三章 2 メッセンジャー、またはリサーチャー

※WARNING※

この章は、現在、修正を行っています。

ストーリーを早く知りたい方以外は、お待ち頂くことで、より一層、お楽しみ頂けるかと思います。


 夜の街、未だ肌寒くなる時期だが、薄手のドレスで走るヘレンの姿があった。

 息を跳ね上げ、ピンクのドレスを羽ばたかせる様は、まさしく踊る妖精のようであった。

 すれ違う人の視線を奪いながらも、彼女はたった一人の友人の元を目指す。

 もちろん、頼ったところでミスズを助けるだけの力が友人にあるとは限らない。しかし、彼女が頼れるのは、唯一、利害関係ではなく、いつでも気軽に話せる友人しか居なかったのだ。

 数多くの客を一晩で相手取らなければいけないヘレンにとって、体力というものは切っても切り離せないものである。体力、筋力面においてはそこまで強さを見せない妖精種でありながら、ヘレンは恐るべきスピードで友人の働く店を目指した。

 店の扉が見え、スパートをかける。

「バーニル!」

 叫びながらドアを開けて入ってくるヘレンは、街を走っていた時とはまた別の意味で、店にいたほぼ全員の視線を集めた。

「へ、ヘレン? どうしたの?」

 ヘレンの名を呼びながら近づいてきたのは、店で立っていたウエイトレスの女性であった。

「バーニル! バーニル……助けて……」

 床に倒れ込むようにしているヘレンが手を伸ばすのは、カフェ『豆と甘味料』で働く、マスターを除いた唯一の店員であるバーニル・レットレスであった。

 ヘレンとバーニルはかつて通った学校の同級生である。

 良い意味で普通なのに、なぜか交友関係は広く、異性関係も途絶えることのないバーニルと、美人で注目を集めるのに、あまりに綺麗すぎるためか、人間関係が希薄なヘレンは、卒業したことなどとうの昔にもかかわらず、未だに親友として過ごしていた。

「なに、どうしたの。とりあえず立ちなよ」

 息が弾んだままのヘレンを起こしながら、バーニルはマスターへと視線を送ると、やはり無言のマスターがカウンター席の前にアイスコーヒーを用意していた。ヘレンをここに座らせることの許可であった。

 肩を貸しながらカウンター席にヘレンを座らせたバーニルも、すぐ隣の座席へと腰掛ける。

「あのね、ミスズちゃんがさらわれたの」

「ミスズさんが!?」

 途切れ途切れ話すヘレンの言葉に、バーニルはもちろんのこと、新聞を読んでいたマスターも顔を上げる。

 二人にとっては大切な常連客なのだ。見知った名前が出たのなら、それも、危険な目に遭っているとなれば、いくら寡黙なマスターでも、顔を上げるしかない。

「詳しく話せ。コーヒー代は奢ってやる」

 低く渋いマスターの声に、ヘレンはアイスコーヒーに口を付けてから、今まで起きた一部始終を話した。

 黙って耳を傾けていたマスターとバーニルは、すべてを聞き終わると、マスターが悔しそうに呟く。

「あの客か……断っときゃよかったな」

「でも、ヘレンはなんでここに来たの?」

 もっともなバーニルの疑問に、ヘレン自身も忘れていたのか、思い出したかのように、目的を語る。

「ミスズちゃんが、去り際に『トーサカに伝えろ』って念話してきたの! バーニルなら知り合いも多いし、連絡できるかなって」

 マスターとヘレンの視線が集まることを感じたヘレンが、申し訳なさそうにうつむき加減で首を横に振る。

「ごめん。しらないや……」

「そっか……」

 明らかに落ち込むヘレンへ、マスターが声をかける。

「あれ、でも……」

 マスターの視線は、カフェにいた唯一の客の方へ注がれていた。

 いつもミスズが座っている小さなテーブルの座席に置かれた、もう一つの座席に、テーブルに突っ伏している男性が居る。

 そのラフな格好はヘレンにも見覚えがあった。

「トーサカ!」

「マスター、なんで、言うんですか」

 ヘレンに気付かれてしまったため、仕方なさそうにカウンターへと向かう男は、どこからどうみてもトーサカ本人であった。

「いや、ミスズのピンチっていわれたら。な?」

 バーニルと目線を合わせるマスターをよそに、ヘレンがつかみかかりそうな勢いで、トーサカへ詰め寄る。

「あんた、居るなら居るって言いなさいよ! 話してたんだから分かるでしょ!」

「こうなるから嫌だったんだよ……」

 頭をかきながらため息をはくトーサカに対して、ヘレンは拳を握って震える。

「あんたね……助手なら、さっさと、助けに行きなさいよ!」

「いや、その必要はないと思いますよ」

 何事もないように話すトーサカの態度にヘレンの怒りは頂点に達し掛けていた。

「ミスズちゃんは連れて行かれてるのよ! あんた、いい加減に……」

「まあまあ、落ち着いて、ヘレン。コーヒーあるよ。ね?」

 本格的な暴力沙汰になりそうな気配を察したバーニルによってヘレンが席へと戻されたところで、マスターがトーサカに口を開く。

「どういうことだ?」

 自分もカウンター席に座ったトーサカは、いつものことのように話し始める。

「連れて行ったのは、ほぼ間違いなく、オガミさんだからですよ。あの人ならあいつを殺すことはないですよ。まあ、多少はひどい目に遭うと思いますけどね」

 バーニルがヘレンを落ち着ける横で、何事もないように笑うトーサカへ、マスターがさらに疑問を投げる。

「なんでその……オガミ? って奴だって分かるんだ?」

「そりゃまあ、探偵が軽口叩く半獣で長身の男なんて、オガミさんくらいしかいませんよ。それに、客引きのシロさんもお客様って呼んでましたからね。オガミさん、『ヘブンリーバス』の元締めですから、まず間違いないでしょう」

 平然と言ってのけたトーサカの推理に、マスターは目を丸くする。

「……おまえの方が探偵に向いてるんじゃないか?」

「そんなことないですよ。ところでヘレンさん」

 マスターのほめ言葉に否定を入れたトーサカは、落ち着き始めていたヘレンの方を向く。

「あいつがオガミさんに連れて行かれるとき、ヘレンさんのどこかに触れませんでしたか」

「ああ……そういえば、長身の男が来る前に肩に手を乗せられたっけ」

「やっぱり。ちょっと、嗅がせてもらっても良いですか?」

 何事もないようなトーサカの一言に、場が凍った後、反論の嵐がやってきた。

「はあ? 何言ってるの、変態!」

「そうですよ、トーサカさん! 女性になんてことを!」

「トーサカ、俺は同じ半獣種として、悲しいぞ。それじゃ、本当の獣じゃないか」

 罵詈雑言に浴びせられるトーサカは、なお、平然として、誤解を解く。

「俺とあいつのメッセージのやり方なんですよ。俺は犬だから、何かの時は臭いで伝言されるし、あいつには魔力で伝言してるんです」

 マスターとバーニルは納得したものの、ヘレンだけは理解を示せずにいた。

「だとしても嫌……だって、私は……」

 言葉に詰まるヘレンだが、場にいる全員が何となくで察していた。

 それもそうだろう。

 ヘレンは客と肌を重ねることでお金をもらっている。それも店で一番の指名数を誇るほどの人気者だ。

 彼女にとって自分自身は、自らを指名してくれた人へのものであり、一部たりとも、渡すべきではない。もちろんにおいだってそうだ。

 だからこそ、愛するミスズを助けるためであろうと、トーサカににおいを嗅がれることへの躊躇をぬぐい去ることはできない。

 悩んだトーサカは、ヘレンに一つの提案を示す。

「だったら、彼女に嗅いでもらいましょうか?」

「え?」

 突然呼ばれた自分の名前に、バーニルはトーサカへ目を向ける。

「この中だと女性はレットレスさんだけですし、ヘレンさん、そうですか?」

 提案された内容に、ヘレンは心の底から悩む。

 確かに、自分の指名はほとんどが男性だが、だからといって、バーニルには自分の一部を渡してしまって良いのか。

 しばらく悩んでいると、ヘレンの頭の中にはミスズの顔が浮かんだ。

「わかった、マスター。エスプレッソを一つ」

「へ?」

「私の一部をタダで渡すわけにはいかない。だから、コーヒー一杯で許してあげる。嗅ぐのはバーニルね。格安なんだから、ありがたく思いなさい?」

 トーサカに言い放ったヘレンには、覚悟が見て取れた。

 自分のせいでミスズが連れて行かれていることもあり、彼女なりの最大限の譲歩であろう。

「ありがとうございます。マスター」

「わかった」

 マスターがエスプレッソの用意をしている間、バーニルが自信なさそうにトーサカとヘレンに話しかける。

「あの……勝手に進んでますけど、私には無理ですよ……」

 確かにバーニルも半獣種である。

 彼女はウサギの半獣であり、嗅覚の精度はそこまで悪くないはずだ。

 だが、犬の半獣であるトーサカが嗅ぎ取れる臭いを嗅ぎ取れるかというと、自信などあるはずもない。

 縮こまるバーニルの背中を、ヘレンが思い切り叩く。

「やってみなくちゃ分からないでしょ! それとも、私がこの男に襲われてもいいの?」

 せっかくなので怖そうに牙をむいて見せるトーサカを見て、バーニルは少し悩んでから頷く。

「ほら、エスプレッソ」

 受け取ったデミタスカップの中身を一息に飲み干したヘレンが座席に座り直す。

「ほら、嗅いで」

 意を決してヘレンの肩へとバーニルが鼻を近づける。

「どうですか?」

「えっと……インクみたいな臭い……ですかね……」

 曖昧なバーニルの分析にトーサカは少し悩む。

「どうしたの? まさか、そんな暗号はないみたいな?」

 焦るヘレンの言葉に、バーニルが嗅ぎ間違えたかと、もう一度、ヘレンの肩へ顔を埋めようとするが、それをトーサカが手で制す。

「いや、この後、どうしようかと。悩んでただけです。それじゃあ、俺は行きますね」

「待ちなさいよ」

 お金をマスターに渡しながら店を出ようとするトーサカをヘレンが止める。

「なんですか?」

「私からメッセージを受け取ったらそれで終わり? せめて、どういう意味かくらい聞く権利はあるんじゃない?」

「でも、それだと、俺たちのメッセージとして機能しなくなるし、何より、この後、貴方にできることはありません」

「なんですって?」

 きっぱりと言い放つトーサカへ掴みかかろうというヘレンを、バーニルが必死で押さえる。

 そんな中、マスターはわざとらしく渡されたお金を数えていた。

「トーサカ、金が足りないぞ」

「え? いくらでしたっけ?」

「この一万倍」

 珍しく微笑むマスターに、トーサカは苦笑を返す。

「冗談きついですよ、マスター。俺のコーヒーと、ヘレンさんのエスプレッソでしょ?」

「悪いが今日はその額だ。まけて欲しかったら、メッセージの意味を聞かせろ」

 苦笑をさらにひきつらせたトーサカの耳に、ヘレンのマスターをほめたたえる声が聞こえる。

 鋭くこちらを睨むマスターに負けて、ため息を付いたトーサカは、カウンター席へと戻って来た。

「インクの臭いは聞屋、つまり、いつも贔屓にしている新聞記者を訪ねろと言うことです。それじゃ」

 それだけ言うと、トーサカは再びドアへと向かう。

「でも、新聞社はもう閉まっているんじゃ……?」

 背後から投げたバーニルのもっともな指摘に、トーサカは再びため息をつく。

「だから、今から探さなきゃいけないんです。あの人はシュマーフォも持っていませんからね」

 自分の鼻を指しながら扉に手をかけたトーサカに、少し考えていたバーニルが声をかける。

「あの!」

「なんですか」

 三回も止められたことへの苛立ちを見せ始めるトーサカだが、次の瞬間、バーニルから思いがけない言葉をかけられていた。

「私、見つけられるかも」

「本当ですか?」

 バーニルの言葉はトーサカにとって、魅力的以外のなにものでもなかった。

 カウンター席へと戻ったトーサカが、バーニルの提案に食いつく。

「新聞記者さんてことは、事件を追ってるはずですよね? いつも、口説いてくるお客さんに警察官の方が居るんですけど、事件の聞き込みとかに来たところを、引き留めてもらうように連絡してないかなって……」

 バーニルの提案は突拍子もなく、成功する確率など、極わずかなものだった。

 だが、少しは可能性のあるものであった。

 この広い街から、鼻一つで一人の人物を捜すより、バーニルにも頼った方がよいのではないかと考えたトーサカは、バーニルに苦渋の決断をする。

「なるほど。お願いします。アリアという、女性の新聞記者です」

「はい!」

 表情が明るくなったバーニルは事務所に入ってから、ほんのわずかな時間でシュマーフォを握ってカウンターの元へと戻ってくる。

「ダメでしたか……」

 あきらめた様子のトーサカへ、バーニルは驚いた様子で首を振る。

「あの……見つかっちゃいました」



 エリアスから依頼を受けたアリアは、一度、退社した仕事場へと戻っていた。

 正直なところ、彼女はこの事件に関してさして興味を持っていない。

 そのため、まずは、根本的な事件を見返す必要があったのだ。

 自社であれば最近の新聞を読み返したり、同僚から情報を得ることができる。当然、断りなど入れることはしないが。

 とりあえず、得られるだけの情報をすべてコピーし、自分のデスクに集めたアリアは、時系列順に整理してから、最初の記事以外のすべてを自らのビジネスバッグに突っ込み立ち上がる。

 何かの規則性を得るため、事件現場を回りながら読むつもりなのだ。大体が徒歩圏内で、免許を持たないアリアとしては助かった。

 戻ってきたと思ったら再び出て行く記者など、たくさん居るのだろう。特に何の反応も見せない警備員を通り過ぎて、事件現場へ向かう。

 歩きながら読む資料によると、被害者は仕事終わりに背後から襲われた。

 当初、連続化するとは分からなかった為に、その記事からはたった、それだけの情報しか読みとれない。

 舌打ちをしながら彼女が向かうのは、繁華街の裏の裏。酒とドラッグと危険の香りであふれかえる、街で危ない場所の一つであった。

 些細な事件が多い裏の裏では、それこそ、情報の鮮度が求められる。次々に塗り替えられる事件の記憶で、時間の流れがやたらと早い。

 しかし、最初の切り裂き魔事件は、すでにかなり前のものだ。

 加えて、何より、話の通じる相手があまりにも少ない場所でもある。

 殆ど、手がかりなど得られないと予測しつつも、一応、足を運ぶと、その日は、予想外に話の通じる人がいた。

「おう! 聞屋!」

「ああ、真っシロ助か……」

 ピンク色の看板にくっついているかのような黒い男は、まごうことなく『ヘブンリーバス』の客引きであるシロであった。

「どうしたんだ! こんなところ来るもんじゃないぞ!」

「それは俺も思うよ……」

 同意を示しながら近よったアリアは、一つ表の通りでは情報通のシロを壁際に寄せ、周囲に見えないように写真を出した。記者としてスクープを隠すのは当然として、エリアスの命がかかっている可能性が有る。なるべく、人には見せたくないのだ。

「お前も人探しかぁ!?」

「あん?」

「いや、さっき、ミスズも人探ししてたからな!」

 本日、二枚目となる写真を目を細めて眺めたシロは、やはり同じように首を振った。

「見たことねぇな……!」

 裏路地での情報は、すぐに看板持ちの間で共有される。ライバル店が人気の出る従業員を雇ったなら、こちらもすぐに対応をしなければならないからだ。

 その一人であるシロが知らないとなると、働いている可能性も少ないだろう。

 仕事終わりにこのあたりで切り裂かれたなら、どこかの従業員である可能性もあるため、聞いてみたが、予想通りの不発であった。

 写真をしまったアリアは、反対の手に用意していた最低額の紙幣を、一枚、シロへ渡す。ミスズのように顔のみで動けるほど、アリアに人望は無いのだ。

「まいどあり!」

 事件のことについて、直接気いてもよかったのだが、日も沈み、危険を感じたアリアは、シロと他人に戻り、次の目的地へと向かう。

 次からの場所は、繁華街とは近いものの、毛色は真逆とも呼べる、閑静を通り越して、もはや沈黙といって差し支えのない、街の廃墟群の方向であった。

 裏路地の裏から大きな通りに出ず、そのまま現場へ向かおうと、やや複雑な道を曲がると、一切なくなった人通りに逆らうかのように、たった一人で街灯の下に立つ姿が見えた。

 照らされる姿は、どこからどうみても警察官のそれであり、背後にある規制線がどこからどう見ても事件を匂わせている。

 すでに廃墟街に入っているが、そのあたりで起きた事件は、最近だと切り裂き魔事件しかない。

 だが、持ってきた情報に、この場所は無かったことを考えた彼女の頭は、一つの結論に行き着いた。さらに、人が一人もいないことを考えると、まだ、事件が発生してから時間は経っていないだろう。最悪、まだ、見つかっていない可能性すら有る。

 薄型のカメラを用意して歩み寄ると、警察官が心の底から嫌そうな顔をしているのが見て取れた。

 やはり、ここは、切り裂き魔事件が起きたばかりの場所なのだ。

 確信を持ったアリアが歩み寄ると、ぼやけた警察官の輪郭がはっきりしてくる。薄くしか見えていなかった警察官は、よくよく見ると、顔なじみのクロセという警察官であった。現場にかり出されることが多いらしく、時々顔を合わせるのだ。

「よう」

「すみません。近づかないでください」

 アリアをアリアとを分かって居るであろうに、クロセは実に業務的で、無関係を装った対応をする。

「嫌だね」

「公務執行妨害にするぞ?」

「脅すのが早すぎやしないか?」

 冗談にならない軽口を交わしつつ、アリアは規制線の向こう側を撮ろうとクロセを避けるが、手を広げてしっかりと守られてしまう。ただ、中がどういう状態なのかは、なんとか見えたため、話を聞くべくカメラをしまうと、クロセも手を下げた。

「撮らないなら答えるぐらいはしてやるよ」

「なら、最初から言え」

「お前が容赦なく撮ろうとしたんだろ」

 ため息混じりで休戦し、所定の位置に立たなければならないクロセにあわせて並んだアリアは、単刀直入に切り出す。

「で、切り裂き魔の現場か?」

 規制線の先では奥から手前に向かって黒い線が続いている。次第に太くなり、クロセの近くにある街灯の下で途切れて広がる様子は、まるで、毛筆の跡のようでもあった。

「ああ。多分な」

「多分?」

 要領を得ないクロセの答えに、アリアは眉をひそめる。

 誤魔化したいわけでもなく、本当に、確証が持てない警察の代表としての答えを疑われたクロセは、正直に情報を開示した。

「被害者が居ないんだわ」

「……誘拐か?」

 当然のように現れる疑問に、クロセは首を振る。

「分からん。人一人がこれだけ血を出してるのに、それ以降進んだ跡がない。近くには血が付いていないんだと」

「車は?」

「それもない。車が通った跡がありゃしねえ」

 話してもいいのかというような情報まで、聞かれる以上に話すクロセは、お手上げと行ったジェスチャーをする。

 実のところ、仲間の少年たちが、服で堅く固定して運んだだけなのだが、足跡のたくさんある路地ですぐにそのことに気づくには無理があったのだ。

 この事件の被害者が分かるだけでもずいぶんな進展だと考えていたアリアとしては、予想に反する状況に奥歯を噛まずにはいられない。

 しかし、知り合いの警察に出会えたのは幸運であった。

 切り裂き魔の行動を共通点から考える為には、何より、被害者を知る必要があるが、個人情報保護の観点から、世間には必要最低限の情報しか開示されない。

 それを警察関係者で有れば、知っていると踏んでいるのだ。

「そうか……被害者に共通点でもありゃ、分かるんだろうけどな。お前、知らないのか?」

「そうだな……」

 考え始めるクロセ。

 当然、部外秘なのだろうが、先に少し話を聞いていたこともあり、疑問に思われることなく聞き出せそうであった。

 彼の頭の中をのぞき見ることも妖精種であるアリアには可能であったが、それをしてしまえば、後々信用を失うため、できることなら、本人の口から直接聞き出したいのである。

 それに、今回に限ってだが、アリアには最高峰の交渉材料が有った。例え、渋ったとしても、自分には写真を見せれば、この悪徳警官の口は割ることができることだろう。易々と警察に渡したく無い情報だが、最悪の時は、切り札を使ってでも、割らせる方が良いだろうとアリアは考えていた。

 シロはミスズが誰かを捜していたと言っていた。

 裏と表、両方に顔の利くミスズのことだ。裏の人間からの依頼でも何ら疑問はない。

 だからこそ、アリアは不安を抱いていた。

 仮に、依頼主が裏の人間だとして、探しているのがエリアスだとしたら、どうだろう。

 繁華街の近くは、比較的街を守ろうという意識の強い狼堂会が利権を持っている。シロの働く『ヘブンリーバス』の後ろにも、狼堂会がついていることをアリアはよく知っている。そこへミスズが聞きに来ると言うことは、もう一つの裏組織であり、街を乗っ取ろうとするガート・ファミリーが依頼主ということだ。

 友人の身に何かあっては、悲しいと探し始めたアリアの中では、すでに最悪の展開が頭をよぎっている。

 だから、なるべく、急いで情報をかき集めたいところなのだ。

 しかし、その時間の問題にゆだねた、期待と不安とは、外部からの刺激によって崩れてしまった。

 悩むクロセの制服から、メロディが流れ出したのだ。

 どこからどう聞いてもシュマーフォに念話が来た音である。

 本来、制服を着ている警察官は、私用のものを含めてシュマーフォをも歩かない。

 警察同士で連絡を取るときは、基本的に専用のレシイバという装置を使うはずだ。

「すまん」

 どこからどうみてもシュマーフォを取り出した不良警官たるクロセは、堂々と念話を始める。

 相手の話を聞いて、驚いたように声を上げるクロセは、アリアのことを見つめてから、すぐに念話を切った。

「何だよ」

 顔を見つめられるアリアの不機嫌な問いかけに、クロセは姿勢を正して、アリアの手首をつかんだ。

「お前、ちょっと、ここで待ってろ」

「はあ?」

 少し前までの感情をすべて吹き飛ばすほどの理不尽は、アリアを反発させるのに十分であった。

「何だよ! この不良警官!」

 訳すら話さないクロセが再び、冗談にならないほどの国家権力を振りかざした。

「いやなら、公務執行妨害だ」



 すぐさま『豆と甘味料』を飛び出したトーサカは、バーニルに言われた場所へと走った。

 バーニルが念話を掛けたクロセという警察官が担当していた現場に、丁度、アリアがいたらしく、すぐさま引き留めてもらったのだ。

 路地を曲がった先に街灯が照らす規制線があり、その前にクロセとアリアが立っていた。

「お待たせしました」

「ったく、何だよ、お前か……突然、こいつに引き留められるから、何かやらかしたかと思ったぜ」

「まあ、お前の取材は本当に公務執行妨害並だったぞ? 共通点なんか、答えられる訳ないだろ」

「もう聞かねえよ!」

 クロセの軽口もあるのか、いつもより輪をかけて、不機嫌なアリアにトーサカは保温ができるボトルを渡す。

「すいません。『豆と甘味料』のカフェモカです」

 渡されたトーサカからの手みやげに、アリアは中身を確認してほんの少しだけ表情を柔らかくする。

「で? 何のようだ? ミスズは一緒じゃないのか?」

 場所を移動するよう、トーサカを誘導するアリアは、歩きながらに話を聞き出す。

「あいつはオガミさんに連れて行かれています」

「今度は何やらかしたんだよ」

 いつものことのように笑い飛ばすアリアであったが、その裏、心臓が上に動くようであった。

 うまいこと顔には出さないよう隠して、アリアは路地を出て昼間なら人通りの多い通りを歩き始める。ここであれば、どんなにイリーガルナ話であろうと、クロセに聞かれることはない。

 ポケットからシュマーフォを取り出したトーサカが、最初の念話の時にミスズから送られてきていた対象人物の写真を表示する。

「この人を捜していたら、捕まったみたいです」

「それでお前が続きをね。圧掛けられても止めないのがあいつの良いところだな。それこそ、記者でもやればいいのに」

 ビルの隅で、足を止めたアリアは、下がっていたメガネをあげて写真を注視する。

 時々、拡大したり、中心に写る人物だけでなく、映り込んでいる背景の隅々まで確認した後、アリアは安心を気取られないよう、静かに首を振った。

「ダメだ。見たことねえな。オガミの旦那が止めに来るってことは、逃げた債権者かガートの連中ってところか」

「切り裂き魔という可能性は?」

「そりゃねえな」

 断言するアリアにトーサカが首をひねる。

「なぜ?」

「俺は切り裂き魔の顔を知ってるからな」

 まるで世間話をするかのように紡がれるアリアの発言にも、トーサカはそこまで驚いた様子を見せない。

「やっぱりそうですか」

「流石だな。一応、訳を聞こうか?」

「貴方は自分にメリットがある時しか俺たちの話を聞かないじゃないですか。例えば、俺たちに聞きたいことがあるときとか。それに、さっきの事件現場、血が流れていたし、切り裂き魔の何かをつかんだかなって」

 慣れたように理由を説明したトーサカに、アリアは口の端をつり上げて笑う。いつも不機嫌そうなアリアだからか、人が殺せそうなほど、歪で底の読めない、安心ができない不気味な笑顔であった。

「正解。だから次は俺の番だ」

 ビルと自分の体で隠すようにして、エリアスからもらった切り裂き魔の写真をトーサカに見せる。

 トーサカもそれが分かっているのか、なるべく影を作るため、まるで怪しい取引現場のようになってしまった。

「こいつらしいんだが、見たことねえか?」

 アリア同様、細かく見るトーサカだったが、やはり首を縦には振らない。

「ダメですね。似た人を見た記憶もありません」

「そうか……」

 写真をしまおうとした瞬間、トーサカの背後から声が発せられる。

「ねえ、それ、同じ人じゃない?」

「ヘレンさん!?」

 トーサカの肩越しに現れたのは、分かれたはずのヘレンの顔であった。

 突如として現れた闖入者に、アリアの表情は一変して、いつも以上に険しいものへと戻る。

「なんだこの女? 助手の知り合いか?」

「俺のって言うか、ミスズの知り合いですかね」

 アリアからの詰問を受けるトーサカなどに目はくれず、ヘレンはなお肩から写真をのぞき込む。

 何食わぬ顔でしばらく写真を見つめたヘレンは、アリアの持つ写真を指さして、自分が感じた違和感を二人に述べる。

「やっぱり。ミスズちゃんが依頼された写真の人とこの人、同じ人じゃないの?」

「は! 何言ってるんだ、この女は?」

 バカにするアリアの態度に、ヘレンはトーサカからシュマーフォを奪い取り、アリアの持つ写真と比較する。

「ほら。どこが似てるんだ?」

「え? 全く同じじゃない? 体つきとか。足の筋肉の付き方なんてそっくり」

 平然と言ってのけるヘレンに、二人は固まってしまう。

 隅々まで見たと言っても、やはり二人とも顔にばかり目がいって、体格の差など見ていなかったのだ。

「時々あるのよ。名前も顔を見ても思い出せないけど、体で思い出すこと」

 常日頃、客の肢体を見続けたヘレンだから分かることだろうが、簡単に言ってのけるヘレンに二人は言葉を失ってしまう。

「なあ、助手。こいつ、何?」

「風俗のナンバーワンですかね」

 一人、当然のようにしているヘレンを見つめる二人の元に、一人の男が走ってくる。

 わかりやすい制服姿はクロセのようだ。

「お前等、バーニルちゃんから、電話があって、ヘレン? が来てないかって」

 胸を張るヘレンを無言で指さした二人にクロセがさらに続ける。

「後、早く店に来いって」

「なんでですか?」

 トーサカの疑問に、クロセが首を傾げながら答える。

「よく分からないんだが、ミスズとかいうやつが来てるらしくて……」

「なんでそれを早く言わないんだ、バカ!」

 聞き終わらない内に、アリアは『豆と甘味料』へと走り出した。

 ミスズは切り裂き魔と関係があるかもしれない人を探しているのだから、話を聞かない訳にはいかないと判断したのだ。

「あ、待ってください!」

「私も行く!」

 アリアを追うようにして、トーサカとヘレンも去っていき、最後にはクロセが一人残された。

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