26 頽れる男【尾倉香菜×〇〇】

 ゼアズ・ア・ファームB区画に集まった五人の男女。

 そのうち三人が憑依され、平常の意識を保っているのは尾倉香菜と那須田与一の二人のみ。

 ダンゴムシに憑依された越川圭介を放置したまま、根木颯太郎に憑依したトマトの精霊トマティーヌが、野田苺子に憑依した越川の元婚約者・瞳子(生霊)と香菜と那須田に向かって種まきの講義を代行した。


『さて、今週は落花生の種まきね。この子達は寒さに弱いから、遅霜の心配がなくなって地温が上がってくる今の時期が種まきのベストタイミングなの。ところで、どうしてこの子達に “落花生” って名前がついているか、知ってるかしら?』


『落花生って、漢字では、落ちる、花、生まれると書きますよね……?』


 三人が首をかしげる中で、瞳子が遠慮がちにそう切り出すと、トマティーヌは大きくうなずいた。


『そう。名前の通り、落花生は花が落ちたところに実ができる、ちょっと変わった子なのよ』


 トマティーヌは、落花生の実のなり方について、簡単に説明した。

 落花生は初夏から盛夏にかけて、小さな蘭のように可愛らしい黄色い花を次々と咲かせる。咲いた花がしぼんで落ちると、花の咲いていたところから、子房柄しぼうへいと呼ばれる細い茎のようなものがにょきにょきと伸びてきて、地面にぶすりと刺さる。そしてその先端が地中の中でゆっくりと膨らみ、あの落花生の莢と実ができるという仕組みだ。


『というわけで、落花生の実をたくさん収穫するためには、できるだけ多くの子房柄を地中にもぐらせる必要があるの。のびのびと茎を伸ばすために、種をまく感覚はわりと広めにとるといいわ。今回はピーマンとの混植ってことだから、ピーマンの苗と苗の間に二粒ずつまくわよ』


 トマティーヌが種袋から出した落花生の種は、当然ながら乾燥させたピーナッツそのものだ。

 それを数粒ずつ三人に配ってから、彼女は説明を再開した。


『落花生の種は腐りやすいから、あまり水をあげない方がうまく発芽するの。その代わり、乾燥気味の土にまく場合は、まいた後にしっかりと踏んで鎮圧して、吸水させやすくしてあげてね。種はとがっている方から芽が出るけれど、乾燥してると形が歪んでわかりにくいから、横にして埋めちゃってオッケーよ』


 トマティーヌの指示を受けながら、三人はそれぞれがピーマンの株間にしゃがみ、落花生の種を人差し指の第一関節の深さまで埋め込んでから覆土した。

 長靴を履いた足にゆっくりと体重をかけ、鎮圧することで種と土をしっかりと密着させる。


 この作業を黙々とこなす瞳子を見て、那須田が香菜に耳打ちした。


「ねえ、尾倉チャン、あれってすっごいレアな光景だと思わない?」


「ほんとですね。苺子ちゃんがものすごく真面目に農作業してるみたいに見えますもんね」


「あの子に限っては、あのままずっと瞳子って女に憑依されてた方がよさそうよね」


 少しでも越川の役に立ちたいと言っていた瞳子が手際よく作業したおかげで、落花生はあっという間に種まきを完了した。


『枝豆と同じく、落花生も本葉が出るまでは鳥に食べられやすいの。種をまいた上に乾燥した雑草を敷いて、鳥よけにしてね』


「「『はい!』」」


 種まきのためにどかしていた雑草を、鎮圧した場所に薄く敷き直す。


 その作業を終えたところで。


「……あれっ? 僕は一体何をやっているんだ……?」


 四人の背後で越川の声がした。


「越川センセッ!? 元に戻ったの!?」


 しゃがみ込んで黙々と草をちぎっていた越川が立ち上がり、辺りを不思議そうに見回す。


「あれっ? いつの間にか落花生の種まきが終わってる!?」


 狐につままれたように呆然とする越川に、先日それと同じ経験をした那須田が声をかけた。


「センセも今の今まで憑依されてたのよ」


「えっ!? 僕が!? 」


 信じられない、という声色で動揺を見せた越川だったが、さすがに彼はその程度で狼狽えたりはしない。

 すぐにいつもの冷静さを取り戻し、穏やかな笑みを浮かべて言葉を続ける。


「まあ、根木さんも那須田さんも憑依されてますし、次に僕がターゲットになってもまったく不思議じゃないですよね。……それで、僕は一体誰に憑依されていたんでしょう?」


 微笑みを浮かべたままのその問いかけに、越川を取り囲む周囲の空気がピシッと音を立てて固まった。




 言えない。

 ダンゴムシに憑依されていたなんて。

 あまりに不憫すぎて言えるわけがない────!




 那須田も香菜もトマティーヌも、答えを待つ越川の顔を正視できずに視線を泳がせる、そんな中で。


「あれぇ? あたし、今意識飛んでたかもぉ!」


 雑草を敷く作業を終えて畝の草取りをしていた瞳子──いや、この素っ頓狂な口調は意識を取り戻した苺子だろう──が立ち上がった。


 そして、皆が集まっているところに視線を止めると、無邪気な笑みを満面に浮かべた。




「あぁっ! 越川サン、の憑依から解放されたんですねっ♪」




 その瞬間、他の四人の周りの空気がビキビキッと音を立ててひび割れた。


「え……っ、ダンゴムシ……って?」


 穏やかな笑顔を凍りつかせ、越川が立ち尽くす。


「ああっ! もうっ! この能天気娘ッ! アンタなんか一生に憑依されてりゃよかったのよッ!!」


 テンパった那須田の一言に、凍りついた越川の笑みがとうとう剥がれ落ちた。


「瞳子…………? 那須田さん、どうして、その名前を────」


 血の気の引きまくった顔で越川はそれだけ呟くと、ふらりと体を揺らした直後、ドサリとその場に倒れ込んだ。


「きゃあっ!! 越川さんっ!!」


『大変っ!! あまりのショックにコッシーが倒れちゃった!』


 根木の筋力を借りたトマティーヌと、ガチムチの筋力に物を言わせた那須田が二人がかりで越川を納屋の壁際まで運び、背中を壁にもたれさせる体勢で休ませることにした。


『これは気を取り戻すまでにしばらく時間がかかりそうね』


「越川サンたら、ダンゴムシになったかと思ったら倒れちゃうし、今日は全然ダメダメですねぇ」


「いつも全然ダメダメなアンタがそれを言うんじゃないわよっ!」


 越川をノックアウトしたコンビのやり取りに構うことなく、トマティーヌは額に浮かんだ汗を拭った。


『せっかくコッシーの憑依が解けたところだったのに、仕方ないわね。私もいつ大地のパワーが弱まって憑依が解けるかもわからないし、早いところトマトの脇芽摘みをしましょ』


「ねえ、トマティーヌ」


 さっさと畝に戻ろうとしたトマティーヌを、香菜が呼び止める。


「私、あなたの苗の傍に行くのが怖いわ。あなたの苗の周りに大地のパワーが集中してるのなら、今度は私が何者かに憑依されるかもしれないでしょう? 皆が次々に憑依されるところを見てたら、自分も突然そうなるのがすごく怖いもの」


 紅縁メガネの奥の瞳を不安げに揺らしてそう訴える香菜を一瞥し、トマティーヌはふん、と鼻で笑った。


『何言ってるのよ。あなたがそんな心配する必要はないわ』


「どうして? 私は憑依される体質じゃないとでも言うの?」


 香菜の問いを受け、トマティーヌはじっと彼女の顔を見つめると、その眼前に人差し指を突きつけて告げた。




『だって、あなたはすでにずっと前から憑依されているんだもの』





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