【1970年代 (3)】アニメに先行して輸出されたロボット玩具

 米国ではテレビアニメのスポンサーはコーンフレークなどのメーカーが多かったそうですが[1]、1963年に日本で『鉄腕アトム』が放映されたときのスポンサーは明治製菓でした。『アトム』に続いて放映された『鉄人28号』のスポンサーは江崎グリコ、『エイトマン』は丸美屋です。[2]


 ところが60年代の末になって、菓子メーカーがアニメなどの子供番組から離れる動きが起こりました。菓子の購買層がティーンエイジャーに成長したため、メーカーもそれに合わせて歌番組やドラマに提供枠を移したのではないかと、当時の雑誌記事では分析されています。[2]

 一方で、1966年には特撮番組の『ウルトラQ』『ウルトラマン』、そしてイギリス製作の『サンダーバード』が日本放映され、その玩具も大ヒットとなりました。そしてアニメのマーチャンダイジングでも、玩具メーカーが大きな役割を果たすようになります。


 1972年、アニメ『マジンガーZ』が放映され人気を集めました。"主人公"が搭乗して操縦する巨大ロボットものの嚆矢と言われる作品です。

 バンダイグループのポピーからダイキャスト製法による金属パーツで作られた「超合金」のマジンガーZの玩具が発売されると、これも大ヒット商品となります。玩具としては高額な商品でしたが、ズシリと重い金属のボディーにミサイル発射などのギミックを備えた「超合金」は当時の子供の心を捕えました。


 『マジンガーZ』のメインスポンサーは大塚製薬でしたが、以後、玩具メーカーをメインスポンサーとした巨大ロボットもののアニメ番組が次々と製作されるようになりました。ロボット玩具が変型や合体といったギミックを洗練させていく一方で、アニメ番組の方は「玩具を売るための三十分CM」となっていきます。[3]


 このポピーの「超合金」を、米国のマテル社が輸入して1977年から販売を始めました。ご承知の通り、77年はまだ日本製アニメの輸入が途絶えていた時期です。したがって、米国の子供たちは背景にある物語をまったく知らないまま、日本のロボット玩具と対面したことになります。

 それでも日本のロボットは米国の子供たちの心を掴みました。変型やロケットパンチ発射などの玩具としてのギミック、それからロボットのデザインの魅力でした。パトリック・マシアスによれば、当時の米国のロボット玩具といえば、50年代から変わり映えしない「四角い箱を重ねたような」デザインしかなかったのだそうです。[4]


 マンガ評論家で研究者の伊藤剛は、独特の用語として〈キャラクター〉と〈キャラ〉を区別して論じています。[5]

 ふつう「キャラ 」という言葉は、単に「キャラクター」の短縮した形として使われています。しかし伊藤剛の用語では、〈キャラクター〉とは、漫画の登場人物の図像が作品の世界観や物語と結びついて固有の人格を与えられている状態を指し、〈キャラ〉は、世界観や物語と切り離された、純粋に図像だけの水準を指します。


 伊藤の議論は漫画についてのものなので、〈キャラ〉の定義に「比較的に簡単な線画を基本とした図像」、〈キャラクター〉の定義に「人格」という言葉が含まれていますが、「人格」を持たない巨大ロボット、ダイキャストなどで作られたロボット玩具にも、この構図は拡張できます。

 つまり、日本の子供たちにとってのロボット玩具は、テレビで見た物語に登場するあの「マジンガーZ」や「ライディーン」であり、〈キャラクター〉でした。それに対し米国では、元々の物語から切り離されて〈キャラ〉の水準で受容されたのです。


 伊藤剛は、図像が「テクストに編入されることなく、単独に環境の中にあっても、強烈に『存在感』を持つこと」を「キャラの強度」と表現し、物語の中で〈キャラクター〉が魅力を持つこと(=キャラクターが立つ)ことと対比させています。乱暴に言えば、図像としてのキャラクター・デザインの魅力が「キャラの強度」ということでしょう。そして日本のロボット玩具は、この「キャラの強度」によって米国の子供たちに受け入れられたのです。

 ほとんど「キャラの強度」だけによって大きな成功を得た事例としては、パッケージ絵と簡単なプロフィールだけでバーチャルアイドルとして世界中にファンを生んだ「初音ミク」が挙げられます。『鉄腕アトムアストロ・ボーイ』の頃から、ストーリーの力が日本製アニメの魅力として語られていますが、さらに〈キャラ〉のデザイン的魅力というのも無視できない要素です。


 元来のアニメのストーリーとは切り離されて売り出されたロボット玩具ですが、マテル社は、マジンガーZ、ゲッターロボ、ダンガードA、ガイキング、ライディーンなどのロボットをひとまとめに「ショーグン・ウォリアーズ(Shogun Warriors)」と名付けて販売しました。わざわざ日本語で「ショーグン」と銘打ったのに、パッケージには「ショーグンとは世界の自由の無敵の守り神のこと」と書かれていたそうで、日本製ということを強調したいのか隠したいのか、狙いがよくわかりませんね。パトリック・マシアスによると、当時ベストセラーだったジェームズ・クラベルの小説『Shōgun』(1975年)から名付けられたということですが。

 ちなみに、特撮番組の東映版『スパイダーマン』(1978年〜79年)に登場する巨大ロボット、レオパルドンの「超合金」も販売されましたが、まさかそれに“あのスパイダーマン”が搭乗しているとは、米国の子供たちには知るよしもないのでした。[4]


 マテル社は、ポピーの「ジャンボマシンダー」も「ショーグン・ウォリアーズ」のシリーズとして販売しました。「ジャンボマシンダー」というのは、60センチもある大きなプラスティック製のロボット玩具のシリーズです。「超合金」のように金属製ではありませんが、そのサイズが魅力でした。

 面白いことに、マテル社はゴジラとラドンの「ジャンボマシンダー」を米国のみで発売しています。グレートマジンガーやライディーンなどとゴジラ・ラドンがコラボすると考えるとなかなか凄いですが、造形の出来は良くなかったとのことです。[4]


 他にも「ショーグン・ウォーリアーズ」のパズルや塗り絵帳などのグッズが米国で企画され発売されました。マシアスに言わせると「アニメ絵をまだ知らないアメリカ人によるパチモノみたいな絵」だったのですが、「とにかく『ショーグン・ウォリアーズ』と書いてさえあればゴミでも売れた」ということで[4]、なんだか誇張も入ってるかもしれませんが、まあ結構な人気だったようです。


 伊藤剛は、漫画のキャラクターが元の物語から切り離されて〈キャラ〉の水準で捉えられることで、いわゆる二次創作が可能になることを論じています。「初音ミク」も、公式側で詳細な設定やストーリーを提示しないことで、ファンの側からキャラクターを膨らませていくことが可能になりました。

 〈キャラ〉として米国に上陸した日本生まれの巨大ロボットたちにも、ある意味で似たことが起こります。ファン主導ではないのでいわゆる二次創作とは違いますが、〈キャラ〉だけを流用して独自のストーリーが作られたのです。


 1978年、マーヴェルから『ショーグン・ウォリアーズ』のコミックブックが刊行開始されました。ストーリー担当のダグ・モエンチは、元になったアニメを一切観ていません。[4]

 内容は、光の勢力に属するダンガードA、コンバトラーV、ライディーンの三機のロボットのチームが、闇の勢力と太古から続く戦いを繰り広げるというストーリーだそうです。コンバトラーVのパイロットはゲンジ・オダシュー(?)という日本人女性で、元々は日本製ということを少し意識しているのかもしれません。ライディーンに乗るのはハリウッド映画のスタントマン、ダンガードAに搭乗するのは黒人の海洋学者。『ジャングル大帝』のときもそうでしたが、この頃からすでに人種の配置に気を配っているのが伺えます。


 アメコミ版の『ショーグン・ウォリアーズ』は残念ながらあまり売れず、20号までで終わっています。アメコミは薄い冊子の形で出版されるので、全20巻といっても大した分量ではありません。

 ただ、『ショーグン・ウォリアーズ』の登場人物はその後、『ファンタスティック・フォー』や『アベンジャーズ』に登場したことがあるそうです。[4]


 1979年に、4歳の男の子が自分の口の中にマテル社の玩具でミサイルを発射して窒息死するという事故が起きました。この結果、同様のギミックを持つ「ショーグン・ウォリアーズ」も親たちには危険な玩具という印象を与えてしまいます。ミサイルは安全性を高めたものに変更されたのですが、これが子供たちにはダサいミサイルと思われてしました。

「ショーグン・ウォーリアーズ」の売上は低下し、マテル社は「ショーグン・ウォリアーズ」の販売を1980年で終えます。[4]


 その1980年には、『フォース・ファイブ(Force Five)』というアニメがシンジケーション番組として始まります。これは東映動画の巨大ロボットものアニメ5作品をまとめたもので、登場するロボットは、マテル社の「ショーグン・ウォリアーズ」のラインナップに含まれています。

 月曜日に『惑星ロボ ダンガードA』、火曜日に『ゲッターロボG』、水曜日に『SF西遊記スタージンガー』、木曜日に『UFOロボ グレンダイザー』、金曜日に『大空魔竜ガイキング』という構成で、各26話に編集されました。しかし、マテル社は玩具販売をやめてしまったので、テレビアニメとロボット玩具の相乗効果を生むことはできませんでした。[6]

 この『フォース・ファイブ』は大きな成功を収められませんでした。


 余談ですが、YMO(イエロー・マジック・オーケストラ)の楽曲「ライディーン」のタイトルは、アニメ『勇者ライディーン』が米国でヒットしているということから名付けられたというエピソードがあります。「ライディーン」を収録したアルバム『ソリッド・ステート・サヴァイヴァー』の発売は1979年です(シングルカットされたのが1980年)。

 アニメ『勇者ライディーン』は、米国では「ローカル局で細々と放送されただけ」で[4]、70年代に放映していたのは日系人向けのローカルチャンネルくらいしかなかったと思われます。とすると、米国でヒットしていたというのはアニメの方ではなく、ロボット玩具の方だったのかもしれません。(アニメの方も、西海岸あたりの限定的な範囲では熱心なファンがいたかもしれませんが。)


 マテル社の玩具シリーズ「ショーグン・ウォリアーズ」は、日本の巨大ロボットアニメの米国上陸の先鞭をつけることになりましたが、これ以後に頻繁に現れる、複数のアニメ作品をまとめてひとつのタイトルとしてパッケージングするやり方の前例になった可能性があります。

 80年代には米国でも日本のロボットアニメが人気を呼び、“日本のアニメといえばメカ”という印象もできてきます。そして、米国で大きな成功を収めた最初のロボットアニメは、『百獣王ゴライオン』と『機甲艦隊ダイラガーXV』をひとつにした『ボルトロン』でした。



[1]フレッド・ラッド/ハーヴィー・デネロフ著、久美薫訳『アニメが「ANIME」になるまで 鉄腕アトム、アメリカを行く』NTT出版、2010年(原著2009年)

[2]五十嵐浩司『ロボットアニメビジネス進化論』光文社新書、2017年

[3]大塚英志/ササキバラ・ゴウ『教養としての〈まんが・アニメ〉』講談社現代新書、2001年

[4]パトリック・マシアス著、町山智浩編・訳『オタク・イン・USA 愛と誤解のAnime輸入史』太田出版、2006年

[5]伊藤剛『テヅカ・イズ・デッド ひらかれたマンガ表現論へ』星海社新書、2014年(オリジナルはNTT出版、2005年)

[6]草薙聡志『アメリカで日本のアニメは、どう見られてきたか?』徳間書店、2003年

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る