彼の思い出



「それで、それ以来、彼女にオネツ、ってこと?」


 そう言いながら、俺のルームメイトは、食堂にかかっている横断幕を、先割れスプーンを持ったままの手で、親指で指した。

 横断幕には“我らが戦乙女と共に勝利を”と書かれているが、戦乙女の部分にはラクガキがされており、戦乙女死神と寝た女となっている。


「やめてくれ。俺はあの落書きが嫌いだ」

「だろうね」


 横断幕には、彼女の顔写真もプリントされている。

 赤いロボットスーツに身を包んでいる時は、顔が見えず気づかなかったが、彼女のことを俺は知っていた。


 あれは、スパルトイに世界が襲われる前……半年以上前のことだ。

 俺は、俺たちは都内の公立高校に通う高校生だった。


 高校生の例に漏れず、俺は学校の授業を詰まらないと感じ、授業中は大抵外を眺めていた。

 あれはいつだったか、夏の日であったのは覚えている。俺はいつも通り授業を無視して外を眺めていた。その時、グラウンドでは別のクラスの女子が体育の授業で高跳びをしていた。

 その中で一際、高く飛ぶ女子が居た。もう他の女子生徒は飛んでおらず、彼女の記憶更新を皆で見守っているようだった。運動が苦手な男子でもそうだが、女子ならなおさら、高跳びなんて全力でやらないものだろうと思っていたが、その女子生徒は違った。


 褐色で小柄の少女は助走をつけて走り込む。細く華奢な体のバネが撓り、自分の身長以上の高さにかけられたバーを飛び越える為に踏み切る。体をねじり、流れるように、小さな体が飛び越えていく。そして、吸い込まれるようにマットへ体を預ける。

 それはある種の芸術の様に俺には感じられた。人間の体が、とても美しいと思えた。

 ふと、近くで先生の咳払いが聞こえる。クラスのあちこちからくすくすと笑い声が聞こえる。俺は先生に謝り、授業に集中するふりをして、なお彼女を見守った。

 彼女の名前が糸織いとおり あおいであるということを、俺は少し後に知ることになる。


 そして、スパルトイが世界を襲い、連中との戦争に呑まれた今の世界で、彼女は高跳びをすることもなくなった。

 彼女は赤いロボットスーツに身を包み、俺たちの戦乙女になった。


 ルームメイトが俺に言う。


「それで? いつ声をかけるの?」

「え? なに? 何がだ?」


 ルームメイトはため息をついて言う。

 見れば、彼のランチプレートの中身は、思い出に浸っていた俺と違って大部分が食べ終わっている。


「話聞いてなかっただろ」

「ああ、ごめん。で、誰に声をかけるんだ?」

「彼女だよ、戦乙女」


 口の中をゆすぐ為にプラスチックのカップを傾けるルームメイトに俺は言う。


「え? 無理だよ。高校時代でも声かけれなかったんだぞ!?」

「でも、今は先日助けてくれたお礼に、とでも言えるでしょ? 昔から好きだったならいい機会だとボクは思うけど」


 ルームメイトは食べ終わった食器を片付けながら言う。


「いつ死んでも良いように行動しないと、後悔すると思うよ」


 ルームメイトが食器を返却しに席を立った。

 俺は自分の食事を無理にかき込む。あまり美味くはない食事でも、食べないと力が入らない。


 俺の頭の中には、ルームメイトの言葉と、あの夏の日に高く飛ぶ彼女がずっと巡っていた。


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