死神と運命の女5

 ** *


 イアロは、アマゾネスに近接する都市だ。

 かつてアマゾネスからはじき出された無法者達が住みついた土地で、現在も多くの怪しげな賭場が営まれており、それを目当てに各地から集う者も多く、事実、治安はあまり良くない。


(……トーマスでも連れて来ればよかったわ。あれでもいないよりはマシだったかも)


 汽車でイアロに辿りついて約半日、既にエレン・テンダーは辟易していた。

 大通りを外れて少し脇道に入っただけで、昼間から酔っぱらっている男たちに絡まれたり、スリに遭いそうになったりと散々だ。

 どうにかこうにかたどり着いた目的地も、門番は不愛想、受付の職員においてはクスリでもやっているんじゃないかと思うぐらいハイな状態で、思わず顔をしかめてしまった。

 一方で、拘置所の設備は随分と堅牢で、多くの死刑囚を収容しているだけのことはあるとエレンは感心した。


 カルロス・ケニー。ここイアロで二十名の老若男女を殺害した極悪非道の若き白髪の殺人鬼。『イアロの悪魔(ディアブル)』の異名を付され、一時世間を騒がせた。逮捕されたのは三年前だが、まだ死刑執行がなされていないのは、他の街での余罪があると見られているためだ。彼が殺害した者達は、年齢も性別もばらばらで、殺害方法も一貫性がない。他の街まで捜査範囲を広げると、どこまでが彼の犯行なのか判断がつかないケースが多く、それゆえに捜査は難航しているという。ただ、イアロの警察が見出した被害者たちの共通点がひとつだけある。それは、彼ら彼女らが全員、香水を日頃身につけていたということだ。


 面会室までへと至る扉にはどれも最新型の錠が備わっていたし、案内してくれた看守ふたりの身のこなしも隙が無い。エレンは決して武闘派ではないが、そんな素人目で見ても彼らが相当な武人であることは分かる。


「ミス・テンダー。面会時間は十五分以内で頼みます」

「規則上三十分では?」


 事前に聞いていた面会時間は三十分のはずだった。


「……面会の予約が立て込んでいて」


 看守の言葉に、思わず「は?」とエレンは聞き返した。死刑囚と面会が出来る人物は限られている。エレンのような公人か、あるいは親族だ。この街で出会った中で一番誠実そうなその看守は、小さな声でエレンに耳打ちする。


「……殺人鬼をカリスマと呼ぶのは不本意ですが、あれには一部熱狂的な支持者がいるんです。獄中で複数の女性と婚姻関係を結んでいるんですよ、奴は」

 エレンは卒倒しそうになった。


 * * *


 鉄格子越しの口づけは、錆びた鉄の味が舌に残って苦い。

 けれど彼は、彼女に求められるままにその行為を続けた。長期間独房に入れられて欲求不満なのは事実だったし、こういう背徳的な行為は嫌いではない。むしろ彼の嗜好するところだ。

 ただ、その行為の相手にそこまで深い興味はない。


 彼には今、三人の妻がいる。この街イアロは領主の定めた法で一夫多妻が認められている、現代にしては珍しい街だ。

 どの女性も彼の崇拝者で、あまりにも熱心に、幾度も求婚の手紙を送ってくるものだから、相手の顔も知らないまま、彼はどの申し出にも承諾をした。それがちょうどひと月前の話だ。

 婚姻関係を結ぶや否や、彼女らは足しげく彼の元を訪れた。

 ある女はひたすらに彼に愛を語らい、ある女は無言のまま恍惚と彼を眺める。

 そして今日、初めて面会したこの三人目の妻は、ひたすらに彼の唇を貪った。

 こんな囚人にご執心の女なんて、まともな人間でないのは分かり切っている。今日彼を訪ねに来たプラチナブロンドの修道女、彼女が端々に見せた嫌悪感こそが普通の人間の反応なのだと分かるぐらいには、今の彼は冷静だった。

 女がすっと、鉄格子から顔を引く。


「……つめたいのね、あなた。全然昂る気配がない」


 彼の心を見透かすように、赤い唇の女は薄く笑う。この時初めて、彼はその女の顔をまともに直視した。


 その女は美人だった。歳は彼より間違いなく上、三十路手前の、ちょうど大人の女性として完成された頃合いの艶めかしさがある。絵画の中に描かれるような美しい金糸の髪、喪服のような黒いレースのドレス。白すぎる肌に、熟れた林檎のような赤すぎる口紅がアンバランスなのが玉に瑕だが、そこいらの男なら絶対に放っておかないような女だ。


「ごめんね。なんでおねーさんみたいな人が俺の奥さんになってくれたのか、ちょっと不気味でさ?」


 歯に衣を着せぬ物言いに、しかし女は気を害した風もなく微笑む。


「答えは単純よ、カルロス。私は貴方が欲しいの。とてもとても欲しい、心の底から」


 情熱的な女の言葉に、彼は思わず唇を舐める。唇からは、女の唇から移った口紅の味がした。


「欲しいっつってもこの鉄格子越しじゃあキスが限度でしょ。結婚までしてあとは一体何が欲しいのかな?」


 女が再び鉄格子に指をかけ、愛おしそうに彼に顔を寄せる。傍から見れば、その様子はまるで以前からずっと恋人同士だったかのような、そんな美しい光景にも見えるだろう。しかしカルロスを見つめる女の紫の瞳は、愛欲のそれよりももっと深い、底知れぬ情念を映していた。


「貴方のその指で触れて欲しい。ねえ、」


 ――貴方の力をここで見せて。


 女の囁きに、カルロスの血がぞわりと騒いだ。女は彼の変化に気付き、にこりと微笑む。そして鞄から、彼に見せつけるように香水瓶を取り出した。


 カルロスの心拍数が一気に上昇する。急速に、冷めていたものが一気に沸き上がる。

 この女は知っているのだ。知っていて懇願しているのだ。

 彼の特異能力を。


「はは、良いぜ。俺も興味があるよ、あんたの人生、一体どんなもんが潜んでるのかって」

 カルロスの指が、女の指先に触れる。途端、視界が暗転した。


 カルロスはただの快楽殺人鬼ではない。

 彼が悦びを覚えるのは、人を殺すという行為に対してでは決してない。他人の人生の最も後ろめたい記憶――その暗闇を覗き見て、そしてそれを幻影として再現する。カルロスはその人間が悶え苦しむ様をじっくりと鑑賞し、熱狂する。彼がその手法で初めて手にかけたのは、母親だった。


 『人生劇場を視る』――その意思を持って他人に触れれば、それだけでその能力は発現する。


 ――さて、この狂った女には、一体どんな悲劇があったのか。

 それこそ観劇に臨む気分で、カルロスはいつも通り、眼を閉じ意識を沈める。


 次の瞬間、彼は今にも泣きだしそうな曇天の下、うす汚い路地裏に立っていた。

 ふと、違和感を覚える。いつもなら、そう、自分が立つのはライトの落ちた、客席側。けれど、今回は違う。客席側に悠々と座っているのは、なぜかあの女のほうだった。


「……は? おい、なんでだよ」


 口をついて出たカルロスの素の声に、女は紅い唇を綺麗に釣り上げて笑った。


「貴方が欲しいと言ったでしょう? 貴方の過去、貴方の力、そのすべてを私が受け止めてあげる」

「やめ、」


 彼が抗議する前に、問答無用に彼の人生劇場の再生が始まる。


 彼は裕福な家庭に生まれ、その未来は希望で満ち溢れていたはずだった。けれどあの雨の日以来、全て変わってしまった。

 週末の家族との外出時、迷子になって路地裏に立ち尽くす幼い少年に、優しい声を掛ける大男。男が纏うのは、彼がその後最も嫌いになる香水の匂い。

 三日三晩の監禁の上、香水男やその仲間たちに慰みものにされた少年は身も心もボロボロにされ、解放されたときには毛髪は真っ白になっていた。

 変わり果てた息子の姿、そして穢された事実を彼の両親は受け入れられず、彼は体よく捨てられた。


 そんな両親への憎悪と人生への虚無感を抱えたまま、よくいる非行少年に育った彼は、ある日街中で母親と偶然再会する。白髪の少年など見間違うはずがないのに、素知らぬ振りをされた彼は激昂し彼女の後頭部を石で殴りつけた。その瞬間、彼は彼女の人生の幻影を視た。


 何が起こったのか分からず立ち尽くす中、彼の目の前に赤毛の紳士が現れた。

 その紳士は、彼の能力について詳細に教えてくれた。


『この幻影は、その人間が最も封印したい記憶から再生されるのだよ。……しかし君には少し衝動が足りない。君がこの世で最も嫌いなものは何かな?』


 あの日の紳士の言葉を今でも彼は覚えている。

 どうしてあの時、『香水の匂い』だなんて答えてしまったのだろう。

 あれ以来ずっと、鼻孔の奥にあの香水の匂いがこびりついて、あの匂いに似たそれを嗅ぐたびに、その匂いを纏う人間を殺してきた。

 自分が自分でなくなったみたいに。

 まるで死神の操る糸に引かれたみたいに。


 カルロス・ケニーの人生劇場が終わる。

 最後に、彼にとって呪いとも言える、吐き気を催す香水の海に彼の身体は落とされた。目も開けられず、息も出来なくて無我夢中で腕を伸ばすも、誰もそれを掴んでくれはしない。これまで彼が嗤って見下ろしてきた人間達の末路のようだ。


(嗚呼)


 彼の瞼の裏に映った最後の情景は、未来に何の不安もなかった頃の、優しい母親の顔だった。


「……あら、死んでしまったのカルロス? この能力には致死性はなかったはずなのに、案外心が脆かったのね、貴方」


 鉄格子の先で、涙を流しながら死に絶えた彼の亡骸を見て、女はそう呟いた。

 彼女は椅子から立ち上がり、慈しむように彼の死に顔を見下ろす。


「確かに貰い受けたわ、貴方の『人生劇場』。これであの方にきっと近づける。私が、私こそが、」

 ――『運命ファム・ファタール』になるのよ。


 女の瞳はまるで宝石のように輝き、その頬は恋焦がれる少女のように紅潮していた。

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