その5

「ああん?」

 秋山剛太は、暗い場所で目を覚ました。彼は直ぐ、自分の腕を確認した。無い。

「なんっ……!?」

 剛太は動揺する。彼の最後の記憶は、目の前に迫りくる大型のトラックと、反射的に突き出した自分の腕であった。まさか、俺の腕は……そう思った剛太であったが、無いのは彼の腕だけではなかった。


「ない……俺の体が!俺が無い!俺はどうしちまったんだ!」

 恐慌する剛太、思考は巡るが動く体が存在していないのだ。

「俺は、俺は……!」

「どうか落ち着いてください」

 声が響いたとき、剛太の眼前の暗闇の中から光が溢れ、気づくとそこには翼をはためかす美女の姿があった。


「あんたは誰だ?俺はどうなったんだ!」

「あなたは……死んでしまったのです、今のあなたは魂だけの姿なのです」

「たま……俺は死んだのか?そんな!」

 剛太は絶叫する。

「俺は……まだ俺は死ぬわけにゃいかねえんだ!」


「本当に……本当にごめんなさい、私が至らない女神なばかりに、貴方の未来を失わせてしまったのです」

「じょ……冗談じゃない!女神?なら俺をよみがえらせてくれ!」

 だが眼前の女神はかぶりを振る。

「ごめんなさい……貴方の肉体はもう失われてしまった、魂の輪廻は逆には流れないのです」


「ふざけるな!俺の体を……俺の腕を返せ!!」

 剛太の魂は今、怒りに燃え滾っている。女神はその声を悲しげな表情で受け止めた。

「貴方の怒りは当然のもの、これが運命だなんて、私も嫌です」

 女神は、よく見れば目を赤くはらしている。

「あんた……泣いて……」


 女神は剛太の言葉を制止する。

「貴方の魂は、まだ運命を終えていません。私は貴方を他の世界へと、魂を貴方の元居た世界とは別の場所にてもう一度やり直せるように、転生させたいと思います」

「どういうことだ?それは……」


 剛太の問いかけは女神に届くことはなかった。彼の魂は、何か大きな流れに巻き込まれ、吸い込まれ、遠くへと遠くへと流されていった。

「貴方の第二の生に、どうか幸多からんことを……」

 女神の言葉が遠くから響き、剛太を包んだ。


「俺は……俺の、俺の腕を……腕を……!!」

 やがて光があり、暗闇があり、そして剛太が光を目に感じた時、彼は森の中に居た。

「ここは……いったいどこだ?俺はいったい……」

 ふらふらと木々の間をさ迷い歩く剛太は、やがて山間の小道へと出た。

 知らない場所だ、どうにも空気が違う。はっきりしない頭で剛太はぼんやりとそう思った。


「ひっ」

 前方から声がした。剛太が見やると、そこには薪を担いだ老夫婦の姿があった。

「おい、あんたら教えてくれ、ここはいったい」

「ば、ばけもんだぁ!」

 剛太の姿を見たとたんに、老夫婦は顔色を変え担いでいた薪を取り落とし一目散に逃げだした。


「お、おい、待ってくれ!何だってんだ!」

 剛太は右腕を突き出し呼び止めようとする。彼の腕は、すんなりと動いた。

「あん?腕が……」

 腕が、動いた。剛太は思わず腕を見た。動く、俺の腕が!

「やった……!俺はこれでもう一度――ッ!?」


 剛太は凍り付いた。目をこする。視界がぼやけているのだろうか?

 ――否。

「腕が……右腕が、なんで2本あるんだ?」

 どう見ても、剛太の右腕が2本に増えている。剛太は恐る恐る左腕で右腕の感触を確かめる。

「本物だよ……これ」


 剛太は腕をさする。両方とも感触が間違いなくある。右腕が、2本……

「あ?」

 剛太は気づいた。左腕も、2本に増えている。

「は?これは……?は?」

 彼は4つになった手のひらを、じっと見つめた。開いて、閉じて、開いて。間違いない、神経の通った自分の腕である。


「どうして……」

 彼は間違いなく願った。もう一度腕が動くようにと。

「これは……俺が腕を願ったから……?」

 がやがやと、遠くから声が近づいてくる。先ほどの老夫婦が人を呼んできたのだ。

「おい!あんたたち!俺はいったい!」


「ほ、本当だ!バケモノがいる!」

「なんてでけえ野郎だ!ありゃあ人間じゃねえ!」

 集まってきた男たちは口々に剛太をバケモノ扱いし、鍬や鎌で威嚇する。

「おい、待ってくれ俺は」

「立ち去れ!」

「寄るんじゃねえ!」


 男たちの一人が石を投げる。剛太の額目掛け飛来する小石を、彼の2本目の右腕が受け止めた。

「ひいっ!」

「おまえら……さっきから大人しくしてりゃ……!」

 ふつふつと怒りの湧き上がってきた剛太は、のしのしと男たちへと近づいていく。


「く、来るな!」

 一人の鍬が剛太目掛け振り下ろされる。剛太はそれを2本目の左腕で受け止めると、べきりとへし折った。

「うわあああ!」

「てめえら!覚悟しやがれ!」


 剛太は暴れまわった。次々とやってくる警吏をなぎ倒し、一晩にしてお尋ね者となった。

 その様子を見ていたチンピラ二人は彼に心酔し、望んで子分となった。

 やがて秋山剛太が流れ着いた異世界で「山狩りゴウタ」と呼ばれるようになるまで、そう長くはかからなかったのだった。




 ――――――――――――――――――――




「懐かしいっスね……」

「何がだ」

 ギミーとリダッヒは洞窟の前の石に腰掛け、ぼんやりと月を眺めていた。

「アニキとであったころっスよ」

「ああ、あの時もこんな感じに月が出てたか」


 二人は沈黙とともに月を見上げる。

「……本物の女神さまが見つかったら、アニキどこかに行っちゃうんスかね」

「……それはアニキ次第だろ」

「多分、あれはいつもの通り人違いで、また次の女神さまを連れてこいー!って怒鳴られちゃうかも」

 リダッヒはわざと思ってもいないことを言った。


 ギミーはあえて答えない。理由はないが、彼には確信があった。あれがゴウタの言っていた女神に間違いはあるまい。おそらくリダッヒも同じことを感じていて、それを認めたくないのだ。

「……リダッヒ」


 ギミーは相棒に注意を促す。ガサガサと、山道をかき分けて何者かが近づいてきている。

 リダッヒはぴょんと飛び跳ねると、ナイフを引き抜きくるくると玩ぶ。

 ギミーが暗闇を睨むと、果たして現れたのは――


「……簡潔に答えてください、女神さまはこの奥ですね?」

「ああ?知らねえっスよ?」

 現れたのは吟遊詩人といった風貌の若者――そう、ソウタであった。

「ここは俺たちのねぐらだ、関係ない優男は帰れ。いや、帰らなくていい。死ね」

 ギミーはナイフを抜き迫りながら感じていた。目の前の男もゴウタや女神と同類だと。理由なき確信が感覚として湧き上がっていた。


「通してください、女神さまは……僕が守るんだ」

 竪琴を取り出したソウタは、二人をきっと睨む。

 先に仕掛けたのはリダッヒだった。

「おりゃあ!」

 ナイフを閃かせソウタに飛びかかる。ソウタは竪琴の琴線でナイフを絡めとると、腕に力を込めた。


「はぁッ!」

 気迫の叫び声とともに竪琴が振るわれると、リダッヒのナイフの刃が根元からポッキリと折れた!

「なっ」

 空中にて驚愕するリダッヒは、続く竪琴の殴打を回避することができない!銀の一閃はリダッヒの顎をかち上げた。


「バカな!?竪琴でソードブレイカーの真似事だと?」

 同じくナイフで襲い掛かろうとしていたギミーは急停止、大きく後ろへステップすると作戦を変更、5本のナイフを一斉にソウタへ投げた!

「これなら……!」

 だがギミーの投げたナイフは、大きく振るわれた竪琴にすべて叩き落される!


「なんなんだその竪琴はーーッ!」

 ギミーが次のナイフを取り出そうと懐に手を伸ばした時には、すでにソウタは彼の眼前へ迫っていた。

「速――」

 言い終える前に、ソウタの竪琴はギミーの側頭部を殴りぬいていた。ギミーは己に迫る竪琴の装飾が、連れてきた女神にそっくりであることに気づき、そして意識を失った。


「がはッ」

 どさりと倒れ伏すギミーを見下ろし、肩で息をするソウタ。

「ハァーッ、ハァーッ!」

 こうしてはいられない、洞窟の中へ向かおうとするソウタの脇腹に、急に熱さが襲った。

「――ッ!」

 突き立てられていたのは、リダッヒのナイフである。


「行かせないっスよ……!」

 睨みつけてくるリダッヒの側頭部を同じように竪琴で殴ると、リダッヒは昏倒し倒れこんだ。

 脇腹の熱は次第に痛みへと感覚を変貌させていた。

 ソウタは脇腹に刺さるナイフを顧みることもなく、洞窟の奥へと進んでいく。

「女神さま……待っていてください……!」




 ――――――――――――――――――――




 フォルトゥナの眼前にて広げられたゴウタの4本の腕は、一つ一つが指を鳴らし彼女を怯えさせた。

「わ、私は……私がこんなことを……?」

「とぼけやがって……てめえ以外に誰がこんなことをするってんだ!ええ?女神さまよお!」

 ゴウタの怒声は洞窟中の空気を揺るがした。


「てめえがよみがえらせてくれたおかげで、いやあそれはもう腕は元気に動くようになったぜ?知らねえ間に何故か倍の数になったことを除けばなあ!」

「ち、ちが……私はそんなことして」

 フォルトゥナは顔色を真っ青にさせ動揺する。彼女が行ったことは、ただ天命を残したまま死んだ魂たちを、他の世界へと移しただけに過ぎない、はずだった。


「へえ、そうかい、白ァ切るってわけか」

 ゴウタはどっかりと座り込むと、酒を呷る。

「しかしひでえよなあ女神さまよお、俺様の顔も覚えてねえし、俺様にしでかしたことだって覚えちゃいねえんだもんなあ」

 フォルトゥナはびくりと体を震わせると反射的に目を反らした。


「所詮はお仕事だったってか?ちょっとでも感謝しそうになってた俺様がバカみたいだぜ」

 フォルトゥナは反論しようと口を開き、しかし何も言えなかった。

「俺様はこんな姿にされちまって、おかげでここじゃバケモノ扱い、まともな暮らしなんて出来やしない。かわいそうだとは思わねえのかよ、ええ!?」


 すべては良かれと思って行ったことだ。それが結果的に彼らを苦しめていたのだとしたら。フォルトゥナは全身から血の気が引く思いだった。

「しかもこうして目の前で見てみりゃわかる。てめえも、落っこちてきたってわけだ」

 ゴウタはフォルトゥナの肩を掴むと、自分の目の前へ引き寄せた。

「てめえにあったら、元の世界へ帰すよう命令してやるつもりだったがよお、これじゃあ無駄だったなあ?」


 ゴウタはフォルトゥナの首を押さえ、無理やり自分と向き合わさせる。

「一気にバカらしくなったぜ、最低の気分だ。ハッ!どうだ落ちぶれたもん同士、仲良くやろうじゃねえか。今のてめえにできそうなことは、せいぜい俺様を楽しませるくらいみてえだしなあ?」

 ゴウタの太い指がフォルトゥナの服の首元にかかる。そのまま一気に引き下ろされるはずだったそれは、洞窟内に響いた声に遮られた。


「その手を放してください!」

 フォルトゥナが振り返ると、そこにいたのは腰から下を真っ赤に濡らし、息も絶え絶えのソウタであった。

「そ、ソウタさん……!」

「ああ?なんだてめえ」


 ソウタはフォルトゥナと目が合うと、優しく微笑んだ。

「すぐに助けますからね、女神さま」

「どうして……」

 フォルトゥナの声はゴウタの大声にかき消された。

「おいてめえ、俺様のかわいい子分どもはどうした」

「どいてもらいました、あなたも早くその手を放してください」


 舌打ちしたゴウタは、しかしフォルトゥナの肩を抱く手を放しはしない。

「あの野郎ども……この優男になんてザマだ」

 値踏みするようにソウタを見るゴウタだったが、何か合点がいったように笑った。

「ほお、何となくわかったぜ。てめえも俺様と同じ、このスカポンタンの女神さまの被害者ってわけだ」

 ゴウタはフォルトゥナの肩をポンポンと叩き、にやりと笑った。


「ひ、被害者……」

 フォルトゥナは目を背けていた疑惑に直面させられた。ソウタもまた、私のことを本当は恨んでいるのではないのか?異世界に突如転生させられて、この大男のように何か悲しい目にあって、私に復讐するために私に付きまとっているのでは?

 フォルトゥナはソウタから目を反らした。

「私は……」


「それ以上、女神さまを侮辱するな!」

 フォルトゥナの悲観的な自責の念を打ち破ったのは、ソウタの叫び声だった。

「ソウタさん……?」

「はあ?」

 ソウタはどこまでもまっすぐにフォルトゥナを見ていた。その声に一つの隠された意図はない。彼は本心から彼女を助けに来たのだ。


「死にかけの若造に、何ができるってんだコラァ!」

 ゴウタが手にしていた木製ジョッキをソウタ目掛け投げつける。

 彼は竪琴でそれを受けた。中の酒が彼の髪を濡らした。

「……あなたを知っています。あなたはそんなことをする人なんですか?」

「ああん?」


 ソウタは濡れて乱れた前髪を直しながら、問いかけた。

「僕が知っているあなたは、腕の故障という悲劇に立ち向かい、必死に戦っている、そんな人です」

「黙れ」

「あなたが死んでしまったとき、あなたの部屋の親方が悲しんでいるニュースも見ました」

「黙れってのがわかんねえのか!」


 ゴウタの怒声が洞窟内を揺らす。

「あなたはこんな卑劣な行いをする人とは思えない、どうしてこんなことをするんです?大関・剛竜山さん!」

「黙れえええええ!」

 ゴウタはフォルトゥナを突き飛ばし、ソウタに襲い掛かった。

 彼の丸太のような4本の腕が取り囲むようにソウタに迫る。


 フォルトゥナは竪琴を構えたソウタが吹き飛ばされるのを、ただ見ているしかなかった。

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