恐怖も狂気も猟奇も跳ね除けて


 ビルの屋上に出ると、莉雄にはそこには白衣を着た女性が居るように見えた。医者ではなさそうだ。研究員か何かだと言った方がしっくりくる。くすんだ金色の髪に緑の瞳をしている女性だ。


「あら? 思ったより早かったのね」


 刹那の目には、黒い人型の兵器、スパルトイであるとはっきりと映っている。だが、莉雄の目には……


「莉雄、戦えるかい? ……莉雄?」


 莉雄の目には、彼女だけがまともな人間に見えると同時に、彼女の傍に、幻覚で見えた頭部のない医者と看護婦が、鋏のような手術器具を手にもって控えているのが見える。その背後には出刃包丁を持った髪の長い女性や各所で見た腐乱死体なども見える。

 徐々に幻覚の存在たちがまた色を濃くしていく。また、痛み伴う幻覚がやってくる。

 だが、その前に、刹那が莉雄の頬を強く叩いた。


「ごめん。でも、その痛みが引くまでは、幻覚に呑まれないかもしれないと思って……どう?」


 幻覚は今なお控えているが、存在感は濃くならない。

 莉雄は無言で頷いた。

 目の前の女性が言う。


「あら、どっちにしても、その子はもう戦えないわ。私が相手という時点で、その子に勝ち目はないのよ」


 刹那は、莉雄と女性の間に割って入るように立つ。


「じゃあ、仕方ない。ここは僕が戦うよ。嫌だけどね」


 莉雄はその言葉に不安を覚えた。探し物を探すことに特化した能力とやらで、どう戦うのか。

 女性が言う。


「でしょうね。他に戦える者は居ないもの。……昔馴染みでも、ハルモニアの命令は絶対。あなたでも容赦はできないこと、分かっていて私の邪魔をするのですね?」

「昔馴染み? 残念だけど、僕にスパルトイの知り合いは居たか記憶が定かじゃない」


 刹那は、そのことに思い当たる節が無いと本気でそう思った。

 女性は声を上げて笑い、笑い終わると淡々と言った。


「そうでしょうね。ああもう、本当に良いお笑い草だわ。でも構わない。すぐに終わらせましょう」


 女性の指先から屋上の床に向けて、何かが弾けるような音と共に電気が走る。


「予め、教えてあげるわね。力の差は圧倒的よ。一瞬ですもの。私の能力は、雷。それこそ、電圧は自在。人間の脳に電気信号を送ることも出来れば……一瞬で対象を消し炭にもできるのよ」


 女性が刹那を指さした瞬間、空気が振動し、轟音と共に閃光が女性の指から放たれた。それは、雷を操り放ったと言っても過言ではない。

 だが、放たれた雷撃は刹那の傍に現れた巨大な鉄の針に吸い寄せられ、彼には当たらなかった。


「なるほど。確かに脅威ですね。不可避の攻撃に近い。雷の恐ろしいところは防ぐには二重三重の手が要るということ。直撃はもちろん、雷が当たった対象の傍にあるものへ雷撃が逸れる現象、側撃雷と呼ばれる現象にも注意が必要になります。地面に流れた後でも、そこから傍の人間に流れることだってありますから。殺傷能力は高く、対物相手でも十分に脅威な能力だと思います。って、知ってるとそこまで脅威じゃないんですけどね」


 屋上の床が黒く色づいて波打ってのたうつ。


サンドリオン灰被り、この建物の建材を絶縁体へ作り変える能力です。ヨハネスヘンゼルマルガレーテグレーテル、焼けた絶縁体を焼けていない絶縁体で上書きする能力です。茨姫眠り姫、物を動かす能力ですが、これを使って絶縁体を持ち上げて……これで、あなたの退路を断ち、捕縛します」


 屋上の床がドーム状に空を覆う。すっぽりと辺り一帯が暗がりに呑まれる。


「おっと、灯りは必要ですね。サンドリオンを使えば水銀灯も作れます。」


 そのドーム内に巨大な電灯現れて灯される。

 刹那はスパルトイに言う。


「まだやりますか?」


 スパルトイは鼻先で笑いながらも賞賛の言葉を口にする。


「驚いたわ……予想以上。流石といったところね。でもね……」


 女性の指先から今一度、餓えた獣が獲物を探す様に放電し始める。


「知ってるかしら? 絶縁体の表面には電気が流れてはいるの。絶縁体は、あくまで電気を通しにくいというだけのこと。絶縁体だって耐えられないほどの高圧電流を流した場合、どうなるか……見てみる?」


 刹那はその光景に少したじろいだ。


「それって、あなたの体も無事では済まないということでしょう?」

「ええ、そうよ。この体も少なからずダメージを受ける。でも……遊びだって全力でこなすのが私ですもの……覚悟は良い? 刹那くん?」


 名前を呼ばれて、刹那の思考に一瞬邪念が混じる。

 スパルトイの腕から閃光が放たれ、轟音が大気を割く。

 後には、刹那の姿はなく、屋上を覆っていた絶縁体の黒いドームも姿を元に戻していく。


「あら? 名前を呼ばれたの、そんなに意外だったかしら? でもまぁ仕方がないわね。殺してしまったものは」

「そうですね。殺してしまっても仕方がないのかもしれない」


 スパルトイの腹部から、剣が生えるかのように、彼女は背後から刺された。

 スパルトイの背後に刹那が居り、彼の手には西洋風の両手剣が握られている。


鉄のハインリヒカエルの王、僕の外見を見えなくしたり、あるいは別の人物に見せたりできます。そして……ジャバウォック未曽有の恐怖、無から有を生み出す能力。とはいえ、主に剣とか武器類しか出てこないんですけど……。さて、あなたに倣って、僕も自分の能力を明かしながら戦ってみました。そう、力の差は圧倒的です」


 スパルトイから剣を引き抜きながら、剣を引き抜かれて前のめりに倒れたスパルトイに刹那が改めてもう一度言う。


「まだ、やりますか?」


 スパルトイは、自身の腹部を咄嗟に抑えた自分の手を見る。腹部から漏れ出るピンク色の液体にまみれたその黒く細い手を見ながら、スパルトイは言う。


「ええ、そうね。……やっぱり、侮っていたわ。流石といったところね」

「やめるなら、僕の友人にかけた幻術を解いてください」


 スパルトイはここでまた声を上げて笑い出す。


「友人!? 友人ですって!? 傑作ね! まして、かかってる幻術を、解く、ですって!? 何かの冗談にしては出来過ぎじゃないかしら?」

「何がおかしいんですか?」

「ええ、ええ、そうね。お遊びは終わりね」


 スパルトイが表情のない顔でニタリと笑ったように刹那は感じた。


「じゃあ、あなたに教えましょう。私の夫の名前は荒木 智孝。息子の名はクラウス。覚えはないかしら、刹那くん? あなた、私の息子の友達だったでしょう?」


 刹那の顔がこわばり、動きが止まる。

その隙を、スパルトイの電撃が貫く。刹那はがくがくと痙攣しながらその場に膝から崩れ落ち、うつ伏せに倒れる。


「残念ね。動きを止めるための電撃なら、特に練らずに放てば十分なのよ。言ったでしょう? お遊びは終わりなの。私も、あなたもね」


 莉雄は尚も幻覚の世界に居たが、かろうじて、刹那の戦いを見ていた。今なお、視界の中には狂気の世界が広がる。だが、折れた心でも何とかしなくてはいけない。足は震え、耳元に幻覚の吐息がかかる中、彼は必死に立ち上がる。

 それを視界の端で捉えたスパルトイが莉雄の方へ向き直る。


「ああ、そういえば、あなたも居たんだったわね。好都合だわ。そう、そうなのよ。私たちスパルトイの命令は三つ」


 そして、ゆっくりと莉雄の方へ歩を進めてくる。


「一つは、人類の希望の抹殺。二つ目はアーキタイプの回収。そして三つ目……」


 スパルトイは莉雄へ指先を向ける。


「エラーの削除」


 向けられた指先から、轟音と共に閃光が走る。その光が莉雄へ届く直前、その光は霧散して消える。


 莉雄の視界に青空が見える。コンクリートでできたビルの屋上が見える。どこにも血みどろな狂気の死体群は無い。生臭く背筋をやすりで擦るような違和感もない。目の前には黒い人型の、スパルトイが居るのが解る。その向こうに倒れる刹那もよく見た年頃の姿に戻っている。

 ただ一つ、大きく違うことが有る。自分の方に強く乗せられた温かい手の感覚がある。自身の汗で冷えた体にはその手がとても暖かく感じる。その手の主が、莉雄より前に出る。

 それは、莉雄の親友、大翔だった。


「おいこら……なんでお前らスパルトイはどいつもこいつも、そう何度も俺のダチに手を出してくんだよ……ったく。だが、莉雄にかかった脳波操作は解除させてもらった。もうブロックする機能も持たせたから二度とお前の悪趣味な幻覚にこいつは関わらねぇ! 先日ぶりだな、電撃ババア!」

「あら、私には名前があると告げたはずよ。アリーサという名前があるの」

「知るか! 今すぐにでもお前をぶっ潰してやりてぇが……」


 アリーサと名乗ったスパルトイは、大翔と莉雄ににじり寄る。


「ふふ、先日みたいに、私の電撃を喰らって、を部分的にでも取られるのは怖いわよね? そのお友達、震えてたわ。よほど怖いものでも見たのね」

「言ってろババア。きっちり落とし前は熨斗つけて返してやるからな!」


 対して、大翔は莉雄をかばうように腕を広げながら、少しずつ下がる。

 莉雄は大翔に聞く。


? 今、あのスパルトイはそういったの?」

「あ? 後にしろ、後に」

「でも……一つ答えて、大翔がスパルトイを嗾けてたわけじゃないんだよね? そうだと言ってよ!」


 莉雄は怒鳴るように、自身の前に、自身をかばうように翳された大翔の腕をつかみながら言う。

 大翔は、莉雄のその様子に少し面喰ったように表情を歪め、そして、しっかりと莉雄の顔を見ながら言った。


「ああ、俺は、言世ことせ 莉雄りおの……友達の味方だ。絶対に!」


 アリーサが噴き出す様にまた笑い始める。

 大翔がアリーサに向き直って言う。


「何がおかしい!」

「おかしいでしょう、こんなの。ああ、で、茶番は終わったかしら? それで、今一度、を私に譲る気になった? 私とあなたじゃ相性が悪いのよ。解ってるでしょう?」

「ああ、そうだな。この世界では俺は神様みたいなもんだが……相性の問題でお前には勝てない」


 アリーサがまた一歩踏み込み、大翔と莉雄は下がる。

 大翔が言う。


「だから、今回は助っ人に丸投げする!」


 アリーサの背後に、襤褸を纏った影が迫る。

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