特別短編『もしも○○○が幼なじみだったら』 第二話

   第二話「もしも佐伯裕子が幼なじみだったら」





「……おはよ」



 自室にて一人で起床し、もちろん制服への着替えも一人で済ませた俺は、リビングに下りて朝の挨拶を口にした。

 おはようの相手は俺の前方、リビング奥のキッチンに立っている。

 スカートの輝かしい制服と、その上に付けた家庭的なエプロン。けれど正体は母親などではなく、幼なじみだった。



「おはよう、翔くん。起きてくるの遅いぞ」



 幼なじみの、佐伯裕子だった。



「おまえは部屋に起こしに来てくれたりしないのな。幼なじみなのに」


「わたしは、翔くんを一人で起きられないような軟弱な幼なじみに育てた覚えはないぞ」


「俺も育てられた覚えはない」


「ならきちんと一人で起きるべき」


「そのとおりで」



 可愛い幼なじみの女の子が毎朝起こしに来てくれる――なんてのは、フィクションの中の出来事だ。

 現実の幼なじみはそんなに甘くない。この佐伯裕子がその証明である。


 俺が露骨に不満げな態度を取っていると、リアル幼なじみは「目覚まし時計に頼るなんて精進が足りないぞ」とまで付け加えてきた。男子高校生に気合いで起きろとは酷なことを言う。



「っていうか、キッチンで何やってるの?」


「朝食の用意。二人分」


「なるほど朝食の……えっ。二人分!?」



 見れば、キッチンにはすでに盛り付けまで終わった見事な朝食が並んでいる。

 形良く焼けたハムエッグに、プチトマトの目立つミニサラダ、そして小さく切り分けられた食べやすそうなサンドイッチ。朝起きたばかりだというのに、見ているだけで食欲がわいてくる。



「わたしは朝起きられない男の子を起こしてあげるような甘い幼なじみにはなれないけど、美味しい朝ごはんを作ってあげる幼なじみにはなれる。料理の腕には自信アリだぞ」


「……それはそれで十分、甘い幼なじみだと思うけど」


「そう感じるんなら、それでもいいよ。わたしは翔くんのために為すべきことを為すだけだから」


「母親か……」


「そこは妻と言ってほしい」



 裕子はドヤ顔で言った。

 俺は反応を返さず、無言で見つめ返した。


 しばらくするとドヤ顔が崩れて、裕子が無表情になる。

 そしてまたしばらく俺と見つめ合っていたのだが、やがて耐えられなくなったのか、何も言わずに顔を背けた。



「……裕子さん?」


「知らない」


「自分で言って照れてるやん」


「むっ」



 面白半分でからかってみたら、裕子は音もなく距離を詰めてきて、俺の脇腹を指で突いてきた。



「痛っ!? なんだいまの!?」



 つんつん、って感じではなく、グサァー!、って感じの突き込みだった。

 裕子はそれで突いたのであろう人差し指を立てながら、目を細めて言う。



「翔くん。人体には経穴というものがあってね」


「……マッサージとかするときに押す、ツボのこと?」


「佐伯夜人流にとっては急所と同義、というのは有名な話」


「知らなかった……」


「無知は罪じゃないぞ」



 ちなみに佐伯夜人流というのは裕子がやっている武術の名前である。



「この経穴を突く技を使えば、翔くんを一生、わたしの作るごはんなしには生きられない身体にすることも……」


「どんな武術だ! ええい、俺がそう簡単にやられると思うなよ!」



 俺はじりじりと距離を詰めてくる裕子に対抗するべく、我流の構えを取った。

 裕子はそれを見て、一歩身を引く。

 まさか、俺のデタラメな構えを警戒して……? そんなわけないか。



「翔くんには、この技は使わない」


「なぜ?」


「知らなかった? 男の子の胃袋は、正々堂々“味”で掴むものだぞ」



 裕子は再びのドヤ顔で言ってのけた。

 ……今回のは少し、いや素直に、格好いいと思ってしまった。



「あと“愛情”」


「…………」


「ノーリアクションはやめて」


「やっぱり恥ずかしいんじゃん」



 余計な一言を付け加えなければ俺の負けだったのに。

 いやなんの勝負だって話ではあるが、こういう取り留めのない会話も幼なじみ同士ならではのもの。

 一日のスタートにこういうやり取りができる相手がいるのは、純粋に嬉しい。



「わたしもまだまだ精進が足りない」



 それに、いいこと言おうとしてちょっと失敗している裕子の照れ顔は、一日一回は見ておきたいくらい可愛かった。

 なんて言ったらまた反撃が来そうだから、黙っておくけれど。



「うん? あれ、じゃあさっき突いてきたのはなんのツボだったんだ?」


「ただの『つん』だぞ」


「ただの『つん』かよ」


「刺激が足りないようなら『ずぶっ』でもいいけど」


「それ風穴が開くやつじゃ……」


「冗談だぞ。本当は食欲増進のツボ。って、この前テレビの健康番組で言ってた気がする」


「テレビの受け売りかよ。ったく」



 俺は気持ちよく嘆息した後、裕子が用意してくれた朝食の皿を手に取る。



「あっ、翔くんそれ」


「ただ作ってもらうのも悪いし、配膳くらいは俺がやるよ」


「それも妻の仕事なのに」


「おまえは幼なじみだろ」


「……いまはね」



 裕子はぽそりとつぶやいた。これまでより明らかに小さな声だった。

 ……だけどしっかり聞こえてしまった。

 茶化すと怒られそうなので、これは聞かなかったフリをしよう。


 朝食をリビングのテーブルに運び終え、俺は椅子に座ろうとする。

 しかし裕子はキッチンに立ったまま、じっと俺のほうを見ていた。



「……裕子? 朝食、全部運び終わったぞ」


「うん」


「だったらこっち来いよ」


「その前に。翔くん、幼なじみのエプロン姿になにかコメントはないの?」



 裕子は身につけたエプロンをひらひらさせながら、求めるように言った。


 見慣れた学校の制服の上に、エプロン。

 その組み合わせに何を感じるかとと問われれば、軽く三分間くらいは熱弁できる自信があるが……そんなことを真面目に答えられるわけがない。

 なんでって、恥ずかしいからである。


 だから俺は、頬をぽりぽり掻きながら、視線も外してこう返す。



「あー……可愛いよ」


「コメント雑だぞ」


「幼なじみだからな」


「親しき仲にも礼儀あり」


「どうしろと」


「作中人物のこのときの気持ちを考えてみましょう」


「国語の問題か」



 ううむ。まあ、これで納得するようならわざわざ正面からコメント求めたりはしないよな。

 俺は裕子の期待に答えたい気持ちと自分の羞恥心の妥協点を探り、ようやくの答えを導き出す。



「じゃあ、明日」


「明日?」


「いまはいいコメントが浮かばないから……また明日、朝食作ってくれよ。裕子の作る食事は文句なしに美味しいし。その、コメントはそのときリベンジするから」



 ぶっちゃけ保留である。

 起き抜けでまだ頭が働いていない、とも言い訳しておこう。



「……うん。承りました」



 しかし裕子は意外や意外、満足そうな笑みを浮かべて頷いた。

 そのままぱたぱたと駆け寄ってきて、俺が座ろうとしたテーブルの椅子を引いてくれる。



「翔くんの幼なじみは、やりがいがあるね」


「なんだそりゃ」



 なぜか上機嫌になった幼なじみを向かいの席に置きながら、今日も二人で朝食を食べるのだった。

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