第31話 幸岐と笙花

「…やめません」

「みゆちゃ」

「やめません!」


ぽろりと、激情した幸岐の目じりから涙がこぼれた。


「おねがいします、やめろなんて言わないでください。私はただ、旦那さまと添い遂げたいだけなのです。今のままじゃ、このままじゃ、旦那さまに置いて行かれてしまう」


そんなのは嫌だ、と。震える唇が小さく紡ぐ。

その姿に、かつて故郷を捨てるほど想った男の姿が重なった。


『君と一緒にいたいんだ』


そう言った男の声は、もう覚えていない。ひとは声から人を忘れるということを、笙花は身をもって体験した。でも、彼がくれた言葉は一語一句違わずに覚えている。

一緒にいたいと言ってくれた。どれだけ声がしゃがれても、記憶が朦朧としていても、好きだと言ってくれた。けれど、笙花は最期を看取れなかった。愛する人が死んでいく様を、見れなかったのだ。彼の妹に貰った手紙には、『兄は最期まで、貴女を愛していました』と書かれていた。


看取ればよかったと思ったこともある。でもきっと、耐えられなかった。

置いて行かないでと縋ったかもしれない。魔術で延命して、不老不死の薬を飲ませたかもしれない。何にせよ、きっと笙花は耐えられなかった。だから、彼の最期から逃げた。


「…置いていく、のは、人間じゃん」


笙花の視界が歪む。さっきから、幸岐の姿に彼が重なる。

やめさせなければ、頭ではわかっているのに。彼に不老不死の薬を飲ませなかった小さな後悔が、彼女を苛む。


「いいえ。人間は置いて行かれる側です。あなたたちは、未来へ進んでいく。…でも、人間は、死んだらそこで停滞します。お願いです笙花さん」


真っ直ぐな瞳に想う。


ああ、彼も、彼女も。人間はずるい生き物だ。


「私を、置いて行かないでください」

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