第10話

 「十四通目の結論部でも、日本は和平交渉の終結を遺憾としただけだ。リズ、どこにも宣戦布告を示唆する表現はないね。この結論部を傍受した米国側がどのような反応をしたのかを見てみよう」

 「前日に十三通の暗号電に加えて西太平洋で日本軍の動きがあるという情報が寄せられたことが記録にあるわ。だから、日曜日の七日の午前十時半から国務省でハル長官、ノックス海軍長官、スティムソン陸軍長官の三者が会談している。その会談中の十時四十五分に十四通目がハル長官の秘書に手渡されたとあるわ」

 「十四通目を三人が手にしたその会談でも、予想される日本軍の侵攻先はインドシナなど西太平洋を前提に語られたと証言にある。真珠湾はまったく話題にされなかったのだ」  

 「制服組の軍トップが十四通を含む全文を目にしたのは七日十一時過ぎだったようね。攻撃開始の二時間半前だったことになるわ」

 「十四通目を手にしてもこれを宣戦布告と認識した軍人は見当たらないね」

 「十四通と同時に、午後一時に日本大使が文書を国務省に手渡せ、という電文を目にしたマーシャル大将は、ひょっとするとこれは最後通牒を意味する可能性があると、十一時半頃にスターク提督に電話をしているわ。提督は、あらたに警告を発するのはすでに警戒体制にある各地の司令部に混乱を招くことになると否定的だった。それにもかかわらず、マーシャル大将は全軍に警告を発するよう手書きの命令書を作成したとあるわね」

 「その命令書を電信部に届けるようにマーシャルが部下に命じたのが十一時五十分だった。だから午後一時にはこの警告は各地の司令部に届くはずだった。ところが、偶々ハワイ向けの無線回線はその朝の十時二〇分から不通になっていた。そこで、民間のウエスタン・ユニオンの回線でサンフランシスコに送られ、そこからやはり民間の無線回線を利用して回送されたんだ」

 「首都の海軍電信部の発信が正午の十二時一分(ハワイ時刻午前六時三十一分)、ウエスタン・ユニオンの発信が十二時十七分(同六時四十七分)、RCA社のホノルル支局が受信したのが午後一時三分(同七時三十三分)だったとある。真珠湾が攻撃される二十分ほど前だわね」

 「ところが、RCA社とホノルルの海軍電信部の間の電信回線も不通だったために、RCA社員が自転車で配達したとある」

 「そのために真珠湾の海軍司令部が手にしたのは攻撃開始から四時間以上も後の十一時四十五分のことだった。結局マーシャル大将の機転も、日本軍の奇襲警戒にはなんらの効果を及ぼさなかったわけね」

 「議会証言では、命令の伝達になぜ電話回線を利用しなかったのか、という質問が出されている。それに対して、当時首都の海軍電信部のトップだった大佐が、電話利用は盗聴による機密事項の漏洩の恐れがあることからそれまで前例がなかったため、と答えている。緊迫感に欠けていたもうひとつの例だろうね」

 「結論部である最終分割の電文を目にしても、米国の指導層でこれを日本による宣戦布告と受取った者は皆無だったことになるわね」


 翌日、エリザベスは「まるで学生時代に戻ったようだわ」と数冊の本を抱えて事務所に現われた。

 「議会による調査書を読んでいて疑問に思うのは、日米和平交渉が行き詰まり、日本といつ戦争状態に入っても不思議でない状況にありながら、大統領以下当時の政府や軍部に緊迫感が欠けていたのはどうしてか?、ということだわ。それで昨日図書館に立ち寄って日米戦争と欧州でのドイツとイタリア相手の戦争との比較資料を検索したの」

 日本でこれまで出版され書店の棚に溢れる日米戦争の解説書はあの戦争を日本から見たものばかりで、世界地図の上で欧州での戦況と合わせて位置付けたものが存在しない。日本から見た日米戦争と、米国が見ていた米日戦争は様相が異なることを指摘したものがない。

 「素晴らしい思い付きだね。当時の欧州では大陸のほとんどをドイツが支配し、ロンドンがドイツの空襲にさらされて、英国もやがてドイツに席巻されるのではないか、と危惧される状態にあった。六月にはドイツが突然ソ連との国境を越えて独ソ戦も始まっていた。米国政府にとって最大の関心は欧州でのドイツの動向だったのだ」

 前年の六月にフランスが降伏し、七月にはドイツによる初のロンドン空襲が始まった。翌月から十一月にロンドンは激しい空襲に曝されている。九月に三国軍事同盟が成立し、十一月にはハンガリー、ルーマニア、スロヴァキアが三国同盟に参加していた。そして一九四一年六月にはドイツとイタリアが突然ソ連に宣戦布告をした。欧州全域が戦争状態に置かれる事態に陥っていたのだ。

 「ところが米国の世論は必ずしも政府の危機感に同調していなかったわ。それは、第一次世界大戦で米国は欧州戦線へ参戦したものの、米国に犠牲を強いただけだったという昔の苦い体験の記憶があったからだわね。だから、多くの米国民はドイツ相手の参戦には否定的な態度を取っていた。英国支援のための参戦に最も積極的だったルーズベルト大統領でさえ、ロンドンが度重なる空襲で大きな被害を被っていた一年前の大統領選挙当時に、米国民を戦争に巻き込むことはない、と公約に掲げていたくらいですものね」

 「だから大統領や側近はどのような手段を駆使して欧州戦線への参加を実現するか、そしてどのようにして国民が納得する方法で英国への軍需物資の供給を拡大するかに腐心していた。日本に真珠湾攻撃をさせて、それを契機に対独戦に参戦するというルーズベルト陰謀説が出現しても不思議でない状況だったのだ」


 「調べてみるものね。米国にとっては欧州での戦争が関心事であり、太平洋は二の次だった、日米戦争は米国にとっては刺身のツマに過ぎなかった事実を裏付ける記録が残されているわ」

 エリザベスが三冊の資料をテーブルの上に広げた。ひとつは、ドイツが降伏した後の一九四五年九月に米国政府が公表した連合軍によるドイツに対する空爆の戦果だ。そして、一九四六年七月に出版された同じ内容の日本本土に与えた被害状況の報告書と、その翌年三月に出た日本の主要都市の経済への影響を記した報告書であった。

 「これらによると、欧州で連合軍が投下した爆弾の総量はおよそ二百七十万トンに達して、ドイツ領内に落とされたものだけでも、その半分の百三十六万トンを占めていた、と報告されているわ。ところが、日米戦争中の太平洋全域で使用された爆弾の総量は六十六万トン弱で、そのうち日本本土に投下された量は四分の一の十六万トンに過ぎなかったとあるわ。欧州と太平洋、そしてドイツと日本の間には被爆した爆弾だけでもこのような大差があったのよ」

 「しかも日本のデータに含まれる八万トン強は、ドイツが降伏して米軍が対日戦に総力を投入した一九四五年五月から終戦までの三ヶ月の間に投下されたものだったとある。五月の空爆対象が七都市だったものが、六月には十四都市に、七月には日本列島のほぼ全域に及ぶ三十五都市に及んでいる。ドイツが降伏せず、米国が全力を対日戦争に投入しなければ、両国の差はさらに開いたことになるね。このデータに言及した日米戦争史を日本の書店で目にしたことがない。あの戦争を語るには片手落ちだな」


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