20 草には草の役割がある【那須田与一】

 とうとう来てしまった、金曜日。

 ゼア・ズ・ア・ファームBグループの作業デー。


 朝から憂鬱だった根木颯太郎だが、菜園が近づくに連れ、社用車のハンドルを握る手に汗が滲んでくる。


「あのさ、尾倉さんにお願いがあるんだけど」


 躊躇いつつも切り出すと、助手席に乗った尾倉香菜が紅縁メガネのブリッジをついと上げてから根木の方を見た。


「何かしら?」


「もし今日も俺の意識が飛んで様子がおかしくなったら、その様子を動画に撮っておいて欲しいんだ」


「トマティーヌの憑依を撮影するってこと? それは構わないけど、根木君の自尊心を保つためにはあまりお勧めできないわ」


「それは何となくわかってる。けど、自分の身に何が起こっているのかはやっぱり知るべきだと思うし、カウンセリングを受ける時にも必要になると思うからさ」


「あら。カウンセリングを受けるつもりだなんて、根木チャンはトマティーヌを自分の中の別人格だと思っているってことかしら」


 那須田与一が、後部座席から身を乗り出して話に割って入ってきた。


「憑依なんていうオカルト現象を信じるより、多重人格障害を疑った方がよっぽど現実的ですからね。そもそも、俺が豹変してたって話そのものも、完全に信じてるわけじゃないですし」


「苺子的な勘だと、あの怖〜いオバサン精霊は、ぜったい根木サンの別人格なんかじゃないですよぉ。根木サンだったら、ぜったいあたしを怒ったりしないはずですもんっ」


「究極的に要らない勘ね、ソレ」


「あー、那須田サン、自分に “女の勘” が働かないからって、見くびらないでくださいよぉ」


「アンタこそオネエを見くびるんじゃないわよッ! アンタなんかよりよっぽど場数を踏んでるんだからね!」


 那須田と野田苺子が不毛な言い争いをしているうちに、四人を乗せた社用車は会社で借り上げた菜園前の農道に到着した。


 菜園ではすでに講師の越川圭介が待っており、長靴に履き替えた四人が越川の前に整列したところで本日の実技講習が始まった。


「ここのところ夏のような気温と乾燥が続いていますね。皆さん熱中症にならないよう、水分や休息をこまめに取りながら作業してください。では、本日の作業に入る前に、先週植えつけた苗の状態を観察してみましょう」


 先週苗を植えつけたのは、ナス、ミニトマト、ピーマンのナス科トリオと、ウリ科のキュウリ。

 トマティーヌのアドバイスにより、根を洗ってポットの土を落としてから植えつけた苗達だが、雨が何日も降っていないせいか葉が少し萎れているようだ。


「どの苗もちょっとぐったりしているように見えるんですけど、水やりした方がいいですよね?」


 まだまだ小さく茎も細い苗たちを心配した香菜が越川に尋ねると、彼は穏やかに首を横に振った。


「心配になる気持ちをぐっと抑えて、ここは見守ることにしましょう。苗達は今、大地に活き着こうと、懸命に根を伸ばしている最中です。ここで水を与えてしまっては、水は与えてもらえるものだと甘えてしまい、しっかりと根を張ることをやめてしまいます。天候に左右されず病虫害に強い丈夫な株に育てるには、根張りを良くすることがとても大切なんです」


 そう答えた越川は、一番手前にあるナスの苗の前でしゃがむと、その株元を指差した。


「畝立ての際に簡単な土壌診断をしましたよね? この菜園の土は保水性の高いやや粘土質よりの土なので、よっぽどの日照りでない限り野菜達は自分の力で土壌中の水分を吸収できます。それに、植えつけ作業の最後に、皆さんに “草マルチ” をしていただきましたよね? この草マルチが地表から水分が蒸発するのを抑えてくれるのです」


 初回の作業で畝を立てた際、この地に生えていた雑草は捨てずに畝の表面に被せておいた。

 先週の植えつけ作業では、越川の指示のもと、それらの雑草は定植した苗の株元に “草マルチ” として再び敷かれたのだった。


 草マルチの下では土壌微生物の活動が活発になり、雑草が分解されて “腐植” と呼ばれる有機的成分を豊富に含む土ができる。

 また、メジャーな農業資材であるビニールマルチには少し劣るものの、草マルチには保温や保湿の効果、雨による土の跳ね返りを防ぎ病気を予防する効果がある。

 持続可能なエコライフを目指すパーマカルチャーでは、石油が原料のビニールマルチの使用は極力控え、草マルチで土づくりを兼ねつつ苗を保護するのがベターな選択であるとのこと。


 越川の説明を聞きながら、“雑草は宝物” という彼の言葉に、改めて納得する四人であった。


 極端に弱った苗や虫害のひどい苗などがないことをチェックした上で、本日予定されていた “種まき” の講習が始まった。


「皆さんの決めた作付計画に従って今日種まきをしてもらうのは、バジル、オクラ、スイカ、トウモロコシ、エダマメの五品種です」


「ねえ、越川センセ。落花生は今日は種をまかないってことかしら?」


 作付計画を広げた那須田が、越川にそれを見せて確認を求めるていで彼に擦り寄った。

 反射的に一歩後ずさった越川だったが、穏やかな笑みを崩すことなく答える。


「落花生は、成長するのに高めの地温を必要とするんです。今年はゴールデンウイーク以降高めの気温が続いて地温も上がっていますが、また低くならないとも限りませんし、例年どおり五月下旬から六月初旬ごろの播種でいいかと思います」


「じゃあ、サツマイモの種ももっと後にまくんですかぁ?」


「苺子ちゃん、サツマイモは種をまくんじゃなくて、苗を植えるのよ。おばあちゃんがそうしていたのを覚えてるわ」


「そもそもサツマイモって種はできるんですか?」


 苺子と香菜の会話で生まれた疑問を根木が口にする。


「ええ、サツマイモはヒルガオ科の植物ですから、花も咲きますし種もできます。ですが、元々熱帯が原産のために、本州の気候ではなかなか花が咲かないんですよ。そこで日本では、芋から出た芽を育てて苗にして植え付けるのが一般的です。こちらも地温の確保が必要なので、植え付けはもう少し後の予定です」


 そう説明しながら、越川は腰に下げたポーチから種の入った小袋を取り出した。


「ここに先ほど挙げた五種類の種があります。そして、その他に今日はエンバクの種も持ってきました。エンバクは、いわゆる “緑肥植物” であり、“バンカープランツ” でもあります」


 聞き慣れない単語がまたも出てきて、メモ帳を手にしていた香菜は慌ててペンを走らせる。


「緑肥植物というのは、成長したものをなまのまま土にすき込むことで肥料となる植物のことです。このエンバクやソルゴー、ライ麦などイネ科の植物のほか、クローバーやヘアリーベッチといったマメ科の植物がよく利用されます。皆さん、春先の田んぼが一面レンゲに覆われているのを見たことがあるかと思いますが、あのレンゲも緑肥植物として田んぼに播種されたものなんですよ。イネ科の緑肥植物は、刈り取って乾燥させれば敷き藁のように利用できますし、根圏が広いために土壌中の微生物が集まりやすかったり、土が固く締まるのを防いでくれる役割があります」


「バンカープランツっていうのは?」


「日本語では、“天敵温存植物” と言いますね。アブラムシやアザミウマといった畑の害虫には、それらを食糧とする天敵が存在します。バンカープランツというのは、そういった天敵を呼び寄せてそこをすみかとさせることで、彼らに害虫を駆除してもらう環境を作る植物のことです」


「へええ……。畑って、野菜以外の植物は生えてちゃいけない場所かと思ってたわ」


「単一作物を大量に効率的に生産する慣行農法では、確かに作物以外の植物は邪魔になります。けれども、一種類の植物だけが育っている土地というのは、考えて見れば不自然極まりないと思いませんか? 畑は野菜を育てる場所ではありますが、パーマカルチャーとしては、その中でも可能な限り豊かな生物相を作ることが野菜にも人間にも環境にも優しい農法だと考えているんです」


 越川の言葉に、香菜と根木が頷いた時だった。


『あんた、若いのによく勉強してんなぁ。確かに、俺も親父から継いだ慣行農法には行き詰まりを感じてたんだよな!』


 那須田がいつになく野太い声でガハハと笑ったかと思うと、しなを作って寄り添っていた越川の背中をバンバンと乱暴に叩いた。

 その勢いで、越川がゲホゲホと咳き込みながらよろめいた。


「え、ちょ、那須田さん……!?」


『那須田? ああ、このガタイのいい兄ちゃんは、那須田っていうのか。俺の若い頃の体格にそっくりなせいか、“うつわ” としてしっくりくるんで入らせてもらったぜ』


 ガチムチオネエのはずの那須田が、タンクトップがはち切れんばかりに胸を張り、ワイルドな笑みを浮かべる。


『俺の名前は権田原ごんだわら正和まさかず。この集落で長らく百姓をやってたもんだ。こっちの兄ちゃんの講釈が興味深いもんだから、思わず出てきちまった』



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