第25話 ■■■■■



 さすがに、ヤバい……か。


 朦朧もうろうとする意識の中で、そう思う。今にも深淵しんえんの闇の中に意識が落ちそうなのを、一線で繋ぎ会わせながら、そう思った。


「……ぅ、……ぐ……ッ」


 境は、酷い有様ありさまだった。

 全身に刻まれた斬痕ざんこん打撲だぼく、火傷。どこを見ても傷があり、そして深い。もう全身血まみれの死にたいだ。


 数分前までの、ちり一つないホールが。今では、壁が高価な絵画と共に突き抜け。艶のある大理石の床が溶けている。あちらこちらにクレーターが撃ち込まれ。

 その数分間にあった、壮絶そうぜつさを物語ものがたっているようだった。


 強烈な痛みが自分を襲う。痛みが走り、食い荒らすような灼熱しゃくねつの激痛。


「~~ッ!」

「キョウ……。だい、じょうぶ?」


 あまりにもの苦痛で、顔を歪める境に。隣に降り立ったルナが声をかける。

 境はルナに、視線を少し向けた。


「ルナこそ……。俺よりボロボロじゃねぇかよ」


 ルナも、境と同じように傷だらけになっていた。その小さな口から漏れる荒い息が無ければ、生きているとは思えない。


 ルナは、その境の言葉に。ふん、と鼻を鳴らした。


「まぁ。お父様かいぶつは――」


 そのルナの声に連れられ、境もきらびやかな階段の最上を見上げる。


「――無傷なんだけどね」


 境たちの視線の先に。

 男が悠然ゆうぜんたたずみ、眼下の境たちの視線とぶつかる。


 男は、そんな様子の境たちを見て、薄ら寒く笑って。


「さて……、そろそろ理解しただろう?」


 そう腕組をしながら問いかけて来る。


「この圧倒的な戦状に。もう諦めたらどうだ」


「い、やだ……ッ」


 境は、また崩れそうな体に鞭を打ち。歯を噛み締めながら、拒絶する。

 すると、そのしぶとさに男は眉をひそめた。


「そこのお前よ。なんのために戦うのだ。このいらないルナに情でもわいたか?」


 その言葉に。

 ルナが、どこか心配するように境を見て。

 しかし。境は、真っ直ぐに男を自信に満ち溢れた瞳で見据みすえて。


「情? そんなのわかねーよ。沸くはずもない」


 きっぱりと切って捨てる。

 そんな境に、男は珍しい者を見るかのように目を細めた。


「ふむ。それではなぜだ? なぜそんなになってもそいつを守ろうとする? もしや恋慕れんぼでもしたか?」


「ちょ……。お父様、そんな訳……ッ!? だって、キョウは私のこと『今のお前は嫌いだ』って――」



「――ああ、好きだ」



「――ッ!?」


 境のその意外すぎる言葉に、ルナは身を石像にさせ。

 そして、顔を赤く赤く染め上げた。目がぐるぐるして、熱で浮かされたような甘い声が漏れる。


「キョ、ウ……。ぁ、えっと、ん。そ、それって……ッ!?」



「ん? 当たり前だろ。――ルナ、今のお前は好きだ」


「う、嘘、嘘、嘘よッ! だって、私のこと嫌いって言ったじゃないの!?」


 顔を真っ赤に染めたルナが、境に問い詰める。その問いに、境は「あー」と言って頬を掻いた。


「あの時のお前は、何かにしがみつこうとして。嘘を突き通そうと必死だったからな。だから好きじゃなかった。……でも、今のお前は――好きだわ」


 ドキューン、と。

 ルナの方から心に矢が刺さったような音がした。

 ルナは胸に両手を添えたまま、ふらふらとしてしまう。


 口をパクパク開閉かいへいしているルナを不思議そうに流し見る境。少し考えるように右上に視線をさまよせながら。


「……もちろん、大切だ。ルナも、マフも、シュンも、ニャン吉も。みんな居なくなってはいけない存在だ」


「…………え?」


 目を点にさせるルナ。

 そして少し間を置いて。


「……もしかして。『友達』って言う意味で?」



「はぁ? そうに決まってるだろ。それ以外の意味なんてあんのかよ?」



 ガン、と。ルナは近くの壁に頭をぶつけるのであった。


「なぁ。それ以外の意味って……」

「何でもないのッ!! 意味なんて無いわよ! 無いんだからぁッ!!」


 もはやルナは涙目だった。


 その二人の様子を上から見下ろしていた男は。


「クッ。ククク……。こんな余興よきょうもあっても良い。……さて、そろそろいこうか」


 心底面白そうに、口を歪ませた。その笑顔は、どこか機械じみたもので。笑顔の瞳の中には、境とルナに、標的を合わせているような危険さが滲んでいた。


「待ちくたびれてしまったよ。この続きは、この戦いが終わったらやってくれ。……天国でな」


「「ッ!!」」


 ふくれ上がるその殺気に、境たちが瞬間的に再戦慄さいせんりつした。


 キンッ、と凍りつくその空気。先程さきほどまでのやわい雰囲気が嘘のようだ。


 そして、永遠と続くような同じ戦いが始まる。



 ――いや、同じではなかった。



 確かに、境たちが負けている。

 こんなにボロボロになり、いたる傷という傷から鮮血を流し続けているところを見れば。百人のうち百人が『境たちが負ける』と、思うことだろう。

 これは火を見るより明らかな事だ。

 境の陣営が負けて、無傷の男の圧倒的勝利。


 しかし。


「……なぁ、ルナ」


 敵を見上げたまま、境がポツリとこぼす。


「……何かしら」


「一言だけ、いいか?」


「……良いわよ」


 境は、小さく、けれども子供のように無邪気に笑った。



「俺は、ルナを……みんなを守りたいんだ。最近、そうわかったんだ」



「……」


 ルナは、少し目を見開き。すぐに「ふ……」と、柔らかく口の端を曲げる。

 目を細める動作は、男と同じだが。名誉にらわれてしまった瞳ではなく、もう何にも捕らわれない希望を見るようなまぶしそうに細められる瞳だった。


「――バカね。私だって、同じよ」


 もう、同じ無謀むぼうで、勝敗しょうはいの見えてしまった戦いは始まらない。


 なぜなら。


 その場をあっしているのは、境たち。圧倒して、支配しているのは、境とルナだったから。


 既に死に体のような境が、ルナが、鋭く切れのかかった動きで構えをする。

 その執念しゅうねんじみた燃える気迫きはくに、男は一瞬動揺し、一歩後ずさる。


「な、何なのだ。その目はぁ……ッ!? ついに狂ったのか……ッ!?」


「そう……かもな。狂ったのかもな」


 頷く境。男からの目線では、境の顔がうつむかれ見えなくなり……。そして、顔があげられる。

 その顔は。


「……!」



「――俺は、シュンや、マフ、ニャン吉、ルナ、皆に……。こんな気持ち――悪くねぇ。悪くないんだ」


 境は、不適に笑みを作っていた。


「く……ッ。なぜだ。なぜ、どこから……」


 場が境に呑まれていっている感覚に、男は動揺を隠しきれずに、汗を浮かばせる。

 そんな様子の男を余裕綽々よゆうしゃくしゃくの表情で見上げるルナ。


「ま、そんなわけで。最後にド派手にやりましょうか、お父様」


 どこか含んだ笑いを染み込ませながら。クスクスと、小さく笑う。


「お父様は、気づいていらっしゃらないようですが。……もうですよ?」


「な……。そんなバカな。いつそんな――――ぁ」


 男は、何かを思い出したかのように固まった。その男の視線が、境へと留められる。


「……まさか。まさか。お前が二階に殴り込んできたとき……ッ!?」


「さぁなぁ?」


 途端に、男の顔が恐怖に歪んだ。


「そうか……。そうなのか! だから、絶望せずにあんなに自信で……ッ!?」


 罠は戦いの切り札になり、使い方によれば、一気に逆転勝利に導くことが出来てしまうのだ。


「ちッ。あのカラスに連絡を……」


 焦った男は、ズボンのふところから急いで宝飾の施されたスマートフォンを抜き出した。

 そして、そのままボタンを押しながら耳に当てた。


 ザーザー、と。しばらくノイズ音が続き。そして、プッ、と。


「……おいカラスッ、速くこっちに戻って私を助け――」


『――うわぁああああッ!』


 いきなりスマートフォン《じゅわき》しに悲鳴じみた叫び声が響いた。


「お、おい、どうしたッ!? 何を……」


『あッ!? 当主ッ!? ちょ、助け――ぁ。いやぁああああッ!? 来るなぁあああ! 何で逃げても逃げても、場所がわかるんだ! あと、あのモヤシ足速い……て、なんか言ったら泣きだした! い、今だ! ぇ。ウギャァアアッ!? 目の前に、に、ににに人形が、人形がぁ、猫の、黒い、喋っうヒャあァアアぁあアアあぁァ――――プッ。ザーザー、ザ、ザー』


「カラスッ!? く、クソ……!? 使えない奴だ!」


 忌々しそうにそう吐き捨てて、同時にスマートフォンを床に叩きつけていた。勢いよく落下したそれは、ガシャと、音をてて粉砕された。


「クソ、クソ、何をしたんだ……」


 男は、己のあやまちに茫然自失ぼうぜんじしつになるしかない。

 焦りと恐怖ですっかり理性を失ってしまった目が焦点をあわさず、グラリグラリと危うく揺れる。揺れる。


「ぁ、あぁ。このまま、だと。ダメだ、ダメだ。私のが……」


 ぶつぶつ、と。

 影のさした顔をうつむかせながら、小さな独り言を並べ始める。


「アア、あぁ。計画がァ……。白い、世界が。崩壊が。歌声が」


「…………ぇ」



 ――白い、世界。



 ――崩壊。



 ――歌声。



 その言葉たちに、境がピクリと反応はんのうした。


 境の顔の脳裏に写るのは、あの白い光景。

 あの『職戦重要ランクわけ試験』の転送の事だ。


 どこが地で、どこが天なのか、右も左すらもわからないあの世界が。


 目の前で静かに崩れて、無へと崩壊していく。


 どっかから。


 歌声が聴こえて、聞こえて。


 それが、なぜか切なくて。


 悲しくて。


 胸が締め付けられて。


 手を伸ばして。


 届かなくて。


 そんな世界が。


「……お前は、その世界の事知っているのか?」


「ァあ。だメだ……。おわラせラレなぃ」


 境のその問いに、男は答えない。


「答えろ! その世界は……ッ!?」


「キョ、キョウ……!?」


 いきどおりを隠せない境に、ルナが驚きの声をあげる。

 でも、そのあらげた声が届いたのか、男がゆっくり振り向いた。



「ぉ前……あれヲ知ってィるのカ……。あの世界を、あの■■■■■を」



「ッ!?」


 聞き取れなかった。

 小さくて聞き取れなかった訳じゃない。

 男の声は、聞こえた。

 しかし。言葉が、聞こえなかった。

 まるで、水の中に居るような。ボワリとにごった不透明の音が響くだけ。

 聞き取れない。人為じんい的なもので隠されているようにも聴こえる。


「何で……」


 それにルナも何かに気づいたようだ。異常な、その人工的な力に。


「■■■■■だ。■■■■■が、クソぉ。やはり■■■■■……言エぬか。■■■■■の呪いか、呪ぃなのカぁ」


 男は、虚ろな目で、顔に爪をたてた。

 何かに怯えるように、ガクガクと震える。

 もう、あの威厳のある当主の面影は欠片もない。


「終われナい。終わレなイんだ…………ぁ」


 何かに気づいた様子の男は、ルナをじ……と見下ろす。

 嫌な予感がする。

 直感がそう告げる。

 肌が、ざわりとあわ立つ。


 そして、言う。


 言ってしまう。


「ルナ。――――、―――――――――」











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