第24章
せっちゃんはタカシくんの肩を両手で掴むと、グッと顔を寄せて、
「博士。これ、もしかして、あなたの研究成果なんじゃないの?」
と低い声で迫った。恐い、恐いぞ、えせ体育教師。
タカシくんは目を白黒させて、
「え? は? それって? どういう?」
と、ろくに返事もできない様子。そりゃそうだろ、急にそんな恐い顔して迫られちゃ。
「まあまあ、せっちゃん。おちついて、あたしたちにもわかるように説明してよ」
あたしがそう言うと、せっちゃんはタカシくんの肩を掴んでいた両手を離した。
「あっと、ごめん」
いかに担任持ってない保険の先生とはいえ、今のは教師としてどうかと思うよなー。落ちつけ、せっちゃん。
「博士の論文は読ませていただきました。あなたの研究は一言で言ってしまうと、ネット上で拡散されるフェイクニュースの実効性を評価することよね?」
「は、はい」
あからさまにせっちゃんの勢いに押されつつ、タカシくんはこくこくうなずいた。
「ボクが、というより、ボクにシミュレーションを依頼した共同研究者たちは、最終的にはもうちょっと大きいことを考えていて、ネット上に流れる言説を分析することで社会情勢の変化を予測することができるかどうかを考察したいとか言ってますけど、そこまでいっちゃうとちょっと飛躍しすぎですよねー。SFじゃないんだから」
おい。なんか今、しれっととんでもないこと言わなかったか。
「で、あなたはそのシミュレーション用のソフトウェアを開発したわけよね?」
「そうです。仮想的にネット上の会話を自動的に大量生成して、それが世論の動向、さらには社会全体に及ぼす効果をシミュレートするようになっています」
あー、なんかもう全然わけわかんねーよー。
「そのソフトってどんなものなのか、もう少し具体的に教えて」
「え? そ、そうですね。おおまかには、二つのプログラムから構成されています。一つは、小規模なインターネット空間を仮想的に組み上げたデータベース。もう一つは、複数の人工知能プログラムを使ってネット上の会話を自動的に大量生成するエンジン部です」
ほらきた。せっちゃんはふんふんうなずいてるけど、こっちゃすでにもう何言ってるかさっぱりだよ。
「エンジン部とデータベース部とは互いに参照し合うようになっていて、ネット上に流布したい情報を混入すると、それがデータベース部内に伝播していきます。ほとんどの場合、この情報は時間が経過すると減衰していってしまうのですが、まれにそのままデータベース内に新データとして定着する場合があります。この減衰と固着との差がどうやって生まれるのかを、エンジン部とデータベース部のパラメーターを変化させながら探ろうというのが、ボクのプログラムの基本的な目的です」
な、何言ってるだ、おまえさん??
「パラメーター、つまり変数の変化は自動で?」
「そうです。そうじゃないと実験してる側がつきっきりにならないといけませんから」
「……これはあくまでも仮定だけど、そのエンジン部を実際のネットに接続したら、デマを流布したりすることもできるんじゃない?」
せっちゃん、今何言った?
「えー? ……でも、そんな使い方したらいけませんよ」
て、おいおいおい、タカシくん、ちょっと待って! なんかいきなりあたしにもわかるレベルでヤバい話になったじゃん、急に!
「いけませんよ、って! ということは、そういうふうに使えるってことなんじゃないの?!」
あたし、思わず声が裏返っちゃったよ。
あたしだけじゃない。せっちゃんも立川さんも池端さんも、マジな目になってタカシくんを見つめてる。タカシくんはなんだかおどおどとしつつも、そんなバカなって顔してる。
「そういう使い方しちゃいけないだけじゃなくて、うまくいかないと思いますよ。このソフト開発を頼んできた社会学者たちによると、ネットの普及は噂の伝播速度を一気に上げたけど、その分、効力は落としてる、ってことだし」
「それ、どーゆー意味?」
「つまり、ネットのなかった時代は、噂を検証することは難しかったけど、今はすぐ反証が挙げられるじゃないですか。それに、人間は案外パニックを起こしにくい生き物だってこともありますし、まったく根拠のない嘘は、そう簡単には広まらないんじゃないかと」
「正常性バイアスってやつね」
せっちゃん、また難しいこと言った。
「何それ?」
「知らないの?」
「女子高校生にそんなむずかしーこと言うなよー」
「ったく、銃器やらメカやらの型番はよく知ってるくせに。知識が偏ってんだから。そんな女子高校生、めったにいないわよ」
「仕事の専門知識だい」
「かいつまんで言っちゃうと、人間っていうのはけっこう非常時に対応しきれないってこと。映画とかだと、何か事件が起こったら、みんなパニック起こして我先に逃げ出しちゃうけど、現実には、地震が起こっても、火事になっても、『たいしたことないだろう』と勝手に思い込んで逃げ遅れる人がけっこういるって話よ」
「全然かいつまんでない!」
あたしが不満そうに言うと、せっちゃんはあからさまに溜息をついた。こんにゃろー。
「大抵の人は、非日常的なことなんか自分には起こらない、と思ってるし、実際にそういう状況に遭遇したことがないから、ほんとにそういう目にあっても、すぐには反応できないのよ」
「あー、あるよね、そういうこと」
「そういうわけなので、そう簡単にはネットの噂だけで人を誘導したりはできないんですよ」
やっとわかってくれたか、という顔でタカシくんが言った。
「できないんですよ、じゃない! 今! あたしたちの! 目の前で! まさにネットの噂だけで道路が渋滞しちゃってるでしょーが!」
あたしの言葉に、またまたタカシくんはおどおどモードに逆戻りした。
「え? いや? でも? ほんとに?」
ええい、現実を直視せんかー!
「簡単じゃないかもしれないけど、不可能でもないんじゃない? 特に、あなたが開発したっていうプログラムには便利な機能がついてるんだから」
「え?」
「だって、変数は自動で変更できるんでしょ? 嘘情報をどんどん広めて信用度を強化するように自動化するように調節できるんじゃない?」
「……いや、それは。できないことはないかもしれませんけど、そのためのアルゴリズムを作らないと。それに、エンジン部そのものも、いくつもコピーを作って、よほど大がかりに同時にネットにアクセスさせないと……」
「あれだけの装備をそろえてる連中だもの。それくらい簡単にできるでしょ。博士。あなたのそのプログラム、誰でもアクセスできるの?」
「さすがにそれは。本体は大学の研究室のサーバー内に置いてありますけど、アクセス権はボクを含む数人の研究者しか持っていません」
「コピーはどこに?」
「データベース部は大きすぎて持ち運べないんですが、エンジン部はデバッグ用にボクのパソコ……えー?!」
あー、やっと、話がつながったよ。
「それが連中の狙いだったわけだ。今頃気づくかな、キミも」
「でも、そんなことしてどうなるんです?」
おお、なんたる学者バカ。まだそんなこと言ってるよ。キミは良い人だ、タカシ・アンダーソン。
「それは、そのプログラムの性能次第ね。社会不安を煽る。特定の方向に世論を誘導する。一国だけじゃなく、世界中の国で利用すれば、国際紛争だって起こせるかもよ。東欧で作られたフェイクニュースがアメリカの大統領選の流れを変えるご時世よ。そんなプログラムがあれば、誰だって喉から手が出るくらい欲しいわよ」
と、せっちゃん。いやいやいや。いくらなんでもそれはSFすぎるでしょ。こっちはダメな大人すぎる(ほめてません)。
「どうなの、博士?」
そう、せっちゃんに詰め寄られ、タカシくんは、
「え。いや。そんな使い方は、想定してなかったもので……」
と、へどもどしてしまってる。
「ちょい待ち、二人とも。仮定の話はどうでもいいの! 今、目の前で起こってることとどう関わってるかでしょ、大事なのは」
あたしはそう言って二人の会話を遮ると、立川さんの方を向いた。
「立川さん、道路の渋滞、どうなってる?」
「オレより甘利のほうがいいな。甘利、そっちなら交通情報だけじゃなく、Nシステムの映像もリアルタイムでアクセスできるだろ」
「了解」
せっちゃんはそういうと、バン後部に積み込まれてる監視用システムの前に座ってコンピュータを操作しだした。
「じゃあ、オレはネットの方を……」
池端さんはそういうと、ノートパソコンを取り出して同時にいろんなSNSやらまとめサイトやらにアクセスを始めた。
「外堀通り、青山通り、外苑東通り……。何これ? 明治通り以外もどんどん渋滞が始まってる。靖国通りと新宿通りも詰まりだしてるし」
せっちゃんが驚きの声を上げた。
「明治通りの渋滞を避けるために、他の道路使えって情報が錯綜してるなあ。こりゃ、いくつかの道で意図的に渋滞起こしてるとしか……、あ、電車も混み出してる」
と、こちらは池端さん。
「雪の降った日みたいに駅で混雑とか?」
あたしの問いに池端さんが答える。
「ビンゴ。四谷、赤坂見附、信濃町……。どんどん増えてる。ただしこっちも、ある一定の地域限定だ」
「ちょっと待った。今、都内は厳戒態勢で、通行止めや検問がそこらじゅうに張られてるだろ?」
立川さんの疑問に、池端さんは、
「そのへんもいろんな偽情報がまかれてる。すごいな。SNS上の情報をニュースサイトやテレビでも半信半疑で流しだしてる。そりゃみんな騙されるわ」
「ちょ! 今どきのドライバーは運転しながらそんなにネット見てんの? それ、法律違反じゃないの?」
「タクシーとか、テレビついてる車も多いしなー」
「一番大きいのはやっぱテロ情報の影響だな。みんな、とにかく新宿区から一斉に避難しだしてる」
「外堀通りと新宿通り、詰まった!」
せっちゃんが大きな声を上げた。
ちょっと待って、ちょっと待って。これって……。
「せっちゃん、地図出して。今、渋滞してる道路で囲まれてる場所ってわかる?」
あたしが言うと、せっちゃんが東京23区の地図を監視システムの大きなコンソール上に出してくれた。
やっぱし!
「これって……新国立競技場ですか?」
地図を覗き込んだタカシくんがつぶやいた。ぶー! 不正解。でも、せっちゃんはすぐにあたしと同じことに気づいてくれた。
「違う。その東隣! 迎賓館!」
そう。今日、アメリカ大統領を招いて祝宴が催されてるはずの、迎賓館赤坂離宮の周辺がぐるっと渋滞してしまってんのよ! 何だこれ?!
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