第21話 静かな町屋と、玉の回復

 玉が目を覚ましてから、数日が経った。


 この家の老人は、玉を売り飛ばした老人と違い、豹変することは全くなかった。それどころか、懇切丁寧に玉の世話をしてくれた。

 老人が「ばあや」と呼ぶ、彼の妻である老婆もとても優しく、玉の身体はみるみる内に回復していったのである。


「だいぶ良くなりましたねぇ」

 

 早朝の心地よい空気が流れ込む町屋の二階で、老婆は心底嬉しそうに玉の包帯を替えた。老夫婦の献身的な看護のおかげですっかり塞がった傷はもう疼くことも無く、桃色のあざとなって彼女の身体に残るのみだった。

 

 しかし、老婆は少し残念そうな表情で玉の痣を見つめ、溜息をついた。


「でも、せっかくの綺麗なお肌に傷が残ってしまいましたねぇ」


 確かに、玉の傷一つない肌の上に残った痣は、決して綺麗なものとはいえなかった。だが、一度死にかけた玉にとってはどうでも良いことだ。


 玉は静かに手を合わせ、老婆を拝むように感謝を述べる。


「いいんですよ、おばあさん。こうやって私は生きているのですから。御仏に感謝です」

「本当に、徳が高い尼さんだこと。感心な人ですねぇ」


 老婆は笑いながら汚れた包帯を片付けると、部屋を出た。


「では、私は一階に戻りますからね。何かあったら呼んでくださいな」

「あの、おばあさん。ちょっと待ってください」


「はて、どうかしましたか?」

「私、今日はとても調子がいいんです。少し身体を動かしてみたいんですが……」


 玉は遠慮がちに老婆にそう言った。実のところ、身体がなまって辛くなっていたところだったからだ。

 老婆は少し驚いた顔をしたものの、玉のお願いを快く承諾した。


「あら、そうですか。なら下の階まで降りてみますか?」

「いいんですか?」

「勿論。と言っても、若い娘さんの気を引く様な面白いものはございませんよ」

 

 老婆は笑いながら、玉を抱き起こす。その肩に寄りかかりながら、玉は初めてとこから起き上がった。

 一歩一歩、慎重に足を進めると、流石に長い間動かしていなかった故に関節が軋み、筋肉が痛んだが、慣れれば難なく動くことが出来そうだ。


「ほほ、順調でございますね。やはりお若い方は回復力が違います」

「そんな……。おばあさんの看護のおかげですよ」

「嬉しいことを仰いますねぇ。では階段も降りてみましょうか」


 ゆっくりゆっくり、踏みしめるように階段を降りる。玉が初めて足を踏み入れた一階は、二階と同様、小ざっぱりと整理された清潔な町屋であった。床は綺麗に掃き清められ、開かれた窓からは、明るい早朝の日差しが差し込んでいた。


 外からは、江戸の町人達の雑多な声が遠くの方から聞こえてくる。きっとこの町屋は、繁華街から離れた場所にあるのだろう。町屋の中は、心地よい静けさに満ちていた。


 しかし。

 その静けさを破って、野太い呼び声が、町屋の中に突然飛び込んできた。


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