私はただ、平和に暮らしたいんです

抹茶ロール

第1話

「へへっ、悪く思うなよ!!」

「や、めて……」


 冷たくじめっとした路地裏で、私の両手を右手で壁に押さえつける男はニヤリと気色の悪い笑みを浮かべる。

 そして空いた左手で私の額に手を翳したかと思えば、右手の掌が光り、私の体は脱力し、力を入れたくても入らなくなってしまった。


 ──嘘。何で!! 声も出ない!


 それをいいことに、男の右手は私の足をゆっくりと撫でた後、ゆっくりといやらしく上がってきて、不快感が込み上げてくる。

 嫌だ、こんな気持ち悪い男に犯されるなんて嫌だ。



 何で私がこんな目に遭わなきゃいけないの……。






 なぜ、こんな事になってしまったのか。


 その原因は数時間前に遡る──。









 雲一つない青空の下、私はいつもの時間にいつもの通勤道を歩いていた。

 代わり映えのしない通勤道。ごく普通の社会人である私以外にも通勤するサラリーマンや学生がたくさん歩いている。


 だから今日もいつものように仕事をして、帰りに晩酌用のお酒でも買って帰ろうかと思いながら歩いていた時だった。


「ヤァ、オ嬢サン」

「!!」


 黒いコートを着てフードを被った、見た目怪しすぎる男が私の目の前に突然現れたのだ。

 突然すぎてギョッとするも、男はフードを深く被っているせいで顔まで見えない。見えるとしたら、口角をカーブさせて笑っているんだとわかる口元だけ。


「お、おはようございます」

「クク、……。 次ハ君ノ番ダヨ」

「は?」


 片言で訳のわからない事を言い出した男は喉を鳴らすように笑いはじめたせいで、更に不信感が強くなる。

 なにこの人? そう思いながらも、周りに目を向けてみるも誰一人男に目を向ける者はいない。まるで見えていないような素振りだ。


「サァ、楽シイ楽シイ世界へ行ッテオイデ」

「!!」


 明らかに不審者だ。そう自分の中で警告が鳴ったときにはもう、男はスッと手を前に出し、掌を私に向けていて。

 この男は一体何をしようっていうのか。

 でも、とにかく交番にでも逃げ込まないと。そう思い、隙を見て踵を返し、その場から駆け出そうとした時だった。


「え……」


 足元から地面の感覚が消え、私の体はグラリとバランスを崩していく。



 何が起きたのか、足元に目を向けてみれば人一人分程の大きさの穴が開いていた。

 慌てて、周囲にあるものに掴んで落ちることを防ごうかと思ったのだが、近くに掴まれるものなんてなかったため。





「きゃぁああああ!!!」




 私はそのまま穴へと落ちてしまった。




 落ちてしまった穴は真っ暗で、いつ、どのタイミングで穴の底に着くのかもわからない。


 そんな中、私はずっと、ずっと落ち続けた。








 どのくらいの間、落ち続けたのかわからない。


 恐怖心からか気が付けば私は目を閉じ、意識が飛んでいたらしく、徐々に意識が戻っていく。


「ん……」


 体からは冷たく固い感触が伝わってきて、周囲からは何か賑やかな人の声や音が聞こえてくる。

 私は穴に落ちて、どうなったんだろうか。ここは天国? それとも地獄?

 ゆっくりと瞼をあげれば、薄暗くて狭い場所。

 手を使って体を起こし、周囲を見渡せばどこかの路地裏だとわかり、聞こえてきた賑やかな声や音は表通りからだった。


 ──ここどこ?


 訳がわからないまま、立ち上がり、場所を確認しようと表通りに出ようとした時。


「おい」

「!!」


 突然背後から声をかけられ、肩が震える。

 人がいるだなんてわからなかったため、驚き、バクバクと鼓動が早まるのを感じながら振り向けば、30代くらいのジャケットを着た男性が立っていた。


「こんな場所で一人か?」

「あ、あの……」

「でも、まぁ丁度いいや」

「え……」


 男の言っている意味がわからなかったが、先ほどの黒コートの男の事で、つい後ずさりをしてしまう。

 しかし、そんな私を逃がすかと言わんばかりに腕と肩を掴んできて、裏路地の壁へと体を押さえつけられてしまった。



 そして冒頭へと戻るのだが。



 目の前にいる男は興奮しているのか、鼻息が荒く、ニヤニヤと寒気がする程の笑みを浮かべている。

 なぜ体が動かないのか、何で私がこんな目に遭わなければいけないのか。

 しかし、今はそんな事はどうでもいい。

 見ず知らずの男に犯されてしまうんじゃないかという恐怖心からか、更に鼓動が早まっていき頭の中がパニックになってくる。


 やだ、やだ。


 怖い。気持ち悪い。


 誰か。



 ──助けてッ!!




「ぐぁっ!!」

「!!」


 心の中で助けを求めた瞬間、男の呻き声と共に足に這う気持ち悪い男の手の感触と、私の腕を拘束していた手が無くなり、力の入らない私の体は地面にぐったりと座り込む。

 一体何が起きたのか。確認したくても、まだ体が言うことを聞いてくれないため、下を向いてしまっている今の状態じゃあ見ることもできない。


「見つけたぞ!! 強姦魔め!!」

「っくそ!! 特能課の連中か!!」


 強姦魔?特能課?

 聞こえてきた声は、私を押さえつけてきた男の声ともう一つは初めて聞く声。

 もしかして、その人が助けてくれたんだろうか。


「おい、能力解け!」

「ッチ」


 男の舌打ちの直後、私の体は動くようになった。

 座り込んだまま、顔を見上げてみれば、私を犯そうとしていた男の両腕を拘束している青髪の小柄な男性がいて「大丈夫か?」と声を掛けてきてくれる。

 でも、男の顔を見ると先ほどの恐怖が蘇ってきて、今になって体がガタガタと震えてきた。


 今日は何でこんなにもおかしな事ばかり起こるのか。

 そんな事を考えたら、ボロボロと涙まで溢れ出てきてしまう。




 この後、特能課と言われていた男性が呼んでくれたのか、女性が来てくれて、私は強姦未遂の件で警察へ行くことになってしまった。

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