第三話 案内

 鬼が 自分の足を喰らう様など、恐ろしくて見ていられなかった。


 味見なのか鬼は足首を舐めている。何度も、何度も。

 いつ噛まれるかわからない恐怖にわたしは身を硬くした 、のだが……。

 一向に噛み付く気配がない。

 鬼は足首を舐めるだけなのだ。歯を立て人肉にくを喰らうでもなく、爪を立てるでもなく、丹念に舐め続けている。


 味見が、長い。

 私は顔を、鬼の方へと向けた。

 鬼は正座のまま頭を下げて わたしの足首を舐めている。

 顔を下に向けていることや、ボサボサの髪も相まって鬼の顔は見えない。

 この鬼は一体何をしたいのだろう。食べることが目的なのだろうか。

 わたしの頭に疑問が浮かんでくる。その内に、足首から伝わる舌の感触が消え、鬼が徐々に身体を起こしていく。

 次に何をするのか とわたしは固唾を呑んだ。身体を起こした鬼は、わたしと視線を合わせる。

 そうすると、鬼の目尻が下がり 口元が上がる。


 鬼が 柔らかく微笑んだ、ように見える。


 人を喰らう鬼が、こんな表情をするのだろうか。

 鬼はその表情のまま、わたしの両脇に手を入れ、わたしを立たせた。

 すると、おかしなことに気づく。

 右の足首の痛みが消えている。そのまま足踏みをして感覚を確かめるが、やはり痛くない。

 もしかして足首を舐めていたのは——


「足を、治してくれていたの」


 鬼は満面の笑みを浮かべて、こくりと頷いた。

 この鬼は人の言葉がわかるようだ。わたしは深く深く息を吸って、吐いた。

「えーと、その」自分の顔が少し熱くなるのを感じる。

「助けてくれて、ありがとう」

 鬼はきょとん とした表情を見せる。

 あ、そうか あの時の、頬を手で行ったり来たりするような行動は——


「わたしの涙を拭ってくれたのも、ありがとう」

 そう言って、わたしは両手で自分の顔を拭ってみせた。それを見た鬼はく と笑うような身振りをする。

「えっ そんなにわたしの顔、変だったかな。ちょっと強めに拭ったから、顔の形が変だったかもしれないけど」

 もう一度、両手で顔を拭った。今度はさっきより強めに拭ってみせる。

鬼は口元を隠しながらも吹き出すような動きを見せた。相変わらず声は出さないが、鬼の笑顔が とても優しげなもので、わたしもつられて笑った。

 

 鬼は笑い終えたのか 口元から手を離し、一歩 わたしから距離をとる。

 その次に、鬼は左手の人差し指を立てた。

 すると、鬼の指先に大きな炎が灯ったのだ。


 鬼の指が蝋燭にでもなったようで、わたしは大きな炎に眼を見張った。

 鬼は少し微笑みながら、今度は後ろ側に身体を向け、右手の人差し指を 焚き火に向ける。

 まるで指し示されたかのように、焚き火の炎が一瞬で消えた。


 焚き火の灯りが消えたことで、あたりは少し薄暗くなり 鬼がわたしの方へと歩き出す。

 薄暗さも手伝い 一抹の不安がよぎるが、鬼の表情は変わらず微笑んだままだ。

 鬼はわたしが転んだ時にひしゃげてしまったと思われる籠を背負い、わたしの横を素通りした。山の斜面を下ろうとしているようだ。

 鬼がこちらを振り返り、手招きをする。


「もしかして……。家まで 送ってくれる、の」


 鬼はにこり と笑い、頷いた。

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