第14話   レインボートレインの駅で

 地味めな深緑色のシャツに、古着屋で買ったベージュのジャケットを羽織り、黒のズボンという動きやすさを重視した格好で整え、頭にはルビー色のリボンを編み込んだ。金色の細かなレースの付いた、お気に入りのこのリボンは、じつは売店のお菓子の袋詰めを飾っていたものだ。


 早起きしたから、あのパン屋で新作も買えた。サーモンオムレツツナバゲット。てっきり小分けに切ってくれるものと思っていたら、バゲット一本まるまる紙に包まれて、手渡された。お値段もなかなか手痛くて、やってしまった、とセシリアは激しく後悔しつつも、大きな一口でかじると、すごく美味しかった。


「うぅ、駅に着くまでに食べきらなくちゃ」


 よく下味の染みた食材たちの美味しさが口の中に広がると同時に、口中の水分も奪われてゆく。アパートでお茶は飲んできたのだが、今ここにもう一杯欲しくなる。


 駅がある方角は、セシリアがあのアパートに引っ越してきたばかりのとき、ざっと周辺散策をした際に軽く確認しただけだった。当時は駅よりも、お惣菜の売店や古着屋さんの場所を覚えるほうが重要で、じつは今でも駅の辺りがうろ覚えなのであった。


 道沿いのお店が、次々と開店してゆく。住居兼お店を営む家が多いサーカス国は、朝から深夜まで、どこかしらの店が開いており、どこかしらの店が眠りに就いている。

 腕時計を持っていないセシリアは、開いている店内の壁時計に、何度かお世話になった。


「まだ列車の時間には余裕があるわね」


 それでも、遅刻してはならないという緊張感から、彼女の足は早くなる。


 パンを全てお腹に納めた頃には、ノドがカラカラで咳が出てきた。近場の、初めて入る喫茶店でレモン水を購入して、一気飲み。お会計を払い、再び歩きだした。


 ちょうど家々の隙間から、線路を覆う柵が見えた。このまま線路沿いに進めば、迷うことはなくなる。


 さらに、駅へと続く太い一本道には、朝も早いというのに、からっぽの荷物鞄を片手にわくわくしている観光客で賑やかだった。お客さん目当てで売店も売り子も集中しており、ここでお茶を買えばのんびり飲めたかもと、セシリアは少しだけ後悔した。


 駅は階段が数段、屋根にはカラフルなテントが張られ、大きな掲示板には列車の到着・発着時間と、あとは舞台や近所の売店のチラシが、べたべた、重なっている部分もある。小柄なセシリアでは、人だかりの中、それらを一瞥もできなかった。


(時刻表も売店で売ってるけど、節約したいし、帰りの時刻は掲示板で確認できるといいわね……)


 掲示板の前で、若い女性たちの注目を一際集めているポスターがあった。ちょうどセシリアのとなりにいた二人組の女性も、黄色い声を上げてポスターに駆け寄っていく。


「ああ愛しのロビン様! どんな人か知らないけれど、早くお会いしたいわ~。今日の舞台が楽しみ!」


「あたしは何度か観に行ったことあるよ」


「え? そうなの!? 初耳なんだけど! 言ってよ、もー!」


「アハハ、昨日まで舞台のどんな内容を観たのかも忘れてたんだけど、この国に入ったとたん、全部思い出したんだ。不思議だよね」


「も~、それ、ただド忘れしてただけじゃん」


 若い娘さんが大事そうに抱え持っていたのは、パンフレットと、大きめの写真の数枚セットだった。


(ああ、役者さんのブロマイドかぁ……。売店や、チケット売り場でも買えるのよね。そのお店限定の写真もあって、ファンはサーカス国中を列車で周って購入するんですってね。すごい情熱よねぇ。わたしなんて仕事と執筆活動でくったくたで、何かを買い集めるための気力も湧かなくなってきたわ……)


 セシリアだって若いのに。仕事だって、ようやく慣れてきたのに。それでも疲れているのは、寝る寸前まで書き物をしているせいだった。寝不足は、あらゆる情熱的な出来事を他人事に変えてしまう悪しき習慣であると、なんとなく気づいていても、書くのがやめられないから、もうセシリアはあきらめてしまっている。


 絶え間ない黄色い悲鳴に、少々鼓膜が痛くなってきたので、線路側に移動してみた。足元に線引きがされており、内側まで下がって列車を待つようにと、小さな文字で書かれてあった。時間までまだ少しあり、手持無沙汰で待っていると、となりに真面目そうな男性二人が並んできた。片方は、この国で買える新聞をバサリと広げて読み始める。


「この国の売店は、国外の新聞を扱っていないから不便極まりないよ。経済新聞が読みたかったのに」


 不満を漏らす相方に、もう片方が苦笑した。


「まあまあ、ここは夢を見る世界なんだから、仕事のことは忘れていよう。君だって、この国には、癒しと刺激と休息を求めて来たんだろ」


「仕事のことを考えない日はないよ。旅がこんなに不安な気持ちになるものだなんて、思わなかった」


「は~? ひどい言い草だな。あーあ、君なんか誘うんじゃなかったよ。娯楽の楽しめない人間になったもんだな」


 二人とも本気で言い争っている雰囲気ではなかったが、今のやり取りで確実に不穏な空気にはなってしまった。


(価値観次第では、休憩すらもストレスになる人がいるのね。わたしは休みなく仕事のこと考えるなんて、ゾッとするけれど)


 一字一句、じっくり読んでいる男性の様子に、狂気じみたものを感じるセシリアであった。



 遠くから、汽笛の音が鳴った。次第に車輪が線路を走る音が響いてくる。皆の頭が、一斉に列車のほうへと傾いた。車体のあちこちが、クレヨン三十六色セットをイメージしたかのように、部位ごとに鮮やかに塗られていて、パッチワークの作品のようにも見えた。


(煙まで虹色してるわ……何を燃料にしてるのかしら)


 煙は煙突から遠ざかるほど明るい暖色に変化しながら、最後は無色透明になって空へと吸い込まれてゆく。列車が近づくにつれて、はっきりとしてくる全体像に、お客さんもざわつく。


 徐々に速度を落とし、目の前に虹色の車体が停止した。けたたましいブレーキ音が耳につく。蒸気の抜ける風圧が、セシリアの前髪を揺らした。鞄から切符を取り出し、座席番号をもう一度確認した。


(えっと、わたしは後ろ側の、従業員用の車両に乗るのよね)


 列車自体、乗るのも見るのも初めてだった。切符に記された車両番号と、目の前の車両の番号が違う。セシリアは慌てて後ろの車両へと、小走りで移動しようとした。


 そのとき、いつもの仕事用の靴を誰かに踏まれて、脱げてしまった。


「ああ失礼を」


「い、いえ、大丈夫です!」


 セシリアは慌てて戻って、靴を拾って履き直した。


「ママ、ぼく、まどのほうがいい」


「あら、私たちの切符の座席は、一号車の通路側よ。今回はがまんしなさい」


 どこからか、そんな会話が聞こえてきた。セシリアが振り向くと、ポンパドールヘアーで貴族風のドレスを身にまとった、日傘を差した母親と、黒の革靴にソックスガーターがお洒落な少年が、べったり寄り添って立っていた。


「やーだ~! おそとみたい~!」


 少年はたった一つの願いが叶わなかっただけで、この世の終わりみたいに膝をついて大泣きし始めた。早く列車に乗ってほしい母親が、そばに控えていた使用人風の男性に、抱っこしてくれるよう指示を出している。


(わたしの座席は窓際だけど、従業員用の車両だし、一人席なのよね……)


 セシリアにはどうにもしてあげられなかった。


 朝から子供の大絶叫がわんわん響く。


 新聞を広げていた男性が、となりの相方に何やら話しかけ、切符を二枚持って、親子に近づいていった。


「すいません。僕たちの椅子、窓際なので、交換しませんか?」


 ご婦人は日傘をたたんで切符を受け取ると、眉毛を寄せて返却した。


「ごめんなさいね、この座席、私の使用人たちの席とすごく離れているわ。私、重い荷物なんて持ちたくないから、彼らと離れたくないの。本当にごめんなさいね」


「あ、はい、わかりました……」


 男性はドン引きした様子で、引き下がっていった。


 聞いたこともない理由に、そばで聞き耳を立てていたセシリアも、唖然としていた。


(い、いろんな人がいるのね……)


 親子は別の人からの申し出で、無事に理想の窓際を手に入れていた。男の子も泣き止んで、セシリアも最後尾の黒い車両へと移動していったのだった。


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