第3話 恋敵は戊辰戦争

 「父さんな、この前、国立博物館で見たんだよ。『仮面の女神』と『縄文のビーナス』。母さんと一緒に」

「ほら、帆夏が夏休み、中学時代の同級生とキャンプに行ってた時よ。出張に行ってる父さんから急に電話が来てね。こっちの都合なんか関係ないの。てっきり神宮で野球観戦と思ったら、上野の『縄文展』だって。新幹線、飛び乗ったわ」

と言いながら、千秋は不満そうではなかった。

「母さん、運動神経いいよなぁ。新幹線に飛び乗れるんだから」

帆夏は、犬を“真似た”。“夫婦喧嘩”同様、のろけ話も“食ってなんかいられない”。あっさりスルーした。

「世の中、ちょっとした縄文ブームだもんね」

「『縄文の女神』は、東京の縄文展では『ビーナス』と入れ替わりで前半に展示されていたらしい。博物館の営業対策なんだろうな。父さんと母さんは去年、山形の博物館で見たから女神系の土偶は制覇したよ」

『縄文のビーナス』は1986年、長野県茅野市の棚畑(たなばたけ)遺跡から出土した妊婦を象った土偶。縄文中期の作とされ、焼く前の土に雲母片が練り込まれているのが他の土偶にはない最大の特徴だ。1995年に国宝に指定された。肩から先の腕が大胆に省略され、ふっくらとした太ももとせり出した腹部が印象的だ。一方、目は斜めに1本釣り目の切れ込みを入れただけとシンプル。一般的な土偶に共通するコーヒー豆のような形ではない。『仮面の女神』は2000年に同じく茅野市の中ッ原(なかっぱら)遺跡から出土した土偶。2014年の国宝指定だ。丸みを帯びた太い足が特徴で、“仮面の”という通り、顔にお面のような逆三角形の平たい板が付いている。大きさは約34センチ。

「父さんは『縄文の女神』が一番好みなの。帆夏も見たことあるわよね」

「中学生の時、サクランボ狩りで山形に行った時、博物館で見たわ。土偶って、宇宙人みたいな顔で、ずんぐりむっくりしてるのが多いから、かなり衝撃的だったのを覚えてる。全体に大きい割りに顔小っちゃいし。上を見上げたポーズが格好よくて、男子の間では落書きに人気があったわ」

具体的な顔を特定しない造形が、創造力をかき立てたのかもしれない。

「そうだよな。モデル並みにプロポーションいいし、縄文時代の美意識を超えていると思うんだ」

縄文の女神は1992年、山形県舟形町の西ノ前遺跡から発掘された縄文時代中期の作とされる土偶。高さは一般的な土偶の2倍以上の45センチと日本最大。天を見上げるつるっとした顔に施された目は小さな穴が二つ。現存する縄文の土偶とは明らかに異なるフォルムとシャープな輪郭のラインが人の目を引き付ける。2012年に国宝指定を受けた。関係者は当初、『縄文のビーナス』と名付けたかったが、先に茅野市の『ビーナス』があり、関係者が『女神』にした裏話もある。

「ひと口に縄文時代っていっても1万年以上あるのよ。弥生時代が1200~1300年、キリストが生まれて現在まで2000年ちょっとって考えると、遥かに長い時代だから流行だっていろいろあったんでしょうよ」

「まあな」

「それで、こんなに惚れ込んだってわけだ」

帆夏は、絵葉書やパンフレット、新聞記事など、武士がテーブルに広げた『女神』関連のグッズの中から1枚の写真を指差した。

「父さんったら、うっとり陶酔してる」

「してないよ。山形の駅前にあるんだよ、地元の大学生が作ったベンチ。女神像が片腕を枕にして寝そべってるんだ」

「ホント。そこの畳の上でテレビ見ているあなたみたいね。彫刻の上で同じポーズなんて、“小6男子”の真骨頂ね」

「今、欲しいのは山形鋳物で作った女神の像。最近、山形で開催された冬季国体のトロフィーに女神を象った特産品が贈られたらしい」

「お母さん、嫉妬するでしょ」

「しないわよ。女神って言っても、相手は1万年も昔の土偶よ。マンハッタンの自由の女神だったら、少しは嫉妬するかもだけど」

千秋は突然の娘のツッコミを、武士の親父ギャグを超えた余裕のジョークで切り返した。

「自由の女神とかミロのビーナスとかは、何となく表情が似てるだろ。典型的な西洋系美人のステレオタイプというか、最近は“テンプレート”と言った方が分かりやすいか」

「アメリカ建国100周年のお祝いに、フランスが贈ったんでしょ。右手で高々とトーチを掲げ、左手に独立宣言書を抱えて」

「オレもそう覚えたような記憶があるが、左手に持った本のようなものは独立の年を彫った銘板らしい。日本の歴史で習った聖徳太子や西郷隆盛が別人だったり、鎌倉幕府の成立年が1192年より7年も早くなったり、解釈には変化があるんだ」

「母さんもビックリしたわ。『いい国 作ろう 鎌倉幕府』が抹殺されちゃったんだもん。和同開珎(わどうかいちん)も日本最古の貨幣じゃなくなった。そのうち、『白紙に戻そう 遣唐使』も変わっちゃうのかしら?」

「“抹殺”って大袈裟な。『いい国 作るぞ 征夷大将軍』でいいじゃないか」

歴史の解釈としては、1192年は源頼朝が朝廷から征夷大将軍を授かった年で、政権の実態は1185年には出来上がっていたという理解だ。

「歴史の試験問題としては、ピンと来ないわね」

「でも『いい箱 作った 鎌倉幕府』ってのもなあ。箱根の寄木細工かよっ」

「あら、寄木細工はいいじゃない。外国人観光客にも人気あるし」

「そういう問題じゃないだろ、母さん」

「何の話だっけ」

「女神よ、女神。ママはパパが扮するサンタに恋をしたのに、『パパはママじゃなくて“女神”に恋をした』って話」

「あのね、クリスマス・ソングじゃないんだから」

この日も桜田家の食卓はにぎやかだった。

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