オムニバス小説 ラブオールⅡ 30-0

鷹香 一歩

第1話 婚活

 ポーン、ポーン。ラケットに弾かれた硬式ボールが乾いた音を立てる。まるで板チョコのように正確に5面ずつ2列に並んだテニス・コート。河川敷に整備された公園の緑が眩しい。松尾優理子はコートに隣接した喫茶店のオープンテラスの、せり出した日除けの下で雑誌をめくっていた。雑誌と言っても、ファッション系ではない。カラフルな魚類を捉えた写真を掲載した専門誌だった。待ち合わせの相手はまだ来ていない。アイスティーを飲みながら、見るとはなしにコートを眺めていた。

「すみません、待たせちゃって」

優理子が視線を上げた。見覚えのある男が立っている。肩から下げた大きなバッグには無造作に突っ込まれたテニス・ラケットが2本。東海輝輝(とうかい・てるき)だった。

「大丈夫よ、今来たところだから…」

「『今、来たところ』って割には、アイスティー半分減ってますよ」

二人はぎこちなく微笑み合った。

「何だ、仲いいじゃん。初対面の“婚パ”の話聞いてたから、仲裁役のつもりでついて来たけど、とんだお邪魔虫だったかな」

輝輝を追うようにテーブルにやって来たのは鷲尾鷹志(わしお・たかし)。輝輝とは中学以来の友人だ。簡単に自己紹介を済ませる。

「この間はごめんなさい。よく話も聞かないで、飛び出しちゃって」

「こいつね、そういうの昔っから慣れてますから。免疫があるんで全然、大丈夫ですよ。打たれ強いタイプってヤツ」

勝手に鷹志が答える。

「実は、オレも気になっていたんです」

「名刺、交換しておいてよかったわ。あっ、でもテニス大丈夫でした?」

「いいんですよ、テニスなんて。きょうなんか、テルテル、あそこのコート脇にある時計ばっかり気になってソワソワ、ソワソワ。まるでデートの待ち合わせみたく」

「鷹志、お前な」

「あっ、テルテルっていうのは、コイツのニック・ネーム。中学時代からの。テルキって、輝く輝くって書くじゃないですか。親御さんにとっては輝け輝けだったのかも知れませんけど、仲間内では完全に名前負け、って話。で、野球部だったテルテルは坊主頭。当然、クラスメートに呼ばれていたのは…」

「テルテル坊主?」

「ピンポーン。なのにテルテル、実は雨男なんですよ」

鷹志のジョークに優理子が思わず吹き出した。

「いい加減にしろよ、鷹志。話、盛り過ぎ」

「初対面の悪印象の払拭には、このくらい盛って丁度いいんだよ」

「優理子さん、テニスは?」

「私は、どっちかって言うとインドア派」

「あっ、インドア・テニスね。やっぱり日焼けが気になるお年頃だ」

「じゃなくて、バドミントン」

「あっ、バドミントン。オグ・シオペアとか、タカ・マツペアとかね。でも、マスコミは何でも縮めたがる。奥原希望(のぞみ)や山口茜はシングルスでよかったですよ、ホント。もし2人がダブルス組んだら奥山ペアですよ。まさかの一人かーって。逆さにしても、山奥ペア。どんなに秘境なんだーって」

「テンション、高っ」

鷹志が運ばれてきたアイス・コーヒーをひと口。

「でも、テニスもいいですよ」


テニスは不思議なスポーツだ。特に得点計算。1ポイント目を15(フィフテティーン)、2ポイント目を30(サーティ)、3ポイント目は40(フォーティ)と呼び、ジュースにならなければ、基本4ポイント先取でゲームをひとつ獲得できる。ゲームごとにサーブ権を変えながら互いに獲得ゲーム数を競い、2ゲーム以上の差をつけて6ゲーム先取すると、セットを一つ獲得できる。セット数で勝敗を決めるのはバレーボールも卓球もバドミントンも共通だが、得点の基本となる1ポイントの数え方が異質だ。

「いきなり15-0だもんな。しかも次が30。それなら当然、次のポイントは45だろうと思ったら、まさかの40。フェイントもいいところ。とても紳士のスポーツとは思えない。ゲームの最初の0-0(ラブオール)はいいんだけどね」

「45(フォーティ・ファイブ)、何とかってスコアを呼びにくかったから、40になったらしいんですよ」

輝輝が“テニスあるある”を優理子に説明する。

「オレらの“草テニス”は、ボールの打ち合いは相手とのコミュニケーションなんで、楽しいんです。今度やりましょうよ」

と鷹志。何て自然な誘い方なんだ、とオレは思った。

「さあ、“枕”はこのくらいにして本題、本題。要するに、二人とも震災後の被災地のあり方っていうか防災対策、環境対策を考えていたんだよね。やっぱ故郷は大事」

「随分、長げー“枕”だな。おかげで熟睡しちゃったよ」

オレも、いつもの自分に戻っていた。


オレが優理子と初めて出会ったのは婚活パーティーだった。雰囲気に慣れないオレを、スタッフがどこか手持無沙汰にしていた優理子に紹介してくれた。

「はじめまして。東海輝輝です」

「あっ、はじめまして。松尾優理子です」

「こういうの、初めてなんで。勝手が分からなくって…」

「私も“婚パ”デビュー戦。よろしくお願いします」

「なるほど。“合コン”のコンパじゃなくて婚活の“婚パ”ね。ウマいこと言いますね」

「あれ? あっ、ホントだ。でも、狙ったんじゃなくて天然ですよ、天然」

優理子は、海洋生物の研究者だった。宮城生まれだが、小学生の時に会社務めだった父親の転勤で東京で育った。震災のボランティアを経験し、親戚も多い故郷に移り住んで来た。東日本大震災後、被災地の海は様変わりした。津波の引き潮で多くの家屋や車両も流された。原発事故が起きた福島では8年経った今も解け落ちた核燃料棒の取り出しもままならない上に、汚染水の処理も深刻だ。

「東海さん、お仕事は?」

「土木工学をやっていました、大学で。今は企業戦士ですけど」

「研究者、なんだ。どんな研究を?」

「震災後の津波対策っていうか…。何とかならないかと思って…」

初対面の印象は悪くなかった。いわゆる掴(つか)みはOKだったはずなのに、最初の質問が悪かった。無難に「趣味は?」とか「お休みは何をしてるんですか?」とかだったら、展開はきっと違ったのだろう。

「政府が進める巨大な防潮堤、見たことあります?」

「あるわよ。海岸線に沿ってずーと並んだコンクリートの壁。ちょっと異様よね」

「あれって、海を拒絶していると思うんです」

「でも、生活の安全・安心のためには対策は必要でしょ」

「昔から大地震や大津波はあったんです。でも、人々は海からの恩恵を生活の糧とし、災害のリスクも含めて海との共存を選んできた」

「それで?」

「あんな無粋な巨大な壁じゃなくて、海の中に防潮堤的な対策を考えてるんですよ…」

「ダメ、そんなの絶対ダメ」

優理子が大きな声を出して立ち上がる。会場が一瞬、凍り付いた。

「生態系を崩すだけよ。沖縄のサンゴ礁と一緒」

およそ、婚活パーティーの話題ではない。スタッフが3人駆け寄ってきた。

「トラブルは困るんですけど」

注意を受けた2人は、気まずくなってロビーに出た。

「つい、大きな声を出してごめんなさい。失礼します」

「あの、えっと、ちょっと待って…」

優理子は輝輝の顔も見ずに一礼すると会場のホテルを後にした。それ以来の再会だった。

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