静止軌道の観測者・序章

前河涼介

第一日

荒野の真ん中で

 他にいいテーマも思いつかないし、そろそろ頃合いだろうから僕と龍が出会った時のことを書こうと思う。

 イランの南部、ペルシャ湾の海岸線と並ぶような具合にザグロスという高い山脈が横たわっている。麓から見上げるとピークの高さが揃っているので白い屏風のように感じられる。白いのは雪だ。緯度も低いし乾燥帯だが、それでも雪が降る。山は白く、大地は黄色い砂と岩に覆われている。舞い上がった砂で黄色く霞む茫漠とした大気の中に白い山脈がしたたかな鋭利さをもってそびえている。一方稜線に上がると自分の回りは白い雪と黒い岩石に覆われ、見渡せば霞んだ大気の下に不確かな黄色い大地が果てもなく平たく広がっている。それがザグロス山脈だ。

 残念ながら僕は任務の最中に龍に出会ったので、それがいつどこで起こったことなのか、本当のことを説明しようとするとどうしてもまだ軍事機密を解除されていない情報を語ることになってしまう。だから仮の話として、その時僕はほとんど脱出するようにイスファハーンを出発し、トラックで荒野を走り、ヒルクライムのように山道を上ってシューシュタルを目指していた、ということにしておこう。

 周知のとおりイスファハーンとシューシュタルはザグロスを挟んで向かい合うような位置にあるので、その二つの世界遺産都市を陸路で移動しようとすると大変な山道を越えなければならない。しかも当時は米軍が方々に検問を敷いていたのでまともに峠道を辿っていくのは危険だった。当時日本と米国は純然たる同盟国だったけれど、僕は諸々の事情によってその場所で見つかってはならない立場だった。シューシュタルまで到達すればスウェーデン軍の難民支援部隊が僕を匿ってくれるはずだった。

 もちろんそれもたとえ話であって、事実じゃない。

 出発から二日目、山々の真ん中でトラックの燃料が切れた。想定より燃費が悪かったせいもあるし、ルート選びが上手くいかなかったせいもある。惰性で斜面を下っていければよかったのだけど、何しろもういくつも山を越えていたから、すり鉢の内側に取り残されてしまったようなもので、いくら勢いをつけたところで次の上りが越えられない。結局トラックは小さな盆地の一番低いところで止まった。僕は車を降りて周りを見渡した。雪をかぶったいくつものピークが遠くを取り囲んでいるが辺りには岩と砂しかない。まるで火星に降り立ってしまったような気分だった。

 僕はひとまず積み荷を確認して、野営に必要な道具と食料・水を持てる分だけ選別した。残念ながら大した重さにはならなかった。

 そうしてまたずいぶん岩と雪の間を歩き続けた。雪を食べて水を節約し、できるだけ低いところ、風のないところを進んだ。向かうべき方角はわかっていたけど、あまり切り立ったところを突っ切っていくわけにもいかないし、どの峠を辿るのが近道なのかもわからなかった。まるで迷路だ。地形図だって山の全てを教えてくれるわけじゃない。

 そうして四日目の日暮れ前、僕は浅い谷を突っ切って南西の稜線を越えようとしていた。寒くて、空腹で、おまけに空気が薄いせいで頭が回らなかった。とにかく、あの尾根を越えたら岩陰に寝袋を広げて温まろう。そう思っていた。

 やがて視界が開ける。

 その時、眼下の岩場に白いものが見えた。最初は残雪だと思った。しかしそれにしては妙にぽつんとしているし、厚みがある。では生き物だろうか? クマにしては体の色が変だ。ホッキョクグマ以外に白いクマなんて聞いたことがないし、しかもよく見ると表面に光沢があった。ある種のトカゲなのだろうか。いや、それにしては大きい。距離感が変だ。

 そうして考えている間にだんだんと頭がはっきりしてきた。雲が吹き消されて燦然と輝く北極星が姿を現す。そんな気分だった。それは龍だ。写真も剥製も見たことはないが、想像図の類ではよく見かける、まさにその姿だった。

 それが僕と龍の出会いだ。

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