、書庫の中に歩を進めてきたエオウィンに声をかけた。

竜狩りの魔女は兜を脱ぐと、頭を振って美しい金髪を宙に舞わせた。

「礼を言うならアストラエアに言ってくれ。彼女は今日の集会で何者かに襲撃されることを見越して、私を外に待機させていたんだ。」

エオウィンは"竜狩りの大斧"を肩に担いだまま、他の魔女たちの方へと歩いていった。

エルザは地面に倒れたファントムたちの方を見ながら、私の肩を抱いて尋ねた。

「怪我はないか?」

「ありません、エルザ師匠。」

「そうか。ミラルダに何かされたか?」

私はミラルダの真っ暗な瞳を思い出したが、特に身体に異常は感じられなかった。

「多分、何もされていないと思います。でも、」

最後まで言い切る前に、アストラエアがエルザを呼んだ。

魔女たちが囲む円の中央には、ミラルダの身体が転がっていた。彼女の腹部には竜狩りの大矢が突き刺さり、少女のような華奢な身体は壊れた人形のようによじれ、手足は関節から、あらぬ方向へと向いていた。その状態でありながら、ミラルダの口からは未だに呼吸音が聞こえていた。

私は思わず目を背けたが、アストラエアたちは冷徹な表情で死人占い師を見下ろしていた。

「やられたわ、アストラエア。私が来ることを予想していたのね?」

ミラルダの声は苦しそうだったが、落ち着いているようだった。

「そうね、貴女が現れることまでは予期してなかったけど、渡り烏がなんらかの差し金を送ってくるとは思っていたわ。それよりも、」

アストラエアはそう言って、おもむろにミラルダの頭を掴むと、喉元に短剣を当てた。

「渡り烏について、貴女の知っていることを全て話しなさい。そうすれば、楽にしてあげるわ。」

ミラルダの喉の奥でクックッと音がした。私にはそれが笑っている声のように聞こえた。

「"彼女"について、私から話すことなんて何もないわ。"彼女"はただ私たちを復活させただけ。ただそれだけよ。貴女たちを襲ったのも、死んだ魔女たちの魂を求めたのも、全て私の意思だもの。」

エルザはアストラエアの横に並んで、ミラルダを見下ろした。

「貴様が渡り烏について、何も知らないなら、それは構わない。だが、やつの居場所だけは吐いてもらうぞ。さもなければ、貴様の半身の魂を、混沌の炎の中で永遠に燃やしてやるとも。」

ミラルダはまた、喉の奥を鳴らした。

「まるでこの私を屈服させたような言い方ね、エルザ。流石は一国を滅ぼしただけの魔女の威厳はあるわ。だけどね、」

私は変形したミラルダの腕が、わずかに持ち上がるのを見た。

「私がこんなことで死ぬと思ったら、大間違いよ。」

アストラエアは慌てたように短剣を一閃した。しかし、掻き切られたミラルダの喉から飛び出したのは、鮮血ではなく、重油のように真っ黒な液体だった。

私は再びエルザの腕に囲まれた。師匠の腕の隙間から見えたのは、ミラルダの身体を始め、書庫内のファントムたちの身体が一斉に弾け、黒い液体が撒き散らされる景色だった。

「卑怯者め。逃げる気か!」

エオウィンが一喝したが、弾けた黒い液体の流れは書庫の外へ向けてすでに殺到していた。

遠い山びこが聞こえるように、死人占い師の捨て台詞が書庫の中に響いた。

「残念だけど、今回のところは諦めるわ。またお会いしましょう、魔女集会の皆さん。そして、」

その時、私は渓谷の底に放置されていた棺から送られた視線のような感覚と同じものを感じた。

「可愛い人間の坊や。エルザが貴方を連れている理由は私にはわからないけど、貴方はとっても素敵な素材よ。いずれ迎えに来てあげるから、私のこと、忘れないでね。」

エルザは即座に呪術の炎弾を黒い液体の流れに向けてばらまいたが、高い笑い声とともに、ミラルダとファントムの身体から溢れ出た黒色の液体は、跡形も無く書庫から姿を消していた。

「やられたな。まったく、逃走の算段まで立てていいたとは、ミラルダらしいと言えばそれまでだが。」

負傷した腕に触りながら、『白銀のフェルミ』は悔しそうに唇を噛んだ。

「まったく、渡り烏とやらは厄介な魔女を復活させてくれたものだわ。よりによって、死人占い師なんて。これじゃあ、単純に人間の敵が増えたということね。」

『癒しのマリア』は、『糸紡ぎのケリー』に治癒魔法をかけながら呟いた。

「そうね、ミラルダだけじゃなくて、あの幽鬼(ファントム)たちへの対策も必要だし、なかなか厄介な問題だわ。それよりも、」

『清流のレイン』は破られた書庫の天窓を見上げるアストラエアへと目を向けた。

「アストラエア、貴女は私たちに説明するべき事があるのではないかしら?」

エルザ師匠は黙ったままアストラエアの方を見た。

魔女集会の長は天窓から降り注ぐ光の中で柔らかく浮かんでいたが、その表情は暗かった。

「貴女の言うとおりよ、レイン。私には、貴女たち魔女集会のメンバー皆に秘密にしていたことがあるの。」

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