終幕【01】怪物の呪い


「それは……ぼくが不気味なブギーマンだからさッ!!」


 彼が突然、ベッドの上で立ちあがった。 

 ベッド脇にいたアメリアとルーミスは、飛び退く。

「こいつは、もう救いようがないッ!」

 ルーミスが肩に掛けていた火吹きマスケットを手に取る。

 弾はすでに込め終わっていた。

 ハーフコックを解除して構える。

 引き金をひくと火霊石がミスリルの当たり金に衝突。爆発が起こる。

 噴出する白煙と共にバレルから鉛弾が射出された。

 そのまま彼の胸元を穿ち、鮮血をはね飛ばす。

 直後のけたたましい音――。

 彼の身体が吹っ飛び、背後の窓硝子を叩き割った。

 そのまま、彼は雪に覆われた庭先に落下する。

 硝子の割れた窓から、冷たい風が入り込む。

「ちょっと……やり過ぎじゃない?」

「そうだろうか」

 アメリアとルーミスのふたりは、ベッドの反対側に回り込み窓の外を見おろした。

 すると、真っ白な雪の上に倒れた彼の姿があった。包帯の間から覗く虚ろな眼差しで曇天を見あげたまま動かない。

 そして、そんな彼を生け垣の向こうから見詰める、深緑の長衣ローブを着た人物がいた。

 その人物はアメリアたちの視線に気が付いて、目深にかぶっていたフードを頭の上に落とした。

 日に焼けた、痩せた男だった。

 見た事のない顔だ。

「誰かしら」

「さあな」

 顔を見合わせるアメリアとルーミス。

 遠くから複数人の廊下を駆ける音が聞こえてきた。




「小僧を追い出そうと最初に言い出したのは、ミレアだよ。あのときは本当にどうかしていた」

 “ふくろうの巣”でエールのつがれた木杯を片手に、そう語るのは深緑の長衣ローブを着た男だった。

 その右手首には魚の刺青が彫られている。

 元船乗りのジョンソンであった。

 この日の店内は彼らの他にも客はおり、酔客たちの奏でる喧騒で店内は賑わいを見せていた。

「彼を追い出した理由は?」

 アメリアの問いにジョンソンは、エールを呷り、喉を潤してから答える。

「表向きはミレアの事をいやらしい目で見たとか、水浴びを覗いたとか……突然、抱きつかれたとか、そんな話だった」

 ジョンソンと不気味なブギーマンの彼と、ミレア・プランターノは昔、ここから南の海沿いの町を拠点に冒険者をやっていたのだという。

 彼らのパーティの名前は銀鷲騎士団といった。

「表向きね。では、本当のところは?」

 ルーミスは、陶器の酒杯にもられた火酒をちびりと舐めた。

 ジョンソンは、ふう、と溜め息をひとつ吐いて口を開く。

「小僧がミレアに忠告したらしい。それが気にくわなかったみたいだ。当時のミレアは、パーティ内ではお姫様だったからな。誰も逆らえなかった。俺もな」

 何でもミレア・プランターノは銀鷲騎士団に入ってから、見境無しにメンバーたちと関係を持っていたのだそうだ。

「冒険者稼業なんてのは男社会だ。その中で女なんていえば、よほどの醜女でもない限り、大抵はちやほやされる……あんただって経験あんだろ?」

「まあ、そうだけど……」

 心当たりがない事もないアメリアは苦笑して頷く。不躾な物言いに内心で、むっとしながら。

「俺たちも舞いあがってたんだ。ミレアは如何にもお嬢様といった容姿で、美人だったからな……」

 と、昔を懐かしむような遠い目で、ジョンソンは寂しげに微笑む。

「でもミレアのお陰で、次第にパーティ内の雰囲気が悪くなっていった。みんな、俺を含めて彼女を自分ひとりのものにしたがっていたからな。些細な事で喧嘩が絶えなくなっていった……ミレアは、そんな状態を楽しんでいたようだった。きっと、俺たちを手玉に取るのが、面白くて仕方がなかったのだろう」

「そんな彼女の言動を、彼がとがめたと」

 ルーミスの言葉にジョンソンは頷く。

「もともと、ミレアは小僧の事を毛嫌いしていた。小僧はその……何て言うか……あまり、女に好かれるような容姿をしていなかったから。優しい奴だったけどな……。兎も角、小僧はそれが原因でパーティを追放された」

 そうして失意の彼はいずこかへ姿を消したのだという。

 アメリアがキャベツの酢漬けをつまみながら問うた。

「……そのミレアさんは、今は?」

 ジョンソンは遠い目をしながら皮肉に満ちた微笑を口元に浮かべる。

「冒険者を引退したよ」

「へ? どうして……」

 アメリアはきょとんとした表情で聞き返した。

「小僧がパーティから抜けてから、すぐに貴族の男との結婚が決まったらしい。あっさりと俺たちは捨てられたんだ」

 ルーミスとアメリアは、何とも言えない表情で顔を見合わせた。

「リーダーと司祭は、それぞれ今も別なパーティで冒険者をやっている。俺もしばらくは、司祭と一緒のパーティで冒険者をやっていたんだが……」

 そう言ってジョンソンは、左手の袖を捲った。

 そこでルーミスとアメリアのふたりは、彼の左肘から先が木製の義手である事を知る。

「ヘマをやらかしてな。ゴブリンに不意打ちされた。左膝もろくに動かない。癒しの術を掛けるのが遅すぎてな……。耳の良いあいつがいれば、こんな不意打ちは受けなかっただろうな」

 彼は今、冒険者を引退し、ほそぼそと行商人をやって生計を立てているらしい。

「それで、たまたま、この町にやって来て、ある酒場で飲んでいたら……」

 そこへ、あの施療院の関係者が飲みに来ていて、大声で「耳が異常に良い怪我人」の話をしていたのだという。

 すぐに彼の事だとぴんと来たジョンソンは翌日、施療院へと向かった。

 ひと言、彼に謝るつもりだったのだという。

「……ずっと、後悔していたんだ。謝ってどうにかなるものでもないのはわかっていたが……」

 それで先日、彼が施療院へと訪れたところ……。

「急に容態が悪くなったとかで、面会を断られた……」

 彼が生け垣の向こうから病室を見上げるジョンソンを目撃した日だ。

 ジョンソンを不気味なブギーマンだと勘違いした彼は半狂乱となった。そのために施療院側は面会を拒否したのだ。

 ジョンソンは日を改めて出直す事にしたのだという。

「兎も角、後悔しているよ。小僧をおかしくしてしまったのは俺たちだ……俺たちがあいつを怪物にしてしまった」

 そう言ってエールを飲み干して、木杯をテーブルにそっと置く。そして、ジョンソンは立ちあがった。

「もう帰るのか? もう一杯ぐらいなら奢るぞ?」

 ルーミスの言葉にジョンソンは首を横に振る。

「いや。もういい。明日の朝にこの町をたつよ」

「そうか。達者でな」

「達者ね……」

 ジョンソンは泣きそうな顔で笑う。

「俺には達者な人生なんて、もう残されていないよ」

 そう言って、酒場の入り口へと向かおうとした。

「ねえ」

 アメリアが呼びとめる。

「最後に質問、良いかしら?」

「どうぞ」

 ジョンソンが足を止めて応じる。

「彼の名前は、何ていうの?」

 ジョンソンは寂しそうに笑いながら、彼の名前を口にした。

「……そう。ありがとう」

 アメリアが礼を述べると、ジョンソンは左足を引きずりながら酒場の出口へと向かった。

 彼の丸まったみすぼらしい背中をルーミスは見送る。

 その向こう側には、悔恨の念に塗り固められた暗澹あんたんたる彼の人生が、透けて見えた気がした。

「彼は不気味なブギーマンに人生を呪われてしまったのだろうな」

「本当に怖いのは魔物よりも人の心……月並みな話ではあるけど、笑えないわね」

 アメリアは、ぞっとしない表情で、そう言った。


 かくして、グレイヴ村のゴブリン退治にまつわる一件は、静かに幕を降ろしたかに見えた。

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