† 〜訓練〜

 全身から力が抜け、水分を取っていない硬い大地にうつ伏せに倒れた。


「立て」


 高圧的で、冷たい声質が頭から降り注がれると同時に、左肩に衝撃を受けて無理やり仰向けにされる。


「…………っは」


「他の者の邪魔になる。寝るのは夜だけにしろ。………立て」


 ぼやける視界に映るのは巨体な背丈と筋肉質な上腕。肌はシンと同じく色黒で髪はざっくばらんに切り揃えられていた。雄々しい顔付きには余分な肉がなく、鋭利な瞳は見る者を射抜き、頬に入れられた逆三角形の刺青と額から左耳に掛けて縫われている傷跡が見る者の肝を抜く。

 シンの師クルドだ。


 彼は左の足の膝から下がない。十五日ほど前に谷から落ちた時、鍛えられた肉体と受身が上手く取れたおかげで、彼は額の傷と右の腕の骨を折るだけで済んだが、運悪く助けが来る前に落石が起きて、足を持っていかれたらしい。以前に聞いた、悲報の“戦士”とは彼の事だ。


 “リディアの戦士”の職を降ろされ、尚且つ左足を失くした彼に新たな職を課す事は無理だと思われていたが、村長の計らいにより、“リディアの戦士”としての知識も経験もないシンに“リディアの戦士”としての生き方を徹底的に叩き込む、云わば師の職に就く事が許された。


 成人の儀から五日経った今、彼はシンの師として、“リディアの戦士”の心得から戦い方などの基本知識から応用知識まで幅広い範囲の事柄を、その身に叩き込んでいる。


 シンは自分でも要領の悪い方ではないと自負していたが、彼の前では風前の灯の如く儚い幻だった。


(………もう少し、できると思ったんだけどなぁ)


 クルドから教えてもらっている“リディアの戦士”の戦い方は、短槍を使ったものだ。


 クルドの体格からすれば大剣というのも考えられたが、意外にもクルドは俊敏性が高く相手を翻弄した後、素早く相手の首元に穂先を突き立てるか、もしくは何度か打ち合った後、相手の武器を絡めて弾き、隙ができたところで石突で鳩尾を狙うらしい。


 『らしい』というのは、シンはクルドの戦う姿を見たことがなくクルドからの口伝のため、想像しかできない。


 そして、クルドはシンに人並みかそれ以上の技量を求めた。


 腕力や体力を上げるために全身に重りを付けての走り込みを、陸上だけではなく海上でもやらされた。膝ほどまで海に浸かり、一定距離を何往復もしなければならず、不規則な海の波に何度も足を掬われては鼻から海水を飲み込み、偏に溺れることがなかったのはクルドの監視のおかげだ。


 シンが溺れるたびに腹部を松葉杖で殴られたり、顎を杖先で持ち上げられたりしていたから気絶する暇さえなかった。


 今行っている短槍の稽古も似たようなもので、こちらは模造槍で向こうは松葉杖だというのに、シンはクルドの体にかすり傷一つ付けることが適わず、逆に打ちのめされて全身が悲鳴を上げている。


 ここ数日、他の“リディアの戦士”との合同練習を行っていたが、体格的にも経験的にも他の“リディアの戦士”の足元にも及ばないシンは最初の訓練で落第点を押され、散々ないじめにも似た一方的な打ち合いや馬事罵倒を浴びせられた後、訓練場から追い出されて、今は訓練場の端で基礎訓練を重点的に行う特別メニューだけとなってしまった。


(ははっ。基礎訓練でこの状態じゃあ、本訓練でどうなるのか先が怖いなぁ)


 シンは両手に力を入れようとしたが、ズキリと手首から肩の辺りまで痛みが走り苦悶する。


 一体、クルドがどう殴っているのか分からないが、彼に殴られた箇所は皮膚を槍で貫かれてしまったかのように痛みが持続した。呼吸を忘れ、痛みに耐えようと身を丸くすれば、また別の場所を殴られる。


 痛みは身体に吸収させるのではなく、元から無かった様に振舞わなければいけない。


 耐えるのではなく、慣れなければいけないのだ。


 シンは長く息を吐き、地面に爪を立て、もう一度、腕に力を入れて上半身を起こした。


「…………っぅ」


 酷い眩暈が襲った後、頭の中が小麦と水で捏ねられているパン生地のように、グチャグチャと音を立てて思考回路を不正常なものへと歪めた。肘や膝、間接部分を曲げる度、全身に金槌で殴られているような痛みが広がり、足を腑抜けた麻袋にしてしまった。


「……もういい」


 クルドは松葉杖を横に振り、片膝を付いていたシンの腹部に突き立て、木の陰へと追いやった。


「……かはっ!」


「三の影に始める」


 クルドはそれだけを言うと、もうシンには興味の無いと言った風に訓練場の方へ視線を向けた。


 シンは大の字に寝転がったまま、深く息を吐き出し、この島、独特の時間の数えを思い出しながら、視線を高い木の方へと向けた。


 森に囲まれた訓練場の外には、周りの木々よりも切り株一つ分ほど大きい、五つの杉の木が見える。その木々は太陽の動きによって、広場に埋めている横並びの石碑に影が入るので、休憩する時の目安として使われていた。


(今は、二つ目の石碑と、三つ目の石碑の間にあるから、少しはゆっくりできるかな)


 そう思うと、全身に蓄えられていた疲労が一気に押し寄せ、シンは全身が鉛にでもなったかのように感じた。


 首だけを動かし訓練場の方を見ると、四人の大人たちの打ち合いが見て取れる。


 一人が長剣を振るい、短剣を持つものが刃を合わせて受け止める。その間を駆け抜ける鉄の拳に矢が放たれる。


 まるで踊っているかのように綺麗で調律の取れた動きをし、見る者の心を奪っていくようだ。


 何度も同じ動きを反復しているように見えるが、実際は一回、一回、微妙に異なる事をしていた。短剣を持つものが矢を弾き鉄の拳と長剣が火花を散らした。人にはそれぞれ得意不得意があるが、“リディアの戦士”はそれを許さない。


 全ての分野をこなし、完全勝利を目指さなければいけない。


「……すごいなぁ」


 感嘆の言葉を呟き、シンは腕を目に押し当てて光りを遮断した。


 視界が暗くなり、白い光りの粒が弾けては表れ、線を描き模様に見える。そのさらに先に目を向けると同時に、全身の疲れが一気に抜けて身体が軽くなった。


 暗闇の中に自分がいる。


 その向かいに黒い暗紫色の煙が渦を巻き、形を成そうとしている。


(……君は?)


 シンが手を触れようと手を伸ばした。


「時間だ」


 暗紫色の煙は四散し、腕を眼の上から退けると、師が冷たい瞳でこちらを見下ろしていた。


「あ……」


「長剣の男と打ち合ってみろ」


 クルドの松葉杖が差す方向には、少し細型で足の速い男が、長剣を柄の部分で回して遊ばせていた。中性的な顔立ちに波立つ髪を腰まで伸ばし、肩の上で一つに結んでいる。名前はサライス。“リディアの戦士”の中のリーダー格ともいえる男。


 最初からシンの加入に関して不でも可でもない中立の立場にいる人という印象が強い人だ。


 シンは片膝を立てて、力を入れると不思議なほど簡単に起き上がる事ができた。少し夢を見るだけでこうも違うものかと、拳を握ったり開いたりしていると、背中を松葉杖で突っつかれて急かされた。


 シンは駆け足でサイラスとの距離を一気に縮めて短槍を振るう。


 日が落ちるまで打ち合いは続けたが、一撃どころかサイラスに掠る事すらできず、今日も一日が終わりを告げた。




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