The glitter
久下ハル
1 リュウ
「ふふっ」
黒髪の少年は、水晶板を見つめて、妖しく微笑んだ。
「面白いじゃないか……。見つけたよ、やっと」
それは、昔むかしの物語――――――――しかし、その本当の結末は、誰も知らない。
これは、ある世界の寓話に隠された真実と、それに翻弄された者たちの、足痕。
この存在に、疑問を抱いた――――竜は制服のまま、通いなれた神社の鳥居をくぐった。
夏の昼下がり、学校はまだ、生徒で溢れている。抜け出すとき、教師には見つからなかったが、幼なじみには困ったような笑みを向けられた。
竜の栗色のショートカットは、風に吹かれればサラサラと音を立てそうな涼やかな印象で、明るさを宿した、髪と同色の双眸は、くるりと大きくて形よく、無駄な肉のない身体つきと合わさって、周囲にモテる要因の一つになっていた。
「よぉ」
向かう方向から声がして、応えるように顔を上げる。興味深げな眼をした男が一人、狛犬の台座に体を寄りかからせていた。
「よぉ。一人か?珍しいな」
いつも一緒の相方がいないことに竜が首を傾げると、海雷は意地悪な顔をして、ニヤリと口角を上げた。
「何だよ、その反応」
それに更に首を傾げていると、すぐ後ろで、ふわりと風が舞った。
「サボりぃ?いーけないんだ」
突然の声に、思わず、肩が跳ねた。聞きなれた声であるはずなのに。
振り返れば、思った通り、実に意地悪そうに目を細めた
「相変わらず、違和感ないねぇ。その恰好」
彼のにこやかな嫌味に、竜は、不機嫌に口をとがらせた。
きっちりと折り目の入ったチェックのズボンに、左袖にエンブレムの入った白のシャツ。確かに、傍から見れば、竜の着ている制服は男物に見えるだろう。
しかし、これは男子用の制服ではなく、男女兼用の制服だ。
「れっきとした制服だっつーの。男物じゃねぇよ」
「女の子が着てるの、見たことないよ?」
的確で冷静で、その上、意地悪。海吏の嫌味にはイライラするが、言い返せないのが難点だった。
「いるじゃねぇの、海吏」
にやりと笑う声が近づいてくる。
彼らの背は、竜よりも頭一つ分高い。海雷は、竜の傍まで来ると、ポンと頭に手を乗せた。
「ここに一人」
海吏が、弾けたように笑う。
そう、竜は男ではない。女の子だ。
しかし、別に、男らしくしてきたわけではない。竜は父が大好きで、その背中を追っていたら女らしさから遠ざかっていただけだ。
「言ってろ……」
言い返す気にもなれない―――――竜は、人をダシにして、腹を抱えて笑う二人を置いて、奥へと進んだ。二人と遊ぶために、学校をさぼったわけじゃない。
社の脇を、更に奥へと進む。
この辺りは、もともと緑の多い土地だが、町中にあってなお、この神社の周囲は、うっそうと木々が茂っていた。風が吹き、夏でも、ほかの場所より不思議とさわやかだ。
社の奥へと進んでいくと、緑は、いっそう濃くなっていく。まるで、森に迷い込んだようだ。それまで見えていた景色が、ゆらりと変化したような感覚。
そして、それを自然と受け入れている自分に、竜は、この頃、疑問を感じていた。
向かう先に、小さな建物が見えてくる。表の社を、小さくしたような建物だ。その縁側で、物静かな雰囲気の青年が、読書をしていた。
「いらっしゃい」
本から顔も上げないで、青年は、竜を迎えた。
「どーも」
思わず足を止めてしまい、少々居心地が悪い。口から出た挨拶も、妙に他人行儀だ。
それ以上の言葉もなく、静かに彼の隣に座る。カバンを脇に置いて、ただ、そこから見える景色を眺めた。
青年が、本を置いて、アーモンド色の瞳で竜を見つめた。
縁側の端に、足を投げ出して座るこの青年は、
そして、人ではない。自然の中に生きる精霊であり、この地を護る守護者だ。
彼は、竜の持つ秘密を知っている。
「どうした?」
静かな声音が、社裏に吹く風に交じって聞こえた。
いつもと様子が違う――――樹李は、早々に気づいていた。
竜は、眉間にしわを寄せた。何を聞いても、おそらく彼は受け止めてくれる。それをわかっていてもなお、問うには少しの勇気が必要だった。
自分が周りとは違うと、認めたくない事実を認める気がして。
それは、個性ではなく出自に関わることなのだと、本能が教えてくれている。
「うん……」
「何かあった?」
「俺、最初にここに来たのって、父さんに連れられて来たんだっけ?」
「そうそう。十年くらい前かなぁ?まだ、四つか五つだった。小さくってパワフルでさぁ、父親似だって思ったよ、心の底から。チビ
懐かしそうに話す樹李の口元には、笑みが浮かんでいた。
竜も楽しげに声を立てて笑った。
「兄ィは、あのころから今のまんまの兄ィだったよね」
樹李は、一見すると二十歳前後、海吏と海雷も十六、七歳ほどに見える。しかし、彼らの外見が、生きてきた年数と相応でないことは、竜も心得ていた。
「竜、もうすぐ夏休みだよな?」
「うん」
「夏休みはどうする?去年は、ここで剣と武術の稽古してたろ?」
「今年は、どうするかなぁ……」
「受験?」
「できれば、兄ちゃんと同じとこに行きたいんだ」
「授業サボっててよく言うよ」
樹李が小さく笑って、それにつられるように竜も笑った。
「それで?受験生が勉強しないで、どうかしたのか?思い出話がしたいんじゃないんだろ?」
「まぁね」
竜にしては、珍しく言いよどむ。それ自体が、胸の内に秘める問いを表していると、樹李は気づいていた。
「なんで俺には、こんな力……戦う力が、あるんだろうって……どうして、必要なんだろうって思ってさ」
周りでは誰一人、持っていない力。幼いころから自然と受け入れ、彼らによって、使いこなせるようになった武術と剣術、そして――――。
「魔術なんて、普通に生活してて使うことないのに……。何で父さんは、俺をここに連れてきて、戦えるようにしたのかな?」
樹李は、淋しげに笑って答えた。
「本人に、直接聞けたらいいのにな」
しかし、竜の父、杏須はもう生きてはいない。
それこそが、竜がここで稽古をする理由だった。
「父さんのすることだから、訳があるって思うんだけど、何でなのかなぁって思って。父さん、その辺のこと話してくれなかったし」
お茶の葉のいい匂いが、鼻腔をくすぐる。
振り向けば、海吏が盆に湯呑を四つ乗せてやってくるところだった。海雷が、斜め後ろからついて来ている。
「いつか必要なんでしょ。そう思っておけば?」
「ワケがあるってんなら、そのうちわかんだろ?」
お茶を出しながら言った海吏の言葉に、海雷が続く。
元も子もないような答えに呆れていると、隣から樹李の笑う声が聞こえてきた。
「兄ぃ?」
訳が分からず、眉を顰めて彼を見やると、笑い顔をそのままに、こちらを振り向いた。
「二人の言うとおりだ。あの人は、必要だからここに連れてきた。必要だから、戦える力を身につけさせたんだよ。それでいいんじゃない?」
竜は、正面を向いて、考え込むように唸り声を上げた。
「つーかさぁ、戦わなきゃいけない中学生なんて、周り中探しても俺一人だ」
樹李と反対側に座った海吏・海雷の二人が、のんびりとお茶をすする。
「平和だねぇ、日本って」
「ホントになぁ~」
二人がいると、話をかき回される。真剣な話をしているのに、おかしな合いの手を挟むのだ。
「も~!邪魔すんなっ、お前ら!」
「え~?してないよ、邪魔なんて。ねェ、海雷?」
「俺たちは、正直に胸の内をさらしているだけだ」
ニヤける顔を隠そうともしない。人を苛立たせて楽しんでいる。
「わかった。言い方を変える。俺は、お前らのオモチャになりに来たんじゃねぇ。茶を出して用が済んだんなら、どっか行けよっ!」
「聞いたかよ、海吏?こいつ、いっちょ前に俺らをジャマ者扱いしてるぜ?」
「ありえないねェ?」
こちらが苛立てば苛立つほど、二人はキャッキャと声に出そうなくらいに喜んでいる。分かっていても、イライラしてしまう。
「まぁまぁ、竜。お茶でも飲んで少し落ち着いたらどうだ?」
少し困ったように笑って、樹李がなだめに入る。
竜は、眉間にしわを寄せたままで言われた通りにお茶をすすった。落ち着け、と心で念じながら。
海吏も海雷も、まったく動く気配はない。
「竜?」
穏やかな声音で、樹李が呼んだ。それがまるで、社を吹き渡る風のように心地よく体にしみ込み、竜の心は、それだけでふわりと柔らかになっていた。
樹李は、変わらず穏やかな声音で続けた。
「確かに、戦う必要のある奴は周りにいないかもしれないけど、稽古をしてるやつならいるだろう?」
「あ」
「見方を変えてごらん?それに、今までしてきたことは、何を鍛えるための稽古だったのか、考えてごらん?」
樹李の優しい声を聴きながら、竜は遠くを見つめた。
樹李は続ける。
「竜の中の疑問は、案外簡単に答えが見つかるものかもしれないよ?」
答えは、すぐに言葉にならなかった。
しかし、鳥居をくぐった時に抱いていた疑問は、ずいぶんとポジティブなものに変わっていた。幼いころから通っているこの場所と彼らと、そして、自分自身のことを、もっと知りたいと――――。
「それで?今日は、どうすんの?」
縁から投げ出していた足をぶらぶらさせて、海吏が、実に楽しげに聞いた。
「せっかく学校サボってきたんだし?」
海雷も、ニヤリと口の端を上げた。
「勝負、する?」
竜は、前を見据えたまま、口角を上げた。
「おう!」
そして、縁から立ち上がり、二人を体ごと振り返る。
「今日は勝つ!」
宣言する竜へ、樹李は、優しい眼差しを送った。
海吏と海雷は、彼女の挑戦的な瞳をまっすぐに見つめ返し、徐に立ち上がった。
「意気込みだけは、立派だな」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます