第8話 やればできる子


 あぁー、やっぱり外はいいなあ。


 俺は心の中で伸びをした。


 石の俺が転がっていたあの洞窟。ここはその洞窟を出て、すぐの場所だ。

 周囲は鬱蒼とした森に囲まれ、見通しは良くない。


 だが、頭上を覆い尽くす葉の合間から柔らかい陽光が漏れ注ぎ、心地良い温もりを伝えてくる。辺りの空気も新鮮で澄んだ匂いがした。


 あんなジメッとした薄暗い場所から、運が悪ければ一生出られなかったかも……と想像するとゾッとするな。


 改めて今の状況に感謝していると、俺を手の上に載せたエルナが緊張気味に訴えてきた。


「ほ……本当に狩るんですか? 鬼猪バーサークボアを……」


 その顔は半泣き状態だった。


『だって腹が減ってるんだろ?』

「でも……もっと簡単なものからやった方が……いいと思うんですけど……」

『その簡単なものが無かったから、腹を空かせてるんじゃないのか?』

「それは……そうなんですけれど……」


 図星を突かれた彼女は、そのまま押し黙ってしまった。


『まあ、そんなに心配することはない。俺の中の魔力があれば大抵の事は乗り切れる』

「そ、そうなんですか?」

『その言い方、俺のことあんま信用してないだろ』


「いっ、いえ、そんなことありませんよっ。ただ、素直に怖いだけです」

『そうか? まあいいや。で、その鬼猪バーサークボアってのはどの辺りで見かけたんだ? ここから近いのか?』


 彼女は森の奥の方を指差しながら――。


「えっと……そんなには遠くないと思うんですが……私はあっちの方向から来たので……多分、あっち……いや……こっちでしたかね……? あっ、でも、そっちだったかも? うぅん……いや、やっぱり、あっちの可能性が高いかも…………」

『おい』

「はい?」


 呼ばれて、ぽやんと立ち尽くす。


『俺が悪かった。それが分かるんなら、こんなふうに道に迷って野垂れ死にしそうになってないよな。質問する前にそれに気付くべきだった』


「えっ……いえいえ、普段はそんなこと無いんですよ? 森を彷徨ってたら突然、鬼猪バーサークボアが徘徊しているのを見つけて……こっちに気付いてないようだったから、見つからないように息を潜めて遠回りに逃げてきたんです。それに気を取られていたものですから、道を全然覚えてないというか……ほ、本当ですよ? 方向音痴とかそんなんじゃないんですからねっ」


『あー、はいはい』

「むぅ」


 適当に返事をしたら頬を膨らませてむくれた。

 ちょっと可愛い。


『しかし、エルフって感知能力が高いっていうか、探索に長けた種族のイメージがどうしてもあるからなあ』


 すると彼女は、自分の耳に意識を向けた。


「それは、この耳の形からくるイメージだと思うんですよ」

『実際は聴力を魔法で強化している。そんなところだろ?』

「詳しいですね」

『警戒心の強い種族だからな。魔法が堪能なら真っ先に使うだろうな』

「まあ、そうですね。なので私には……」


『いけるだろうよ』


「え?」

『今のエルナなら、その強化魔法が使えるはずだって言ってるんだ。そうすれば鬼猪バーサークボアを見つけるなんて容易いことだ』

「あ……で、でも、どうやって??」

『そいつを今から教える』


 言うと彼女は急に緊張した面持ちになり、ゴクリと喉を鳴らす。

 そして唇を引き結び、気合いを入れるが如く脇を締めた。


「どんとこいですっ!」

『そんなに身構えなくていいってば!』


 おいおい、肉弾戦でも始めるつもりか……?


『身体能力を底上げするような補助強化系魔法は、数ある魔法の中でも然程難しいものじゃない。寧ろ、あんまり緊張し過ぎてると失敗するぞ?』

「えっ……じゃ……あ、あの……ど、どうしたら??」


 入れた気合いが、唐突に行き場を失ったもんだからオロオロとし始める。


『普通にしてればいい』

「ふ、ふつーに……ふつーに……すーはー……すーはー……」


 なんか……一生懸命、深呼吸を始めちゃってて……全然普通じゃない気もするが……まあいいか。


『いいか、今から俺の魔力をエルナに送る。その流れを感じ取ったら、耳をそばだてる感じで、そこへ魔力が流れ込んで行くようなイメージを頭の中で作るんだ』

「え? それだけ……ですか?」


 彼女は拍子抜けしたような顔をしていた。


『ああ、それだけだ。何か気になることでも?』

「いえ……なんかこう……魔法って、もっと難しいものかと……」


『これについてはな。元からある身体能力を向上させるだけだから、普通に走るのをちょっと頑張って走るぐらいの感覚で充分なんだ。自分の持っている能力以上の、それこそ自然の摂理を超えた魔法を使う場合は、もっと複雑で難しいぞ』


「ああ、やっぱりそうなんですね……」


 ちょっとした期待が、あっさり打ち砕かれて苦笑いを浮かべる。


『とにかく、やるぞ』

「は、はいっ」


 エルナは俺を両手で包み込むと、祈るような姿勢で魔力を受け入れる準備を整える。


「ど、どうぞ」

『ああ』


 俺は自分の中にある魔力に意識を向けた。

 慣れ親しんだものに躊躇いや身構えは無い。

 まるでコップでも手渡すような気軽な感覚で、魔力を彼女の大きな器に流し込む。


 すると――瞼を閉じ、精神集中していたエルナがハッとした様子で目を見開いた。


『どんな感じだ?』


 しばらく言葉を失っていた彼女だったが、緩やかに語り始める。


「す……すごいです。森中の音が手に取るように耳に入ってきます……。虫の羽音から、動物達の息遣いまで……」


『更に集中を高めてゆけば、その音がどの辺りから聞こえる音か、はっきりと特定できるようになるぞ。それこそ遠く離れた場所でウサギが巣穴を掘る音を聞き分けられるほどにな』


「そこまで……これが魔法の力なんですね……」


 自らが操る初めての魔法。その感動を噛み締めている彼女だったが、俺も俺で内心で感動していた。


 なぜなら、使えなくなったと思っていた魔法が確かに使えたからだ。

(エルナを通してだが)


 良かった。これで未来への希望が見えてきたぞ。

 俺から魔法を取り上げたら何にも残らないからな……。


「それで、ここからどうするんです? 音だけじゃ分からないですよ?」


 エルナに促されて我に返る。


『今、聴覚に対して行った行為と同じことを今度は皮膚に対して行う』

「皮膚……」


 彼女は不安げに自分の手肌を擦る。


『魔力で触覚を強化、鋭敏にするんだ。そうすることで魔力を感知することが出来る。全ての生きとし生けるものには魔力がある。それは鬼猪バーサークボアも例外ではないはずだからな』

「でも、魔力だけ探知出来ても、それが鬼猪バーサークボアかどうかは分からないですよ?」


『まあそうだろうな。それで分かるのは、精々魔力の大きさの違いくらい。だがそれは訓練すれば精度を上げることが出来る』

「?」

『俺は鬼猪バーサークボアというのを見たことがないので分からないが、エルナならその姿や歩き方、仕草なんかも知ってるだろ』

「そんなに、まじまじと見たことは無いですが……」


『別にしっかりと観察しなくてもいいんだ。記憶ってのは便利なもので自分の意識下になくても、一度でも見れば脳には記録されている』

「そういうものなんですか……」

『だから鬼猪バーサークボアの姿を思い浮かべながら、魔力と音を照らし合わせれば自ずと居場所が浮かび上がってくるはずだ』


 そう説明してやると、彼女は取り敢えずやってみる気になったようで、


「分かりました。やってみます」


 と言って、再び目を閉じ集中し始めた。

 しばらくすると――何かを感じ取ったようだ。


「西の方角……約二キロル(キロメートル)の地点に、他の動物より少し大きめの魔力を感じます。この重たい足音……蹄が土を擦る音……恐らく、これが鬼猪バーサークボアかと……」


『上出来だ』


「……へ?」


 褒められたことが意外だったのか、それとも出来てしまった自分の驚いたのか、エルナは目を丸くしていた。


『ちゃんと出来たじゃないか』


「え……あれ? 私……今……あれ??」


『魔力探知による目標ターゲットの捕捉。魔法使いとしての基本であり、後々も必要になってくる重要な魔法の一つだ。それを今、エルナは修得した。ちなみに対象の詳細まで把握出来るほどの魔力探知は、鍛錬を始めたばかりの魔法使い見習いが修得まで約一年はかかる魔法だ』


「はい!? な、なんでそんなに早くに修得できるんですか……??」



『言っただろ。お前には素質があるって』


「……」



 エルナは瞼を瞬かせた。

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