スーパー家政婦の喜多(前編) 

 姉のお腹に隠れていた不思議な茶色い封筒――――


 ボクと姉にとって大事な物が入っているという。早く中を見てみたいけれど、夕食後のお楽しみと言われたらボク一人で今見る訳にはいかないよね。


 家政婦の喜多きたが作るスープカレーのスパイシーな香りに引き寄せられるようにボクは階段を降りていく。彼女は謎の多いスーパー家政婦。ボクたち姉弟の生活全般のサポートをしてくれるのだけれど、ボクの前にはほとんど姿を現さない。突然現れたか思えば、次の瞬間には姿を消す神出鬼没な人なんだ。

 そして今回も、キッチンに立っていたのは家政婦の喜多きたではなく、ピンクのフリフリが付いたエプロン姿の姉だった。


「あっ、しょうちゃんちょっと早かったかな。もう少し待っててね。お姉ちゃんサラダの盛り付けを頑張ってるから」

「うん、ありがとう、お姉ちゃん!」

「んふーっ!」


 花柄レースのテーブルクロスが敷かれた大きなテーブルには深皿に盛られたスープカレーとライスが置かれている。席の端に茶色い封筒を置き、イスに座って足をぷらぷらさせて待っているボク。


 ダイニングからは、カウンター越しに姉が鼻歌交じりの上機嫌でキッチンを動き回っている様子がよく見える。

 思えばボクたちはずっと以前から毎日のようにおままごとをして遊んでいた。いつの間にかそれが現実生活となり、ボクらはこうして二人だけの生活を遊び感覚で楽しんでいる。


 やがてスリッパをパタつかせて姉がサラダボウルを運んできた。


「じゃ、いただきましょう!」

「うん、いただきまーす!」


 二人揃って手を合せてから、スープカレーを食べ始めるボクたち。

 スプーンでお汁をすくってふーふーしてから口に入れると、予想通りスパイシーな香りが口の中に広がって、その後に来る辛さの刺激がボクの心を六千キロ彼方のインドまで運んいく。


「美味しいね、お姉ちゃん!」

「喜多は料理の腕も超一流よね。あっ、でもしょうちゃんの嫌いなニンジンが入っているわね……お姉ちゃん食べてあげよっか?」


 確かに大きなニンジンがごろんと入っているのが気になってはいたんだ。そんなボクの気持ちを察してくれた姉はテーブルに手を付き身を乗り出し、とろんとした顔で可愛らしくて小さな口を開けて待ってくれている。


「じゃ、ニンジンお願いするね……」


 スプーンにのせたニンジンを、左手を添えて姉の口へ運んでいく。

 すると途中で姉はハッと目を見開いて――


「ちょっと待ってぇー、しょうちゃん! 今、あーんって言わなかったよーっ?」

「ええっ!? そこ、重要なの?」


 姉はときどき変な所にこだわるけど、きっとそれには深い意味があるんだろう。姉の言うことはいつでも正しいことなのだから。


 ボクが『あーん』と言いながらニンジンを運ぶと、今度はまるでスプーンごと食べてしまうような勢いでぱくっとする姉。そのまましばらくスプーンごともぐもぐしてから『んぱーッ』と口を開けた。


「ん~っ! しょうちゃんのニンジン、サイコォー!!」


 満面の笑みを浮かべて両手を上に突き上げて喜んでいる。

 よく分からないけど、姉が幸せそうなのだからボクはそれでいい。


 ボクのスプーンはまるで洗い立てのようにピカピカになっていた。


「お返しに、しょうちゃんの大好きなお肉をあげるね! はい、あーん」


 姉が身を乗り出しお肉を乗せたスプーンを差し出してくる。

 ボクはテーブルに手を付いて『あーん』と口を近づけていく。


「あっ、ちょっと待ってしょうちゃん……」


 姉は突然スプーンを引いて『んちゅっ』と唇をつけてぺろりと舌を出した。


「えっ……、今何したの…………?」

「安心してしょうちゃん、憎きニンジンの欠片はお姉ちゃんが退治したからっ!」


 そう言って、再びお肉を差し出してくる姉。

 ――やっぱりお姉ちゃんは優しいな。

 でも、これだけは言わなければならない!


「お姉ちゃん! ボクをそこまで甘やかさなくてもいいんだ! ボクはもうすぐ高校生になるんだから!」

「で、でもでも、お姉ちゃん、しょうちゃんに嫌われたくないし……」

「大好きなお姉ちゃんを嫌いになるわけがないじゃないか!」


「だっ、大好きな……お姉ちゃん!?」


 その瞬間、姉の顔は真っ赤になり手元がびくんと揺れた。


 カレーのお汁がついたお肉が宙を舞い、サラダボウルの中に落ちていく――


 その様子がまるでスローモーションの世界のようにはっきりと見えていたボクは、思わず手で受け止めようとしていたんだ。

 当然のように間に合うはずもなくサラダの上に落ちるお肉。

 そして、大きく前のめりになっていたボクは勢い余ってテーブルの上にダイブしてしまった。


 サラダボウルが宙に浮き、中身のサラダが舞い上がる。

 続いて激しい音を立ててテーブルに転がるサラダボウルが、牛乳の入ったコップをなぎ倒していく。

 テーブルクロスにぶちまけられた牛乳が津波のように茶色い封筒の方に迫っていく。


「ああっ!」


 二人は同時に声を上げ、手を伸ばして飛びついていった。

 

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