幕間

幕間3

「……お師匠様のところに行ってきます。今日は遅くなると思いますので、夕食は温めて、先に食べておいてください」

「わかった。気をつけてね」


 お互い、相手の目を見ないまま、そんな会話をして別れる。


 ――アマゾネスから帰って来て5日経った今も、ふたりの間にはどこかよそよそしい空気が漂っていた。



 * * *

「おや、わざわざ野菜のおすそ分けに来てくれたのかい? 普段帰ってこないのに珍しい」


 夕方。片田舎の礼拝堂にて。

 根菜類を袋に提げてやって来たマリアを、マグナス神父はにっこりと微笑みながら出迎えた。


「先日預けた獣の悪魔の様子見も兼ねてです。いらないならお野菜は引き取りますけど」

「君は相変わらず辛辣だね。野菜はありがたく受け取るよ、温かいスープが美味しい季節だからね」


 奥に入って、とマグナス神父はマリアを客間へと通した。


「マリアしゃーーーーん!!」


 客間に入るなり、黒い子犬のような生き物がマリアの胸へと飛び込んできた。


「ワタシを迎えに来てくれたんデスねッ! 信じてましたもんッ!」


 緑色の眼を存分に潤ませながら、獣の悪魔はマリアを見上げる。


「いえ、迎えに来たわけではなく、あなたがきちんと更生しているか様子を見に来ただけです」

「ガビーン。ワタシ、良い子にしてましたもん!? リィの姐御にこき使われても文句言わずに頑張ってましたもん!! ワタシ、こんな上級悪魔サマ方ばっかりのおっかないところより清楚可憐なマリアしゃんと一緒に働きたいデスもん! 下働きでもなんでもしますデスもん!」


 真摯に訴える獣に、マリアがどう返答しようか困っていると、


「だーれがこき使ってるってぇ? あんた、私があんたの目付け係になったとき、『ワー! ハイパーイケてる巨乳のお姐さんデスもん! 一生ついていくデスもん!』とか言ったの忘れたワケぇ?」


 どこからともなく現れたリィが、獣の首根っこを掴んでマリアから引きはがした。


「リィの姐御はおっぱい大きくてハイパーイケてるお姐さんデスけどもッ! ちょいととうが立ってると言いマスかッ! ワタシのストライクゾーンからちょっと外れてると言いマスかッ」

「アァ!? 今なんつったのあんた!?」


 ぎゅむ、と首を絞められて、獣の悪魔は気絶した。


「……その様子では更生には時間を要しそうですね」

「ぜっったい治んないわよこいつのスケベ! 大体なんで私がこんなペットの面倒見なきゃなんないわけ!? クレスの命令じゃなかったらこんな奴煮て焼いて食ってるわよ! きいい!」


 リィが地団太を踏む勢いで叫んでいると、マグナス神父が彼女をなだめるように言った。


「いやあ、子犬型の悪魔って結構レアだしさ? 手懐ければ使い道が色々とあると思うんだよねえ。頼むよリィ」


 ふん、と仕方なしげにリィは鼻を鳴らす。神父は苦笑して、マリアに向き直った。


「マリア、今晩は君が持ってきてくれた野菜でポトフを作るとホノオが張りきっているんだけど、食べていくかい?」


 マリアが帰って来た際、マグナス神父は懲りずに毎回、マリアをお茶や夕食に誘う。そしてことごとく断られるまでがいつものパターンだった。

 今夜もその例に漏れないと思われたが


「せっかくなので、ご馳走になります」


 マリアのその返答に、マグナス神父は珍しく目を丸くした。傍らのリィですらぽかんと口を開け


「あんた領主様と喧嘩でもしむぐ」


 もっともなリィの反応と指摘を、神父は彼女の口を手で押さえて止めた。


「……何ですかその顔。誘ったのはそっちですよね」

「いや、ああ、食べていって。ホノオも喜ぶよ、うん」


 ホノオとは、マグナス神父の数いる使い魔のひとりで、炊事洗濯を好んで担当する変わり者の悪魔だ。シャイで引っ込み思案、黒髪、褐色の大人しい青年だが、他の悪魔に比べて性格に癖があまりないので、マリアは好印象を抱いている。

 幼かったマリアにとって、リィが意地悪な姉ならば、ホノオは優しい兄のような存在だった。

 ちなみに神父の側近である初老の男性の姿をしたシヴァはマリアにとって親戚のおじさんぐらいの立ち位置だったが、夏に小さくなる薬を盛られてから一切口をきいていない。




「君は昔から本当に美味しそうにものを食べるね」


 ポトフ一皿をぺろりと食べきって、お代わりをよそってもらったマリアをマグナス神父は微笑ましげに眺めていた。


「言うほど貴方と食事をした記憶がないのですけど」

「はは、痛いところを突くねえ、久しぶりに一緒に食事をしているのに」


 とは言えそれは紛れもない事実だった。

 マリアが彼に引き取られたのは、マリアがまだ六、七ほどの幼い頃だったが、その頃のマグナス神父は今よりもさらに多忙の身で、家を空けていることのほうが多かった。


「いえ、別に恨んでいるわけではありません。むしろ気が楽でした」

「ははは。……そうなの?」

「冗談ですよ。それにしてもお師匠様は相変わらず食が細いですね」


 神父の皿のポトフはまだ半分は残っている。

 男性の食べる量は女性のそれとは比にならないと、いつぞや誰かに聞いたことがあるが、彼が食べ物に執着している姿をマリアは見たことがない。そもそも、何にも執着せず、何に興味があるのかも分からない、そんな掴みどころのない人物だったとマリアは記憶している。

 それゆえに


「もともと胃が小さくてね。でも美味しくいただいているよ」


 マリアと食事をしている間、彼がずっとにこやかに――それこそ、久しぶりに実家に戻って来た愛娘を迎える親のような顔をしているのが、マリアには少し意外だった。

 マグナス神父はバスケットに盛られたパンを手に取り、小皿の上でちぎりながらマリアに問う。


「最近はどうだい。以前に比べると教会の仕事も沢山こなしているようだけど」

「お師匠様のように淡々とこなせればいいのですけど、1件1件が重い案件で少し気が滅入ります。まあ、泣き言も言っていられないのですけど」

「そうかい。君は領主様のためなら一途だね」


 マリアはスプーンをことりと置いた。


「……お師匠様は、今の私をどう思っていますか」

「ん?」

「……私は、本来貴方の弟子として、悪魔祓いのシスターとして彼女を救うために任務に当たっていました。勿論、今もそのつもりですが、今はもっと、……なんというか、個人的な思いがあるというか……」


 それは前からでしょう? などと野暮なことは、今夜の神父は言わなかった。


「君は、領主様を人間に戻せたら、シスターをやめる?」


 神父の言葉に、マリアははっとする。

 目の前のことに精一杯で、先のことなど考えていなかった――それが正直なところだった。

 けれど、そう問われるならば。


「……私、は……」

「それは許さない。君の師としてはね」


 珍しく、力強く言い放った彼の目を見ることが出来ず、マリアは思わず顎を引いた。


「なんて言うと思った?」

「……は?」


 顔を上げたマリアに、神父は屈託のない笑みを向ける。


「そんなことは私は言わないよ。君を拾ったのも、言っては悪いけど気まぐれだったし、君は何を言わずとも当然のように悪魔祓いの道に進んでしまって、私の知らない間にいつの間にか日本のクノイチに師事していたから止める隙もなかっただけで」

「……ですが、その。私はてっきり、貴方は後継者として私を弟子にしたのだと思っていました」


 教会が以前から問題視しているのは、マグナス神父が使い魔として従えている数多の上級悪魔についてだ。勿論悪魔を使い魔にすること自体賛否両論あるが、神父に大人しく従じている間はまだよい。しかし彼が没した後、力ある彼らをどう処遇するのか。それが教会にとって最も大きな悩みの種だった。

 ゆえに、マグナス神父がマリアを引き取り、マリアが教会の悪魔祓いとして名を連ねた時は、教会の幹部が幾人か、マリアに異口同音で釘を刺しに来たものだ。

 しかし神父はそれを分かっていてなお続ける。


「確かに、私が死んだら彼らの手綱を握れる人間は君だけだろうけど、それはそれ。君を慕う者もいるだろうし、離反する者もいるだろう。私は彼らの自由意思を尊重するし、君も何の責も負わなくていい。そもそも私が死んだ後のことなんて考えたところでつまらないと思わないかい?」


 教会の重鎮らが真剣に頭を悩ませていることをさらりと「つまらない」と言ってのける師にマリアは呆れたような視線を向けつつ、彼らしいと微かに顔を綻ばせた。


「お師匠様が頓着しない方で幸いでした。私を拾ってくださったのが気まぐれ、というのはちょっとどうかと思いましたが」

「がっかりしたかい?」

「いいえ、むしろほっとしました。貴方が幼女趣味ではなくて」


 マリアがそう言うと、神父は可笑しそうに笑い、再びポトフに手をつけ始める。神父は珍しく、夕食を完食した。




「いつもより遅いから、気をつけて帰るんだよ。まあ、君なら暴漢もクナイで一刺しだろうけど」

「一言余計です」


 マリアがそう言って踵を返すと。


「……ああ、そうだマリア」

「はい?」


 珍しく呼び止められて、マリアは再び振り返る。


「実は仕事でしばらくここを空けるんだ。村の人にも言ってあるんだけど、聖夜のミサにも間に合わないかもしれない。その時は帰ってこなくていいからね」

「随分大きな仕事なんですね?」


 この神父がそこまで注力しなければならない仕事がこの世に存在するのかというレベルで、マリアは驚いていた。


「お師匠様ももう若くないんですから、あまりやんちゃをしないでくださいね」

「ははっ、『無理』じゃなくて『やんちゃ』と来たか。君にそんなことを言われる日が来るとはね。大丈夫、わきまえているよ」


 では気をつけてね、と神父はいつもの笑顔を浮かべてひらひらとマリアに手を振った。


 この日、この夜を最後に、神父との音信が途切れることになるとは、このときのマリアは想像もしなかった。

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