第18話 手紙

 だからといって、私が今まで何もしなかったわけじゃない。

 私は、何度も何度もおじさんの家の小屋に行った。

学校の帰りだったり、塾に行く途中だったり、休日だったりで、小屋を外からコンコンと叩いてみたり、鍵がなんとか開かないか、テレビで観た、空き巣が髪を止めるピンで開けるのを観て、それで開くかもしれないと、ピンを持っていって、鍵穴にさして回してみたりと、あれこれやってはみたけれど、鍵は頑丈に閉まっていて、決してここに入れないぞとばかり、びくともしないのだった。

 おじさんの家には、新しい人が入ることもなく、日に日に、年々、朽ちていくのが目に見えていくだけだった。

なのに、いつまで経っても、小屋だけは頑丈なまま、そこにどっしりと構えているのだった。

それは錯覚で、本当は朽ち初めていたのだが、開かない鍵だけが私の目には映り、頑丈なまま見えていたのだろう。

 鍵の開いたままの家の方には、誰も住んでいないのに、ショーケースのガラスがバリバリに割れていたり、お菓子のゴミや空き缶などが行くたび増えていて、私には、人が誰もいなくなっているのに増えているゴミの存在のほうが、不気味でならなかった。

 そして、まゆちゃんの家は取り壊され、新しい家が建ち、私の知らない場所になった。

「またおてがみ書きます」のまゆちゃんからは、あれから二度と手紙はこなかった。

 私は、きぃちゃんのことでおじさんのこともずっと気になっていたので、まゆちゃんにはあれから2回手紙を送っているが、返事は来なかった。

いや、正確にはまゆちゃんにもう1度、ケンちゃん宛ておじさん宛て2通を1度送っている。

おじさん宛てとケンちゃん宛ては、おじさんだけに宛てると、なんか変かなと思ったからで、おじさんの名前は知らなかったけれど、ケンちゃんの名前は知っていたから、ケンちゃんのお父さんと宛名を書いたのだった。

 まゆちゃんに書いた手紙は、まゆちゃんから2度目の手紙がこないなと思った小学3年の時の話で、おじさんに送ったのは、私が全部思い出して、あれやこれやと想像しはじめたずっとあとの、中学生になった頃だった。

 おじさんは、まゆちゃんが引っ越したところへ行くと言っていたので、まゆちゃんの家におじさん宛てに送れば手紙が届くだろうと思ったからだった。

 ケンちゃんには、何の変哲もないご機嫌伺と内職の話などで、おじさんには私があの日のことを思い出したこと、誰にも言わない約束を守っていること、そしてケンちゃんにもらった「こわいおはなし」がきぃちゃんの本であること、そして、きぃちゃんがどこにいるか知りませんか?と。

 返事は来なかった。来たのは、宛て先不明という赤い判子が押された、私の書いた手紙だった。

まゆちゃんが引っ越してから、私には郵便受けを覗く癖がついていた。

だからおじさんやケンちゃんに送った手紙が戻ってきたとき、それが家族に見つからなくて済んだことは、本当によかったなと思う。

こんな手紙を母が見つけたら、ケンちゃんならまだしも、おじさん宛てっていうのは、たぶん、誰が見てもかなり不自然な気がするだろうから、問い詰められるか、勝手に開けられるかどっちかだっただろうと思う。

 小学6年のとき、友達と交換日記をやっていたのだけれど、それを母に覗かれ、私が書いたものが気に入らなかったのか、全部消されて書き直されていたことがあった。

あれには正直驚いた。勝手に覗くだけならまだしも、母が書き直してしまったのだ。

朝、もう一度自分が書いたことを確認しておいて、本当によかったなと思った。

筆跡も違うし、誰がどう見ても書き直されているのがわかるので、こんなものが回ってきたら、さぞかし友達も異様に思ったことだろうと思う。

 きぃちゃんもまゆちゃんもいなくなって、私は寂しい小学生活をしばらく送ったけれど、そんな私に、まるできぃちゃんの代わりにと、神様が用意してくれたかと思うほど、私と気の合う子が転校してきたのだった。

 とても勉強ができるその友達は、まゆちゃんと同じように、おじいちゃんおばあちゃんが住んでいるこっちへ東京から引っ越してきたのだった。

なので、私の父もその友達の母を知っていて、わりとしっくりと家族絡みで仲良くするようになったのだった。

 東京から来た子で、当時の私たちにはとても洗練されているように見え、勉強も私なんかより余程できて、やっぱり東京の子は勉強もしっかりやっているんだな、田舎の私たちみたいにのんびりなんかしていないんだなと思ったものだった。

 そんな友達ができ、それまで漫画の中でしか見たことがなかった「交換日記」を、その友達がやろうと言ったとき、なんだか今までと違う都会の空気が入り込んで、この田舎のこのクラス全体が洗練されていくような感じがして、中でもその子と一番仲良くしている私は、都会に一歩も二歩も近づいているような気がして、東京の友達に似合う自分でいなければという想いが強くなっていたので、母のやった日記を書き直すなんていう振る舞いは、子ども扱いにも程がある、とても恥ずかしいもののように思えた。

 そんなことがあったことを、おじさんとケンちゃんへ出した戻ってきた手紙を見て思い出したことがあった。

母は、そんなふうに私の動向を注意深く見て気にして、いつも先回りをするようなことをしていたのだった。

 あのヘビの穴だってそうだ。

あそこにヘビなんかいないことは、とっくにわかっていた。

 私たちが暮らすこの町は、水道に地下水を利用していた。

あの穴は、昔の汲み出しの消火水の役目を果たしていたもので、それがずっと残っていて、地下水が流れる途中にある穴で、地下水が入り込んで溜まっているもので、子供が面白半分で開けて落ちたら、その地下水の流れで、地下深くを流れて、たぶん、いずれは海へと行く流れで危険だということで、ヘビがいると脅かすことで、私が開けないようにというつもりで言っていたことだったのだろう。

 その穴の水は、日照りでも続かない限り水は溜まっていて、一瞥しただけでは、水面に動きはなく、大雨でも降らなければ大きな流れもなく、ただ水が溜まっているだけにしか見えないのだった。

 大人は、母はわかっていない。

子供は大人の言うことを信じるのだ。

信用できる大人の言うことは信じるのだ。

だから、嘘を言ってはいけないのだ。

あそこには水が溜まっていて、危険な場所なんだよ。

もし開けて、落ちてしまったら死んでしまうんだよ。

だから絶対に開けてはいけないよ。

母が言うべき言葉は、それだったのだ。

そう聞いていれば、私は絶対に開けようとは思わなかっただろう。

きぃちゃんに、ヘビがいるなんて言って、それを一緒に見ようなどということには、決してならなかったのだ。

子供の興味をそそるようなことを言って、脅かしたり嘘をついたりすることはしてはいけないのだ。

私は教員となるとき、そのことを反面教師としようと、心に誓ったのだった。

 おじさんへの手紙が戻ってきてしまったことで、おじさんたちはまたどこかへ引っ越したのかなと思っていた。

まゆちゃんへ出した2度目の手紙にも返事が来なかったし、話を聞きに鹿児島へ行くのには、中学生が簡単に会いに行ける距離ではない。

私は、どうしたらいいのか、相談できる相手もなく、どうすることもできずに、今まで通り、時々おじさんの家に行き、裏の小屋がなんとか開かないかと、南京錠をガチャガチャとさせてみたり、相変わらず何度やっても無駄だった、ピンを穴に差し込んでグルグルしていただけだった。

 今さらそんなことしてもと自分でもわかっていた。

でも、そこを開けてみて、中を確認しないと、どこへも進めないような気もしていた。

・・・あそこを見に行く前に、それをちゃんと済ませておきたかったのだ。

いや、それを先延ばしにしたいがために、小屋の鍵は開かなければ開かないでもいいと、心のどこかで思っていたのも事実だ。 


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