その3

 パタタタタタ……森を駆ける音は軽快に淀みなく道なき道を進む。彼はこの山を熟知しており、目をつむっていたとしてももすいすいと森を抜けて見せるだろう。

 彼は岩を飛び越え巨木から垂れさがるツルを掴むと大きく振り子の軌道を描き根城としている洞窟の上へと着地した。


「アニキ!アニキ!ゴウタのアニキィ!」

 洞窟内は薄暗く、あちこちからかっぱらってきた盗品の類で乱雑に散らかっている。松明に照らされた奥の方には、巨大な塊が……否、大男の影が轟音とともに胸を上下させている。

「ごおおおおお……!ごあおおおおおお……!」

「アニキ!全く……」


 小男はあたりのガラクタから手ごろな棒切れを掴むと、ゴウタと呼ばれた大男の腹を思いきり突いた。

「ふごっ!うぬぬ……」

 大男がけだるげに起き上がる。

「ギミー!てめえいつも起こすときはもっと優しくしやがれっていつも言ってやがるだろ!」


「そんなこと言ったってアニキいつもちょっとやそっとじゃ起きねえじゃないですか!」

「うるっせえな!昼間っから起きて元気に働く山賊がどこにいるってんだ!」

 ゴウタの小言を軽く聞き流しつつ、寝起きの気付けを用意するギミー。

 酒樽から注がれたむせ返るような強い酒を、ゴウタは一息に飲み干した。

「ガハァーッ!それでギミー、俺様の眠りを妨げるほどのグッドなニュースを掴んで来たんだろうな?」


「もちろんでやすよ、アニキ」

 ギミーの二つ返事と不敵な目に、ゴウタも何かを感じ取りジョッキを床に叩きつけるように置いた。

「いたんですよ、麓のメルクの村に……アニキがずぅーーーーっと探してた、あの……」

 身を乗り出すギミーに知らず知らず顔を近づけていくゴウタ。もったい付けたギミーが次の言葉を繋げようとしたその時。


「アニキアニキアニキーーーー!大変だ!麓の村に女神さまが出たッスーーー!」

 洞窟に飛び込んできたもう一人の小男はすごいスピードでゴウタの目の前まで走ってくると驚いて固まったギミーを踏みつぶしながらそう言った。

「なんだとリダッヒ!てめえ寝ぼけてんじゃねえだろうな!?」

「寝ぼけてなんかねえよ!おいらギンギンッス!女神さま、めちゃくちゃべっぴんだったッス!」


「うがああ!リダッヒ!おめえ俺の手柄を横取りしやがって!」

 下敷きにされていたギミーが暴れてリダッヒを突き飛ばす。バランスを崩し倒れたリダッヒの胸倉を掴むとギミーは額を突き合わせる距離で文句を言い始めた。

「いつもいつも!おめえは俺の邪魔ばっかしやがって!」

「なんだよ!なんの話だ!いつもいつもお前がトロいから悪いんだろ?」


「なんだと!」

「やる気か!」

 バチバチと火花が散る二人の子分の首筋を、屈強なゴウタの腕が掴んで吊り上げた。

「やめねえか野郎ども!なんでったってそうてめえらは堪え性ってもんがねえんだ!」

「で、でもよう」

「あ、アニキこれは」


もねえ!」

 丸太のような腕に吊り下げられた二人に、が突き付けられる。眼球の寸前でぴたりと止められた指に、さあっと血の気が引いた二人は弱々しく弁明した。

「す、すみませんアニキ……」

「面目ないでやす……」


「いいかてめえら、俺様はいつだってみられるてめえらのコントには興味ねえんだよ」

「コントってなんでやすか?」

「バカ!今は黙ってろ」

 水を差すリダッヒを止めるギミー、幸いゴウタの機嫌はこれ以上は損ねられなかった。

「俺様が今一番欲しいもの、それが手に入る、かもしれねえ、そうだな!?」


「「そうです!!」」

 力強く答える二人を見て満足そうに凶悪な笑みを浮かべたゴウタは二人を思い切りぶん投げた。

 くるりと空中で身をかわし音もなく着地したギミーとリダッヒは目深に頭巾を被るとナイフを取り出し切れ味を確認する。


「山賊らしく行こうじゃねえか、欲しいもんは!?」

「「奪ってでも手に入れる!」」

「必ず女神を捕まえてこい!」

 轟くゴウタの声に答え、二人の子分は風のように飛び出していった。

「ぐふふ……ふっへへへ……ハーッハッハハ!」

 ゴウタはどっかりと座り込むと再び酒を呷り空を睨んだ。


「ようやく会えるぜぇ……運命の女神さまよぉ……?」




 ――――――――――――――――――――




 質素な木製テーブルの上には今朝採れたばかりの野菜たちがふんだんにあしらわれたサラダ、鶏肉のスープ、そしてアツアツの湯気を立てるグラタン。

「いやあ、ありがとうございますおばあさん。こんなにたくさん、申し訳ないです」

「いんやあ、久しぶりに人なんか泊めるち、思わずいっぱいこさえてもうたが。わかげえったみてーで楽しゅうてな」


 ソウタはおばあさんと会話しながら次々にテーブルに料理を配膳していく。

 フォルトゥナは、というものそれ自体にくぎ付けになり目を輝かせていた。

「さあ、女神さま。冷めないうちにどうぞ」

 ソウタがフォルトゥナの目の前に匙をそっと置く。彼女は恐る恐る、グラタンを一口頬張った。


「はむ……んんうっ!?く、口が!」

「あんれまあ」

 熱さにびっくりしたフォルトゥナは目を白黒させる。

「ああっ!女神さま、ごめんなさい!いまふぅふぅしますから!」

 ソウタはフォルトゥナの匙に息を吹きかける。

「……ん、びっくりしたけど……おいしいぃ~!」


 フォルトゥナは次々と料理を口に詰め込んでいく。

「はんっ……もぐもぐ……すごい、これが食事……、と、止められないです~!」

「はい、おいしいですね女神さま」

「あんれまあ、都会の娘ごは思っとるより食べるちね」


 半分涙目になりながら次々と料理を平らげていくフォルトゥナだったが、

「はむ、む……あれ?む、むぐ」

「女神さま?」

 異変に気付いたソウタがフォルトゥナの顔を覗き込むと、彼女の顔は真っ蒼になっていた。

「女神さま!もしかして、食べ過ぎて喉に詰まったんですか!?」


「む、むごご……」

 訳も分からず喉を押さえるフォルトゥナの背中をたたくソウタ。

「ほら、水だで」

「女神さま、ゆっくり飲んでくださいね」

 手渡された水を嚥下し、激しくせき込んだフォルトゥナは、笑っていた。


「ふ、ふふふふ」

「女神さま?」

「食べるって、おいしくって熱くて冷たくて苦しくって……楽しいんですね」

「……はい、そうですよ女神さま。これが、生きてるってことなんです」


 ソウタは柔らかく微笑みフォルトゥナの口元をぬぐう。

「…………」

 見つめあう格好になってしまったフォルトゥナは慌てて目を反らす。

「あんれまあ、わけえのはええなあ。わしも40年早ければの」

 おばあさんの言葉で我に返ったフォルトゥナは、席に座りなおすと、努めて冷静に食事を再開した。




 ――――――――――――――――――――




「…………はぁ」


 フォルトゥナは老婆に貸してもらったベッドで一人、今日のことを振り返っていた。

(((何から何まであの人に……ソウタさんに助けられてる)))

 森ゴブリンの襲来から彼女を救ったソウタは、そのまま彼女をメルクの村へと送り届けた。

 村に戻るとちょっとした騒ぎが起こっていた。フォルトゥナの突き破った馬小屋の屋根の犯人探しが始まっていたのだ。


 その時も、青くなったフォルトゥナを見て機転を利かせたソウタの口裏合わせのおかげで彼女が追及を受けることはなかった。

「明日、一緒に直すのを手伝いましょうね」

 彼はそう言い、フォルトゥナの泊まる場所の手配まで手伝ってくれた。

 彼女の泊まっているこの家は、今朝彼女が野菜を分けてもらったあの老婆だ。


(((あの人は……私が転生させた魂……だから私を助けてくれるの?)))

 フォルトゥナは手を開いてじっと見つめた。天界にあったころならば、手から光を放ち部屋を照らすこともできた。

 しかし今は、いくら見つめていても揺らぐろうそくの炎以上の何物も、この場を照らすものはない。

 力は失われ、彼女は今ただの人の身に過ぎない。


(((今の私には何もない、女神でも何でもない。そう告白したら、あの人は……)))

 ソウタは彼女に何も問いかけない。彼女が何故この世界にいるのか?何故自分の目の前に現れたのか?何も聞くそぶりもなく、ただひたすらに彼女に優しく尽くしてくれていた。

(((私にはもう、女神の権能は残っていない……それを知られてしまったら、私がどうして天界を追放されたのかを知られてしまったのなら……)))


 フォルトゥナは言いようのない恐怖を感じた。そして、あまりにも自分にとって都合のいい恐怖を感じている自分に嫌悪感を覚えた。

(((何を考えているの、私は。まるで助けてもらえることが当たり前だ見たいに)))

 遠くから聞こえてくるのはソウタの奏でる竪琴の音。彼は今日開かれる宴会の余興をただで引き受ける代わりにフォルトゥナがこの村でしばらく逗留できるよう頼みこんだのだ。


 ソウタの竪琴の音にまるで責められているかのように錯覚したフォルトゥナは、音の聞こえないところまで立ち去りたい衝動にかられた。

 静かに立ち上がると、フォルトゥナは部屋を出る。居間では老婆が農具の手入れを行っていた。

「おや?詩人さんところへ行くだでか?」

「い、いえ……ちょっと夜風にあたりたくて……」


「そっだらか。だでんも、藪の方には近づくな。山ゴブリンがでるでの」

「は、はい、森ゴブリンはもうこりごりですから」

「んにゃ、山ゴブリン」

「山ゴブリン……?」

「そうだ、山ゴブリンだで」


「そ、それはどんなゴブリンなんです」

「山ゴブリンは山ゴブリンだ。山に住んどるよ」

「な、なるほど」

「山育ちだかんの、足腰がつよいち。くわばらくわばら」

 目を閉じて拝み始める老婆。


「と、とにかく、藪には近づかずに、夜風にあたってきますから」

 そそくさと外へ出るフォルトゥナだったが、

「それに最近は村の近くに山賊が出るち、藪じゃのうても危ないで」

 そうつぶやいた老婆の言葉は耳に届いていなかった。


 やがてふらふらと月明りの下で村の外れまで歩いてきたフォルトゥナは、ふと星空を見上げた。彼女の耳にはまだソウタの竪琴の音が聞こえている。彼女は星を見ながら歩みを進めた。


 瞳の先には、天に輝く幾つもの星々。人々は天にこそ天界があると信じ祈りを捧げている。それはあながち間違ってはいない。あの夜空に輝く星のいくつかは、天界から下界を覗く水鏡の反射光なのだ。


「今の私の姿も、誰か見てるのかな……きっと、いい笑いものにされているのね」

 フォルトゥナの眉が歪む。その輝きの向こうに彼女の日常があることを知っているからこそ、それに二度と手が届かない事実に胸が引き裂かれそうになる。

 彼女は星に手を伸ばす。それは彼女の手をすり抜け、瞬いて消えた。


 風が吹き抜け、フォルトゥナは髪を押さえた。彼女は唐突に、こらえきれぬ孤独感に襲われた。

「そっか……ここからじゃ、ソウタさんの竪琴が聞こえないんだ」

 彼女を苛んでいた竪琴の音はいつの間にか聞こえなくなっていた。同時に彼女は、その音こそが彼女の心を慰めていたことに気づいたのだった。


「……帰ろう、今はまだ、一人じゃ何もできそうにないもん……」

 そうつぶやいた彼女が振り返った時、そこにはいつの間にか頭巾で顔を隠した小男が立ちふさがっていた。

「えっ……?」

 驚いたフォルトゥナは後ずさろうとして、背中に当てられた冷たい感触に気づいた。もう一人、居る。


「静かにしろ」

「おいら達と一緒に来てもらうッス」

「あ、あの……」

 フォルトゥナが後ろの男に喋りかけようとしたその時、前にいた男がするりと懐からナイフを取り出し、彼女に突き付けた。


「静かにしろ、と言ったんだ」

「黙って着いてくれば悪いようにはしないッス」

 フォルトゥナは恐怖で動けなくなっていた。

 竪琴の音ははるか遠く、届かない。

 やがて、月さえも彼女を見放したかのように、雲に隠れて見えなくなった。

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