第11話 巻き起こる風


 言うや否や、弓矢は彼女の手を離れた。


 風を纏い、空気を切り裂いて飛ぶ。

 通常の矢より数段、勢いと伸びを感じる。


 それが向かってくる鬼猪バーサークボアの額に直撃した途端――、



 弾かれた。



 まるで木切れのように、いとも簡単に。


「……あっ」


 エルナは、その光景を見ながら呆然と立ち尽くしていた。

 だが、それで鬼猪バーサークボアの猛り狂ったような突進が止まった訳ではない。


 大岩のような巨体が彼女目掛けて突っ込んでくる。


『エルナ!』


 俺が胸元で叫ぶと、彼女はハッとしたように我に返り、すぐさま体ごと真横に飛んだ。

 巨体がギリギリの所を掠め、辛うじて直撃は免れたが、彼女の体は地面に叩き付けられ、草の上を転がる。


 その際、ペンダントの俺は天と地が分からなくなるほど四方八方に振り回され、気付いた時には彼女の下敷きになっていた。


『……おい、大丈夫か?』

「いっ……つつ……私はなんとも。アクセルこそ大丈夫ですか?」


 エルナは起き上がりながら俺の心配をする。


『石の体ってのは見た目同様、丈夫みたいだ。エルナに潰されたくらいじゃ何ともない』


 すると彼女はホッとしたような表情を見せた。

 そしてすぐにその顔は、申し訳なさに包まれる。


「すみません……私……」

『問題無い。初めは焦ってしまうもんさ。特に、こんなふうに事態が切迫しているような状況では尚更だ』


「叱らないんですね……」

『叱ってどうする? そんな事に何の意味も無い。俺の役目はエルナを魔法使いとして成長させることと、今のこの状況を切り抜けさせることだ。見ろ、奴はもう体勢を整えてきているぞ』


 俺に言われて彼女は森の奥に目を遣る。

 そこには奴の突進によって薙ぎ倒された木々が、山のようになっていた。

 そんな巨木の山の中で蠢く存在がある。


 鬼猪バーサークボアだ。


 自身が薙ぎ倒した木々に埋もれてしまったらしい。


 あまり知能は高くないようだが、あの突進をエルナがまともに食らったら一溜まりもないだろう。

 完全に起き上がってくる前に、こちらの魔法を完成させなくちゃな。


『いいか、今失敗したのは魔力による条件付けが足りなかったのと、焦って中途半端な状態で放ったのが原因だ。身を守ろうと反射的に動いてしまうのは仕方が無いが、それでは魔法は完成せず、結局、身を守るという最初の行動も叶わなくなる』

「……」


『あと、これだけは言っておく。エルナが信じる限り〝魔法は絶対にお前を裏切らない〟それを常に心に留めておくんだ』


「魔法は……私を裏切らない」


 彼女は呟くように復唱すると顔を上げる。

 何かを掴んだのか、その表情はしっかりとしたものに変わっていた。


「分かりました。もう一度やってみます」


 言うと、二本目の矢を取り出し、弓につがえる。

 一度、深く息を吸って呼吸を整えると、狙いを巨木の山に定める。

 丁度その時、鬼猪バーサークボアの体が完全にそこから抜け出たところだった。


 奴は鼻息を荒くし、再び蹄を掻き始める。

 そんな最中、エルナは瞼を閉じ、口元で何かを小さく囁き始める。


「環境把握……風向き南南西……風速一.二メトル……気温二十五パーム……」


 それは集中力が高まっている証拠。

 先程覚えた感覚強化と魔力探知を応用し、周囲の環境を把握している。

 そういう所に魔法との相性とか、センスの良さが垣間見える。


 俺は確信していた。

 彼女ならやってくれると。


 初めて出会った時、俺のことをお化けだなんだと騒ぎ立てた臆病で慎重な性格。

 それは多くの可能性未来を想像、構築することが強さになる魔法にとって、プラスに働くからだ。


 しかも、それだけ多くの可能性未来を紡ぐには、当然、それに見合っただけの大きな器が必要になってくる。

 両方に持ち合わせている彼女が、この程度の魔物に負けるはずがない。


「射撃角度、右、五エグル修正……上方、三エグル修正……最大牽引力二.一メフグランに調整……」


 囁くと共に、その条件に乗せた魔力が、彼女の器の中で回路を形成してゆく。

 複雑な幾何学模様を組み上げたその姿は、俗に魔法陣とも呼ばれるものだ。


 対峙していた鬼猪バーサークボアは、そんな事はお構いなしといった様子で醜い咆哮を上げ、エルナ目掛けて突進を開始する。


 しかし、今の彼女に動揺は無い。

 ゆっくりと構え、弦を満月の如く引き絞る。


四大元素エーテル充填……風元素を抽出……発生地点固定……気流発生……変換効率九九.八シクル……気圧調整……最大圧縮……」


 矢先に向かって周囲の空気が収束してゆくのが分かる。

 それは空気の流れから風に変わり、嵐に変わる。


 一点に集まった暴風が煌めきを放つ。

 溜めが頂点に達した瞬間だった。


一撃旋風テンペストアロー!」


 直後、矢は放たれた。


 真空の刃となった一筋の光が、空気を切り裂き、向かってくる鬼猪バーサークボアの額を貫く。


 そのまま巨体を突き抜けた矢は、その先の地面をも抉っていた。

 ただの木弓とは思えない威力だ。


 一方、鬼猪バーサークボアは、自分が射貫かれたことすら気付かなかったのだろう。

 断末魔の叫びすら上げることなく動きを止め、ドシンという地響き立てて巨体を草葉の上へ横たわらせた。


 俺が思っていたほどの威力は出なかったが、伸び代も充分に感じられたし、初めての攻撃魔法としては上出来だろう。


『やったな』

「え……あっ、あれ??」


 エルナは自分がやった結果に驚いた様子を見せていた。

 それだけ魔法に集中していたということだろう。


「これ……私がやったんですか?」

『そうだぞ』


「でも……私が知らないような知識を使った感覚があるんですが……」

『それは俺がサポートしたからな。だが、魔法自体の主導権はエルナにある。俺は基本的な概念を魔力を通じて補助しただけだ』


「そう……なんですか……」


 彼女は倒れている鬼猪バーサークボアを見つめ直すと、持っている自分の弓に視線を移す。


 ぼんやりとだが実感が沸いてきたようだ。

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