その2

(((願わくは、貴方の新たな生に幸多からんことを……)))

 女の姿とともに声が遥か彼方へ遠ざかってゆく。私の意識は抱えたいくつもの「何故」と共に宙を舞い、暗いどこかへと吸い出されてゆく。

 私が築き上げてきたもの、これから築くはずだったもの、そのすべてが私の手からすり抜けてゆく。


 やめろ!私はまだやるべきことがあるんだ!で台無しにされてたまるものか!

 私は必死に願う。あるいは生まれて初めて、ここまでの衝動にかられたかもしれない。

 だが無情に私の世界は遠ざかり、薄れ、闇が辺りを包み……


「……し……もし……」

 どれほどの時間が経過したのか、気が付くと私は大地に倒れ伏していた。

「もし、君、大丈夫かね?」

 何者かが声をかけてくる。かすかに目を開くと、初老の紳士が道端に倒れている私を心配し声をかけたようだ。


「あ……」

「無理をするでない、ワシの家に運ぼう」

 初老の紳士は周囲に控える甲冑の人間たちにてきぱきと指示を与え、私を介抱する。

 甲冑。なんと時代錯誤な連中であろう。私はこの連中がひどく滑稽に思えた。


「心配するでない。何があったかは知らぬが、もう安心じゃよ」

 微笑む初老の紳士。私は目を閉じ、この冗談のような悪夢が速く覚めるよう祈った。




 ――――――――――――――――――――




 フォルトゥナは冷や汗をかきながら少年とソウタをかばうように立ちふさがっていた。

 甲冑隊長の手は腰に帯びた剣の柄の上に置かれ、一触即発の空気である。

 甲冑隊長は、しかしそこでぴたりと動きを止めると、品定めをするようにフォルトゥナをしげしげと見つめだした。


「あ、あの……?」

 小さく問うフォルトゥナであるが、彼は意に介さずただ静かに彼女を見つめていた。

「おいおい?どうなってんだ」

 野次馬から困惑の声が漏れだす。そしてその空気は甲冑の一団にも伝播し始めていた。


「団長……いかがされました」

 部下の呼びかけにも、団長と呼ばれた甲冑の男は無言。

 ひりつくような沈黙が流れ……

「はっくしょん!!」

 その静寂を破ったのは、ソウタの間の抜けたくしゃみであった。


「そ、ソウタさん!」

「ご、ごめんなさい、なんか急にくしゃみが」

 びっくりしてコケかけたフォルトゥナがソウタに抗議しようと振り返り、そして目撃した。

「って!ソウタさん!逃げてます!」

「え?」


 おおげさなソウタのくしゃみの一瞬の隙を見逃さず、スリの少年はするりと拘束を抜け逃げ出していた。

「へっ!のろま野郎ども!じゃあな!」

「いかん!追え!」

 甲冑の一団はぞろぞろと少年を追うが、彼は身軽に屋台を伝い、あっという間に建物の屋根に上がってしまうとそのまま見えなくなった。


 だが、一連の騒ぎの中にあって、団長の視線はフォルトゥナから外れることはなかった。

 その視線に気づいたフォルトゥナは、本能的な恐怖を感じた。

 やがて甲冑の一団が路地裏に少年を追って消えた頃、団長は剣から手を離した。しかし視線が外れることはない。


「あの……まだ何か」

「いやあ、財布まだ返してもらってないのにな~!残念ですけど、もう行きましょう女神さま」

 団長の視線を遮るようにフォルトゥナの前に出たソウタは、そのまま彼女の手を引き少年が消えていった路地とは反対方向に歩き出す。

「え、あ、あの」


「さあさあ」

 ソウタは半ば強引に、団長の事は完全に無視して困惑するフォルトゥナを先導し野次馬の輪を抜けていく。

 フォルトゥナは不安げに振り返る。野次馬の波の向こうに、ようやく視線を外し歩き出した団長の姿が見えた。


 ソウタはずんずんと路地を進み、人通りの少ないあたりへ来たところでようやくフォルトゥナの手を離すと彼女を叱りだした。

「もう、女神さま。危ないじゃないですか!」

「ひうっ。なんなんですか」

「あんな風に前に出てきて、本当にあの人たちが剣を抜いていたらどうなっていたか」


「それを言ったら、ソウタさんだってあんな風にあの人たちの神経逆なでするみたいなこと言ってたじゃないですか!」

「むう」

 ソウタは一瞬答えに窮する。フォルトゥナはそのまま疑問を重ねてソウタに問うた。

「そもそも、あの人たちはなんなんですか?」


「あの人たちは、郡都警吏団……治安維持部隊と警察機構を兼ねる組織です。特にこのナルファンの警吏団は他の郡都に比べてかなり権限が強いんです。本気で怒らせていたら大変なことになってたかもしれないんですよ」

「だからそれはソウタさんが……ひゃぅっ!」

 ソウタに詰め寄ろうとしたフォルトゥナの頭上に何かが落ちてきた。


「な、なんですかもう!」

「これは……」

 フォルトゥナが拾い上げたそれは、ソウタの財布であった。

「返すよ、それ」

 声はフォルトゥナの頭上から聞こえてきた。二人がそろって見上げると、そこには先ほどの少年が屋根の上に座り込んでいた。


「えっ、でもどうして……?」

「だって、オッサンわざとオレの事逃がしてくれただろ」

 少年の思いがけない言葉にフォルトゥナは驚きながらソウタを見た。

「兄ちゃん」

 ソウタは相変わらず大人げなく訂正を要求する。


「ソウタさん、もしかしてさっきのくしゃみ」

「うーん、まあ、そうですね。あの子がちゃんと逃げてくれれば、女神さまのこともうやむやになるかと思いまして」

「そんな……あの子は他にもたくさんスリを働いてるって聞きました。確かに怖い人たちでしたけど……勝手に逃がしちゃうなんて……」


「女神さま……」

 頭を抱え込んでしまったフォルトゥナにソウタはなんと答えたものかと思案する。

「オッサンは知ってるんだろ、あいつらの事」

「えっ?」

 フォルトゥナはソウタを見る。少年の言葉に、ソウタは小さく頷いた。


「ナルファンの警吏団が彼を捕まえていたなら……最悪そのまま殺されていたかもしれないんです」

「ころっ……そんな」

「ここナルファンは元々貧富の差が激しい街だったそうです。中には家を持たず路上で暮らし、あの子のように犯罪に手を染めながら出ないと生きられない子供も大勢いたんです」


 ソウタは重い口調で語りだした。

「ナルファンの協議会は、ある時これの是正に乗り出します。街から家のない子供たちを無くそう。そういう言葉で始められた政策は……」

「ほんとにその言葉通りだったのさ。食い物や住処に釣られて集まった子供たちは、みんな捕まえられてこの街から追い出されたのさ」

「な……なんでそんな……ひどい」


「つまるところ、金持ちはオレ達みたいなのが嫌いなのさ。ぎりぎりで気づいたオレや他の仲間は散り散りになって、ネズミみたいにこそこそしながら暮らしてるのさ」

 少年は険しい目つきで吐き捨てるように言った。

「そして彼らのような行き場のない人間を捕まえて放逐している、と噂されるのがあの警吏団なんです」


 フォルトゥナは先ほどの甲冑の一団を、そして団長と呼ばれた男の冷たい氷のような眼を思い浮かべた。

「けっ、何もかもあのジョージって野郎が来てからだぜ。オレらを獣か何かみたいに思いやがって。着の身着のまま、いやそれ以下で棲み処を追い出されてそれで生きていけるわけがないだろ。人の心ってのがないんだよ」

「っ……」


 不意に少年の言葉がフォルトゥナの心に棘のように刺さった。

「わ、私……私は……」

「女神さま」

 震えそうになるフォルトゥナの肩をソウタの手が優しく触れる。

 フォルトゥナが怯えた小動物のようにソウタを見上げると、彼は優しく微笑んだ。


「まさかオレが捕まえられるなんて思いもしなかったぜ」

 少年はフォルトゥナの様子に気づかず話を続けていた。

「オレもジョージの野郎が近づいてきた時にはもうおしまいかと思ったぜ」

「彼らも群集の前でそこまで強硬には出られませんからね、君が要領よく逃げてくれて僕も女神さまも助かったよ」


「へへっ、そこはまあさ。ふぅ、言いたいことも言ってすっきりしたぜ」

 少年はそう言うと立ち上がり屈伸し始める。

「んじゃあな、オッサンと……メガミさん?精々スリには気をつけな」

「大丈夫、次は容赦しないから」

「けっ、へんな奴だぜ」


 そういうと少年はその場を立ち去ろうとし、二三歩動いたところで思い直したようにフォルトゥナ達に向きなおった。

「オレ、ピッケっていうんだ。ま、もう会うこともないかもだけど」

「僕はソウタ、この人はフォルトゥナさま」

 少年――ピッケは二人の名前を小さくつぶやき確認すると、太陽のような笑みを浮かべ今度こそ屋根伝いに走り出し、やがて見えなくなった。




 ―――――――――――――――――――




(((ああ、夢をみているんだ)))

 フォルトゥナは、ふわふわと浮かぶ意識の中で在りし日の天界を幻視していた。

 ほんの少し前までは日常であったはずの天界の光景を目にしたにも関わらず、彼女の意識、あるいは脳はそれを夢だと判断した。彼女はそのことに少し寂しさを覚えた。

(((私がいる……きっと、また評議会に無断で魂を転生させているところ……)))


 夢の中のフォルトゥナが目の前の魂に向けて語りかけている。

 自分にできる精いっぱい、そう信じて彼女は寿命の尽きる前に死んだ魂を転生させてきた。

『願わくは、貴方の新たな生に幸多からんことを……』

 夢の中のフォルトゥナがそう告げると、魂は上昇を始め輪廻の渦の中を逆流していく。

 彼女はその魂を覗いた。覗いてしまった。


(((ひぅっ!)))

 魂の表面に浮かび上がった顔は怒りに満ち、その目は命を失った理不尽に見開かれ、そして口は憎悪の言葉を発しながら輪廻の闇へと吸い込まれていった。

(((私は……なんの導も持たない魂を……無責任に放り出しただけ……そうなの?)))気づけば、夢の中のフォルトゥナの周囲にはおびただしい数の魂が集まっている。


 彼らは口々に恨みを、憎しみを、悲しみを訴えかける。

(((ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……!)))

 彼らの声が耳に張り付いて離れない。

 フォルトゥナはその場にうずくまりイヤイヤをする子供のようにかぶりを振った。

(((ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……!)))


「ごめんなさい!」

 ガバリと布団を跳ねのけ起き上がったフォルトゥナは、ここが現実であると認識するまで少し時間を要した。

 全身が汗まみれでぐっしょりと濡れ、息は全力疾走した時のように荒かった。

「ゆ、夢……」


 フォルトゥナは悪夢にうなされ朦朧とする意識でぼんやりと思考する。

 ここはナルファンの宿屋だ。ソウタとは別に部屋を取り、簡単に夕食を済ませ早々に寝てしまったのだ。

 昼間のピッケの言葉、それが彼女の心にいばらのように絡みつき、苛むのだ。

「少しお水を……気分を変えたい……」


 フォルトゥナはベッドから起き上がり水差しを取ろうと立ち上がったところで、部屋の中に何かの気配に気が付いた。

「えっ?」

 暗闇に目が慣れず何も見えないが、しかしぼんやりと戸口のあたりに誰かがじっと立っている。

「あの、だ、誰ですか?」


 フォルトゥナの問いかけにも、無言。しかし、彼女の言葉を聞いてか聞かずか、何者かはじりじりとフォルトゥナの元へ歩みを進めてくる。

「ソウタさん?ソウタさんですか?」

 答えはない。暗闇の中で、ただ気配だけがこちらに近づいてくる。

 フォルトゥナは枕もとのランプに火を灯そうと火種を探す。そうしている間にもにじりにじりと、引きずるような音が近づいてくる。


「な、なんで……!」

 火種が見つからない。気配は彼女のすぐ後ろまで来ている。

「ひゃっ……!」

 フォルトゥナの首に何かが巻き付く。布だ。

 何故?フォルトゥナが思考するよりも早く、巻き付けられた布が締まった。


「かっ……ひゅ」

 声が出ない、首が絞められている。フォルトゥナは苦しみよりも恐怖を感じじたばたと暴れまわった。

 だが何者かの手は緩まない。次第に意識が朦朧としてくる。

「た……けて……そ……うた……さ」

 絞り出される声は、虫の羽音よりも小さい。


 フォルトゥナの意識が闇へと落ちようとしていた、その時であった。

「女神さまに何をするッ!!!」

 寝室の扉が大きな音を立てて開き、竪琴を振るいながら乱入したのはソウタであった。

 ソウタの振るった竪琴が重く鈍い音を立てて何者かの頭部を直撃すると、ガッシャンと派手な音を立ててそいつは吹き飛んだ。


「がはっ!げほっ!げほっ!」

 激しくせき込みながら倒れるフォルトゥナを、ソウタが抱き留めた。

「女神さま!大丈夫ですか?聞こえますか?」

「ソウタさん……うええええん!」

 フォルトゥナはソウタの顔を認めると、恐怖から解放された安堵から泣き出してしまった。


「僕の後ろへ……お前!何者だ!」

 ソウタはフォルトゥナをかばい持ち込んだ明かりで倒れた不審者を照らす。

 30代くらいの男であろうか。白目を剥き、ピクリとも動かない。

「おい!起きろ!自分が何をしたかわかってるのか!」

 ソウタが倒れた男の胸倉を掴み耳元で怒鳴る。だが。


「っ……こいつ」

「ど、どうしました、ソウタさん」

 フォルトゥナは恐る恐るソウタの肩から顔を出し様子をうかがう。

 ソウタは掴んでいた手を離す。忍び込んだ男はそのまま床に頭を打ち付けた。しかし、それでも全く動く様子がない。

「ソウタさん……嘘、えっ」


 フォルトゥナの血の気がさーっと引いていく。

「もしかしてこの人……死んでるんじゃ……」

「ありゃ……もしかして僕、なにかやっちゃいましたか」

 ソウタはポリポリと頭を掻きこんなはずではなかったといわんばかりに首をかしげる。


「も、もしかしてって、と、とんでもないことですよ!」

「だ、だって女神さまを襲う不届きものですよ!僕も必死になって……つい」

「つ、ついって……と、とにかくええと……」

 フォルトゥナはあの時山賊のねぐらで起きた出来事を思い出し、動かない男の前に膝をついてかがむ。

「な、治さなきゃ……」


 フォルトゥナは男の手に触れ、そして理解してしまった。

「冷たい手……」

 男の手からは、微塵も生気を感じ取れない。彼女の力では、最早どうすることもできなかった。

「そんな……」

 その場にへたり込んでしまうフォルトゥナ。ソウタは怪訝な目で男の死体を見つめている。


「ソウタさん……」

 フォルトゥナが呼びかけたその時、どかどかと足音が響き彼女の部屋の前に宿の主人がやってきた。

「こんな時間にいったい何の騒ぎなんだ!」

 不機嫌な様子の宿の主人は、部屋の中に横たわる死体を見て血相を変え叫んだ。

「ひ、人殺しだ!人殺しだーーーっ!」


「あ、あの!ま、まって」

「人殺しだーっ!」

 叫びながら部屋を出ていく宿屋の主人。

「ま、待ってください!」

 何とか弁明しようと後を追って部屋を出たフォルトゥナを待っていたのは、昼間広場で出会った甲冑の男たち――ナルファン警吏団の男たちであった。


「えっ……」

 あまりに突然のことに面食らい動けなくなるフォルトゥナに、警吏団の一人が縄をかける。

「殺人の現行犯だ。我々の権限において拘束させてもらう」

 フォルトゥナの腕が縛られていく中、部屋に踏み込んだ他の警吏がソウタを拘束し始める。

 ソウタは何も言わず、ただ眉をひそめていた。


「あの!聞いてください!これは」

「連行する」

 フォルトゥナの訴えも虚しく、二人は警吏団に拘束され、夜の闇の中を連行されることになったのだった。

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