第4章 死人占い師③

休息をとった後、エルザと私はロザリィと別れた。

別れる直前に、二人の魔女は今後の方針について手短に決めていた。

「私は霊廟を確認しに行く。渡り烏が連れているものたちが、魔女の遺体かどうかを確認しなければな。一刻も早く。」

はやるロザリィをエルザが制した。

「待て、ロザリィ。霊廟には私が行く。この件は私の担当だしな。」

ロザリィは不服そうに片方の眉毛を上げた。

「今さら担当もくそもあるかよ。あんなヤバイやつが相手じゃ、魔女集会全員の問題だろ。それに、」

ロザリィは私を一瞥した。

「そんな小さなガキを連れてあんな僻地まで行くつもりか?」

納得したのか、エルザは私を見て沈黙した。

ロザリィは立ち上がると、両手をあげて伸びをした。

「ここから『果ての霊廟』までは普通に馬で飛ばしても5日はかかる。こと足に関しては、"迅雷"が使える私の方が有利だ。」

エルザは軽く頷いてロザリィを見上げた。

「わかった、霊廟の確認はお前に任せる。アストラエアには私から報告しておく。」

「ああ、せいぜい有効な対策でも決めておいてくれ。じゃあな。」

ひらひらと手を振ると、ロザリィは食堂から出ていった。

ロザリィを見送ってから、私はエルザを見上げた。

「良い人ですね。ロザリィさん。」

エルザは小さくため息をついた。

「ああ、そうだな。頼りになるし、行動も早い。それに、」

エルザは私を見下ろした。

「彼女は魔女としてのプライドが高い。渡り烏が魔女の遺体を弄んでいる可能性があると知っては、いてもたってもいられないのだろう。」

そう言うと、会計のために店員を呼んだ。


疲れを癒すために、宿場町で一泊した後、早朝に出発し、私たちがエルザの家に帰りついたときにはすでに夕日で空が染められているころだった。

玄関のドアをくぐったとき、私は思わず「ただいま」と口にしていた。私は荷物を下ろすと、年期の入ったソファーに倒れこんだ。ふと気がつくと、頭上からエルザの青い瞳がじっと私を見つめていた。

「怖くないのか?」

エルザがポツリと呟いた。

「何がですか?」

エルザは表情のない声で淡々と質問してきた。

「魔女という存在そのものがだ。今回のセントオリーンズの襲撃や、亡者の群れ。そして…」

エルザの長い睫毛がわずかに伏せられた。

「…私やロザリィの放つ魔法がだ。お前はこれからの人生を、渡り烏という尋常ならざる魔女を倒すのに捧げようとしているんだぞ。その過程でお前は…死ぬかも知れないというのに。」

家の中に染み込む夕陽を背景に、覆い被さってくるようなエルザの影の中で、私は今回の体験を振り返った。セントオリーンズにたどり着いたときから、私の中にあったのは、渡り烏への憎しみよりも、恐怖がはるかに凌いでいた。ましてや、亡者の群れや、エルザの放つ魔法の威力を見た後では、魔女に挑もうとする自分の覚悟が簡単に崩れ去りそうにも思えた。

「怖いです。とても。」

私はエルザの目を真っ直ぐに見上げた。西日が傾き、影に埋もれたエルザの表情は読み取れなかったが、微かに彼女が目を細めた気がした。

「でも、渡り烏は殺さなきゃいけないんです。あいつは僕の両親を殺しました。他にも大勢の人を殺しました。これからも、もっとたくさんの人たちを殺すかもしれない。そんなやつは生かしておいてはいけないんです。そして、何よりも…」

私は微かにため息をついた。

「…何よりも、あいつは『僕が殺さなきゃいけない』んです。そうしないと、僕はこの先、何にもなれない。そんな気がするんです。」

頭上の影は何も言わなかった。太陽がすっかり沈んだ闇の中で、エルザの囁くような声が聞こえた。

「この身の程知らずめ。未来がある身でありながら、お前は自らそれを捨てるつもりなのか。まったくもって度しがたい。何故私はこんな馬鹿者を弟子にしてしまったんだ。」

それを聞いて、私は何故か微笑んでいた。

「大丈夫です。エルザ師匠がいるから。あなたがそばに居てくれるなら、僕はどんなに怖くても、乗り越えられます。」

闇の中で、私は身体が暖かくなるのを感じた。耳元で聴こえる師匠の声を聞きながら、私は自分の頬が濡れていたことに気づいた。

「安心しろ、ラルフ。お前が強くなるまでは、私が守ってやる。それが師である私の務めなのだろう。だから、」

私を抱き締める腕の力が微かに強くなった。

「お前は、私の側を離れるな。強くなって必ず、渡り烏を倒すんだ。」

私はエルザの肩越しに、涙で滲む天井を見上げながら、大きく頷いた。


翌朝、私たちは魔女集会の会場である黄昏館に向かって出発した。

アストラエアへの報告はすでにロザリィと別れた直後にフクロウ便を飛ばしていたが、直接確認しなければならないことがあると言って、エルザは私をアンナに乗せた。

前回山犬に襲われた砦跡の中で、焚き火を囲みながら、私たちは頭上の星空を見上げていた。獣の襲撃に備えて、私たちの周囲には、エルザの呪術の炎がいくつか浮かんでいた。

「お前の両親はどんな人たちだったんだ?」

ふいの質問に、私は視線をエルザに下ろした。私の家族について、エルザが話題にしたのはこれが初めてだった。私は焚き火の炎を眺めながら、故郷の村での楽しかった思い出を中心に、家族のことを話した。エルザは時折微かに頷きながら、黙って私の話を聞いていた。

一通り話した後、今度は私からエルザに質問した。

「師匠の家族はどんな人たちだったんですか?」

エルザが魔女であることを考えれば質問が過去形になるのは仕方がないことだが、それでも彼女の家族がすでにこの世にいないと思うと、私は微かに胸が痛むのを感じた。

エルザは特に表情を変えることもなく、編んだ自分の髪をいじっていた。

「私の家族か。そうだな、両親は立派な人たちだった。私に兄弟はいなかったが、私を囲む他の人たちも優しくしてくれたよ。特に…」

エルザの口許がわずかに柔らかくなった。

「母は特に私を大事にしてくれた。厳しくされたことも多かったが、最後には私のことを大切に思ってのことだと理解できたよ。」

それからエルザは言葉を切ると、胸元の首飾りに手を触れた。細い鎖に通された、四枚の花弁を思わせる繊細な銀の装飾が焚き火の炎でキラキラと輝いていた。エルザは片時もその首飾りを外したことはなかった。

エルザの青い瞳が上目使いに私を見た。

「私の魔女の力は、母から受け継いだんだ。私の母も、魔女だった。」

その事実を聞いたとき、私は気になったことがあった。

「エルザ師匠は、魔女になるのが嫌ではなかったのですか?」

「嫌では無かったさ…母から力を受け継いだ時はな。何故そう思うんだ?」

エルザが足した木枝のはぜる様子を眺めながら、私は布団代わりの毛布に顔を埋めた。

「師匠は、あまり魔法が好きではないようだからです。」

薪を足すエルザの手が止まった。

エルザは再び星空を仰ぐと、独り言のように呟いた。

「私は、ある罪を犯した。それを今でも後悔しているんだ。私が魔法さえ使えなければ、魔女でありさえしなければ、あんな悲劇はさけられたというのに…」

その時のエルザの姿は、普段の凛々しい姿とは対照的に、とても弱々しく見えた。私は王都でカニンガム婦人から言われた言葉を思い出した。

『厳しい言い方をするときもあるかもしれないけれど、どうかあの子のことを理解してあげてね。エリザベスは自立した一人の人間だけど、それでも弱いところをかかえたままなの。長い時を独りで生きてきたあの子は心の中に大きく欠けた部分があるわ。どうか、それを埋めてあげて頂戴』

夜空を仰いだままのエルザに私は言葉を投げた。

「でも、師匠は良い人です。僕は、僕を助けてくれた人が、エルザ師匠で良かったと思ってます。」

エルザの視線が下りてきた。彼女の青い瞳の中で、焚き火の炎が踊っていた。

私は何故か居心地の悪さを感じ、お休みなさいと呟いて毛布にくるまった。


黄昏館に到着したころには、周囲の景色が闇に溶け込み始めるころだった。遅い時間でありながら、魔女集会の長『光のアストラエア』は快く私たちを迎えてくれた。

エルザと私は豪華なソファに身を沈めながら、お茶を入れるアストラエアを眺めていた。

のんびりとお茶を入れるアストラエアに、エルザは微かにイライラしているようだが、魔女集会の長が来客者にお茶を振る舞うときは、できるだけ静かに待つのが、魔女たちのなかでの暗黙のルールだった。

エルザは一口カップにつけると、すかさず質問を投げた。

「『魔女の復活』そんなことは、はたして可能なのですか?」

アストラエアはゆっくりお茶から口を離すと、カップの底に何かを探すように覗き込んだ。

「結論から言うと、わからないわ。今まで誰も試したことが無いもの。そんな顔しないでよ、エルザ。私にだって、わからないことくらいはあるわ。」

困ったように眉根あげながら、アストラエアは柔らかく微笑んだ。

「私とロザリィの報告は先に送った通りです。もし、渡り烏が連れている"群れ"が霊廟に眠っていた魔女の遺体なのだとしたら、私たちも備えなければならない。かつての報復戦争のように、再び魔女同士が大規模に殺し会うことになるのですよ。」

必死な様子のエルザとは反対に、アストラエアは落ち着いていた。

「確かに完全な形で魔女が復活させられたのなら、最悪の展開になることは容易に想像できるわ。だけどね、エルザ。」

アストラエアはカップを静かにテーブルに置くと、深紅の瞳を上げた。

「あり得ないのよ、そんなことは。何故なら、渡り烏が連れていると思われる魔女の遺体には、私たち魔女の核である『魔女の魂』が宿っていないもの。」

エルザは怪訝な様子で眉間に皺を寄せた。

「何故そんなことが言えるのです?元に、セントオリーンズの付近には死人占い師である墓守りのミラルダの棺が捨てられており、亡者が溢れていたのですよ?」

「亡者達がいたのは、おそろくミラルダの遺体に残った魔法の残り香の影響だと思うわ。でも、本質的にミラルダの死霊魔法が行使されたとは思えないの。」

アストラエアは立ち上がると窓辺に近づいて、夜の闇に沈む山林を眺めた。

「渡り烏が魔女の遺体を蘇生させる能力を持っているというあなたの推測には私も同感だわ。だけど、渡り烏が蘇生したのは、あくまで魔女の魂の器だった肉体のみ。魔女の魂が宿らない肉体だけでは、魔法を行使できない。もちろん、かつての本人の意思も記憶も無いはずよ。」

エルザも立ち上がると、アストラエアにつめよった。

「アストラエア。そこまで断定するということは、貴女は知っているのですか?渡り烏がどういう存在なのかを。」

アストラエアは首を左右に振った。

「私にも、まだ渡り烏の正体はわからないわ。だけど、ここまで確信じみたことを言えるのは、私があるものを管理しているからよ。」

そう言うと、再び窓の外へと目を向けた。

「エルザ。私が最も信用する貴女にだから教えるわ。だけど、ほかの魔女には秘密にして頂戴。絶対に。」

アストラエアの語調は柔らかかったが、有無を言わせない威圧感があった。

黙って頷くエルザを横目に、アストラエアは告げた。

「この地上に誕生して以来、今までに肉体を離れた82人分の魔女の魂。私はそれをすべて保管し、管理しているの。」

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