第19話 子供たちのアトリエ
セシリアは、あの男性と弟さんが無事に再会できれば良いなぁと思いながら、自分の目的を果たすために、また石畳を歩き始めた。
背後から、重量感漂う金属の擦れ合う音が、耳にうるさく響いてくる。
「ん? 何の音?」
振り向くと、あの真っ黒い鉄の扉が閉まるところだった。左右の扉がきっちりと合わさって完成する、左右対象の模様は、一つの大きな眼球を描いており、瞳としてはめ込まれたエメラルドのイミテーションが、輝きながらセシリアを凝視していた。
「何かしら、宝石でできた大きな一つ目みたいだけど……」
最寄りの植木から注がれる木漏れ日を受けて、きらきらと輝くブリリアントカット。セシリアは目の錯覚だとわかっていても、輝く大きな宝石の一つ目が、生き生きとして見えた。
「……何をモチーフにしたオブジェなのかしら。これがホラーテイストってものなのかしら?」
長く見つめていると、だんだん一つ目が歪んで見えてきて、にっこりと弧を描き始めたから、セシリアは前を向いて、目的地へと急ぐことにした。遅刻しては大変だ。
あの一つ目の気味の悪さに拍車がかかるのは、ここが無人であることと、鳥の声も、遠くから聞こえるはずの人の声も、何もしないからだった。
セシリアは、石畳が途中から途切れて、芝生だらけになった道を、静かに歩き続けて、何軒か建っている廃墟の前へと到着した。
「どれが北の廃墟かしら」
大家さんが見せてくれた、あの白黒写真と同じ建物が見当たらない。
スイーツショップの店員さんは、看板が導いてくれると言うのだが、どうやら最終地点までは、手引きしてくれないらしい。
ふと、廃墟の中で子供の笑い声がしたような気がした。休演日の施設の中で、お客さんの声がするのはおかしい……そう思ったセシリアは、もしかしたら掃除中の清掃員がいて、明日の開演日に備えて仕事をしているのだと思った。声が甲高いのは、そういう声の人なのだと、思うことにした。
「声がしたのは、この建物ね」
とにかく人に会って、この辺について道を聞きたかった。北の廃墟はどこなのかと尋ねたかった。
「あら、この建物こそ、そうなんじゃないかしら。大家さんが見せてくれた写真と、ちょっとだけ似てるわ。ちょっとだけだけど」
確か、大家が言っていた特徴は、チケット売り場がわかりにくい場所にあるから、誰かが手引きをしないと、お客さんが迷ってしまう……そういう造りをしていると言っていた。
しかし、どこを見ても鉄骨の剥き出たぼろぼろの壁だらけで、どこが玄関なのやらチケット売り場なのやら、ピンとこない。
また、子供の声がした。
セシリアは、思い切って声をかけてみることにした。
「あのー、すみませーん! 北の廃墟というのは、この建物のことでしょうかー?」
子供の声が増えた。笑っているようだ。
「従業員さんの、お子さんかしら。休演日の施設で、勝手に遊ばせてもいいのかしら? 団長から許可を取ってるんならいいけど……」
厄介事の内緒話や秘密を抱えるのは、ごめんだった。セシリアだってクビになりたくないからだ。
返事の代わりに、子供の笑い声が、どんどん増えていく。
「あのー……」
もう一度尋ねようとしたセシリアに、唐突に元気よく「うん!!」と返事が飛んできたから、セシリアはほっとした。
「よかった、ここが北の廃墟なのね。団長との待ち合わせ場所に、お子さんの声がこんなにするって事は、きっと団長にも許可を取って遊ばせてるのね」
セシリアは、どこが玄関か分からないから、とりあえず建物の周りを歩いてみることにした。子供の声がする割には、足音も、姿も見えない。奥の方で遊んでいるのだと思った。
「ああ、あったわ。玄関っぽい扉が付いてる。もう、団長もどうしてこんな不気味な場所で待ち合わせしようなんて手紙を、よこしてくるのかしら。意味がわからないわ……」
団長の見た目的に、変わり者な雰囲気が漂うから、きっとへそまがりで、意地悪な部分もあるのだろうと、セシリアは勝手に納得することにした。遅刻さえしなければ、面倒事にはならないはずだと信じながら。
取っ手に手を伸ばした途端、クモの巣だらけであることに気づいて、びっくりして手を引っ込めた。
「え~……? 中で掃除してるんじゃないの? なんでこんなに、扉、汚いの?」
よく見ると、大事な玄関だというのに、足元には土埃が積もっていた。でも中で子供たちの楽しげにはしゃいでいる声がするんだから、玄関は最後に掃除するつもりなんだろうかと、セシリアは小首をかしげて、もう一度取っ手に手をかけた。
ゆっくりと引き上げると、頭上の戸袋からザラザラと土埃が降ってきた。
「きゃあああ!」
慌てて髪の毛に降ってきたゴミを手で払うセシリア。その様子を見てか、子供たちのキャラキャラ笑う声が。
セシリアはむっとした。
「もう、あなたたちのいたずらなの!? だめじゃない、こんなところに土でイタズラしちゃ!」
子供たちは反省するどころか、奥へ導くようにして笑い声が遠ざかっていく。
「こら! 他にもいたずらしてるんでしょ、ママに言いつけてあげるわよ!」
セシリアは腰に手を当てて、ぷんぷんに怒りながら、ぼろぼろの廃墟へと足を踏み入れた。
人から聞いた話では、北の廃墟は、お化け屋敷になったとあったが、セシリアが歩いているのは、どうにも劇場のような雰囲気の、上品な造りを色濃く残していた。彼女が歩いているのは、入場券を手にわくわくしながら歩いていたのだろう観客用の側廊だろうか。以前はエレガントな絨毯が敷かれ、廊下脇には洗練された観葉植物の植木鉢が置いてあったのだろう、そして、劇場の案内人が真摯にエスコートし、自分の席がわからないと戸惑う観客を、親切に導いてくれたのだろう。
「……劇場を、お化け屋敷に改造したのかしらね。舞台俳優の幽霊が出るとか?」
壁や天井の穴から、外の明かりが差し込んでいる。暗くて、おどろおどろしく、ぞっとする雰囲気を出したいのであれば、これらの穴は塞ぐべきだと思った。
「ん? この扉は……ああ、お手洗いなのね。ちゃんと男女別々に作られてあるわ。でも、お化け屋敷に入ってすぐお手洗いって、ちょっと変な感じね……まあ、トイレの位置がわかりやすくて良いけども……」
自分だったら、入ったお客さんがドキドキビクビクしながら期待する気持ちを維持してもらいたいから、トイレをばばーんと登場させたりはしないのに、と考えながら、ふと、このお手洗いも演出の一つなのではないかと、女子トイレの扉を引き開けてみたく思った。
中で清掃員が作業中かもしれないので、きちんとノックした。
「失礼しまーす……」
清掃員に何か言われたら、見学させてもらいたくてと言い訳するつもりだった。お手洗いは真っ暗で、さらに壁や鏡がいろんな色のクレヨンでくちゃくちゃに落書きされていた。その様子に恐怖したセシリア、慌てて扉を閉めた。
「こ、これが、ホラーテイストなのね……想像以上だったわ。子供たちを遊ばせるついでに、不気味な落書きをしてもらってたのね」
セシリアの中で、どんどん解釈が進んでいく。
「勉強のために、扉があったら開けていきたいんだけど、さすがにお下品よね。清掃中の人だって忙しいだろうし、お仕事の邪魔しちゃだめよね」
それに、自分の目的は、団長に会うこと。それ以外のことに目移りしていては、遅刻してしまうかもしれない。
「団長ー!! セシリアです、どちらにいらっしゃいますかー!?」
あんまりにも子供の声しかしないから、思い切って団長に呼びかけてみたが、返事はなかった。
窓枠すら取れて無くなっている窓から、日光が差している。セシリアが歩いて巻き上げた埃が、きらきらと主張していた。
「……いくらなんでも、埃、積もりすぎじゃない? ここ、もしかして最近まで使われてなかったのかしら」
ようやくセシリアは、何かがおかしいことに気がついた。セシリアの足元に、黒いクレヨンで、列車の線路が落書きされている。これは恐怖演出と言うより、ただの落書きに見えてきた。
「ここは従業員のお子さんたちの、ただの遊び場だったのね。秘密基地みたいなものかしら。勝手に侵入した私に、土が降ってくる罠でも仕掛けてきたのかしらね……」
もと来た道を戻って、外へ出ようか、そう思った矢先、目の前に壁が現れた。
「あら、行き止まり……? じゃないみたいね」
壁には黒のクレヨンで、「ここから中へどうぞ」の文字が、殴り書きされていた。背の低い子供が、一生懸命腕を伸ばして、手をプルプルさせながら書いたかのような、不安定な文字だった。流れ星のように矢印が描かれていて、その先を視線でたどると、埃をかぶって真っ白になった大きな扉があった。良く目立つ派手な装飾が彫られており、ここがホールへの扉だと思われた。
「やっぱり、ここは元劇場だったのね。でも今は、子供たちの恰好の遊び場。また罠を仕掛けられたら、たまったもんじゃないわ。子供たちには悪いけど、私は帰らせてもらうわね」
セシリアが踵を返して、元来た道を戻り始めた、そのとき――扉の奥から、ガチャンッと大きな音が。続いて子供の悲鳴が。
セシリアはびっくりして振り向いた。
「どうしたの!? 大丈夫!?」
いたずらが過ぎて、何か倒して下敷きにでもなっていたら大変だ。
セシリアは埃で白ぼけたドアノブに手をかけて、思いっきり引き開けると、中へと飛び込んでいった。
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