先輩のこと、よく知りませんでした《後》
部屋での私とさなっちゃんとヨイシさんの空気はなんともいえないものでした。眠気をさそう時間のせいでおのずと話題がおこることもなくて、ただただ静かにおとなしく三人、鍋をもった彼女の
「あの、ヨイシ先輩って、ユキとどこで知り合ったんですか?」
「んっと……(私の露出魔さわぎを話していいものか考えているんだろう数秒間の後)まあ、町中で、制服姿ですれ違って、そっからかな」
「ふーん……」
会話のあともやっぱり私はさなっちゃんの気持ちを理解できていませんでした、だからきっとさなっちゃんはしょうがねえなという気持ちで、私を置きざりにしてヨイシさんに向かってこういったんです。
「あの、ですね、先輩に謝りたいことがあるんです」
そこでヨイシさんは何か返事をしようとしました。でもさなっちゃんは言葉をさえぎるように大げさに息を吐くと、自分の
「あたし、今まで先輩のこと、よく知りませんでした。なのに知ったかぶりして、うらで”ディッチのビッチ”なんて
「おいおい、うらでいってることをわざわざ
するとさなっちゃんは低いうなるような声で「いいえ!」と強い主張をしました。
「あたしは陰口たたかれるのなんてゴメンッなので、謝罪するところは謝罪します。ほんとすみませんでしたっ!」
頭を下げて、深く、深い
対してヨイシさんは私のガスマスクに目を転じて、ホッケーマスクのうまく説明できないぶきみさと
「……ああ、わかったよ。その謝罪を受け入れる。こっちこそめんどうに巻き込んで、すまなかったな」
さなっちゃんの
「ひゃいっ」
「ジブン
「お前ら
ヨイシさんは自分でまいた
「わかった。その決意を評してここは、”すいきょう”にしよう。――二人とも町内全裸で」
「そうは
「「カミカミッ!」」
計ったようなタイミングで、お鍋を手にしたカミカミがもどって来ました。
私とさなっちゃんは振り向きざまに声を上げ、ヨイシさんは悪事がばれた小心者よろしくびくんっと
「すみませーん、あいだ、失礼しまーす」
といってカミカミが強引に私とさなっちゃんのあいだに上半身をかがめて来て、さらにその姿勢で鍋敷きも何もないただのテーブルの上に熱々鍋を
ただ、私が気にしているのはそんなことじゃありません。中学生のころからずっと、揚げものをするときいつも一緒だった、愛着ある、6千円のちょっといいエプロンが……こいつの、こいつの巨乳のせいで! 明らかに伸びてる!
「(くそっだから料理するときにエプロンするようなあざと系の女はキライなんだ!)」
今ごろ焦げついていそうなテーブルの表面よりももっとどす黒い
すると彼女のけなげさに感化されたヨイシさんは、照れくさそうに
「それもそうだな。じゃあ……まあ、今後どっかであたしを見かけたら、話しかけてくれるとうれしいな。って、こんなこと頼むもんでもないよな……」本当、
「よかったー!」
「なるほど……問屋が卸したのは、大根だったってわけか……」
それからカミカミが作ってきてくれた”みぞれ鍋”を、四人で仲よく囲んで食べました。いえ実は、仲よくとはいえ、途中あやういやり取りもあったんですよ。
「あー、ユキちゃんのメガネ
「もー、だからキャラっていわないでよ」
「ええっ! ユキ、あんたメガネだったの?」
「アちゃ! 白いの飛んでますよ、もう。見たらわかるじゃないですか、ヨイシ先ぱーい?」「先ぱーい」
「あ、そ、そだよな……」
「先輩だってー、垂れ目にそばかすってーかわいいじゃないですかー」
「そりゃもう鍋と関係ないし! だいたい、
「ええっ! ヨイシさんって(黒髪オールバックでヤンキー中学生みたいなパーカー
「そう。さらに
「やめろ! もうここで終わり! メシ
という、聞いたこともない、かなりドスのきいたヨイシさんのお叱りの声でどうにか収拾がついたんですけど、この私の”ガスマスク”やヨイシさんの”ホッケーマスク”が見えないさなっちゃんとカミカミにもう少しで違和感をもたれてしまうところでした。
はて、もうすでにもたれているんでしょうか。真偽のほどは確かめられませんけど、とにかく二人にむだな心配をかけたくない私はもっと気を引きしめていかないとと反省しました。そんなことより、この話もかなり進んだのにマスクの糸口は全然つかめてませんね、恥ずかしながら……
「じゃあな、ユキ」
「ばいばーい」
鍋パの片づけも終わってすっかり日も落ちた夜に、私とヨイシさんは、さなっちゃんとカミカミを駅で見送っていました。でもどうしてヨイシさんだけが電車に乗らずここに残っているのかというと、
「あんた、この前クラブに顔出してただろ? そんで友だちにも教えた……」
「やっぱり、問い詰められると思いました」
だだっ
「ユキの
マスク同士だからでしょうか、見透かしているといえばいいのか、手に取ってながめているといえばいいのか……取りあえず双方が、相手にウソも
「いってもあたしとユキの付き合いは、ほんの数日だ。おたがいなんでもざっくばらんに話せるわけじゃない。それはわかってるでしょ?」
「はい……でも、ヨイシさんがその、何かはわかりませんけど、何か大変なことをひとりで
「いいんだ。誰にだってひとつやふたつ
ヨイシさんは、小さくため息をもらしました。
「(……でも、”ディッチのビッチ”を
私は、思い切った質問を彼女にぶつけました。
「あの、ヨイシさんは、お父さんと二人暮らししてるんですよね?」
「だね。めったに話すことでもないけどさ」
「その、えっと……お父さんに、ヤなことは、されていないんですよね……?」
聞いたあと、ヨイシさんは組んでいた
やがて、ヨイシさんはマスクのことを気にしているような
「ユキはこのマスク、なんだと思う?」
ヨイシさんの声は自信なさげで、ひかえめでした。
「わかりません……」私はすぐに返事をしました。ヨイシさんに向かって失礼なくらいあきらめ切った答えでした。
「私には、このマスクがどういうものなのかってこと以前に――このマスクを取るべきなのか、ないほうがいいものなのかってことすら、わからないんです」
「そっか。あたしも、色々調べたけど、ざんない結果だったさ。でもこいつが
そのときヨイシさんの帰る方面の電車がもうすぐ到着するというアナウンスが、大きく放送されました。
「まあ、あんまり思い詰めないで、気楽に遊びに来いよ。ついでにおたがいマスクが取れるといいな?」
「はい……」
ヨイシさんは音もなく
「またな」
また、そのひとことで私たちの時間を
そして残った、待合室のなかから遠巻きに人の流れを見つめているだけの私には、このあと、駅の改札へ歩く彼女の背中をずうずうしく追いかける勇気なんて、これっぽちもありませんでした。
―――――
今回はギャグパートがすぎて、疲れちゃいましたね。もうここではボケません。
私は、今までもこれからも、何かと戦う力もろくにもたない非力な女の子です。あるものといえば取ることができないガスマスクと、誰かの助けになりたいという少しばかりの正義感だけで。そんな私は、たとえどうあがいても
……このお話で私が犯した大罪とは、露出魔でも窃盗でもなくて、実は”自分の弱さに立ち向かわなかったこと”なのかもしれません。
次回、終幕Ⅰ、戦線準備。守りたいその
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