古書店に天使なんて似合わないと思ってた

杉浦ヒナタ

第1話 引出しから現れた天使

 小さな町の片隅にある古書店『獺祭堂だっさいどう

 僕、君依燎里きみいかがりは店番をしながら、新刊のライトノベルを読んでいた。

 ふと顔をあげると店内にちいさな影があった。まったく物音がしないので気付かなかったけれど。僕はそいつに声をかけた。


「おい、ノブナガ」


 その猫はこっちを見て小さく、にゃ、と鳴いた。

 こいつは隣に住む幼馴染みが飼っている猫なのだが、最近なぜか愛想が悪くなった。以前は僕を見ると、構って欲しそうに寄ってきたのに。

(貴様のようなむさ苦しい男が、このわしに近づくなど許さぬ)

 みたいな声が聞こえて来そうな態度なのだ。ちょっと淋しい。


 ぴん、と尻尾をたて、つま先立ちのように軽やかに僕の横を通り抜けていく。

 店の奥と二階はうちの居住スペースだ。ノブナガは、迷わず二階に上がっていった。僕の部屋で昼寝でもするつもりだろうか。


 後を追っていくと、ノブナガは開けっ放しの僕の部屋の前で立ちすくんでいた。耳を伏せ、頭を下げて体勢を低くしている。

 何か警戒してるのか? 僕は部屋をのぞき込んだ。


「はうっ」

 僕も息をのんだ。

 誰もいないはずの僕の部屋に、人がいた。ほっそりとした少女だ。白いワンピース姿で、青みがかった銀色の長い髪。なにか珍しそうに部屋の中を見回している。

 幽霊、じゃなさそうだけど。


「あの、ちょっと」

 僕は後ろから声をかけた。


「ひゃうっ!」


 その少女は飛び上がった。

 背中に真っ白で巨大な羽根を拡げて。


 ……、天使だ。こんなところに。


 ☆


「や、やめて下さいよ。心臓が止まったらどうするんですか」

 地上1メートルほどのところで真っ赤になってぷんぷん怒っているのは、どう見ても十二、三才くらいの女の子だった。

 急に声を掛けられて、相当びっくりしたらしい。


「でもあなた、わたしを見てもあまり驚かないんですね。普通、もっとこう、神の威光に打たれて平伏するとかしませんか。こんな、人知の及ばない出来事に遭遇してるんですよ」


 うーん、と僕は首をひねった。

「この東雲しののめ市では、特に珍しくないしなぁ」


 僕は、この奈良時代から続くふるい街の住民なのである。少々のことで驚くようなメンタリティは持ち合わせていないのだ。

 実のところ、もっと凄いものを見た事が有るくらいだ。


「ところで、天使がうちに何をしに。買い物?」

「いえ。わたしは現金を持ち歩かない主義なので」

 彼女はまるでセレブみたいな口調で言った。でも、もちろんカードも持っていそうにない。どちらかと言えば、お小遣いを貰っていない小学生みたいなのだが。


 ああ、訂正が必要ですね。彼女は言った。

「わたしは天使ではなく、キューピッドです」

 なんだかすごく得意げに、彼女は胸を張った。どこがどう違うのか、分からないまま僕は頷く。


「いかにもモテそうにないあなたに、恩恵を授けにきました」

 いぇーい、みたいに手を上げているが、余計なお世話と言うほかない。


「あれ、反応が薄いですね。え、まさかもう奥さんがいるとか」

「あのね。学生だから、ぼくは」


 ぽん、と彼女は手を打った。

「それで、勉強机の中にえっちな本を隠してたんですね」

「み、見たのか。いつの間に!」

 へへへ、と笑う彼女。


「最初に繋がった天界からの通路が、その引き出しだったんですよ。いやー、お姉さんびっくりしちゃったな。最近の若い子は。うふ。もう、このえっちさん♡」

 急にお姉さんぶり始めた。なんだこの態度は。


 ああ、それで引出しが開いているのか。

 僕はふと、子供の頃に読んだマンガを思い出した。

 普通、引出しといえば、あれだろ。未来から来たネコ型ロボットと相場が決まっていたはずなのに。


「ほんとうに、何しにきたんだよ」

 そう問いかけると、彼女は急にしどろもどろになった。両手の指を絡ませ、身体をクネクネさせている。

「その、わたし。下界の地理に不案内だし、だからね」

「まさか、道に迷ったとかじゃ無いだろうな」


「ち、違います、これは定められた運命だったんですよ」

 だって、だって。少女は慌てて言った。

「この下界で、最初に遭った人間を幸せにする、というのがわたしの目的なのですからっ!」

 いかにも、とって付けたような理由だが。

「それ、嘘だろ」


 少女は、えへへ、と笑って頷いた。


 ☆


 そしていま、そのキューピッドの彼女は、僕の部屋で行儀良く正座している。

「じゃ、目的地はどこだ。 知ってる場所なら案内してやるけど」


「それはですね」

 彼女は服のあちこちを探り始めた。ポケットでもついているのだろうか。


「あ、あれ。あれれ?」

 ……メモが、無い。彼女は確かにそう呟いた。

 こっちを見て、えへへ、と気弱に笑う。


「い、いや。別に失くした訳じゃないんですよ。だって。そんなこと個人情報ですから。他人に教えられる訳ないじゃないですか」


 彼女は、ひとつ咳払いをした後、急に腕組みして威張りはじめた。

「最近は天界でも情報管理がうるさいんです。つまらない事で私を困らせないでください」


 それでも釈然とはしない。つまらない事ではないし。


「まあ、まあ。これも何かの縁です。しばらく泊めてもらえるなら、あなたのために運命の人を探してあげましょう」

 完全に開き直りやがった。


 でもそれは、なんだかちょっと気になる。それでつい、OKしてしまったのだが。


 ふと見ると、ドアの隙間からノブナガがこっちを不審げに窺っていた。

 


 

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