銀河魔法少女大戦

宮前葵

銀河魔法少女大戦

 どうでもいいことだが。俺は運が悪い方だ。


 運、というものは長い期間を区切って平均すれば、大体どんな人でも均質になるという理屈がある。


 嘘だろう。誰でも知っていると思うが、運の良い奴というのは間違い無くいる。そして、運が悪い人間というのも。


 ただ、どちらかと言えば「自分は運が悪い」と思っている人間の方が多かろう。「俺は幸運の星の元に生まれている」と吹聴している奴に限って、実は自分の不運を内心嘆いていたりするものだ。客観的にはそれなりに幸運に恵まれていると思えるのに自らの不幸を信じている人間も数多い。結局のところ自分が運に恵まれているかどうかを知るには客観的視点が必要だということかもしれない。


 まぁ、それは兎も角。俺は運が悪い。


 個人的主観はあてにならないと言ったばかりだから、これは主観ではない。誰かが俺に「運が悪いですね」と言いやがったわけでも無いから客観的事実でもない。


 強いて言えば一般論である。


 例えば30隻の艦隊が、まったく予測もつかない状況で、たまたま500隻の敵艦隊にばったり出会ってしまったら。


それは誰が見ても「運が悪かった」というしか無い状況では無いだろうか。


 そして現在、俺ことアイバール・スタシオン中佐はそういう状況の、30隻の哨戒艦隊を率いている司令官であり、つまり、突如現れた敵の大艦隊を前にして自らの不運を確認していた、というわけである。




「逃げろ!」


 遠慮も容赦も無く撃って来た敵艦隊を前にして、俺は恥も外聞も無く命じた。というより絶叫した。


 他に言いようが無かった。敵艦隊は物凄い勢いで急進し、我が艦隊を包囲しつつあったのである。500隻のからなる光の津波が覆い被さって来る。それはもう絶望的としか言いようが無い光景であり、立ち向かって何とかしようとか、知略を尽くしてその場を切り抜けようとか、そういうことを考えさせる余地も無いほどの圧倒的な光景だったのだ。


 俺の命を待つまでも無く、我が艦隊は恐慌状態に陥っていた。もはや艦隊ではなく艦船の単なる集まり。というよりは既に敗残兵の群れだった。


 ビームやミサイルがほとんど空間に隙間を作らないほどの密度で向かってくる。それを避けることはほとんど不可能だった。俺の乗る巡洋艦「アーバスタイン」も例外ではない。多数の命中弾にアーバスタインは激震し、跳ね上がり、鳴動した。


 僅かに運が良かった事に、アーバスタインは轟沈しなかった。更に奇跡的なことに撃沈しなかった。しかしながら幸運もそこで種切れだ。まぁ、旗下の艦隊がその一瞬にほぼ全滅した事を思えば苦情を言うところでは無いだろうが。


 それでもアーバスタインは行動不能になった。ビーム砲の直撃で機関は沈黙。辛うじて補助機関は動いたものの、推進機関が損傷したのだ。艦橋にはアラーム音が満ちていた。


「58番区画から62番区画までは放棄!」


「気密隔壁は全閉鎖だ!何?まだ…。諦めろ!」


「3番砲から7番砲まで動きません!え?あ、主機関停止のため他の砲も出力が10%?どうしろってんだ畜生!」


 艦橋にいる8人のオペレーターが口々に怒鳴りあってもいる。巡洋艦の艦橋は狭く、ほんの8m四方ほどの広さしかない。俺の目からも艦の異常や損傷を伝えるモニター表示は見えていた。


 絶望的だった。というより、今現在、宇宙空間に浮いていることが既に奇跡なのであって、既に何時爆裂してもおかしくない損傷をアーバスタインは蒙っているのだった。しかも敵の攻撃は現在進行形だ。


 は~。俺は諦めた。


 逃げる事を諦めたのだった。


「降伏信号を発しろ」


 俺の声に通信士のボイジャーがさすがに驚きを見せた。


「降伏ですか?」


「そうだ。同時に救難信号もな。速くしないと、命まで諦める事になるぞ」


 ボイジャーは躊躇しているようだった。軍人として敵に降るというのは抵抗がある行為ではあった。しかしそれ以上にボイジャーが躊躇したのは、敵があの悪名高い宇宙海賊「羅刹海賊団」だったからだろう。極悪非道で知られ、特に俺たちのような正規軍を捕虜にした時には、筆舌に尽くし難い拷問を加える事で有名な連中であった。


 そんな連中に降伏するよりは、このまま艦と運命を共にした方が名誉ある死を迎えられるのでは無いか。ボイジャーがそう思っても無理は無い。


 しかし俺は降伏を選択した。俺は諦めが悪いのだ。運が悪い奴は諦めが悪くなるものなのだ。


 生きていれば、逆転のチャンスは来る。…来るかもしれない。


 俺の視線を受けて、ボイジャーはようやく決心したようだった。コンソールのボタンに手を伸ばし…。しかし押す直前でその手は止まる事になる。




 それは子供の声だった。そして無茶苦茶に大きな声だった。


「ここはどこ!」


 ボイジャーの手は止まり、俺も思わず振り向いた。そこに。艦橋の入り口のドアが開いたそこに。


 少女が立っていた。


 幼女。童女。娘っ子。どう表現してもいいが、兎に角。年のころ10歳くらいにしか見えない女性がいた。下手をするともっと幼いかもしれない。漆黒の髪は床に付くぐらい長く、なんだが泣きそうな大きな黒い瞳。手には複雑な形状をした杖らしきものを握り、そしてなんというか、形容し難い服を着ていた。


 基本は、我が銀河連邦の軍服のようだった。黒地に銀の装飾を施された軍服。そのミニチュア版だ。どこと無く違う気もしたが、俺はこの時そこまでは観察しなかった。


 問題なのはそのスカートである。我が軍の女性士官の軍服は男性と同じカーキ色のスラックスか、同色のスカートのどちらかを任務によって選択することになっている。ところが、この少女の下は純白のフリフリスカートなのである。なんというか、それはとても軍服には見えなかった。


 というより、こんな幼い少女が軍人なわけが無いだろうが。と自分に突っ込みを入れてしまう。軍人ではない。つまりはこの艦の中にいる筈が無い人員の筈だった。そもそも子供が戦場にいていいはずは無い。いやいや、それ以前にどうしてこの少女はこんなところにいるのだ?


 俺は混乱していた。艦橋の人員も全員、状況を忘れて口ポカーンだったが、それ以上のパニックに陥っていたのが他ならぬ少女だった。彼女は半泣きだった。


「いったいここはどこ!カイザンはどこ!」


 カイザンとは我が銀河連邦の首都星のことである。少女は俺の足元までおぼつかない足取りで駆け寄り、俺の胸倉、を掴もうとして手が届かなかったために中途半端なところを掴んで俺を揺さぶった。


「なんであたしこんなところにいるの?カイザンはどこ?あたし今日は寮に帰らないと!」


「寮に帰って何をする予定だったんだ?」


 冷静に考えればそんな事を聞く場面ではなかっただろう。俺も混乱していたのだ。少女は叫んだ。


「今日のデザートはジャンボプリンなのよ!」


 艦橋大沈黙。鳴り響く警報ブザーは別だが。


「一週間前から楽しみにしてたのに…。なんで、こんなところにあたしいるの?どうしてくれる?どうしてくれるのよ!」


「知るか!今そんな場合じゃないんだ!」


 怒鳴りつける俺に少女はなみだ目で沈黙した。恨みがましい目で俺の事を見上げている。


「そもそもなんでこんなところにいる?」


「司令部に呼ばれて行ったら迷っちゃって、疲れたからこの艦の甲板で一休みしてたらいつの間にか寝ちゃって、そうしたらいつの間にかなんだか戦闘が始まってるし、ここはどこだか分かんないし!あたしのプリン!」


 いろいろと訳が分からない事を言う少女。話がまったく見えてこない。その時、ボイジャーが「あ!」と何かに気がついたようだった。


「艦長。この娘、もしかしたらウイッチじゃないですか?」




 ウイッチというのは魔女の事である。まんまだが、これは旧時代に迷信や誤解として存在した「魔女」とは意味合いが異なる。


 人類が宇宙に進出して既に2千年。その歴史の中で人類が進化した姿、だと言われている。彼女たちは今までの人類とは一線を画した存在だったのである。


 まず、宇宙空間を苦にしない。


 真空、灼熱、絶対零度、放射線等々。ものともしない。素肌で、何も対策せずに宇宙に放り出されても平気なのである。理由は分からない。ただ「なんとも無い」という事実があるに過ぎない。これだけでも彼女たちが人間と看做すには異常な存在である事が分かるであろう。


 そして魔法である。


 この科学知識が極限まで発達した現代にいきなりカビの生えたような「魔法」という概念が飛び出て驚いた人も多かろう。しかしながらこの「魔法」という概念は、人類がその概念を得て以来、変わらず同じ意味で使われ続けているものなのである。つまり「訳の分からない力」「説明が出来ない力」のことを、人類は「魔法」と呼び、時には忌み嫌ったのである。


 ウイッチの使う魔法もその類だった。つまり、あらゆる科学知識を動員してもその使う力に説明が出来ないのである。


 宇宙空間を推進機関も無いまま進んでみせるというのは端的な一例である。あまつさえ、宇宙戦闘機の戦闘速度よりも速く飛んで見せるのだが、それでさえもウイッチの力のほんの序の口に過ぎない。


 彼女たちの「力」には様々な形があり、個体によって発現の仕方に差があるのであるが、彼女たちが全力を出したら戦艦でさえも相手ではないと言われている。戦艦どころか要塞をも相手に出来ると聞いたことさえある。流石にそれは眉唾だと思うが。


 その異常な力を持つウイッチ。当然ながら滅多にいる存在ではなく、希少価値バリバリな歩く国家機密。が、この目の前でプリンプリンとうるさい幼女だというのか?




「そうよ!」


 幼女は胸を張った。杖を振り上げながら。


「私の名前はエスタール・ウィルメ。銀河連邦軍司令部直属魔女。階級は大佐!」


 …なんと上官だった。まぁ、ウイッチであれば見た目の年齢と外観が釣り合わないことなど珍しくも無いと聞いているので、俺よりもずっと年は上なのかも知れないが。いや、その割には言動が幼いが…。


 そのエスタールは俺に名乗りを上げたことで自分の階級を思い出したらしい。いきなりコホンと咳払いしておもむろに言った。


「え~、あなた」


「スタシオン中佐です」


「うむ、スタシオン中佐。教えなさい。今は何月何日ですか?」


「は?なんでそんな事を?」


「いいから!」


「え~…、連邦歴1125年10月21日ですよ。カイザンでは」


 その瞬間、エスタールはガックリと膝をついた。俺は仰天する。


「どうしたんですか?」


「…遅かった」


「何が?」


 エスタールはうるうると涙を零しながら艦橋の床を何度と無く叩いていた。


「プリンは10日前のデザートだったのよ!」


 は?艦橋が真っ白に沈黙したが、俺は思わず指折り数える。確か、こいつはアーバスタインに司令部で乗り込んだと言っていたな。アーバスタインが首都カイザンから出たのは確かに10日前だ。こいつは甲板で寝ていたと言っていたな。ということは、


「おまえ、10日も甲板で寝てたっていうのか?」


 思わず上官への言葉遣いとは思えないような言い方になってしまう。


「そうよ!迂闊だった!まさかそんなに熟睡していたなんて!」


 10日も熟睡。しかもそこは真空にして放射線が降り注ぎ、日なたと日陰で数百度と絶対零度の差がある宇宙空間である。色々な意味でやはり只者ではないようだった。流石はウイッチだ。


 俺は思案した。これは、チャンスかもしれない。


 敵艦隊に取り囲まれ、最早死ぬか降伏するかの二者択一を迫られているこの状況下。他に手は無いだろう。俺は優しくエスタールの手を取った。


「へ?」


 不思議そうなエスタールに構わず、俺はここぞとばかりに微笑を作った。


「残念でしたね。ウィルメ大佐!」


 俺に言われた事でプリンを食い逃した悲しみが再び沸き上がったらしい。エスタールは瞳の端から大粒の涙を再び零し始めた。俺はよしよしと内心ほくそ笑む。


「大丈夫。大佐。プリンなら小官が何とか致します!」


 俺の言葉に一瞬目を見開いたエスタールだったが、言葉の意味を了解した瞬間、その幼い顔にみるみる内に笑顔が満たされていった。彼女は俺の右手を両手でがっしりと掴んで叫んだ。


「本当!本当に食べさせてくれるの?プリン!」


「ええ、約束いたします」


「やた~!」


 エスタールは歓喜の叫びを上げた。しかし俺は内心を押し隠して憂鬱そうな表情を作り、ため息を吐いて見せた。


「?どうしたの?」


「そう。私も閣下にプリンを食べさせてあげたいのですが…」


「え?何?嘘?いやよ!約束したでしょう!お腹一杯プリンを食べさせてくれるって!いまさら無しって言うのは無しよ!」


 そこまで言ったかな?と思いつつも、そんなことはどうでも良かった俺は芝居を続行した。


「勿論、お約束はお守りいたします。ただし…無事にカイザンに帰り着ければ…」


「へ?」


「本艦隊は現在、海賊艦隊に包囲されており、攻撃を受けております。本艦の運命も風前の灯…」


 エスタールはそこでアーバスタインが激しい攻撃に晒されていることに気がついたようだった。モニターを見て納得したような表情を浮かべていた。


「そうだったの」


「ええ、ですから、このまま本艦が撃沈されてしまえばカイザンには帰り着けず、閣下とのお約束も果たし得ません…」


 俺は哀れっぽい声色になるように言った。


「まことに残念ですが…」


 ここまで言ってエスタールが察してくれなければ手が無かったのであるが、エスタールは眉毛を跳ね上げて乗ってきた。


「安心して!」


 彼女は白いフリルつきスカートを震わせて立ち上がって言った。


「あたしが連中を追い返してあげる!」


「本当ですか!」


「まかしときなさい!その代わり、約束よ!」


 言うが早いかエスタールは杖を小脇に抱えてダッシュで艦橋を後にしていた。


 大成功である。俺はボイジャーに言った。


「おい。あいつが時間をかせいでいる間に何とか戦域を脱出しろ」


「艦長、あなたそのつもりで…」


 もちろん、そのためにエスタールをけし掛けたのである。一人で要塞に匹敵するとまで言われているウイッチである。500隻の艦隊を相手にしても敵の目をひきつける位は出来るだろう。


「あんな、女の子を…」


 避難がましい声だった。俺は首をすくめた。


「人に同情できるような状況だとは思えんね。生き残ったら非難はどうにでも受けるさ」


 俺はエスタールが出て行った艦橋の出入り口を何とはなしに見やった。




 エスタールは宇宙空間に飛び出すと飛翔した。一体どうやって推進力を得ているのかは分からないが、とにかく宇宙戦艦よりも速く飛翔出来るのは確からしかった。


 飛びかうビームやミサイルをまったく無視して飛び、艦隊の最後尾に出る。敵艦隊が光の壁の様にそそり立っている。しかしエスタールはまったく臆する様子も無く、宇宙に仁王立ちになった。仁王というより日本人形みたいだが。


 にや、っと笑う。


「約束は守ってもらうんだからね!」


 彼女の持つ杖に白い光が宿る。軽く回すと光の残像が軌跡となって彼女の周囲に展開した。


「…結構、いい男だった」


 手をいきなり握られて、瞬間的にプリンの事を忘れるくらいには。


 少し頬を赤くしながら、魔法の発動の手順を踏む。小さく指で印を切りながら、高速呪文を詠唱する。


「…プリン、どっかの店で驕ってくれるのかな…」


 二人きりで?もしかしてそれって…。


「デート?」


 顔が真っ赤になるのが分かる。きゃ~、あたしのもしかして初デート?うふふ、もしかしてあの中佐、あたしに惚れちゃった?もしかして、もしかして。


 身体を変な風にくねらせながらも無意識に魔法発動の条件を整えて行く。


「あんたたちに怨みはないけど」


 エスタールは杖を掲げた。


「あたしの幸せのために犠牲になってもらうわよ!」


 エスタールを中心に光の渦が舞い上がり、それが螺旋を巻くように杖に集まる。準備完了。


「いくわよ!『光ある竜巻の祈り』!」




 俺は正直、エスタールに多くの期待を寄せていたわけではない。


 いくら超人類のウイッチとは言え、宇宙艦隊を相手に何が出来るとは思えない。せいぜい目くらましだろう。出来たとしても。


 要塞と戦えるというくらいである。敵の艦隊の一部にでもダメージを与えられれば、それで敵がエスタールを敵と認識してくれて、俺たちを一時でも忘れてくれるかもしれない。その隙に逃げ出せれば最高である。


 この時、俺には選択の余地が無かったのだ。不確定要素の多いエスタールというウイッチ。その未知の能力に頼らざるを得ないほど状況が絶望的だったのである。


 生き残るためなら、幼女だろうが老人だろうがなんだって利用するさ。犠牲にだってする。後で贖罪でもなんでもしてやるとも。死んだら謝ったり後悔したりすることも出来ないんだぜ。


 ところがである。


 エスタールが敵艦隊の正面に出て堂々と立ち向かったのを見て俺は結構、動揺した。


 あいつ、何をやらかす気だ。


 敵との距離は1万宇宙メートル程もある。駆逐艦主砲射程くらいの距離だ。そこで停止している。


あの勢いなら敵艦隊まで突っ込んで行くかと思ったが。怖気づいたのかもな。何れにせよ、敵があれだけ離れた距離にいるエスタールを認識できるとは思えないから、あいつを囮にしようとした俺の意図は失敗に終わったということになる。


 やはり駄目だったか。俺が諦めて、もう一度降伏信号の発信をボイジャーに命じようかと考えた。その時。


 光が現れた。


 光が、さっきまでエスタールを映していたモニターを満たしていたのである。な、なんだ?


 次の瞬間、光は立ち上がり、渦を巻き、そして光の暴風となって荒れ狂いながら敵の方へ物凄い勢いで襲い掛かったのである。


 我が艦隊を包囲しようとしていた光の壁。そこで光の竜巻がぶち当たった。


 爆発と言うより、消滅。光の竜巻が接触した敵の艦隊は文字通り消えた。そしてその周辺で初めて火球が生じ、連鎖して大爆発になる。


「な、何が起こっている!」


 それは俺の理解を超えた光景であった。光の竜巻が動き、敵の光の壁を削り取り、爆発させている。500隻の海賊艦隊がなす術もなく消滅させられているのだ。


 唖然とした。要塞と単独で渡り合えるといわれているウイッチ。


「それどころじゃねぇそこりゃ…」


 これなら要塞だって瞬殺だ。


 光の竜巻がようやく消えた頃には、敵の光はほとんど見えなくなっていた。宇宙は静寂と黒さを取り戻したのである。


 アーバスタインの艦橋は沈黙していた。その唖然呆然の艦橋に能天気な声が響く。一体どうやって交信しているのかは分からないが。


「見た!スタシオン中佐!敵は追い払ったわよ!約束は守ってね!」


 モニターでは特大のどや顔を浮かべたエスタールが杖を高々と掲げていた。




 銀河連邦首都星カイザン。ここには銀河連邦の首都機能が集中すると共に、銀河連邦軍の作戦総本部と中央軍港がある。


 どうにかこうにかそのカイザンまで帰り着いたアーバスタインは、その瞬間に廃艦となった。無理も無い。大気圏突入さえも危ぶまれたほどのダメージを蒙っていたのである。つまり俺は乗艦を失う事となった。


 俺は現在25歳で中佐なわけであるが、これは同期の中ではそこそこ昇進が早い部類に属した。駆逐艦の副長だった時に、負傷した艦長の代わりに指揮をして戦艦を撃沈した功績が評価されたのだ。それで中佐になって初めて与えられた艦がアーバスタインだったのだ。その艦が数回目の出撃、しかも定常の航路パトロールであんな目にあって再起不能になってしまうとは。


 司令部に出頭した俺は叱責こそされなかったものの、当面は待機しろとの微妙な命令を受けた。自宅待機だ。


仕方なく俺は部下を解散すると、集合住宅式の士官官舎に帰った。失態をとがめられる形での無期限の自宅待機である。長い休みになりそうだった。


しばらくは大人しくしていたが、やがて飽きた。いい休みだと思えれば良かったのだが、俺は無趣味なので時間を持て余すだけだったのである。


あまりにもやることが無いので、俺は気まぐれを起こした。「絶対に、ぜ~ったいに!連絡してね!待ってるからね!」と押し付けられた電話番号に連絡を入れたのである。


 そして帰還して一週間後、俺はカイザンの中心街にあるロマ公園で所在無く佇んでいたのである。


 ジーンズにトレーナーという部屋着と大差無い格好である。少し寒い。公園の木々は真っ赤に、鮮やかに色付いていた。風が吹くとその何枚かが舞い上がり、舞い落ちる。地面には落ち葉が積もり、それも風が吹くと踊るように流れるのだった。空は高い。


 俺は15歳で士官学校に入学して19歳で卒業するまで、ほとんどを宇宙軍艦の中か宇宙要塞の中で過ごしてきた。なのでこのように紅葉をしっかり眺めた事はこの10年ばかり無かったと言って良い。故にある程度興味を持って落ち葉の乱舞に目をやっていた。最初の内は。


 が、限度というものがある。俺はそろそろ飽き飽きしていた。


 その時、落ち葉を踏みながら小走りに走る足音が聞こえてきた。


「まった~?」


「待ったわい!」


 俺は噛み付くように言った。


「俺は13時って言ったんだぞ!13時と!今何時だ!」


「え~?」


 彼女は左手首に嵌っている白いバンドの時計を見ながら首を傾げた。


「13時?」


「13時50分だ!」


 俺は正面に立っている時計を指差した。


「お前はそれでも軍人か!軍人にとって時間厳守は血の掟だろうが!」


「ごめんごめん。ちょと準備に時間くっちゃって」


 まったく反省の色が無い。何が楽しいのか満面の笑みを浮かべながら、何の真似か、俺の前でくるっと身体を一回転させて見せた。


「その甲斐あって、ほら。可愛いでしょう?」


 ひらひらなレース満載の白いスカートと、ふわふわした白い起毛のポンチョ。丸くこれも白い毛皮のようなぽわぽわした帽子。肩掛けしたウサギ顔型のバッグ。


 エスタール・ウィルメはどう見ても幼年学校の少女が友達と映画を見に行くために精一杯のおしゃれをしてみました、というふうにしか見えない格好で誇らしげに言った。まぁ、そもそも彼女はどう見ても10歳以下にしか見えないのでそれなりに似合ってはいた。


 だからどうした。


 俺は遅刻を一切気にした様子も無い連邦軍大佐殿に時間を守る事の大切さをこんこんと説かなければならなかった。


「そんな事より、今日はどこ行くの?どこに連れて行ってくれるの?」


 聞いちゃいねぇ。


 俺はエスタールに、この間の「プリンをおごってやる」という約束を果たしてやろうとしていたのだった。エスタールは帰還した当日にそのまま俺を引っ張って行く勢いだったのであるが、さすがにそんな暇は無く、それに乗じてばっくれようとしていた俺に、エスタールが電話の番号を押し付けたのだった。


 仕方ない。エスタールに俺の命が助けられたのは疑いようが無い事実であったから。その事実を無視してのけるほど俺は恩知らずでもなかった。


 しかしエスタールに言われてはたと気がついた。俺はそもそも甘いものに興味が無い。つまりプリンなどこの十数年食ったことが無かったのだ。


 エスタールは目を輝かせて期待しているようである。しまった。こんなことなら雑誌か何かで下調べをしておくべきだったか…。


「…とりあえず、行くか」


「うん!」


 エスタールは大きな声で返事をすると俺の手をしっかり握った。俺は少なからず驚いたが、なんとなく手を握り返して公園の出口を目指した。兄妹に見えるかな。親子には見えないで欲しいな、などと考えながら。




 プリンの店については何も心配は要らなかった。大通りを適当に歩いた先の喫茶店の店先にあったパフェの模造品にエスタールの大きな黒い瞳がスパークし、これ幸いとそこへ入ってパフェを注文。エスタールは大いに満足したというわけである。


 何杯でも食べていいぞと言ったのであるが、そのパフェは一杯でも彼女にとっては手に余るサイズだったらしい。勿体無いからと頑張って完食はしたものの、おかわりどころでは無かった。彼女は苦しそうにうめきながら、それでも満足しきった表情で言った。


「しあわせ~」


 安い満足だな。しかし俺はなんだか微笑ましい気分だった。それにしても、彼女はこう見えても連邦軍大佐である。連邦軍の士官であるからにはそれなりに給料ももらっている訳で、それこそプリンが食いたいなら街へ繰り出してなんぼでも食べれば良いのである。俺がそう言うと、エスタールは首を横に振った。


「勝手に外出したら怒られる」


「ウイッチだから?」


「そう」


 なんでも彼女たちウイッチは特別寮に入れられているのだが、一人での外出はほとんど許可が下りないらしい。例外は軍務の時くらいである。歩く国家機密とまで言われているのだから当たり前か。


「今日も許可を取るのに苦労したのよ。一人じゃなくて軍の中佐と一緒に行動するって言ったらなんか許可が下りたの」


 ?軍務と勘違いされたと言う事か?それとも護衛がいれば良いということなのだろうか。


 それにしても年中籠の鳥とは、ウイッチというのもあまり良い商売とは言えない様である。もっとも、その特別寮というのは俺が士官学校の時に押し込められていた寮と違って、それなりに豪華で設備も充実しているようだが。デザートなんてものがあるくらいだからな。


「それに、ウイッチって浮世離れしているからね。あんまり俗世の事に興味が無いのよ」


 それにしてはプリンが食えなくて泣いてた奴もいるけどな。


 エスタールが浮世離れしているのは事実であるが、その離れ方はなんとなく一般的なウイッチ(とはいえ俺は他にウイッチの知り合いはいなかったのだが)のそれとは違う気がした。なんというか、要するに子供なのである。その子供が、この間のような強大な力を使う。俺は身震いした。あれは今思い出しても恐るべき光景であった。


 それから、エスタールと俺はお互いの事を少し話した。俺はガキの頃に両親共に事故で死んでしまって、仕方なく士官学校に入ったというような話をした。あまり面白い話ではなかっただろうが、エスタールは興味深そうに聞いていた。


 エスタールは、赤ん坊のころの検査でウイッチの素質が認められ、その時から親から引き離されたのだという。驚く俺にエスタールは不思議そうに言った。


「ウイッチは大体、10億人に一人くらいの割合で生まれるの。両親が普通の人間でもね」


 あまりに貴重な人材であるため、早々に親元を引き離され、素質を開花させるための修行をさせるのだという。両親自体は健在だが、エスタール自身ほとんど会った事は無いし、それが親だという実感も無いらしい。それも当然だろう。


 ウイッチの能力というのは完全に生まれつきのものであるのだが、その力を発現させるのと制御するのには訓練がいるのだという。訓練が上手く行かなければ才能があっても能力を発現出来ないこともあるのだとか。


 先輩ウイッチに学んで魔法の使い方を勉強する。魔法とは自然現象を超越した力であるが、物理的な現象から完全に自由なものでも無いらしい。そのため、学ぶ内容には自然科学、物理学、数学などの専門知識も含まれる。他にも魔法の発現には想像力が不可欠だとかで、芸術や文学なども学ぶのである。


 聞いているだけで頭が痛くなってきた。しかし、これを聞いて俺はエスタールの(というよりウイッチ一般)浮世離れの原因をなんとなく理解した。それは、幼少のころから隔離されて勉強ばかりさせられていたら世間から乖離しもするだろうよ。修行自体は現在進行形ながら既に自己修練であるそうだが、強制的に軍に入らされて、機密保持のために外出もままならないとなれば世間慣れするまでにはまだまだ掛かるだろう。


 俺はさすがに同情したが、本人はあまり気にしていないようだった。そもそも俺も士官学校時代は惑星表面に降りたことさえほとんど無かったから、世間の裏の裏まで良く知っているかと言えばそんな事も無いのだったが。それにしても、家族も友人もいない。ひたすら勉強し、都合によっては軍務にも駆り出される。なんというか、俺には想像も出来ない生活をこの少女は送っている様だった。


 それから俺たちは適当に街をぶらつき、何事にも興味津々のエスタールの質問に俺は際限無く答えさせられた。エスタールはむやみに楽しそうで、俺も自分一人なら絶対に行かないような街のあちこちを覗いて歩いて、それなりに楽しんだ。最後に、エスタールがねだったので大きなウサギのぬいぐるみを買ってやって、俺たちは分かれた。自分の半分ほどもあるぬいぐるみを抱えながらエスタールはずっと手を振っていた。俺もそれなりに名残を惜しんで何度か振り返って手を振った。


 まぁ、義理も果たした事だし、もう会う事もあるまいよ。この時、俺は呑気にもそう思っていた。




 数日後、俺は司令部に出頭した。思っていたよりもずっと早い呼び出しだった。


 そして意外な辞令を受け取る事となる。


「昇進ですか?」


 俺は驚いていた。大佐へ昇進。それは軍人にとってはめでたい事だったが…。


「一体なぜ?」


 理由が無い筈だった。俺が中佐になってからしたことと言えば、アーバスタイン以下の哨戒艦隊で定期パトロールに出て、たまたま現れた海賊艦隊に手ひどくやっつけられ、せっかくの乗艦をおじゃんにした事だけである。降格までは無いにしても訓告処分されてもおかしくなく、恐らくは閑職に回されるだろうと思っていた。


「貴官はアーバスタインを指揮して海賊艦隊に壊滅的なダメージを与えた。昇進に値する功績だと思うが」


 軍令部次長の言葉に俺は沈黙した。唖然としたのである。


 軍令部次長はその台詞の中から本来必要な単語をいくつか除去していた。意図的にだ。その事によって俺の失態はなんと大戦果に反転してしまっている。


「…報告書には全て記した筈ですが」


「読んだとも。その上での評価だ」


 軍令部次長は白々しいまでに微笑んで言った。小太りの中年に微笑まれても嬉しくもなんとも無い。不気味なだけだ。そもそも、なぜ軍令部次長が第八艦隊所属の俺に辞令を直接手渡すのだろうか。考えてみればそれもおかしい事だった。俺はうそ寒さを覚えた。


「貴官は昇進の上、新たなる部署に配属されることになる」


 そらきた。俺は覚悟した。


 こういう訳の分からない昇進話には必ず裏があるものなのである。大抵は危険な任務。困難な任務を押し付けられる見返りなのだ。もしもこの後、軍令部次長が「最前線に小銃一つ持って行って国境を突破して来い」と言っても俺は驚かなかっただろう。


 ところが、次の言葉に俺は大いに驚いてしまったのである。


「貴官はウイッチ、エスタール・ウィルメ准将直属となる」


「は?」


「貴官には新たに戦艦ルークシアンと、配下に100隻の小艦隊が配属される。そして任務はウィルメ准将の護衛だ」


 返事が出来なかった。エスタール・ウィルメ准将?あいつは確か大佐だった筈。昇進したのか?まぁ、彼女には昇進の理由がある。海賊艦隊を消滅させたのは他ならぬ彼女自身なのだから。


 そこまで考えて俺は慌てた。


「ちょ、ま、待ってください!」


「拒否は認めない」


 軍令部次長はにべも無かった。


「エスタール・ウィルメ准将は昇進にあたり、直衛艦隊の司令官は貴官にと指名したのだ。光栄に思え大佐。通常、魔女艦隊の指令官にはその重要性を鑑み、経験豊富な将官を当てるのが通例なのだぞ」


「で、ですから私には荷が…」


「ウイッチとはいえ上官だ。その指名を拒否するというのがどういうことなのか、分からぬ筈もあるまい?」


 上官から指名を拒否する事自体は可能である。しかしながら、その事で俺には「反抗的な士官」というレッテルが貼り付けられることになる。今度は逆にどこの誰も俺を部下に採用しなくなるだろう。それは軍人にとっては致命的なことだった。


「それに」


 軍令部次長はここで少し微妙な表情を浮かべた。なんというか、軍人らしい表情。酷薄な、非人間的な判断を下す事に慣れた人間の表情だったかもしれない。


「これは貴官にもチャンスであろうよ。あれほどの兵器を与えられるのだからな」


「兵器…、ですか?」


「貴官も見たのだろう?あの要塞砲にも匹敵するような威力を。あれを効果的に使用すれば、貴官に与えられた100隻は万単位の艦隊に匹敵する力を持ちうる」


「…」


「あれを、上手く使え。軍が貴官に要求しているのはそういうことだ」


「…分かりました」


 俺はそう言った。




「スタシオン大佐!」


 戦艦ルークシアンの艦橋に上がってくるなり、エスタールは大きな声を上げた。巡洋艦であったアーバスタインのそれと違って、ルークシアンの艦橋は三倍くらい広い。頭上は半球形の全天スクリーンになっていて、宇宙がそのまま映し出されていた。ただし、この時は半分以上が味方の艦影に覆われていたが。


「大佐!久しぶり!元気だった?」


 確かに、一緒に喫茶店に入ったあの時から一月ばかりが過ぎている。エスタールは嬉しそうに満面の笑みを浮かべながら俺の方に駆け寄ってきた。


 俺は振り返り、踵を打ち鳴らして敬礼した。


「お待ち申し上げておりました。ウィルメ准将」


 エスタールはきょとんとした顔をして俺の表情を観察していたが、少し表情を曇らせながら言った。


「いいっていいって。あたしはそういうの苦手なの。だから大佐を選んだんだから。そういうの、無しにしよう?」


「いえ」


 俺は謹厳な表情が崩れないよう殊更に意識して言った。


「私は軍人であります。上官に対し、あのような態度を取ってしまったこの間が間違いだったのであります。申し訳ありませんでした」


 今度こそエスタールの表情が暗くなった。とっさに言葉が出ないほどショックを受けたようである。ウイッチのトレードマークの複雑な形をした杖を胸に抱くようにして立ち尽くしている。


俺はあえて彼女の目を見据えながら、冷たい声で言った。


「間もなく出撃です。閣下は司令官席でお待ち下さい」


 そう。艦隊編成成って間もないエスタール・ウィルメ直属魔女艦隊は、所属の第7艦隊と共に宿敵、地球帝国軍と戦うために首都を発って国境へと向かうところだったのである。勿論初出撃であり、エスタールが自分の艦隊と合流したのもこの日が初めてだった。


 仕方なく大きすぎる司令官席に座ったエスタールを、俺はあえて艦隊がカイザン宙域を離れるまで一度も見ず、声も掛けなかった。




 我が銀河連邦と地球帝国はこの30年ばかり壮絶な戦いを続けていたのであるが、俺はこの二つの国が何故戦っているのか、知らない。いろいろ理由らしきものは聞いているが、結局のところどうしようもなく仲が悪いから戦争するしかないというのが正直なところであるらしい。国境を接している国が仲良しだったという話は有史以来あまり聞かないから、このようなどうでも良いような理由で戦争が起こるのも初めてでは無いのかもしれない。


 現在、銀河は概ねこの二カ国に制圧されており、どちらかが勝てば銀河統一ということに、理屈ではなるのだったが、両国とも相手を圧倒するほど戦力国力共に豊富ではなく、激しい戦いの連続は両国をいたずらに消耗させるだけだった。その内どちらかが耐えられなくなって和平を求めるか、国内が分裂して大混乱になって戦争は終わるだろう。


 まぁ、軍人にとっては負けるのがこっち側でなければ他の事はどうでも良い事である。


 今回、戦場となるエウロペア宙域にやってきた銀河連邦第7艦隊は総数2万隻。対する地球帝国艦隊は2万2千隻。つまりやや敵の艦隊の方が多勢だった。しかしながら、エウロペアは我が国の領内であり、我が艦隊は敵のこれ以上の侵攻を食い止めれば良いのである。敵がワープゲートに突入するのを妨げるだけですむ。この場合、防衛側の方が有利である事は言うまでも無い。


 作戦会議に出席したエスタールの後ろに立ちながら、俺はこの戦いは我が軍の戦略的勝利に終わるだろうと考えていた。戦闘自体が起こらないかもしれない。敵が賢ければこの状況下で戦闘を挑んでも無駄である事が分かるだろうと思えるからだ。敵が愚かであって、無駄な戦闘を挑んできても、我が軍は防御に徹していれば良いのである。この戦力差なら負ける要素は無い。


 もっとも、敵が我が軍の思いも寄らないような作戦を有している可能性も無くは無いが。


 俺の前で椅子にちょこんと座っているエスタールは如何にも所在無さげだった。この戦いは、彼女が将官になってから始めての戦いであったから、このように作戦会議に出席するのはこれが初めてのことであっただろう。


 きょろきょろと左右を見回し、たまに不安げに俺の事を見上げてくる。俺は彼女の事を見ず、正面の壁を見つめていた。


 航海の最中も、俺はエスタールと一言も私語を交わさなかった。事務的な報告だけはしたが。そもそも、エスタールは軍司令部直属の独立魔女であり、艦隊の指揮権は持っていなかった。あくまで艦隊の司令官は俺だったのである。そのため、俺には彼女に報告連絡の義務が無く、艦隊の進路など必要最小限の報告をすれば良かったのである。


 エスタールは常に何かを言いたげだったが、俺は無視した。


 作戦会議が終わり、俺たちは旗艦の短艇格納庫で、艦に戻るために短艇を待っていた。


 エスタールは新米准将であり、つまり将官の中では一番下っ端だった。そのため、他の将官(当たり前だが全員俺よりもずっと年上だ)たちが優先されて、俺たちはかなり長く待たされた。エスタールは黙って格納庫を見下ろす位置にある待合室のガラス窓際に立って、格納庫を忙しく出入りする短艇や作業員を見ているようだった。俺はその後ろで直立不動の姿勢を保っていた。


 ぽつっと、エスタールが呟いた。


「…怒ってるの?」


 俺に向かっての言葉であることは分かっていたが、俺は返事をしなかった。


「何かを、怒っているんでしょう?大佐。いったい何を怒っているの?」


 エスタールは俯きながらゆっくりと振り向いた。俺の顔を見るのを恐れるように。


「…あたしは、大佐があたしを助けてくれれば、あたしは頑張れると思ったの。あたしは、軍人なんて柄じゃないし、戦いもあんまり好きじゃないけど。大佐が助けてくれたら、頑張れるかもしれない。だから、あなたを護衛艦隊の司令官に指名したの」


 俺はまだ返事をしなかった。エスタールは震える手で杖を胸に抱きながら、一生懸命に言葉を選んでいた。


「あたしを助けて。大佐…」


 俺は吐き捨てた。


「勝手な…!」


 びくっと、エスタールの肩が震えた。俺は更に何かを言おうとして、口まで開いたが、何とか自制した。息を整え、冷静な口調を作る。


「…そろそろ下に下りましょう」


 エスタールは肩を震わせていて、返事が出来なかった。




 俺にとっては意外なことに、敵は戦闘を行う事を望んだらしかった。我が艦隊が守備するワープゲートに向かって堂々と進撃してきたのである。もしかしたら余程の策があるのかもしれないな。俺はその事を少し不安に感じた。


 俺はこれまで何度も艦隊同士の会戦に参加した事はあるのだが、ウイッチがいる戦線に参加した事が無かった。つまり、ウイッチがどのように艦隊戦に加わるのか知らなかった。俺の100隻の艦隊はエスタールの護衛が任務であり、戦闘ではない。なので最初は後方に待機することになると思われた。


 しかし、戦闘開始直前、司令部から指定座標へ向かえとの命令を受けた。俺たちがというより、エスタールが必要な局面があるということなのだろう。俺は指揮下の艦隊を率いて命じられたポイントへ向かった。そこは全艦隊の右翼最前線である。


 僅か100隻の艦隊で敵の正面に進み出るというのはなかなか度胸を試される事だった。この間の海賊艦隊など比ではないほどの圧迫感だ。勿論、今回は背後に味方の大艦隊を背負ってはいたが、その事は正面から飛んで来る敵の悪意とは関係ない。


 しかし一体ここに何があるというのか。


 と、その時、司令官席で俯いて座っていたエスタールが顔を上げた。まるで誰かに呼ばれたかのように、虚空に視線を向けている。


「…行ってくる」


 エスタールは杖を強く握り締めて立ち上がった。小さな身体に力を込める。俺の方を見た。悲しいのか寂しいのか、そういう瞳だった。


「大丈夫。みんなはあたしが守るから」


 どういうことだ?反射的に聞き返しそうになる。エスタールは決然と踵を返すと艦橋を出て行った。彼女の長い黒髪が最後に艦橋から消えると、メニエ・トルシアン中佐がポツリと呟いた。金髪を短くしていて一見そうとは分からないが女性で、このルークシアンの艦長だった。魔女艦隊の副指令も兼任している。


「もう少し優しくしてあげた方が良いのでは?」


 トルシアンは俺より年上の30代半ばだった。そのため、たまに俺に忠告と言うか説教めいた事を言うのだった。


「何を馬鹿な。あれは上官だ。それに魔女だ」


「ですが、それ以前に女の子です」


 トルシアンは当たり前の様に言ったのだが、俺は虚を突かれた。


「それ以前に…」


「女の子です。見ていれば分かるでしょう?見た目通りの幼い女の子ですよ」


トルシアンは眉の間に俺に対する非難の色を浮かべていた。


「あの娘が慣れない戦場で不安で一杯だったことは分かった筈でしょう?その不安を取り除いてあげることも大佐の役目だと思いますが」


「なぜだ」


「あの娘が全力で戦えるように、です」


 トルシアンは当然の様に言った。


「誰だって心に不安を抱えていたら実力が発揮出来ません。魔女も同じでしょう」


 俺はとっさに声が出せなかった。


「あの娘は我が軍の戦力の一部です。その強大な力を全力で振るえるようにケアするのはやはり直属の護衛艦隊司令官である大佐の役目でしょう?元々あの娘と知り合いだった大佐が司令官に指名されたのはそのためでしょうから」


「気がついていたのか?」


「そりゃ、気がつきますよ。大佐が冷たくしたおかげであの娘、ずいぶん凹んでいましたから。初対面の相手に冷たくされたくらいであそこまでがっかりはしませんよ」


 トルシアンは苦笑した。


「ですから、大佐は小さな女の子が心置きなく全力で戦えるように、優しく、甘えさせてあげれば良いのですよ」


 何かが引っ掛かった。別にトルシアンの言う事は間違ってはいない。


 しかしながら、何かがおかしかった。これは軍令部次長と話していた時から感じていた。棘の様に心に刺さってうずいていたことである。


 俺にだって分かっていた。軍が俺をエスタール直衛艦隊司令官に任じた事の理由と意味は十分に理解していた。そのためにやるべき事も分かってはいたのである。


 理解はしても納得していなかった。納得できなかったからエスタールに冷たく当たってしまったのである。だが自分自身、自分がなぜ納得出来ないのかがいまいち分からなかった。心の何かがうずくのである。痛むのである。


 釈然としない思いを抱きながら、俺はトルシアンとの会話を打ち切った。エスタールが甲板から前方へ向けて飛び立ったからである。




 エスタールは宇宙空間を飛びながらぼんやりと考えていた。


 なんでスタシオン大佐は私に冷たくするのだろうか。


 良く分からなかった。彼女はそもそも対人関係の経験が豊富とは言えず、男性の知り合いなどほぼ皆無。他人の、しかも男性の感情を慮ることなど不可能だった。


 あの人なら、助けてくれそうだったのに。守ってくれそうだったのに。


 いや、あるいは全てが自分の思い込みだったのかもしれない。考えてみれば、彼と関わったのはアーバスタインで戦場から帰還するまでの10日と、あのデートみたいな半日だけである。つまり、彼のことをよく知っているなどとはとても言えないのだ。


アーバスタイン艦内での彼は常に忙しく、ろくに相手をしてもらえなかった。もっとも、あんなに冷たくは無く、普通に会話はしてくれたが。そしてあのデートみたいなことをした、あの日。


あれは楽しかった。彼は優しかったし、暖かかった。


 嘘ではなかったと思う。なら、今の彼の態度が嘘なのだろう。なぜ嘘をつくのか。


 分からない。


 エスタールは停止した。髪が慣性で前へ行きそうになるのを手で押さえて止める。白いミニスカートの裾がなびく。彼女の正面に人影があった。


 宇宙空間に人が立っているというのは、人間視点では異常な光景であるが、魔女にとってはそうでもない。つまり、あれはウイッチだった。そもそもエスタールは彼女に呼ばれたのである。


「エスタール・ウィルメね?久しぶりと言うべきかしら?」


 宇宙空間で声が伝わる訳がない。そもそも、エスタールと相手との距離は10km近く離れている。声でも電波でも無い方法で、エスタールと相手のウイッチは言葉を交わしている。


「アエリエ・フォルク」


「覚えていてくれて光栄だわ」


 外観年齢はエスタールとほとんど変わらないくらいである。つまり10歳くらいの少女の姿だった。とんでもなく長い金髪をポニーテールに結い、宇宙空間に流している。気が強そうな釣り目。瞳の色は青い。服装は地球帝国軍の軍服に漆黒のミニスカートだった。


「負かした相手のことなんて忘れてしまう性質かと思ってたわ。もっとも、あれはあたしの油断だけど」


「負かしたなんて…」


 エスタールはこのウイッチ、フォルクに以前会った事があった。当然、戦場でである。その時初陣だったエスタールは突然最前線へ送り込まれ、フォルクと出会ったのである。


 出会ったなどというと聞こえは良いが、実際はフォルクがエスタールを認め、先制攻撃を掛ける形で戦いを挑んできたのだ。エスタールはパニックを起こし、魔法を暴走気味に連発してなんとかフォルクを撃退した。それをフォルクは負けたと勘違いしたらしい。


「あたしは逃げただけ。まともに戦ったら、敵わなかった」


「そう、じゃぁここで今、証明してあげるわ!」


 フォルクは金髪をなびかせて悠然と杖を構えた。


「止めましょう?ウイッチ同士が戦うなんて」


 エスタールは言った。


「ウイッチは全宇宙に20人くらいしかいないのよ?その僅かな同類が戦うなんて」


 人類の進化形とも噂されるウイッチ。しかしエスタールは、自分たちは突然変異、もしくはイレギュラー因子なのではないかと思っていた。


 ウイッチはあまりにも人類と違い過ぎる。ウイッチの「魔法」とは物理法則を認識力で書き換えてしまうことである。物理法則に縛られるというか、存在そのものが物理法則に立脚する人類、この世界の理からウイッチの存在は逸脱しているのである。


 ウイッチは、この宇宙に存在する事自体が何かの間違いなのではないか。エスタールはそういう仮説を持っていた。


「ウイッチ同士が戦うなんて。間違ってる。私たちは協力して自分たちの存在の意味を考えなきゃいけないのに」


「じゃぁ、あんただけ死ね!」


 エスタールは戦慄した。フォルクの魔法は既に発動していたのである。とっさに防御魔法を構成する。次の瞬間、


「炎の輪舞曲!」


 フォルクの魔法が放たれた。




 それは炎の円盤だった。しかも巨大な。


 戦艦を数隻は乗せられそうな炎の円盤が何の前触れも無く宇宙空間に発現したのだ。しかも一つではない。7つもだ。俺は呆然とした。あまりにも非現実的な光景であったからだ。なのでそれが高速で回転を始め、一気にこちらに向かって飛んできたのを見ても声も出せなかった。


 しかし炎の円盤はルークシアンに直撃しなかった。その直前で何かにぶつかったようにひしゃげ、爆発したのである。それでもその爆発によって生じた衝撃波にルークシアンは激震した。


「うおぉぉ!」


 ルークシアンに突入してきた炎の円盤は爆発したが、それ以外のものは銀河連邦艦隊にそのまま突っ込んでいた。巨大な円盤は戦艦を切り裂き、なぎ倒し、磨り潰した。そして爆発。宇宙空間が瞬時に赤く染まり、灼熱する。ルークシオンのオペレーターが叫んだ。


「26戦闘部隊、通信途絶!」


「45重巡部隊消滅!79偵察艦隊もです!」


「艦隊司令部と連絡がつきません!」


 一撃で艦隊の右翼が大ダメージを蒙り、銀河連邦艦隊は大混乱に陥っていた。同時に、


「地球帝国艦隊、殺到してきます!」


 敵艦隊が一気に前進し、攻撃を開始していた。


 つまりは。俺は理解した。


 あの敵のウイッチ。あれが敵の「策」だったのである。あの一見幼い少女だが、強大な力を持つ魔女の実力で我が艦隊との戦略的条件を無理やり変更する自信があったということなのだろう。さもありなん。あれではもはや人の形をとった砲台である。しかもとんでもない威力をもった。


「兵器」


 軍令部次長はそう言った。正にそれは正しい認識だった。敵は手中にある強大な兵器を効果的に使用して戦いを有利に展開する事に成功したのだ。


 兵器。そう。ウイッチは兵器なのである。兵器を効率良く使用して戦いに勝利を収めるのが軍人に課せられた使命であった。俺は魔女艦隊の司令官に任命された。だからトルシアン中佐がいみじくも言ったように、俺にはエスタールが実力を発揮出来るようにケアする事も任務の一部なのである。


 任務であるから感情は必要ではない。彼女が気分良くなるように持ち上げ、甘えさせ、以前海賊艦隊と対した時にやったようにエスタールをうまく焚きつけて戦わせれば良いのである。なに、別に特別な事ではない。軍人だって官僚組織であるからには上官におべっかを使い上手く立ち回って上司を利用することも珍しい事ではない。


 気持ちを偽ることも慣れている。軍人はいつだって恐怖と言う感情を戦意であると偽って戦場に立つのだから。


 嘘を吐けばいい。騙せばいい。エスタールを兵器として上手に操縦するために必要であればそうすべきなのだ。その結果エスタールが気分良くなり、その強大な実力を遺憾なく発揮して戦いに勝利した結果、我が軍全てが幸せになるのであればそれで何よりではないか。戦いは勝つことに意味があるのであって、その過程や理由に意味は無いのだから。


 しかし、


 俺は思わずした唇を噛んだ。オペレーター席の一つに駆け寄ってオペレーターからマイクを奪うと、俺は全宇宙に向けて力の限り叫んだ。


「あほか~!」




 エスタールは宇宙を落ちていった。勿論宇宙に上下は無いのだが。


 ルークシアンをフォルクの魔法から守るために、不十分な防御魔法を承知で直撃を受けたのである。ルークシオンは守れたが、エスタール自身は吹き飛ばされた。ウイッチ用の専用軍服も半ば破れ、焦げている。


 半分気を失っていた。ウイッチにとって身体的なダメージは、身体が瞬時に消滅してしまうような事が無ければ幾らでも再生可能なのであまり問題ではない。しかしながら精神的なダメージは別だった。ウイッチ同士の魔力対決では敵の魔力によって何よりも自分の魔力が奪われるのである。


 まずいかな。エスタールは思った。こう魔力が減退していては、肉体の復活もままならない。この時、彼女は自分では認識していなかったが、右足と左腕を半ばから失っていた。ウイッチだって死から無縁ではない。魔力さえあれば肉体が復活できるといっても、魔力が無くなれば肉体的な復活が出来なくなって死に至るのだから同じ事である。


 ルークシアンは無事だろうか。


 最初の直撃からは守れたけど、その後は分からない。フォルクの最初のあれは大魔法だったから、すぐには次は撃てないと思うが、後ろに控えていた地球帝国艦隊がそのまま大人しくしている筈は無い。ルークシアンは最前線にいた。


 守らなければ。そうは思うものの身体は動かない。意識が遠のく。


「ごめんね」


 自然と涙が溢れた。


『あほか~!』


 思わず目が開いてしまった。物凄く大きな声であったからだ。どうしてこんなに大きく聞こえるのだろうか。恐らくは無線通信。しかも暗号ではなく通常回線。全チャンネルに向けての通信だった。


 ウイッチは無線通信を受け取り、発信することが出来る。しかしそれだけではこの現象は説明不能だ。いつもであればエスタールが耳を澄まさなければ通信は聞こえないのだ。


 しかし、エスタールは気がついた。理由を。


 これは、あたしに向けての通信なんだ。スタシオン大佐が、あたしにだけ向けて放った声だから、こんなに大きく聞こえるんだ。まるで、彼が目の前にいるかのように大きく、はっきりと聞こえる。


『ふざけるな!エスタール!お前は兵器じゃない!お前は道具じゃない!お前は軍人じゃない!』


 何を言っているのだろう。


『お前はお前で、女の子で、プリンが好きで、ぬいぐるみが好きで!一人でいるのは別になんとも無いような顔をしていて、それでいてやっぱり寂しいみたいな、女の子で、人間だ!』


 スタシオンは叫んでいた。もはや自分でも何を叫んでいるのか分からなくなっているようだった。だが、その叫びはエスタールの心に染み入る。


『お前を、お前を兵器とか、ウイッチとか、そういう風に扱うのは、俺が嫌なんだ!』


 エスタールは目を開いた。落下はもう止まっていた。


『エスタール!お前は俺が守ってやる!俺が、助けてやる!』


 杖を持つ右手に力がこもる。


『俺は、お前の事が大好きだぞ!』


 金色の光が生まれて溢れた。エスタールの身体の中から生じたそれは瞬く間に彼女を包み込む。


「アイバール!」




 俺は自分の心に刺さっていた棘の正体をようやく理解した。


 簡単なことである。あの無邪気な、まったくもって幼い少女にしか見えないエスタール。パフェを食べさせてもらったり、安いぬいぐるみをもらって大喜びして、それだけで俺に全幅の信頼を預けてくれるようなあの天真爛漫な少女。


 そんな彼女を利用したり裏切ったりしたくなかったのである。


 ぬるい感情かもしれない。軍人としては情けないのかもしれない。しかしそれが俺の譲れない真実だった。


 叫び終えて、俺は枯れた喉を押さえて咳をした。なんだか何を言ったのか自分でも良く分からないのであるが、叫ぶ事でとりあえずは落ち着いた。俺は今度は暗号回線で貴下の艦隊に命じた。エスタールが防御してくれたおかげで、俺の艦隊は他よりも比較的損害が少なかった。


「全艦隊、突入隊形!同時に混乱中の後方の各艦に『我に続け』と伝えろ!」


「どういうことですか?」


 トルシアンが仰天して言った。


「このまま右翼を食い破られたら全戦線が崩壊する。敵を押し返すぞ。司令部との連絡がつかないなら独自判断でやるしかない!」


「危険です!我が軍のダメージは甚大です。ここは守りを固めるべきでは!」


「受けに回ったらやられる!攻撃こそ最大の防御だ」


 俺の目に断固たる決意を見たのだろう。トルシアンは各オペレーターに指示を飛ばし始めた。俺は既にビームやミサイルの輝きで満ちている前方をにらみ付けた。


「負けるな!撃ち返せ!」


 エスタールを守ってやる。あの強大な魔女を守ってやると宣言した男がこんなところで引いたり恐れたりしてどうする。俺にだって意地があるのだ。


 俺の艦隊の残存は80隻程になっていたが、それでも統一された指揮下にある艦隊が動き、呼応を促すのを見て、指揮系統が乱れて混乱していた銀河連邦の右翼艦隊はとりあえず俺の指揮に従うのが得策だと考えたらしい。このまま混乱を続けていては敵の思う壺。訓練された軍人の集団であるからそのことに思い至り、対策に踏み切るのも早い。各艦単位で俺の艦隊に続いてきた。その総数ざっと1200隻。これならいける。


俺は左手を打ち振った。


「突撃!」


 ルークシアンの艦首砲が咆哮する。同時に続く各艦もいっせいに砲撃を開始した。光が吸い込まれて行く先、既に至近の距離にいた地球帝国艦隊の艦列に炎の穴が開く。爆発と衝撃と死が吹き荒れて地球帝国艦隊を打ちのめす


 地球帝国艦隊にとって銀河連邦艦隊のこのような素早い立ち直りと猛反撃は予想外のものだったのだろう。明らかにたじろいだ。チャンスである。


「エーベルタイン、コレクル、ボーニヤンは200隻を分けて右側面から押し込め、残りの全艦隊は!」


 俺は歯をむいて叫んだ。


「噛み破れ!」


 俺の命令を受けて、いや受けるまでも無く目の前に浮き足立った敵を見つけた我が艦隊は、復讐の牙を一斉に敵艦隊に叩き付けた。至近の敵艦が炸裂し、艦が爆発に巻き込まれるのも構わず前進して次の敵を探す。爆発は次の爆発を呼び、宇宙空間を溶鉱炉に変えるかと思われた。


 このまま行けば勝てる。俺が思ったその時、ルークシアンの正面に真紅の輝きが生じた。


『そうは行かないよ!』


 アエリエ・フォルクだった。艦隊戦の灼熱する空間の中に、黒いミニスカートをなびかせる金髪少女が立っている。違和感と言うより失笑を誘うような異常感。


『悪いけどここでお終いよ!お帰りはあちら、お土産は!』


 幼さが残る顔に凶悪な微笑を浮かべて、フォルクは右手を伸ばし上げた。その先に巨大な、戦艦20隻分の体積はあろうかという巨大な炎の円盤が生まれつつあった。生成に巻き込まれた艦が蒸発する。


『これよ!』


 あんなものを叩きつけられたらルークシアンはもちろん、それどころか貴下の艦隊が消滅してしまうだろう。一体、要塞と「互角に」戦えるなどと言った奴はどこの誰なのかと俺は激しく問い詰めたい。はっきり言って、ウイッチの実力はそんなものではない。


 俺は歯噛みした。さっきからフォルクには攻撃が集中している。しかしどういう理屈なのか、ビームだろうがレーザーだろうがその直前で全て消えてしまうのである。爆発さえしない。物理法則から逸脱するにしても限度があるだろうに。


 フォルクは美少女だった。しかしその美少女があのように笑う様はどうしてああも凄絶なのだろうか。正に恐怖そのものを体現しながらフォルクは高らかに叫んだ。


『消滅しろ!『炎の王冠』!』


『させない!』


 その声に俺は思わず叫んだ。


「エスタール!」




 フォルクの足元方向から黄金の光が一直線に向かってきた。あたかも雷がさかしまに駆け上がるかのように。


「アイバールに手は出させない!あたしが、あたしの、あたしは!」


 光そのものとなってエスタールは上昇していた。杖は巨大な光の剣に変じ、失われた筈の両手両足は再生し、はやる気持ちを表すかのように背中には巨大な光の翼が生えている。


「アイバールが大好きなんだから!」


「飛んで火にいる夏の虫だよ!」


 フォルクは慌てなかった。幸い、発動寸前の大魔法がここにある。目標をルークシオンからエスタールに直せば良いだけのこと。フォルクは右手を振るって魔力を下方に開放した。惑星すら消滅させ得るほどの強大な熱量が、進路にいる艦船を巻き込んで吹き飛ばしながらエスタールを直撃する。


「蒸発しろ!今度は再生出来ないようにな!」


「負けない!あなたとは戦いたくないけれど、私自身が戦う理由はたった今出来たから!」


 フォルクは見た。エスタールの中に恐るべき魔力が満ち溢れるのを。それが構成され、彼女が持つ光の剣に宿るのを。そしてその剣が一気に惑星すら切り落とせるのではないかと思えるほど巨大化したのを。


「『光の剣は天の架け橋になる』!」


 巨大というのも陳腐なほどの大きさ。光の剣はフォルクの放った炎の円盤にぶち当たり、あっさりと消し飛ばした。


「馬鹿な!」


 フォルクは自らの最大威力の魔法が鎧袖一触にされたのを見て驚愕した。そのため、防御魔法を展開させるのが一瞬遅れた。


「あたしは、この心のために!今この心に生まれた愛を守るために戦う!だから、負けない!」


 光の剣がフォルクに直撃した。不十分な防御魔法ではとても防ぎ切れない魔力に、フォルクは自らの存在を瞬時に消滅させられる。


「ば、馬鹿な…!あたしが…」


 光の剣はそのまま空間を貫いて、天に巨大なアーチを架けた。




 エスタールの光がフォルクを貫くのを見て、この宙域全ての人間たちは動きを止めてしまった。


 俺も例外ではない。美しく暖かく、優しい光が宇宙を貫くのを見て、なんというか自分たちが非常に滑稽なことをしているように思われたのだった。あまりの巨大な力の前に、自らの小ささを自覚して馬鹿馬鹿しくなったというのもある。


 すぐに我に返って戦闘を継続したものの、狂気を失った戦場で長く戦えるものではない。ごく自然に両軍とも戦線を引き、戦闘を終えた。地球帝国軍はそのまま後退して国境方向へと消えてゆく。


 銀河連邦軍の損害は約1000隻。ほとんどが最初にフォルクの魔法によって蒙った損害だった。対して地球帝国軍の損害は僅かに多く1200隻と推定された。その損害のほとんどは右翼艦隊、つまり俺の攻撃に呼応してくれた艦隊が与えた損害だった。


 敵により多くの損害を与え、敵の戦略意図を挫いたのであるから、我が軍の勝利だと言って良いだろう。それは軍人である俺には喜ばしい事である筈だった。


 エスタールが放った魔力の残滓、光の架け橋は、戦闘が終わってから数日に渡って観測できたという。




 艦橋の扉が開いて、少女が駆け込んできた。


「アイバール!」


 エスタールは両手を広げて俺に駆け寄り、飛びついた。俺も姿勢を低くして彼女を受け止める。


「…よく頑張った。ごめんな」


「ううん、アイバールが、呼んでくれなかったら、あたし死んでた」


 エスタールは俺の背中に回した手に力を込める。


「アイバールがいてくれれば、あたしは戦える。ううん、アイバールを守ると思えるから、あたしは戦える。うん…、そう思う」


「護衛の俺が守られるのか?それじゃああべこべだな」


「いいの。アイバールには他のところで助けてもらうから」


 エスタールは俺から離れ、俺の顔をしっかり見ながら微笑んだ。


「これからもよろしくね。アイバール」


「ああ」


 俺は力強く頷いた。


 ふと気がつくと、ルークシアンの艦橋が不可思議な沈黙に満ちていた。オペレーターがこっちを向いていないのは良いとして、すぐ近くに立っているトルシアンも横を向いている。なんだか表情も微妙だ。


「…なんだ?」


「その、司令」


 トルシアンは黙ってエスタールを指さした。その指先を追ってエスタールにあらためて目をやり、


「!」


 理解した。エスタールはほぼ全裸だった。身体の肌には戦闘の痕跡を伺わせるものは皆無で、眩しいくらいに肌は真っ白だったのだが、着ていた軍服のような服はボロボロだったのである。特にスカートはまったく消失しており、更に下着も、言わずもがなであった。


 半裸の少女と抱き合っていたということか。それは確かに…。


「やましい所はないぞ。これは純粋に再会と和解をだな」


「大佐がその娘への愛を叫んだのを、全宇宙が聞いてますが」


 …あれは、あの『好き』はそういう意味ではなくて、なんというか一般的な、友情としてというか家族としてとか、人間としてとか、そういう意味での好きであってだな…。なぜ俺がそんな言い訳をしなければならんのか。


「そもそも俺には幼女趣味は無い。だからこんなの見てもなんとも思わん」


「こんなのとは何よ!」


 エスタールのパンチが俺を襲った。別に魔法でもなかったがそれなりに痛かった。急に羞恥心が復活したものらしい。エスタールは次の一瞬で衣服を元通りに再生させた。


「乙女の裸をしげしげ眺めて、こんなの扱いなんて許せない。アイバールの馬鹿!」


 身体をかばう様にして叫ぶエスタール。そして意外なことを言った。


「そもそも、あたしは幼女じゃないわよ!子ども扱いしないで!」


 どこからどう見ても幼女にしか見えないが。


 そういえば、ウイッチは外観と年齢が一致しない事が多いらしい。これだけ物理法則を簡単に捻じ曲げる連中だから、自分の肉体年齢をコントロールするのも容易い事なのだろう。下手をすると不老不死でもありそうだから、100歳とか200歳とかなのか?


「あたしはお婆さんじゃない!」


 またパンチだ。痛い。そもそもそんな事言ってない。俺は鼻を押さえながら問うた。


「じゃぁ、何歳なんだ」


 精神年齢から考えて、見た目とそんなに違いがあるとは思えないけどな。


 エスタールは無い胸を張って言った。


「28歳よ!」


 …3つお姉さんだった。


「アイバールは25よね!姉さん女房もいいって言うよね!」


 何の話をしている?


「愛し合う二人は結婚するものでしょう!首都に帰ったら早速、結婚届を出しに行きましょう!」


「まてまてまてまて!」


 俺は必死の思いで叫んだが、既に乙女モード突入中のエスタールには届かない。なんだかピンク色のオーラを浮かべながらうっとりとしている。いやいや。


 トルシアンが俺の肩に手を置いた。


「全宇宙公認のカップルではありませんか。諦めなさい。年の差も丁度いい感じですし」


 吹き出すのをこらえている表情だった。おまえ、絶対それ面白がっているだけだろう。というか、全て分かっていてからかってやがるな。


「いいですね~、ホラ、大佐は今回功績を立てたから、きっと将官に昇進しますよ。そうしたら一戸建ての官舎がもらえるから、それを新居に新婚生活を…」


「それ!それ良い!そうしよう!そうしようよアイバール!」


 飛びついてくるエスタールを、俺は今度は巴投げで投げ飛ばす事にした。




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