第26話 旬の炊き込み豆ごはん

「そうですよ、お嬢さん。しっかり身体が治って次の行き先が決まるまで、幸松坊ちゃんの言う通りになさったらどうですか? 岡場所の連中も、ここまでは追って来ますまい」


 老婆も侍の言葉に同調して、ニコニコとこう勧めた。玉は二人の親切に、声が出なくなるくらい感謝の気持ちでいっぱいになった。


「ありがとう、ございます。お二人は御仏のような方ですね、なんと御礼を申し上げたらよいのか」

「水臭いじゃないか。元々は私の落ち度なのだから、もっと胸を張ってこの八百屋に居ればいいんだよ」

「お侍さま、本当に感謝いたします」


 すると、侍は急に居心地が悪そうに呟いた。


「その……感謝してくれるのはありがたいんだが。お侍さまという言い方はなんだかしっくり来ないな。なぁ、ばあや」

「は? ああ、そうですねぇ。しかし……」


 老婆は何故か、困ったような顔をした。


「坊ちゃまのことを、どうお嬢さんに呼んでいただくのが最適なのでしょうか? 私には良くわかりませんが」

「ええと……お名前が幸松、と仰るなら幸松さまで良いのではないでしょうか? でも『幸松』というお名前は……」


 玉は思わずクスリと笑いながらこう口にした。


「なんだか子どもみたいな名ですね」


 玉が無邪気に発言すると、何故か老婆は慌て、反対に侍は愉快そうに笑った。


「これ! 坊ちゃまになんてことを!」

「ハッハハ、本当に君は面白いな! ではそうしよう、私のことは幸松と呼んでくれ」

「はい、幸松さま」


「坊ちゃま、よろしいんでございますか?」

「構わぬ」


 幸松はもう一口お茶を含むと、それと同時に、玉のお腹がキュルキュルと可愛い音を立てた。ここではじめて、玉は昼食を食べていなかったことに気がついた。野菜を売るのに夢中で、すっかり忘れていたのである。


 恥ずかしがってお腹を押さえる玉を心底嬉しそうな顔で、幸松は見やった。


「あれだけ一生懸命店番をしたんだ、さぞ空腹だろう。そろそろ夕餉の時間だな、ばあや」

「ああ、そういえば……お嬢さんに昼餉を作るのをすっかり忘れておりましたわ!」


「なんと、ばあやらしくないな。飢え死にしてしまうぞ?」

「申し訳ありません。お嬢さん、直ぐ仕度いたしますからね」


「あ、私、手伝います!」

「へ? ああ、じゃあどうしようかしらねぇ」


「ばあや。このお嬢さん……ええと、名前はなんと言ったかな?」

「玉と申します」


「そうか。この玉どのが売ってくれたえんどう豆がある。せっかくだからこれで何か作ってくれ」

「あらまぁ! でしたら、豆ごはんを作りましょうか。では玉さん、手伝ってくださいな」


「はい」

「豆を、サヤから器に出してくださいね」


 そこから玉と老婆は台所に移り、夕食作りが始めた。玉は炊事などしたことが無かったが、豆を取り出すくらいならなんてことはなかった。籠一杯のえんどう豆は非常に良質なもので、割ると丸々と太った豆が中から飛び出す。


 老婆は剥かれた豆を取り上げると、豆ご飯の準備にかかる。研いだ白米の上に上等な深緑色をした昆布を敷き、そこに鮮やかな緑の豆と塩を少々。羽釜を薪火にくべ、一気に炊き上げにかかる。そのうち、昆布の良い香りと共に豆ご飯が出来上がった。


 塗りの箱膳には同じく上等な塗りの椀が置かれ、そこにたっぷりの豆ご飯、鯛のアラであつらえた汁物、旬の筍の煮物にふきの酢味噌がけ、真っ赤に漬けこまれた美味しそうな梅干しが綺麗に盛りつけられた。


 年老いた老婆の代わりに、玉が盛りだくさんの膳を奥の座敷に届ける。そこでは幸松が優しそうな笑顔で礼儀正しく夕食を待っていた。


「おお、今日も美味しそうだね。さ、皆ここで一緒に食べよう」


 すっかり日が暮れ、暗くなった座敷に灯りが燈される。そこに家主の老人も帰宅して、玉と侍を含めた4人で楽しい夕食がはじまった。老婆の作ったおかずはいつも通り、どれもこれも美味しかった。

 しかし一番美味しかったのは、玉の豆ご飯だ。


 昆布の出汁が存分にしみ込んだ飯に、旬の野菜特有の香ばしい香りが混ざり合ってなんとも言えない風味だった。絶妙な塩加減な上、豆の翠色が白米に映えて見た目も美しい。


 玉は寺で食べた豆ご飯のことを思い出した。寺では献上品の京野菜を使っていたが、これはそれに勝る程の味だ。


「……美味しい。こんなに美味しいご飯は初めてです」

「ばあやは料理上手だからな」


 幸松もにこにこしながら、豆ご飯をおかわりしている。


「それになんて立派な豆かしら。おばあさん、これは京野菜にもひけを取りませんよ」

「あら、玉さんは上方かみがたのご出身なので?」


「ええ、まぁ」

「そうでしたか。うふふ、上方野菜と同等だなんて言われたら、あの農家も嬉しいでしょう。あの家は真面目に野菜を作っていますから」


「……でも結局、お野菜は盗まれてしまうんでしょう?」

「あの農家は知らぬことですよ。こちらは、代金をしっかり払っていますからね」


「おじいさんとおばあさんは、それでいいんですか? こんなに立派なお野菜ですし、儲けが出れば生活も楽になるのに……」

「いいんですよ。売れないのは私どもの責任ですからね」


 老夫婦は諦めたように笑いながら、溜息をついた。

 玉はその様子を見ていると、フツフツとヤル気が沸き起こって来た。


『私に出来ることはないかしら、おじいさんとおばあさんの助けになることが』


 そんなことを一生懸命考えながら黙々とご飯を食べる玉を、幸松はニコニコと笑いながら眺めていた。



語句

上方(かみがた):京都や大阪などの呼び名。文化の発信地として知られ、江戸よりも高品質な商品を作るとされた。





 








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