悪魔祓いと女学院

悪魔祓いと女学院1

 無機質なその白い部屋が、茜色に染まるとき。

 その空間は、他の誰にも決して覗けない、聖域になる。


 荒い呼吸が絡み合う。

 零した熱い吐息が壁に染み入っていくように、部屋の温度は上昇していく。


 年季の入ったソファーの足が軋んだ。


 熱で火照る少女の頬に、白く長い指が触れる。

 息も絶え絶えな彼女に、さらに追い打ちをかけるように女は呼吸を奪いに行く。

 少女はきゅ、と目を閉じた。


「――良い子にしていて。もうすぐだから」


 まとわりつくような熱い吐息が耳朶に触れる。

 同時に冷たい指先で背骨をなぞられ、少女の身体は弓のようにしなった。

 意識が宙に浮いた隙を見計らうように、『それ』は彼女の奥深くに埋め込まれる。


 熱い身体を投げ出したまま、恍惚とした瞳で、少女は恋うるその人を見上げる。

 その人は綺麗に笑い、汗ばんだ少女の額を撫でた。


「大事に育てて。私と貴女の、愛の証よ」



 * * *

 古い歴史を持ちながら、今や文化の先進を行く都市アマゾネス。

 古代、悪趣味な豪族が剣闘士を戦わせ賭け事をする闘技場が存在し、それが廃されてもなお荒くれ者の巣窟となっていた街だ。

 それに起因してか、歴史上最後の大国間戦争であるテリオワ大戦が終結した後も、女性の立場が他の街より格段に弱く、当然のように虐げられる対象だった。

 夜中は当然、日が昇っている時間でも、女性がひとりで歩いていようものなら破屋に連れ込まれて犯される――そんな酷い場所だったという。

 その状況を憂いた風来坊の女戦士が街の無法者たちを一掃し、旧闘技場を訓練場に改め、女性たちに剣を取らせた。子供には学を教えた。

 その女戦士の教えが良かったのか、それとも、それまで虐げられていた者たちが溜め込んでいたエネルギーの凄まじさなのか。

 彼女らは後世の学者が揃って驚愕するほど短い期間で逞しく成長し、どの都市よりもはやく近代的で、民主主義的な体制を築き上げた。


 いつしかその街は『強き女性』という意味の言葉、『アマゾネス』と呼ばれるようになり、強く、礼節ある者が集う、治安優良都市となった。


「その名残なのでしょうか。現在もアマゾネスの人口の3分の2は女性だそうです。土地自体は国の直轄地だそうですが、住民選挙で選ばれた女性の市長が政を執っているとか。議会の議員も全員女性なんです。他の都市ではこうはいきませんよね。アマゾネス流石です」


 揺れる汽車の中。

 少し興奮気味に、やや早口で、マリアはアマゾネスの歴史と現状をロアに語った。

 座席の対面で膝の上に手を組んで座るロアは、マリアがはしゃいでいるという珍しい事象を愉しげに見つめながらも、やや複雑な表情をしてぼやく。


「マリアがアマゾネスという都市の成り立ちにとても感銘を覚えているのは分かったし、その風来坊の女戦士にものすごーく憧れているのもよく分かったんだけど。今回の依頼はなんというか、嫌な予感しかしないというか」


 依頼主は、アマゾネス市内にある名門、全寮制の女学院、ロマンデルク学院の学院長だ。


「男子禁制のはずの敷地内で、女生徒が謎の妊娠。当人は全く記憶にないとのことで、悪魔の仕業に違いないと……」

「いやいや、これ、相手が相手だけに教会本部もあえて言ってないみたいだけど、ただの不祥事案件だったらどうするの? 目も当てられなくて報告書も書けないやつだよ?」

「はなからそう決めつけるのはよくありませんよロア。ロマンデルク学院は歴史ある貞淑な学校です。手紙にもある通り、対象の生徒は学院の中でも抜きんでて品行方正な優等生であると書いてありますし」


 品行方正な優等生ほど火遊びに弱いんじゃなかろうか、と言いたくなるのをぐっとこらえ、ロアは窓の縁に頬杖をついて、流れていく景色を眺める。

 ふとロアが車内に視線を移すと、おずおずとマリアがその顔を覗き込んでいた。


「……ロアはあまり乗り気ではないんですね」

「依頼の内容がね。マリアと出掛けられるのはとても嬉しいよ」


 ロアがそう言うと、マリアはほっとしたようにその顔を綻ばせた。


「一度行ってみたかったんです、アマゾネスに。貴女と一緒に行くことが出来るなんて、以前は思ってもみなかったので」


 嬉しいと、マリアは笑った。

 ロアは思わず頬杖をついていた手から顎を離して、目を丸くする。


「……私、なにか変なこと言いました?」


 相当間の抜けた顔をしていたのだろう。マリアが訝しげにそう尋ねてくるので、ロアは破顔した。


「ううん、マリアがあんまりにも可愛いから見惚れちゃった」

「!?」


 ロアはすかさずマリアの手をとり、接吻の真似をする。


「この仕事、早く終わらせて少し観光もしたいね。新婚旅行みたいに」


 マリアは慌てて手を引っ込めて、頬を真っ赤にして叫ぶ。


「まだ結婚してないですから!」

「まだ、ね」


 ロアの、喉の奥で押し殺すような笑みにマリアはより一層顔を赤くした。




 * * *

「遠路はるばるよく来てくださいました、シスター・マリア。それから、そちらは助手の方ですね」


 顔に憔悴の色を滲ませながらふたりを出迎えたロマンデルク学院の学院長、マドリン・マクレガン氏は、シルバーグレイの毛髪をひっつめにした老齢の女性だった。とはいえ、背筋は今なおぴんと伸びており、誰よりも長くこの学院で教鞭をとっていたというその眼光は、並みの人よりも鋭く感じられる。

 恐らく、こんな事態に陥っていなければ、もっと覇気のある立ち姿だったのだろう――そんな風格を漂わせていた。


「件の生徒の様子をまず見ます。案内していただけますか」


 マリアの申し出に、学院長は頷いた。

 学院長の秘書の女性が先導し、学院建屋の奥にある医務室へと案内される。

 その折にも、学院長は両手で自身の身体を抱えるようにしながらふたりに伝えた。


「実は、教会に手紙を書いてからも症状は悪化する一方で。段々生気がなくなっていって、今日にいたっては朝からずっと眠ったままなんです。私、彼女の御両親にもこのことをお伝えできずにいて、」

「……」


 マリアとロアは少しだけ視線を合わせ、歩みを心持速くした。


 医務室の扉をくぐると、中央にあるベッドに件の女生徒が横たわっていた。

 学院長の言う通り、彼女は眠っているようだ。

 マリアはすぐに彼女の傍らに寄り、息、脈の正常を確認する。

 しかし顔色が悪い。もう冬もすぐそこという季節なのに、その額には汗も滲んでいる。

 そして、教会本部から受け取った手紙の通り、彼女の腹部は妊婦のように膨らんでいた。


「シスターの見立ては? やはり悪魔が彼女に憑いているのですか?」


 一歩下がったところで、学院長がマリアに尋ねる。


「私が実際に現場で見るのは初めてですが、教会が長年蓄積している記録に同様の案件がありました。ロア」


 マリアが呼ぶか呼ばないかのタイミングで、ロアはマリアが提げてきた旅行鞄を開く。その中から聖水の入った試験管を取り出し、マリアに手渡した。


「安全のために学院長と秘書の方は部屋の外に出てください。うまくいけば数分で終わりますが、良いと言うまで立ち入ってはいけません」


 神妙な顔をしながら、ふたりは指示通りに部屋の外に出る。

 それを確認し、マリアは試験管の蓋を開けた。後ろに立つロアにマリアが小さく告げる。


「――先刻はああ言いましたが、どう出るか分かりませんので」

「大丈夫。マリアなら出来るよ」


 この依頼を受けてすぐ、マリアが過去の類似ケースの資料を読み耽り、幾つもあるパターンの対処法をしっかりと頭に叩き込んでいたことをロアは知っている。

 マリアは小さく深呼吸して、女生徒の口に聖水をあてがった。

 ほどなくすると、少女の身体が小さく痙攣し始め、次第に身体の揺れが大きくなる。

 ベッドからずり落ちそうになるほどの震えに、ロアは少女の身体をぐっと抑えつけた。


「、手強いですね」


 マリアが次の段階に移行し、複雑な呪文を唱える。

 少女が飲んだ聖水がそれに反応し、彼女の白い肌の下から薄緑の光が透ける。

 暫くすると少女の身体から急に力が抜け、張っていた腹部も急激に萎んだ。

 が、薄くなった少女の腹部にもぞもぞと蠢くものを視認し、ロアが舌打ちをする。


「まだ動くか」


 ロアはそのままその蠢くものを、腹の上から手で抑えつけた。

 刹那、人ではないものの甲高い悲鳴が聞こえ、動きも途絶えた。

 マリアは鞄から、体内の異物を取り除く解毒薬を取り出し、少女の口に再度注ぎ込む。


「これで排出されるといいのですが」

「さっきのでモノは死んでる。大丈夫だよ」


 ふたりが一旦部屋を出て学院長に説明をし、30分ほど待機した後、少女の身体からそれは無事排出された。

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