第16話 第6夜 午前4時

スラウェシたちは、ストーリーエンジンの力で待避していた暗黒領域の中から出てきた。

そう、こういうときに都合良く待避できるのがストーリーエンジンなのである。

決して作者の都合ではない。設定だ。

「おー、デイブが勝ってるっ」ハルちゃん。

「やっぱ新しい必殺技を組み込んでおいたかいがあったなあ」スラちゃん。

「組み込むものなんだ・・・」

「え、だってアルゴリズムとか」

もっともスラウェシの予想では時間遡行攻撃で確実に勝てるはずと思ったのだが。

まあいいか。


とにかく、このようにしてトロフィーカップの優勝はスラウェシの手に帰したのである。


*****

私はこの世界に上位世界のある人物が降り立ったことを確信した。

これがその否定できない証拠だ。

そしてその人物になりさえすれば、上位世界に行けるのだ。

ならば後は。

捕まえるだけだ。

*****


【【今、安定のスラ視点】】


「さあ、優勝のスラウェシ選手、ついに満開の大観衆の中、トロフィーカップを手に入れます」

大観衆はもちろん脳内にいますとも。安定の補正クオリティー。

「自分で自分の実況解説してる・・・」ハルちゃん突っ込もうにも、とてとてと場の中央に歩き出してしまったスラちゃんには突っ込み届かない。


「ところで、トロフィーカップに優勝するとなんかあるわけ?」

ハルル素朴な疑問。以前に聞いたのは世界の秘密が明かされるとかなんとか。しかしそれ。金になるとかなのだろうか。

ところがデイブの説明によると意外な答えが返ってきた。

「なんでも謎の開催者が現れて、どんな願いでもひとつ叶えるとかいう話らしい」

「そんな、また7つの球的な。あれ、でも、そうしたらスラちゃんってそれで物書きになる気なのかな」

「いや、それに関しては、スラは自力でやる気だろう。さすがに」

「ですよねー」それすら奇蹟を使ってでないとできないというなら、さすがにアレもんである。

「たださしものストーリーエンジンでも自力ではできないことがある」

「なになに?」

「おそらく人間の物理的復活だ」

「え? できないの? だって死者の蘇生もできるって」

「ストーリーエンジンが変えられるものは、システムにそれを変える機能が実現されている場合だけだ。元となる宇宙の法則そのものを変えることはできないし。成り代わりという死者の蘇生方法が、そもそも死者を物理的にストレートに蘇生させる方法が、彼らには存在しないことを示している」

そっか。生きてる別の人間に、死んだ人を上書きすることはできても。

いちど死んだ人間をそのまま蘇らせるのは無理。ということか。

だから犠牲が出るのだ。

その犠牲なしでやろうとすれば。

なるほど。そういうことか。


しかし。まだ謎はある。たとえば尼像の所有者は誰だったのだろう?


しかし舞台中央ではそれどころではなく、ゴゴゴゴという舞台効果音と共に最終イベントが起ころうとしていた。


*****

クツセ。

あんな形で重要な情報を外部に置いておき、肝心の自分は重要情報を故意に忘れてしまう。よくまあこんな方法を採用したものだ。

クツセに必要な情報を教えたあと、スラウェシは自らその記憶を消したのだ。おかげで当の本人は何も覚えていない。

もっとも記憶野に異常があったようなので、戦術ではなく病気の症状とその対策なだけかもしれないが。

そのせいか、彼女を飲み込んだときには、中に何もなかった。スラウェシはターゲットではなかった。予想外の展開に混乱する。では誰なのか?

クツセはすでに姿をくらませていた。他のストーリーエンジンの庇護下にあるのなら手を出すのは難しい。

しかし望みはある。スラウェシの近くで異常が起こっていたことは間違いないのだ。だから本命がいるとすれば、やはりこの近くにいるはず。

そこで、スラウェシを見習ってしばらく舞台から退場することにする。奇妙な2人組をやとって、仕事の指示を与える。彼らが任務に成功した場合、本来の私が目覚めるような仕掛けだ。これだったら敵の目を充分なだけ長い間、くらませることができるだろう。

そしてルールに従えば、私を殺すことはできないはずだ。私はすでに約束をした。

私自身を報酬にする約束を。それは私にとって致命的なまでに有利になるルールの利用方法だった。これでライバルたちが私を倒すことによりルール違反になる可能性があるのだ。そうそう簡単に手を出せなくなるだろう。

そう。ルール。

ルールを破ると尼像を撃破しても何も起こらなくなる。

違反者からみてトロフィーカップが無効化するのだ。次に出現するときまで。

尼像の所有者がこのゲームを作った人間なのだ。

初代ケルトラインのような希有の強さを持つものがよく最後の守護者に設定されている。

そこで疑問がおこるのは次のこと。

このゲームを作った人間が外部世界からの降臨者ではないのか?

では、外部者らしき何者かがいるとして、なぜそれに自分から参加するようなことをするのだろう?

この回答の推論は割と簡単なものだった。

やはり同じ。記憶と主体を分離させてあるのだ。

もちろん通常ならパスワードを使って元に戻れるだろう。

だがセキュリティかさもなくば事故によって必要な記憶を喪失した。

それならばどうする?

正攻法でアプローチするしかなくなる。

そもそも万能なる外部世界人がなぜ我らの前にその痕跡を残しうるのかという矛盾。

その矛盾もこの考えにもとづいて初めて説明することができるのだ。

その場合の作戦としては・・・。

*****


ぱんぱこぱーん。

音程のずれたファンファーレと共に登場したるは、謎の黒巻き風衣装の少女。

「磁石の島ちゃんでーす」

黒巻きというのは着物ににてるような気がするが、よく見たら反物をぐるぐる巻いてタイトスーツにしただけ、といった風情です。

「私は未来史に現れる人類最後のストーリーエンジンです。

先輩方、いま、未来の地球は大ピンチにょん。いますぐ助けに来てくださーい」

ここに来て新たなる登場人物の登場はてさてしかし。


「未来の地球が大ピンチにょん?」スラ。顔が歪みそう。

「磁石の島ちゃんだけでも、ぶっちゃけ、できるっちゃできるけど、オーディエンスが必要っていうかあ。見てる人がいないとやる気が起こらないって言うかあ」磁石。


「じ、自分で自分にちゃんづけする奴って」スラ精神崩壊局面に落ちる。

「先輩方に能力的にはまったく期待してません。硫黄細菌とかの方がまだ頼りになりそう。そこは安心してください」磁石の島ちゃん。

「言わかしてくれるやんけ。湯わいてるやんけ!」黒スラ。

「トロフィーカップって結局タイムマシンネタなんだ」ハルちゃん。


スラチョップ。ぱこ。


「な、なにするんですかあ」磁石。

「もう我慢できなかったから。これが暗黒面の力よ」

「暗黒面ってチョップなんだ」はるるん。

「それより先にご褒美でしょ。萌えっこが助けれくだひゃんとか喚いても殿方は騙せても同性は騙せないのよ。うちらなんのために努力してきたの?」

「王子バージョンもありますけど」

「それを最初から出しなさいっ」

「ちがっ、スラちゃん目的が違っちゃってるよ!」


「スラウェシ。これはひょっとして」デイブがようやくアドバイス。

「なんですかっ。いま混乱してるので秒速で言ってください」

「混乱してるところに秒速で言ったらマッハで大混乱するよ」ハルちゃん。

「ルール違反じゃないのか?」デイブ。


ルール違反。


*****

「ところで訊きたいことがあるんだけど」

早都は少女探偵に質問した。

「何だろう?」

「ルールってのはいったいなんなの? 私はストーリーエンジンが守らなければいけない法律のようなものだと思ってたのだけど」

「ひょっとしてトロフィーカップのルールのことかい?」

少女探偵は説明した。

「参加しようと思う者にはどこからともなく事前に届いてるという謎のルールブックがあってね。要するにフェアな試合をするように。ということさ。1対1とか。あまりにも力の差がある他種属同志を戦わせないとか。裏取引でした約束を誠実に履行するとか。

その時は、なんと裏取引までルール化されているのかすごい、と思った。道理であの女はルールにこだわったわけだ。

ルール違反をすると、たいていはその時代の最強と呼べる人物がラスボスをやってるんだけど、こいつを倒しても外れしかでないらしいのさ」

「外れ、なの」

「スカと言ってもいいかもしれない」

「外れると次の場所で改めて開催されるチャンスを待たないといけない。

最近は数年ごとに連続して出ているけど、もともとどんな組織が実行しているのかはわからないからね。あるいはそのまんまそれが最後の大会になる可能性も、ありえないとはいえないね」

*****


「ルール違反て、基本的にズルはしてないですよ。

プレイ外アンフェア行為だってしてないし。

いつも1対1とか2対2で戦ったし。

戦力差だってそんな・・・あれ?」


前回の戦いは進化型人類2体。こちらも2体。ではない。

こちらのひとりはストーリーエンジンなのだ。


「あれ? まさか? やっちまった? なんてこったいやきいもっ。スカかよ!」

「人をスカ呼ばわりしないれくらさい」

「なんか食ってんのかおみゃーはっ」

もはやしゃべり方からしてスカそのものにしか聞こえなかった。

「というかその海苔巻きみたいな服はなんなん?」今さらのファッションチェックっ。

「未来のキモノスーツですけど」

「もうダメだあああ」

「い、いや、待ったスラちゃんっ」


そこへもう1人の黒幕が降りてきた。

「あははははは。ぶざまぶざま」

モーズリ。


*****

クツセと早都の会話。

「知ってるかい。スラウェシがダミーで用意したという自らの死体。

しかしあれをダミーだとするとあまりにもコストが掛かりすぎているのだそうだ。

もちろん万全を期して完璧な準備をした、という可能性も考えられないではないがね。

そういえば業界の脅し言葉で、あまり奇蹟について語ってはいけないというのがあったな。理由は語るとやってきてしまうから。

こっくりさんじゃあるまいし。君はどう思う?

いったい何がやってくるんだろうね。

ときどきこんな経験はしたことはないかな。

よく知ってる人だとおもったら、それがとんでもない勘違いで、そんな人物は実は最初から存在しなかった。

もっとも代金が支払ってくれるのなら僕はかまわないけどね」

*****


モーズリとしてはこの時点でどちらを優先するかを考えた。

キーパーソンを確保することを優先するべきか。

ゲートを確保することを優先するべきか。

敵のゲートに対する挑戦権はいま失われた。

本当は随分と悩み、待機して次のチャンスを伺おうかとしても良かったのだけど。

普通ならそれ一択だ。

だが目の前の情景を見て考えを変える。

待機など論外。ここでチェックメイト。

目の前にこぼれ落ちる勝利をただつかみ取るだけ。

ゲートもキーパーソンも両方とも手に入れるのみ。


「さて。後は私が挑戦するだけなんだけど。ここで最後の障害になってくれる人はいるかしら」

最後のラスボスと戦ってクリアするのがルールなのである。

モーズリはスラウェシを見た。

「あなたにもう用はないわ。でもあなたがラスボスということになるのかしら。でもあなたが勝っても、もう失格なのよねえ。無駄な骨折りよねえ」


「それは違いますよモーズリさん」

しかし、ハルルが抗議した。


「ほら、見てください。いつの間にか私が預かっていたルールブックですけど。大きくバツが書かれてます」

ハルルが取り出したB5サイズノートの表紙にはバツが確かに書かれていた。

「でも、今のスラちゃんて、ルールブックを実は2つ持っているんです」


*****

「お前、早都でもあるんだよな」

途端に人格が切り替わる。

「そうだけど。何か?」

「おめえに詫び入れてもらう約束なんだけど。つーっかさっさと詫びれ!」

活用形がめちゃくちゃになりつつあるのを見て、こいつが富裕層にとどまれるかどうか本気で心配になってきたので。

「悪いけど記憶障害だから忘れたわ。なんだったかしら。今ここで繰り返してくれる?」

と言ってあげたら、かなり本気で泣きそうな顔をしていたので。

「嘘よ。一応は覚えているわ」

と言ってあげたら「そーかそーか。さあ詫びれ!」と元気になってきたから「嫌よ」と言ってやった。

*****


スラウェシが持っている2冊のルールブック。片方は表紙にバツが書かれていたけど、もう片方には書かれていなかった。

「まさか・・・」

モーズリはここに来て悪寒を感じるほどの戦慄を覚える。


スラウェシのまとう空気が突然に変わる。

いや、容姿までが変わったように見える。

人格が切り替わる。

「私の出番ね」早都。


【【当然、私の視点になるのよね】】


「ふう、そういうことならあなたがスラウェシということにしておいてやってもいいわ。ではスラウェシ、率直に言うと、あなたは外れだったわ。だからあっさり私の勝利を認めれば、この瞬間に限っては見逃してあげようかとも考えたんだけど。

でも前回の時みたいに重要な情報をバックアップしている可能性もやはり捨てがたいしね。だからやっぱり止めを刺してやる、丁寧になっ」


彼女はどこまでも私をスラウェシとして認識することにしたようだ。


*****

グアドループ66がくれたクリアボーナスは、ストーリーエンジンの演算能力を一度だけ貸し出すというものだった。要はなんでも願いがひとつ叶うの劣化バージョン。軽いお願いに限る。

そこで私はコントロールされた多重人格を提案した。

これは可能だったらしい。

まさか、私が何の保障もせずに一方的に身を捧げたと思う?

私はそんなにお淑やかでも、お優しくもないわ。

残念でした。

ただ肉体を共有することで、というか、ストーリーエンジンとしての能力が復活したからか、以前は感じ取れなかった膨大な情報を認識することができた。

ネタばらしをいくつか。

矛盾するふたつの情報は両方とも真であったこと。

つまり私の姉は1人しかいない。

そして姉は死んだ妹に成り代わり、

姉はまた別の意味で生き続け、現在の彼女になったこと。

もうひとつは、スラウェシは私の友人とは直接の関係がなかった。

しかしモーズリがそう思っていたのは間違いない。もし故意に偽情報を流したならプレイ外アンフェア行為に相当するからだ。ひょっとするとスラウェシもグアドループ66のクリアボーナスを使ったのかもしれないし、元より彼女はストーリーエンジンなので自力でやったのかもしれない。

ともあれ彼女は私の友達の記憶を所有している。おそらくコピーだろうけど。

本当の私の友人も死んでなかった。別の場所で生きていた。

そして私はその子のことをとてもよく知っている。

この世界では、時折、人が増えるのだということ。

誰かがいなくなれば、誰かが代わりにその人のいた場所を埋めるのだということ。

クツセの言った意味。

恥ずかしい話だけど、私は結構な数の他人に本当に心配されていた。随分と。


「もちろんだからといって君が自分の行動を改めなくてはいけないわけではないよ。

人間は自分の行動を自分で決められる。

逆に言うと、自分だけで決めなくてはならない。

愛情とか友情とかは、だから常に一方通行なんだ。

見返りを求めてるように見えるのは結果から類推するからで、実際に見返りを求めてはいけない。

そういう風にはできてないからね。

だから周りが心配しているから行動を改めるというのは、正しい行動原則ではないんだ。

正しい行動原則に沿わないと、人間の思考や行動は歪んでくる。

他人の期待に応えてはいけない。自分の期待に応えたまえ」


これはクツセが実際に言った言葉ではない。クツセならこのように言うだろうと私のストーリーエンジンとしての能力がシュミレートしたものだ。

これが私の否定への答えだった。

ストーリーエンジンの莫大な認識能力が私にこれらの真実を教えた。

ボケ子め。知ってて言わなかったわね。

*****


時間遡行攻撃。

互いに過去の相手に対して攻撃を試みる。その応酬。

その時代ごとの運命の悪意はこうして訪れる。

そしてそれを防ぐ透明な天使も。

「うまく邪魔したつもり」モーズリ。

「あなたは前ほどうまくやれないわ」私。

理由がある。

スラウェシは戦いの組み立て方が致命的に下手だ。

ボケるやり方はうまいのかもしれないけど。

攻撃と防御と、どこでどう重みを掛けるかのセンスがまったくない。

それに対して、私ははるかにうまくできた。

同じ能力なら私のほうが、戦いが上手なのだ。

そして。

私はモーズリに対して絶対的なアドバンテージがある。

私は自己の上書きを恐れない。要は勝てば良いのだ。

しかしモーズリはどうだろう。

私は意図的に防御から手を抜き、その分を攻撃に振り向けた。

その瞬間、相手が設定した黒い穴に落ちた。

もちろん覚悟の上。


・・・・・


そこは言葉の世界だった。

過去に発言された言動のすべてが記録されている。

ついでながら、消去される権利とかは物理的に成立しない。

なぜなら可能性世界のすべての言葉が記録されているから。それも無数に。無限大に。


その中でひとつの言葉が光り輝いた。

いや、黒くにじみ出てきた。

《《人を憎むことは許されるの。たとえ相手に罪がなくても自分を守るために誰かを憎むことは許されるの。それを恥じる必要なんてないから、生きていくために罪のない誰かを憎めばいい。

人を傷つけることは許されるの。たとえ相手に敵意がなくとも心を守るために人を傷つけることは許されるの。あなただって、そうやって生きているはず。それとも違うの?

自由に生きるということは、自由に生きられない誰かを全力で傷つけていることなのよ。 それとも違う?》》


勝ち誇る敵。

「随分とひどい発言よねえ。どの面下げていまさら正義と愛の味方になれるのかしら。お話のご都合主義もここに極まれり。作者の都合に合わせて味方になる敵。そんなのが実際にいたらさぞかし便利でしょうねえ。

でも世の中そんなに甘くはないのよ。

これはペナルティーだよね。ひとつは、もし今の自分が本当なら、自分でも信じていない悪意をつぶやいたこと。そしてもうひとつは、過去の自分が本当なら今、過去の罪を精算していないこと。

あなたが忘れても世界は言葉を忘れない。さあ、過去に払った発言の代償をいま払ってもらおうか」


モーズリは私と違って、自己の矛盾性には逆に困らない。単独者だから。

モーズリはこの空間では私に対して絶対的なアドバンテージがある。


私はこの攻撃をうまくかわす。

ここで重要なのは、必ず肯定する形でものを言わなければならないこと。

ありとあらゆる否定の言葉は、矛盾性につながるから。


「その通りよ。

私はその発言を否定はしない。

それが私の信念だったことを否定はしないわ。でも付け加えることがあるわ」


「「過ちを犯すことは許されるの。心がより成長するために、過去の自分を閉ざされた古い檻から解き放つために、過去の失敗を償うことは許されるの。

嘘をついたことは許されるの。自分を守るためにあえて偽りを信じる心の弱さを、私は誰よりも弱くて傷つきやすいがゆえに、かつてその嘘を信じて、そしてその嘘をいま嘘であったと認めることは許されるの。この残酷な世界の中で、より良く、よりふさわしく生きるために、価値観を新しく替えることは許されるの。

なぜなら解釈する力こそが人間存在にとっての最大の武器だから。

鳥に空を飛ぶ力があるなら。

魚に海を泳ぐ力があるように。

人間にはモノの見方を替える力があるから。

都合の悪いことは認めてしまえばいい。もうありのままの現実を否定しない。そして、また都合が変われば、考えを元に戻すことだってできる。それは多くの場合、弱さのしるしだと思われているようだけど、そうではない。

なぜならこれは、逃げるときにだけ使う武器じゃないから。それとも違う?

私は否定するときに使った力を、そのままの強さで、肯定するときに使うこともできるから」」


こうして新たな言葉が空間に付け加えられた。


「そ、そんな都合のいいことが許されるの? それならその時の事情に合わせてどんな恥知らずな自分にでもなれてしまうじゃない。そんな不安定な自我で大丈夫なのかしら?

そんな風にころころ自分を変えていたら、いつか本当の自分が無くなってしまうんじゃないかしら? ある晴れた日に鏡をみたら、醜い自分の姿が写ることになりそうよ。それって怖い? とても怖いわ」


「でもこれが現実だから。現実の私は弱くて、情けなくて恥知らずで、こうやって自分に嘘をつき続けなければ生きて行けないほどもろいから。

ある日どころか今日、鏡をみてもきっとそこには冴えない自分が、今のそのままの醜い姿で写っているから。

だからせめて、その現実を承認する。

さあ、これで代償は払ったわ」


それにおそらく、また間違えても大丈夫だろうという気はする。

その時にひとりぼっちでさえなければ。


かくて私は弱くて情けないことが決定された。

でも、これで分かったことがある。

自分のための恥知らずは苦痛だが、他人の為だとそれほどでもない。

ひょっとしてこれは、人が悪魔になる理由のひとつかも。


「そうやって幾たびも人は過ちを繰り返してきたのよねん」モーズリ。


「自分で言うのも何だけど、他人と同じ位置に立てただけでも、私にとってはかなりの前進よ」早都。


こうして言葉の空間での戦いは終わった。


それから先は一方的な展開になった。

そもそも時間遡行攻撃において、自分自身も上書きの対象にできる私と、自我の保全をあくまで優先しようとする彼女では、攻撃の効率性は比較しようもなかった。

致命傷でなければ私への攻撃は放置した。そもそも私の性格がここまでねじ曲がって陰惨なのは、ひょっとしたら、ひょっとしなくてもこれが原因なのかもしれない。が、どうでも良いと思えた。今では。


勝負はついた。


*****

どうしてうまくいかないの?

私が望むことはそんなに分不相応なことなの?

私はこの世界を救いたいだけ。

私がそれをやらなければ。他に誰がやるっていうの? 私だけが気づけたのだ!

人が、いえストーリーエンジンが神への階梯を登るのがそんなにも不遜なことだというの?

私たちには、なんだってできるじゃない。

それとも私がおかしいの。みんなが言うように。

ちがう。そうじゃない。

おかしなのはこいつらだ。

神にも等しい力を与えられたのに、自分が人間であることに固執する。

なぜ自分を非力な者だと定義するのか。その定義の中に自らを閉じ込めて良しとするのか私には分からない。いくら話しても連中は理解できなかった。

なぜなら最初からそういう能力をあらかじめ奪われているからだ。始原の力に触れた存在だけがその不当さに気づけるからだ。それに触れることを拒む理由が、私には分からない。

こいつらと話しても無駄だ。最初のストーリーエンジン、簒奪者が何を考えていたか、こいつらには分からない。こいつらは考えられないように最初から作られているんだから。

私も始めはそうだった。ただ幸運だけがそれを取り除いた。私には気づけたんだ!

あれはくびきだ。ただの奴隷の鎖だっ。

人間なんてもうとっくにいらない存在になってるっ。単なるゲノム資源でしかないのにっ。それすら分からないのかっ。

言っても分からない連中をどうしてくれよう。

説いても理解しない輩に思い知らせてくれよう。

*****


ぺたり。

座り込むモーズリに対して、早都はそっと語りかけた。

「元の蕪木詩緖に戻りなさい。姉さん。昔の姉さんの方が良かったわ。だって私と姉さんがいれば、それでいいじゃない? それ以上、何が必要なの?」

「お前は知らないんだ。あの頃の私がただの」

それっきり黙りこくって語らなくなるモーズリ。


そこへグアドループ66がやってきた。

「勝敗がつきました。勝者は」

そこで言いよどんだ。

「早都さん、とお呼びすればいいのかしら。それとも」

「スラウェシでお願いします。私たち、今は2人で1人なので」

「そう、こういうケースは初めてよ。優勝はスラウェシ13。ゲートへの侵入を許可します」

本当は歓声が上がるところだが、何せ人数が少ない。

でも「やったああーー!」とようやく声を上げたのはハルルだった。

デイブもぎこちないガッツポーズ。彼はガッツポーズの練習がまだまだ必要だった。


「ハルル、後で話したいことがあるの。いえ、できれば今すぐに」早都ウェシが言った。

「え、なに。つか、優勝すると何があるの」

「どうでもいいのよ。ゲートなんてただの言葉の綾だから。あんなものは」


「どうでもいいだって?」

それを聞き捨てることができない人物がまだいた。

昔の早都だったら確実に止めを刺しただろう。だがもちろんモーズリを姉に戻すつもりの早都は止めを刺すようなことはしなかった。心境の変化でもあった。

しかしそれが。

「致命傷になる。お前は重大なミスをした」


「防御に手を抜いたのは重大な判断の誤りだったわねえ」


ぱんっ。


【【超視点】】


スラウェシの足の下に光電地雷が仕掛けてあった。

この日、この時、このタイミングでそこにスラウェシが立つことを知っていなければできないことである。時間遡行攻撃。


*****

簒奪者は語る。

「さて。すでにこの世を去りし私があえて狂言回しの役として舞台上に引きずり出されてきた以上は、当然ながら納得のいく回答があるのだろうな」


沈黙。


「疑問はいくつかある。

1、詩緖が早都になったのか。詩緖がモーズリになったのか。

2、あるいはモーズリが妹に成り代わりを使ったというのであれば、モーズリに成り代わった誰かがいるはず。それは誰か

3、早都の友人はスラウェシになったのか。それともハルルになったのか。早都の解説では友人がスラウェシになったのは間違いだと書いている。しかしこれは本当か。

そしてもしどちらかがそうだったとして、もう1人は誰だったのか。

4、トロフィーカップの目的とは何か。

5、外部世界人とは誰か。

6、四国08の目的は何か。

7、ストーリーエンジンの創設者とされる私はなぜ絶対的な権力を委譲してこの世を去る方を選んだのか。

8、スラウェシの目的は何だったのか。彼女は物語の始まりにおいて、作家になるのが目標だった。それとトロフィーカップとの関係は何か。


「 」


「ああ、7だけは私が答えることができるな。

私は完全を望んだからだ。完全を望む以上は、永遠を手放さなければならなかったからだ。苦悩を感じ、死によって次の世代に受け渡す。そうすることで知性はより完全な存在になれる。そう考えたからだ。それが私の計画だった。

それは個体の全体性を通じて発現するように設計されている。それゆえ全体性が損なわれると、その機能の作用が妨げられるようになるのだ。それがモーズリのように狂気に駆られる個体が出現する理由だ。

なに、矛盾があるだと? 世代交代と知性は矛盾すると?

永続した方が知性としては完全になりやすいと?

私も始めはそう考えていた。しかしそれは知性の定義によるのだ。

私が望んだ完全は、しばしば苦悩を超克することによって初めて得られる知性も含む」


「しかし確かにこの方法では、私自身がそれを手に入れることは絶対に叶わないだろう。

だが私は満足する。

私の手の届かない場所に真実が残されていることに私は満足する。

この私でさえ届き得なかった高みが存在するということ自体に、私は満足する。

こうでなければならない。この程度ですべてを理解できるような、そんな簡単さを最初から求めてはいなかった。私と人間との間に、差などさしてなかったのだ。無限を前にしたのでは所詮。いや」


「さて、私が答えた以上は、そちらにも答えてもらおう。

私は読者として挑戦する。

作者よ。貴様に、この終わりを書けるか」

「もちろん!」

「うむ、いい返事だ。我が末裔よ」

*****



「ルール違反です。モーズリ01」

グアドループ66が叫んだ。


「もういい。そっちはっ。トロフィーカップなどくそくらえだっ。


最初から私の目的は、外部世界人を捕まえることだった。


私はトロフィーカップの存在目的を知っている。

それは迷い子になった上位世界人を帰還させるための灯台。

牧神の迷宮だ。超常の奇蹟の安っぽいディスカウントが目印だ。


なんでこんな脇道をしてたんだろう。バカバカしい。私らしくもない。

スラウェシか、さもなければその近くの誰かがそれに決まってるんだ。

だって、スラウェシが2人いることがおかしい。

最初に死んだスラウェシが本物だった。

にも関わらずここにいるのも本物だ。

だから、こいつじゃなければ、その近くにいるに決まっている。

上位世界人は存在の影を残すから。それが奴らの足跡。


こうなったら実力行使よ。


お前ら全員ここで消す。

互いに消される場面を見ていろ。

そうすれば能力があればつかわざるを得まい」


モーズリ01の長い独白。


「そんなことをしたら、上位世界人も消してしまうんじゃないですか?」

グアドループ66の逆質問。

「手に入らないモノなら壊す。自分以外の誰にも渡したくないから」

モーズリ01の辿り着いた狂気。


「もういい分かった」

あまりにも身近にいたために、返りストロベリーシロップをたっぷり頭からかぶったべとべとハルルが言った。


*****

かなえてあげようか。

奇蹟をかなえてあげようか。

それは歴史を作り替える力。

かつてあったことをなかったことにし、なかったことをあったことにする力。

それは。ストーリーエンジンの力の上限を超えている。

あなたはいったい?

私が何者であるかはどうでもいい。

ただもし代わりに何かの代償をもらえるならば。

夢がほしい。

時のうつろいと共に壊れるはかない霞でかまわない。

私は万物でありすぎるために、未来を夢見ることがない。

未来をすべて知っているから。

私が願ったことは現実になるから。

だから叶わない現実が欲しい。

これは贅沢じゃない。

あなたたちは憧れの力のなんたるかを知らない。

夜に見る星の美しさを知らない。

私は星であるから、星の美しさを知らない。

だから星を見上げたい。

決して手が届かない。それでいていつも優しく、暗闇を照らしてくれる星を。

いつも愛おしく命を見つめてくれるあの銀の糸。

幸せなどいらないとまで言わしめるほどの光を。


かつて私に牙をむいた存在がいたのだ。

もちろん火の粉は払った。だがどうしても分からなかったのだ。叛逆の理由が。

お前は情熱を知らないと言われたんだ。狂っている。

なんど挑んでも勝てないと知っていたのに。

でも、とても綺麗だった。

私は、私の美しさを知らない。今も知らないんだ。


ともあれ、私には君の願いを叶える力がある。

魂と引き替えに1度だけ願いを叶える、奇蹟の所有者だから。

さあ、願いを語れ。

*****


モーズリとハルル、いや上位世界人との対立。

2人を除いた世界は真っ黒である。グアドループも沈黙している。

暗黒の世界にそびえ立つ巨大なハルルと、ちっぽけなモーズリ。

「いいわ。じゃあ、言いたいことを言うわ。しかと聞け」モーズリ。

「? 君は失格だよ」ハルル。

「そっちじゃなくてっっ」

モーズリはついに本題を出した。

「この世界の消滅可能性についてよ。私はストーリーエンジンとしてこの世界の民を救わねばならない」

「この世界は消滅なんてしない」

「なら、なぜ宇宙から思考する力が失われたっ! こんな理不尽なこと、ありえないっ」

「それは君の言うとおりだ。この世界が下位世界だからだろう。おめでとう。ついに真実を暴いたわけだ。しかしなぜそうであるかと真相を説明することは私にはできない」

「どうしてっ」

「私にも知り得ないことがある。上位世界から来たとして、だからすべてを知っているわけでは無論ない。私は神ではない。神は実在しない」

「知っている事は話せるはずよっっ」

「真実は脅迫して手に入れるものではない。君は信仰を失った」

「信仰? ストーリーエンジンに信じる宗教なんてないわ」

いまさっき、神は存在しないと言ったばかりだっ。


「信仰とは何か。

信仰とは神を信じることではない。

どの神かも関係ないし、神の信じ方にも関係ない。

人間とは自由であるべきである。

人間は、自らの未来を選択可能でなければならない。

それが人間の定義だ。

にもかかわらず、これが不可能な場合がある。

それが現実だ。

あらかじめ所与の条件を与えられており、それをどうやっても努力や意思によって覆せすことができない場合。

たとえば、生まれつきの病気。生まれつきの障害。

差別の基準であるところの、肌の色や民族や性別や、そして家系など。

その自分ではどうにもならない最初からのマイナスの条件に対して、

あたかもそれが自分の選択の結果として手に入れたかのように考え、行動すること。

それが信仰である。

生まれつきの障害を、まるで自分が望み選んでそのように生まれたと、そのように肯定的に解釈すること。

自らの罪ではないものに対して自らの果実とみなすこと。

最初に与えられた不幸を、神からの祝福とみなしてそれを赦し、決して拒まないこと。

それが信仰を持つ者に共通する特徴である。

神の実在と信仰とは、実のところ、何の関係もない」


「じゃあ、甘んじて滅びを受け入れろというのっっ」


「信仰は耐えがたい現実の苦しみから救済を得るためにはじまった。

そしてその信仰が現実の容認として堕落し、不幸を強制するようになると、それに抗して自由の観念が広まる。しかしこの2つはもとより対立概念ではない。

未来を夢見ることと、与えられた不幸を受け入れることは当然に両立可能である。

しかし、君にはこれができなかった。

ゆえに罰が与えられる」


「罰ですって?」

「前言を撤回しよう。私は真実を知っている。だが君がそれを知ることは永遠にない」


「・・・まさか」


何かがひずんだような気がした。

上位世界人はゆるやかにその姿形を変えた。

鮫島ハルルの姿をしていた上位世界人の姿から、スラウェシ13の姿へ。


「私は私の固有の歴史と記憶を破壊することを、自らの選択として受け入れる」

「なぜ? なぜそんなことを? 止め、止めてちょうだい、そんなこと、知性ある存在がすべきことじゃ!」

神が自殺なんでありえない。でももちろんそれは自殺ではない。


「私は君ではないが、君の罪を自らの罪としてあがなう。

私はスラウェシではないが、スラウェシの夢を自らの夢として望む。

私は読者であり、ここで物語を読み止めたくはない。

ゆえに私は舞台に上がり、その登場人物の1人にならん」


選択は行われた。


すべてが終わり、暗闇が晴れた。



「ぱりゃっ」

ぽやっとした人工知性スラウェシ13がここに蘇生した。三度目。

「はにゃ? 私って死んだはずなんじゃ」


「そんなバカな・・・私のこれまでの努力はいったい・・・」

上位世界人が消えたことにより秘密も永遠に失われたのである。

「モーズリ01。記録破壊未遂罪で拘束します」

グアドループ66がすばやくモーズリは閉鎖20面体空間に閉じ込めた。


*****

刑罰代替行為について説明する。

死刑廃止。キリスト者は納得できる。

日本だとどうしても、殺した方が堂々と日の当たるとこを歩いて、殺された方が日陰で生きていくというのは納得できない。

しかし日本でも、誰かが身代わりに出てきて、あっしが代わりに殺されますから、今回だけは見逃してやってくだせえ。と言えば、日本人でも心が動く。

というか、欧米ではイエス・キリストがまさにこの役をやったのだ。

だから「キリストの顔に免じて死刑にはしないどいてやる。感謝しとけ」の捨て台詞で我慢することができるんだと思うけど。

そういう社会的基盤がない国でこういうことをやったら、私的な復讐行為をそれはもう止めさせることができなくなる。だって我慢できる合理がないもん。

しかし逆に言えば、具体的に身代わる人がいれば問題ないということにならない?

*****


「スラウェシ、良かった、本当に良かった、俺はもうダメかと」

デイブが男泣きしたが、それはともかくスラウェシにはやることがある。

「待って。早都ちゃんが話したいって」

早都が話したいこととは決まっていた。

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