第23話 玉の初めてのお客様

「え……あの、野菜を買ってくださるんですか?」

 

 玉は、思わずこう聞き返した。あれだけ呼び込みをしても誰も買ってくれなかったのに……。玉はこの侍の言うことを、にわかに信じることが出来なかったのだ。

 すると侍は何を思ったのか、玉のこの言動に思わず噴き出した。


「ハッハハ! 野菜を買ってくださるんですかだって?」

  

 もう堪らんという様子で、侍は暫くの間、腹を抱えて笑った。時に涙を流しながら笑うこの侍を見ていると、玉は急に恥ずかしく成って来た。


「そ、そんなに、お笑いにならなくてもいいではないですか」


 玉は顔を赤らめながら、侍に抗議した。幾らなんでも、初対面の女性に対して、ここまで大笑いするなんて常識外れだ。


「ハハハ、済まぬ済まぬ」


 侍は笑い涙を拭きながら、店先に座った。着物こそ質素なものだが、物腰は柔らかく清潔感が溢れている青年だった。


「だって、八百屋に来た客に『野菜を買ってくださるんですか?』なんて聞く売り子は初めてだったからね。全くもって可笑しいじゃないか」

「え……、そう言えばそうですね」


「売り子なのに売る気が無いのかと思ったよ」

「ごめんなさい。貴方が来るまでは全く売れなかったので……」

「へぇ、そうだったのか。いや、私の方こそ悪かった。君は一生懸命、店番をしていたのにね」


 侍は、驚くほど呆気なく頭を下げた。故郷の京では「お侍というのは大抵、自尊心だけ高くて自分の非を認めない人ばかりだ」と聞かされて育ったので、玉はびっくりしてしまった。


「そんな……頭を上げてください」

「何を言うんだい。初対面の娘さんを笑うなんて、失礼なことをしたんだから当たり前だろう」

「いいえ、もう大丈夫ですから」


 玉がそう言うと、侍はスッと頭を上げた。背筋をピンと伸ばして玉に向きあい、丁寧な口調でこう言った。


「じゃあ、私にえんどう豆を売ってくれるかな?」

「え……、あ、そ、その……」


 尼寺で女性ばかりに囲まれ育った玉は、何気ない男性のこの行動に、思わずドキドキしてしまった。当の侍は特に深く考えず、普通の所作を取っているだけなのだが……男性慣れしていない玉には、少々刺激が強すぎたようだ。


 上手く言葉を繋ぐことが出来ず、しどろもどろになりながら、必死でえんどう豆の入った小籠を侍の手に押し付けた。


「ど、どうぞお持ちください! では御機嫌よう!」


 それだけ言うと、玉はピュッと侍から身を離して店の奥に引っ込んだ。すぐさま侍に背を向け、心臓の鼓動を抑える為に深呼吸する。玉は、どうしてこんなにも自分の心臓が激しく動くのか、理解できなかった。


「ハハ、ハハハ!」


 店先から、侍の声がまた響く。玉が驚いて覗くと、先程と同じように侍が腹を抱えて笑っていた。ちゃんと商品を渡したというのに、どうしてあの侍は帰らないのだろうか。どうしてまた、あんなに大笑いしているのだろうか。


 玉は妙に思って、また店先へ出、侍に注意した。


「あ、あの……御用が済んだらお帰りください!」

「いやはや、本当に君は面白いね」


「何がですか!」

「お金も受け取らずにモノを売る商売人なんて、初めて見たよ」


 玉が顔を真っ赤にした時、後ろの老夫婦の部屋から老婆の明るい声が飛んできた。


「おやまぁ、幸松ゆきまつ坊ちゃん! いらしてたのですね」

「ああ、ばあや。久しぶり。それにしても、君のところの看板娘は本当に楽しい子だね」

「はぁ?」


 はてなと首をかしげる老婆と、顔を真っ赤にしたまま黙りこむ玉を前に、侍は愉快そうに笑い続けていた。


 


 

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